表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/32

第1節「誘い」


放課後の教室は蝉の声に埋もれていた。


 七月。窓の外は夕焼け。図書館での勉強を終えて教室に戻ると、誰もいない。当たり前だ。こんな時間まで残ってるのは追試組だけ。しかもその追試まであと一週間。


 『やべえな』


 正直、全然やべえと思っていない。なんとかなるだろう。たぶん。


 鞄を取りに机まで歩く。ふと掲示板が目に入った。カラフルなポスター。地元の神社の夏祭り。今週の土曜日。金魚すくいの絵がやたら気合い入ってる。


 「あ」


 声が出た。


 毎年行ってるやつだ。幼稚園の頃から。エリカと二人で。親同士が仲良いから、毎年カイトの誕生会にもエリカが来る。縁日もその延長。恒例行事ってやつ。


 「——何ぼーっとしてるの」


 振り返る。エリカが教室の入口に立っていた。手には図書館の本が三冊。さっきまで一緒に勉強していたくせに、まだ本を借りてきたらしい。こいつの勉強量はバグっている。


 「いや、ポスター見てた。縁日」


 指で掲示板を差す。エリカがこっちに歩いてくる。上靴が床を叩く音。ぺたぺた。


 「ああ、夏祭りね」


 「縁日行くだろ? 一緒に行こうぜ」


 わざわざ改まって言うことでもない。毎年行ってる。聞くまでもない。でもまあ、一応。


 エリカは鞄から手帳を取り出した。革のカバー。付箋がびっしり。開いて七月のページを確認する。指で日付をなぞっている。


 「土曜日ね。予定は——空いてるわ」


 「お前いちいち手帳見んのな」


 「当然でしょ。スケジュール管理は基本よ」


 『俺は予定なんて覚えてねえけど』


 いや、正確に言うと覚える気がない。頭の中に入れておけばいい。入らなかったら——まあ、そん時はそん時だ。


 エリカが手帳を閉じる。パタン。いい音がした。


 「追試前だけど」


 来ると思った。


 「適度な休息は学習効率を上げるというデータもあるし」


 理屈っぽい。何をするにも根拠がいる。遊びに行くのに論文みたいな理由をつけるやつ。でもまあ、それがエリカだ。十年以上の付き合いで慣れた。


 「素直に行きたいって言えよ」


 「別にそういうわけじゃ——」


 エリカが目を逸らした。こういう時だけ歯切れが悪い。素直じゃないのだ。昔から。


 教室の時計が五時を指す。チャイムはもう鳴らない。放課後の静けさ。遠くで野球部の声が聞こえる。


 エリカが本を鞄にしまい始めた。図書館の本が三冊。数学の参考書が一冊。そしてもう一冊——表紙に不思議な紋章が描かれた本。


 『アマルの世界』。


 エリカが最近ずっと読んでるやつだ。ファンタジー小説。作者不詳。表紙の紋章がやたら凝っている。エリカは「図書館の棚で偶然見つけた」と言っていた。


 「まだ読んでんの、それ」


 「面白いのよ。世界観の構築が緻密で、設定の整合性が——」


 「感想が論文レビューなんだよ」


 エリカが口をつぐんだ。少しむくれた顔。


 「......面白いの。普通に」


 さっきと同じパターン。最初に理屈を言って、突っ込まれると素直になる。


 エリカが鞄のチャックを閉じた。本が五冊。鞄がぱんぱんだ。肩にかけるとき少しよろけた。


 「重そうだな」


 「大丈夫。鍛えてるから」


 「嘘つけ。体育で懸垂ゼロ回だっただろ」


 「——あれは器具の問題よ」


 器具のせいにするな。


 エリカが教室の出口に向かう。俺も鞄を掴んで後を追った。


 「じゃあ土曜日ね。十七時に鳥居前で」


 「おう」


 「遅刻しないでよ。カイトはいつも五分遅れるから」


 「しねえよ、たぶん」


 「『たぶん』って何よ......」


 エリカが呆れた顔をした。いつもの顔だ。


 廊下に出る。夕日が差し込んでいた。オレンジ色の光。エリカの影が長く伸びている。蝉の声がさっきより近い。


 隣を歩くエリカの鞄から『アマルの世界』の背表紙がのぞいていた。金色の紋章。なんだか見たことがあるような——。


 『いや、気のせいか』


 考えるのをやめた。


 追試のことも、紋章のことも。とりあえず土曜日は縁日だ。それだけ決まっていればいい。


 細かいことはエリカが考えてくれる。昔からそうだ。


 昇降口を出ると、熱気が顔にぶつかった。七月の空気。アスファルトが焼けた匂い。


 「暑っ」


 「今日の最高気温は三十四度よ。湿度は七十八パーセント」


 「聞いてねえよ」


 いつも通りの放課後。いつも通りの会話。


 ——何も変わらない日常だった。


 まだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ