表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/35

第6節「帰り道」


祭りが終わった。


 神社を出ると、空気が変わった。境内の喧噪が遠ざかる。蝉はもう鳴いていない。代わりに虫の声。夜風がぬるい。七月の夜は暗くなっても暑い。


 住宅街の道を二人で歩く。街灯がぽつぽつと道を照らしている。オレンジ色の光。影が長い。


 エリカは歩きながら手帳を開いていた。


 まだ書いている。ペンライトで手元を照らしながら。用意がいいというか——そこまでして記録するか。


 「今日の災難は合計十二回」


 始まった。


 「うち接触による妨害が十回。物理的な事故が二回」


 「お前さ——」


 「平均発生間隔は七分二十三秒。最短間隔は二分四秒。最長は十四分十一秒」


 止まらない。


 「接触妨害の方向は、後方が六回、左側面が三回、右側面が一回。後方からの妨害が優位ね」


 どこまで記録してるんだ。方向まで。


 「あと、妨害の主体は全て別人。同一人物による接触はゼロ」


 「......お前、人の顔も記録してたの?」


 「当然でしょう。データは多いほうがいいもの」


 怖い。エリカの観察力が怖い。


 「発生時刻と行動内容の相関を見ると——」


 「エリカ」


 「何」


 「楽しかったか? 縁日」


 エリカの手が止まった。ペンが手帳の上で静止する。ペンライトの光が揺れた。


 顔を上げる。暗がりの中で目が合った。街灯のオレンジが眼鏡のレンズに反射している。


 「......データ収集は楽しかったわ」


 「そうじゃなくて」


 分かっている。そういうことを聞いてるんじゃない。データとか分析とか確率とか——そういうのを全部抜きにして。


 エリカが目を逸らした。手帳をぱたんと閉じる。ペンライトも消した。暗くなった。街灯の光だけが残る。


 沈黙。二人分の足音。サンダルと下駄。ぺたぺたとからころ。


 「......金魚すくいは楽しかった」


 小さい声だった。


 「射的も。分析対象としてじゃなくて——普通に」


 横を見た。エリカはまっすぐ前を向いている。少し照れた顔。口元がかすかに緩んでいる。


 「素直じゃねえな」


 「うるさいわね」


 笑った。エリカも少しだけ笑った。


 いつもこうだ。最初に理屈を並べて、突っ込まれて、それから本音が出てくる。面倒くさい。でも——まあ、嫌いじゃない。十年以上こうやってきたのだ。


 右手に金魚の袋。エリカが持っている。水の中で赤い魚が泳いでいる。左手にクマのぬいぐるみ。これもエリカだ。俺の手は空。ソース臭い鞄だけ。


 毎年こうだ。エリカが全部持って、俺は手ぶら。金魚も景品もエリカが取ったやつ。情けないが——まあ、いつも通りだ。


 角を曲がる。見慣れた住宅街。うちとエリカの家は隣同士だ。生まれた時から。垣根一枚挟んで庭が繋がっている。幼稚園の頃は垣根の穴をくぐって行き来していた。今はさすがにやらないが、穴はまだ塞がれていない。親同士が「このままでいいわよね」と言って放置している。


 だから俺とエリカは物心つく前から一緒だ。誕生会も縁日も、花火大会もクリスマスも。全部二人。友達とかそういう括りとは違う。腐れ縁。それ以上でもそれ以下でもない。


 エリカの家の門が見えた。門灯がついている。リビングの窓から明かりが漏れている。エリカの母さんがまだ起きているらしい。


 「じゃあ、ここで」


 エリカが立ち止まった。金魚の袋を差し出す。


 「これ、カイトの分。ちゃんと水替えてあげてね」


 「おう。ありがとな」


 袋を受け取った。金魚が袋の中でぴちゃりと跳ねた。


 「また明日。勉強頑張りましょう」


 「おう」


 エリカが門を開けて敷地に入る。下駄がからころ鳴る。朝顔の浴衣の背中が門灯に照らされて白く浮かんだ。


 「おやすみ」


 「おやすみ」


 門が閉まった。


 一人になる。静かだ。虫の声だけ。金魚の袋が手の中で揺れている。


 隣の自分の家に向かう。玄関の鍵を開けた。リビングから母さんの声。「おかえり。遅かったわね」。「ただいま」。


 部屋に戻る。浴衣を脱いだ。紺色の生地にソースと飴のシミ。洗濯機行きだ。


 ベッドに転がった。天井を見る。


 今日の縁日。焼きそばは食えなかった。りんご飴もかき氷も全滅。射的は十発ゼロ。金魚すくいはポイ三枚破れた。


 でもまあ——楽しかったか。


 『楽しかったな。普通に』


 エリカの真似をしてみた。誰にも聞こえない。


 金魚の袋をベッドの横に置いた。赤い魚がくるくる泳いでいる。明日、水槽を買いに行こう。


 目を閉じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ