第3節「災難だらけの縁日」
まず焼きそばを買おう。そう決めた。
屋台通りは人で溢れていた。提灯の光。ソースの匂い。綿あめの甘い香り。子供が走り回っている。どこかでお囃子が聞こえる。エリカは三歩前を歩きながら手帳を開いていた。まだ開いてる。縁日の最中に手帳を開くな。
「まず焼きそば、次にりんご飴、かき氷は最後ね。動線的に効率がいいわ」
「ルート組んでんの?」
「当然でしょ」
縁日にルートを組むやつ。
焼きそばの屋台に着いた。列は短い。三人待ち。順番が回ってきて、俺は財布を取り出した。
その瞬間。
ドン。
後ろから誰かにぶつかられた。肩から突き飛ばされるような衝撃。手が滑って財布が落ちる。中身がぶちまけられた。小銭が石畳の上を転がっていく。五円玉。十円玉。百円玉が屋台の下に消えた。
「あっ——」
振り返る。人混み。誰がぶつかったのか分からない。
「一回」
隣でエリカが呟いた。手帳にペンを走らせている。
『いや、まずは拾うのを手伝え』
膝をついて小銭を集めた。浴衣の膝が汚れた。百円玉は屋台の奥に入り込んで回収不能。諦める。
気を取り直して焼きそばを買った。四百円。パックを受け取る。ソースの匂い。紅生姜が乗っている。割り箸を割った。さあ食うぞ——。
横から子供が突っ込んできた。
全速力。体当たり。パックが手から弾け飛ぶ。焼きそばが宙を舞った。麺が浴衣に降り注ぐ。ソースが紺色の生地に染みを作る。紅生姜が帯に引っかかっている。
子供は「ごめんなさーい」と叫びながら人混みに消えた。速い。
「二回」
エリカが手帳に書き込む。ペンの音がさらさら鳴る。
「......一口も食えなかった」
「十七時二十三分。前回から八分経過」
記録するな。食えなかったことに同情しろ。
エリカがハンカチを差し出した。白いハンカチ。アイロンがきっちりかかっている。さすが几帳面。
「浴衣、ソースつくわよ。早く拭いて」
帯の紅生姜を取り、ソースを拭く。紺色だから目立たないのが不幸中の幸いだ。
気を取り直す。焼きそばは諦めた。りんご飴にしよう。
りんご飴を買った。三百円。赤くてつやつやの飴。棒を握る。噛り付こうとした——。
すれ違いざまに、誰かの肘が飴に当たった。
棒から外れたりんご飴が落下。浴衣の前身頃にべたり。赤い飴が紺色の生地に貼りつく。
「三回」
エリカの声。淡々としている。もう驚いていない。
「十七時三十一分。前回から八分。間隔が安定してきたわね」
「嬉しそうに言うな」
「嬉しくないわよ。ただ興味深いだけ」
同じだろ。
りんご飴を剥がす。浴衣がべたべたする。ソースの次は飴。もう紺色の浴衣が何色なのか分からない。
ふと気になった。さっきから——ぶつかってくるのは全部知らない人だ。しかも全員、ぶつかった後に振り返りもせず消えている。普通は「すみません」くらい言うだろう。
『......まあ、祭りだし。人が多いし』
深く考えないことにした。
最後のかき氷。もうこれしか残っていない。
かき氷を買った。二百円。ブルーハワイ。青いシロップが山盛り。スプーンを手に取る。一口目——。
背中をどんと押された。
体が前につんのめる。手が滑る。かき氷が顔面に激突した。
冷たい。
青いシロップが額から垂れてくる。目に入る。鼻に入る。口に入る。ブルーハワイの味がする。全身で味わうかき氷。新体験だ。こんな食べ方は望んでない。
「四回」
エリカが目の前に立っている。ハンカチを広げてくれた。さっきとは別の——予備を持ってきたらしい。準備がいい。俺の災難を予測していたのか。たぶん、している。
エリカがハンカチで俺の顔を拭いた。
丁寧に。額、頬、鼻の順番。シロップが青いからよく見えるらしい。「ここにも」と顎を拭かれた。恥ずかしいが、自分じゃ見えないから任せるしかない。
拭きながら、エリカが口を開いた。
「四十五分で四回」
始まった。
「時間あたりの災難発生率は五・三三回。通常の縁日での接触事故発生率は〇・二回程度」
「いちいち計算すんな」
「約二十六・七倍の異常値よ」
「だから何だよ」
エリカの手が止まった。ハンカチを握ったまま、まっすぐ俺を見る。さっきまでの分析モードとは違う目。真剣だ。
「偶然じゃないってこと。誰かが意図的にやってる可能性がある」
「考えすぎだろ。俺は昔からこうだし」
「......データは嘘をつかないわ」
エリカが手帳を俺に見せた。今日の記録。時刻と内容がびっしり並んでいる。その下に計算式。発生間隔、平均値、標準偏差。文字が細かい。グラフまである。縁日の最中にグラフを描く高校生。そっちのほうが異常値だと思う。
確かにおかしいのかもしれない。四十五分で四回。全部、俺が何かをしようとした瞬間に起きている。タイミングが良すぎる。悪すぎる。どっちだ。
でも——考えてもしょうがない。俺は物心ついた頃からこうだ。転んで、ぶつかって、落として、壊して。いつものこと。エリカが記録を始めたのは最近だけど、災難そのものは十五年前からある。
「偶然だろ。運が悪いだけ」
「運の良し悪しは科学的に——」
「はいはい。次、射的行こうぜ」
話を打ち切った。エリカは少し口を尖らせたが、手帳を閉じて後をついてきた。
青いシロップの跡が額に残っている気がする。でもまあ、暗いから見えないだろう。
たぶん。




