第6節「帰り道」
祭りが終わった。
神社を出ると、空気が変わった。境内の喧噪が遠ざかる。蝉はもう鳴いていない。代わりに虫の声。夜風がぬるい。七月の夜は暗くなっても暑い。
住宅街の道を二人で歩く。街灯がぽつぽつと道を照らしている。オレンジ色の光。影が長い。
エリカは歩きながら手帳を開いていた。
まだ書いている。ペンライトで手元を照らしながら。用意がいいというか——そこまでして記録するか。
「今日の災難は合計十二回」
始まった。
「うち接触による妨害が十回。物理的な事故が二回」
「お前さ——」
「平均発生間隔は七分二十三秒。最短間隔は二分四秒。最長は十四分十一秒」
止まらない。
「接触妨害の方向は、後方が六回、左側面が三回、右側面が一回。後方からの妨害が優位ね」
どこまで記録してるんだ。方向まで。
「あと、妨害の主体は全て別人。同一人物による接触はゼロ」
「......お前、人の顔も記録してたの?」
「当然でしょう。データは多いほうがいいもの」
怖い。エリカの観察力が怖い。
「発生時刻と行動内容の相関を見ると——」
「エリカ」
「何」
「楽しかったか? 縁日」
エリカの手が止まった。ペンが手帳の上で静止する。ペンライトの光が揺れた。
顔を上げる。暗がりの中で目が合った。街灯のオレンジが眼鏡のレンズに反射している。
「......データ収集は楽しかったわ」
「そうじゃなくて」
分かっている。そういうことを聞いてるんじゃない。データとか分析とか確率とか——そういうのを全部抜きにして。
エリカが目を逸らした。手帳をぱたんと閉じる。ペンライトも消した。暗くなった。街灯の光だけが残る。
沈黙。二人分の足音。サンダルと下駄。ぺたぺたとからころ。
「......金魚すくいは楽しかった」
小さい声だった。
「射的も。分析対象としてじゃなくて——普通に」
横を見た。エリカはまっすぐ前を向いている。少し照れた顔。口元がかすかに緩んでいる。
「素直じゃねえな」
「うるさいわね」
笑った。エリカも少しだけ笑った。
いつもこうだ。最初に理屈を並べて、突っ込まれて、それから本音が出てくる。面倒くさい。でも——まあ、嫌いじゃない。十年以上こうやってきたのだ。
右手に金魚の袋。エリカが持っている。水の中で赤い魚が泳いでいる。左手にクマのぬいぐるみ。これもエリカだ。俺の手は空。ソース臭い鞄だけ。
毎年こうだ。エリカが全部持って、俺は手ぶら。金魚も景品もエリカが取ったやつ。情けないが——まあ、いつも通りだ。
角を曲がる。見慣れた住宅街。うちとエリカの家は隣同士だ。生まれた時から。垣根一枚挟んで庭が繋がっている。幼稚園の頃は垣根の穴をくぐって行き来していた。今はさすがにやらないが、穴はまだ塞がれていない。親同士が「このままでいいわよね」と言って放置している。
だから俺とエリカは物心つく前から一緒だ。誕生会も縁日も、花火大会もクリスマスも。全部二人。友達とかそういう括りとは違う。腐れ縁。それ以上でもそれ以下でもない。
エリカの家の門が見えた。門灯がついている。リビングの窓から明かりが漏れている。エリカの母さんがまだ起きているらしい。
「じゃあ、ここで」
エリカが立ち止まった。金魚の袋を差し出す。
「これ、カイトの分。ちゃんと水替えてあげてね」
「おう。ありがとな」
袋を受け取った。金魚が袋の中でぴちゃりと跳ねた。
「また明日。勉強頑張りましょう」
「おう」
エリカが門を開けて敷地に入る。下駄がからころ鳴る。朝顔の浴衣の背中が門灯に照らされて白く浮かんだ。
「おやすみ」
「おやすみ」
門が閉まった。
一人になる。静かだ。虫の声だけ。金魚の袋が手の中で揺れている。
隣の自分の家に向かう。玄関の鍵を開けた。リビングから母さんの声。「おかえり。遅かったわね」。「ただいま」。
部屋に戻る。浴衣を脱いだ。紺色の生地にソースと飴のシミ。洗濯機行きだ。
ベッドに転がった。天井を見る。
今日の縁日。焼きそばは食えなかった。りんご飴もかき氷も全滅。射的は十発ゼロ。金魚すくいはポイ三枚破れた。
でもまあ——楽しかったか。
『楽しかったな。普通に』
エリカの真似をしてみた。誰にも聞こえない。
金魚の袋をベッドの横に置いた。赤い魚がくるくる泳いでいる。明日、水槽を買いに行こう。
目を閉じた。




