第2節「アマルの世界を語る」
七時ちょうど。チャイムが鳴った。
「来たわね」
母さんがエプロンを外しながら玄関に向かう。ドアが開く音。それから聞き慣れた声。
「こんばんは。お邪魔します」
中島エリカ。隣の家の幼馴染。学年トップの秀才。そして俺の誕生日会の皆勤賞。十年連続。
「エリカちゃん、いらっしゃい。さ、上がって上がって」
「ありがとうございます。あ、これ、ケーキです」
「あら、毎年悪いわね」
リビングに入ってきたエリカは、テーブルの料理を見て目を丸くした。
「すごい量......」
「母さんが本気出した」
「毎年本気よ」
母さんが笑う。エリカも笑った。この流れも毎年恒例だ。
席について、乾杯。ジュースとビール。親父だけビール。
「十五歳おめでとう」
「おめでとう、カイト」
「おめでとう」
三人の声が重なる。なんか照れくさい。
「......サンキュー」
食事が始まった。唐揚げは相変わらずうまい。グラタンのチーズが伸びる。エリカはポテトサラダを黙々と食べている。こいつ、うちのポテサラが好きなんだよな。毎年これだけ二回おかわりする。
話題はとりとめもなく転がっていく。追試の話で親父が笑い、母さんが「笑い事じゃないでしょ」とたしなめ、エリカが「私が教えたのに六十二点って逆にすごいわ」と毒を吐く。
『教え方が悪かったんじゃねえの。ってか六十二点で受かったんだから上出来だろ』
思ったけど言わない。言ったら追試の恩が消える。
デザートのケーキを切り分けた頃、エリカが急に目を輝かせた。
「ねえ、最近面白い本読んだの」
きた。読書トーク。
エリカは本の虫だ。面白い本を見つけると誰かに語りたくて仕方がない。この十年で学んだ対処法はひとつ。適度にうなずいて嵐が過ぎるのを待つ。
「『アマルの世界』っていうファンタジー小説。図書館で見つけたんだけど、作者不詳なの」
「へえ」
うなずく。一回目。
「十二柱の神が世界を作った話で、末裔っていう選ばれた存在が出てくるの」
「ふーん」
うなずく。二回目。順調だ。
「それぞれの神が枝葉世界を作って、その世界を見守る——」
「枝葉世界?」
「えっとね、神様が作った小さな世界のこと。放牧民の国とか精霊界とか、いろんな種類があるの」
「へえ。ファンタジーだな」
「ファンタジーよ。小説だもの」
エリカは当たり前のように言った。そりゃそうだ。
——ここで、気づかなかった。
母さんが一瞬だけ、箸を止めたことに。
「へえ、どんな内容なの?」
母さんが聞いた。笑顔。いつも通りの。でもその声が、ほんの少しだけ——硬かった気がする。
気のせいだったかもしれない。実際、俺は気にしなかった。
エリカは嬉しそうに続けた。誰かが興味を持ってくれるのが本当に嬉しいらしい。
「末裔は普通の人として暮らしているんですけど、覚醒具っていう特別なアイテムを見つけることで目覚めるんです。それで——」
語り出したら止まらない。十二柱の神の名前。それぞれの属性。風の神ゼフィロス、光の神フローシャンテリア。名前だけで覚えきれない。
親父はとっくにテレビに逃げていた。賢い判断だ。
「——で、こんな一節があって」
エリカが目を閉じた。正確に引用するときの癖だ。
「——『やがて厄難が始まるが、一筋の光は勾玉から始まる』」
目を開ける。どう? という顔。
「かっこいいじゃん」
適当に返した。
でも——ひっかかった。
勾玉。
『......勾玉?』
唐揚げを口に運びながら、頭の隅で何かが引っかかる。聞いたことがある。いや、聞いたどころじゃない。
『俺、勾玉持ってなかったか?』
記憶が遠い。五年前。夏。宮崎。ばあちゃんの家——
「......あ」
唐揚げを噛んだまま、止まった。




