第6節「エリカとゼファー」
前を歩いていると、後ろから声が聞こえてきた。
聞き耳を立てたわけじゃない。風が声を運んでくるのだ。精霊界の風は優しいが、よく通る。
エリカとゼファーが話している。
「タクシマルは元気にしているだろうか」
ゼファーの声だった。いつもの威厳ある口調に、隠しきれない柔らかさが混じっている。孫の名前を口にする時だけ、この人は年相応の顔になる。
「大丈夫ですよ。あの子は強い」
エリカが答える。
「『カイト兄ちゃん』って、毎日のように叫んでましたからね。きっと今も走り回ってます」
「そうだな\...\...あいつは走るのだけは一人前だ」
ゼファーが小さく笑った。珍しい。
タクシマル。三歳のやんちゃ坊主。俺のことを「カイト兄ちゃん」と呼んで、毎朝まとわりついてきた。あの笑顔を思い出すと、胸の奥がきゅっとなる。
「タクファーもソクタンも、立派にやっているはずだ。だが——」
ゼファーの声が途切れた。
「——離れている時間は、長いな」
クランの長として覚悟を決めた男の、ただの一言。それが一番重い。
「ソクタンは怒っているだろうか。いや、あの嫁は怒りはしない。ただ——黙って待っている。それが一番こたえる」
「ソクタンさんなら、ちゃんとわかってますよ。あの人、何も言わなくても全部見てましたから」
「\...\...そうだな。昔からそういう女だ」
ゼファーの声に、ほんの少し笑みが戻った。
しばらく二人の間に沈黙が流れた。木の葉を踏む音だけが続く。
やがてエリカが、小さな声で言った。
「\...\...ゼファーさん」
「ん?」
「私、末裔じゃないじゃないですか」
足が止まりそうになった。
咄嗟に歩き続ける。振り返るな。今、俺が口を挟んだらエリカは何も言えなくなる。
「みんなについていって、いいのかなって——時々思います」
エリカの声が震えていた。
知らなかった。こいつがそんなことを考えていたなんて。
放牧民の国でも精霊界でも、エリカはいつも冷静に分析して、的確な判断を下してきた。ゼルとの心理戦だって、エリカがいなきゃ勝てなかった。
そのエリカが——足手まといだと思っていたのか。
見えなかった。いつもの「計算通りよ」の裏側に、こんな不安が隠れていたなんて。
拳を握った。振り返りたい。「何言ってんだよ」と言いたい。でも——今はゼファーの番だ。俺が割り込んだら、エリカはいつもの顔に戻ってしまう。
ゼファーは少し間を置いてから、穏やかに言った。
「末裔かどうかは関係ない」
静かだが、揺るがない声。クランの長が、一族の前で語る時の声だ。
「お前がいなければ、俺たちは何度も窮地に陥っていた。放牧民の国でも、精霊界でも」
そうだ。タクシマルを助けたのも、ガルダの不正を暴いたのも、ゼルを出し抜いたのも——全部エリカの頭があったからだ。
「俺はクランの長だが、クランの者は全員が末裔ではない。それでも家族だ。仲間とは血筋ではなく、共に戦う者のことだ」
ゼファーの声に迷いはなかった。四十五年分の人生が、その一言に詰まっている。
エリカの声が詰まった。
「\...\...ありがとうございます、ゼファーさん」
ゼファーが咳払いをした。照れている。この人、こういう場面が苦手なのだ。
「礼を言われることではない」
ぶっきらぼうに返すが、声が温かい。
俺は前を向いたまま、心の中で頷いた。
『その通りだ。エリカがいなきゃ、俺たちはとっくに詰んでた』
いつか、ちゃんと本人に言おう。今じゃなくていい。でも——必ず。
風が吹いた。後ろから、エリカが鼻をすする音がかすかに聞こえた。




