第5節「ぴんくのめがね」
帰ろうとした時、境内の外れに小さな屋台を見つけた。
参道から少し外れた場所。提灯の明かりが届かない薄暗い一角。木の台に古道具や雑貨が並んでいる。色あせた万華鏡。革の小銭入れ。木彫りの動物。ガラスのおはじき。どれも古い。他の屋台とは雰囲気が違った。
店番は老婆が一人。白髪を後ろでまとめている。顔は皺だらけだが、目だけが妙に澄んでいた。
「......何あれ」
「骨董品かしら。いえ、ガラクタかも」
エリカが辛辣だ。
近づいてみた。理由はない。なんとなく。棚の上に小物が所狭しと並んでいる。ブリキのロボット。古い懐中時計。木製のコマ。どれも五百円の値札がついていた。均一価格。
ふと思い出した。
『そうだ。来月、いとこの誕生日だ』
おやじの弟の娘。三歳になる。去年は何もあげられなかった。今年こそ何か買おう。そう思ったのが先週。でもまだ何も用意していない。
棚を見回す。三歳の女の子が喜びそうなもの。ブリキのロボットは違う。懐中時計も違う。木のコマは——まあ、なくはないけど地味だ。
目が止まった。
ピンク色の眼鏡。
棚の隅にちょこんと置いてある。フレームが鮮やかなピンク。ラインストーンがきらきら光っている。星とハートの装飾。テンプルの先にちっちゃなリボン。明らかに幼児向けのデザインだ。
手に取った。軽い。おもちゃみたいだ。でもレンズは本物のガラスっぽい。度は入っていない。伊達眼鏡。
レンズをよく見ると——うっすらと模様があった。何かの紋章のような。円の中に線が交差している。透かすと光が少し歪む。不思議なレンズだ。
どこかで見たことがある気がした。何だっけ。思い出せない。
『まあいいか。可愛けりゃ問題ない』
『三歳にぴったりじゃん』
このキラキラ感。このピンク。このリボン。三歳児のツボを的確に突いている。しかも五百円。安い。
「これください」
老婆に声をかけた。老婆がこちらを見た。目が細くなる。笑っているのか——いや、何か別の表情にも見えた。
「いい目をしていますね」
「え?」
「大切にしてくださいね。その眼鏡には不思議な力がありますから」
五百円玉を渡す。老婆の手は皺だらけだが温かかった。眼鏡を受け取る。
隣でエリカが反応した。
「不思議な力? 具体的にはどのような?」
来た。こういう曖昧な表現にエリカは黙っていられない。
老婆は穏やかに微笑んだ。
「使えば分かります」
「曖昧ね。それでは検証できないわ」
エリカの目が鋭くなっている。分析モードだ。「不思議な力」という非科学的な主張に対して、具体的な根拠を求めている。縁日の屋台に。
「どういう力なのか説明がないと、購入者として判断のしようがないと思いますけど」
「エリカ」
止めた。このままだと老婆を問い詰めかねない。
「縁日の屋台に科学的根拠求めんなよ」
「でも——」
「五百円だぞ。いとこへのプレゼントだ。不思議な力があろうがなかろうが、可愛けりゃいいんだよ」
エリカが口をつぐんだ。納得はしていない顔。でも反論はしなかった。
ピンクの眼鏡を見る。キラキラのラインストーン。星とハート。レンズの中のうっすらとした模様。
いい買い物だ。たぶん。
眼鏡を鞄にしまおうとして——やめた。鞄からソースの匂いがする。さっき焼きそばをぶちまけた時の被害だ。こんな中にピンクの眼鏡を入れたらソース臭くなる。姪に渡せない。
「エリカ、これ預かっといて。俺の鞄ソース臭いから」
「......仕方ないわね」
エリカがピンクの眼鏡を受け取った。白い朝顔の浴衣の袖から細い指が伸びる。眼鏡を丁寧に手帳ケースに挟んだ。几帳面だ。こいつに預ければ汚れる心配はない。
「ありがと」
「別にいいわよ。ソース臭い鞄に入れるよりはまし」
それはそうだ。
老婆の屋台を後にした。振り返ると、老婆はまだこちらを見ていた。口元に微笑み。提灯の光が届かない暗がりで、あの澄んだ目だけが光っている。
何が可笑しいのか分からない。そもそも——こんな場所に屋台があったか。去年は見た覚えがない。
『まあ、縁日だし。変わった人もいるか』
今日何回目だろう。「まあいいか」と思うのは。たぶん十回は超えている。
屋台通りに戻った。エリカが手帳ケースを鞄にしまいながら呟いた。
「不思議な力、ね」
「気にすんなよ。ただの伊達眼鏡だろ」
「......そうね。たぶん」
エリカの「たぶん」は、俺の「たぶん」とは意味が違う。俺の「たぶん」は考えるのが面倒な時に使う。エリカの「たぶん」は——まだ結論を留保している時に使う。
まだ考えているのだ。不思議な力。検証できない曖昧な言葉。でも気になる。データがない仮説を、頭の片隅に保存している。
『面倒くさいやつ』
でもまあ——そういうところがエリカだ。




