第3節「幼馴染」
昼休み。
予備の机が運ばれてきた。壊れた机は用務員室行き。二日連続で机を破壊した生徒は、桜町高校始まって以来だそうだ。
『記録更新して嬉しくないランキング一位だな』
焼きそばパンの残りを齧る。教室は昼の喧騒。あちこちで弁当を広げたり、購買のパンを奪い合ったり。いつもの風景。
ぱたぱたと足音が近づいてきた。
「カイト、また机壊したの?」
顔を上げる。
中島エリカ。俺の幼馴染。
黒髪のショートカット。目がくりっとしていて顔立ちは整っている。本人は自覚ゼロだけど。
「壊したんじゃない。壊れたんだ」
「同じでしょ」
「全然違う。主語が違う。俺は被害者だ」
「座っただけで脚が折れる机も被害者よ」
『机の方に同情するのかよ』
エリカは向かいの空き席に座った。手には文庫本と紙パックのりんごジュース。こいつの昼飯はいつもこれだ。
「それ昼飯じゃないだろ」
「朝たくさん食べたから」
「どんだけ食ったんだよ」
「トースト三枚とスクランブルエッグとサラダ」
燃費のおかしい車みたいだ。朝にどか食いして昼は抜く。かと思えば、昼にカツ丼大盛りを平らげる日もある。
エリカは文庫本を開いた。ストローでジュースを吸いながら読む。読みながら喋る。
「顔にボール当たったんでしょ」
「よく知ってるな」
「クラスLINEに流れてた」
『山本......お前か』
「鼻は大丈夫なの」
「折れてない」
「基準がおかしいわよ。普通は鼻が折れるかどうかなんて心配しないの」
言いながら、エリカはちらっとこっちを見た。一瞬だけ。でも目に心配の色が混じってるのは、わかる。
十二年の付き合いだ。そういうの、見逃さない。
「大丈夫だって」
「......ならいいけど」
エリカはまた本に目を落とした。
中島エリカ。十五歳。学年テスト五教科総合一位。成績表は全教科A。先生たちからの信頼も厚い。
委員長タイプかと思いきや、委員会には一切入っていない。理由は「本を読む時間が減るから」。進路指導の先生が頭を抱えていた。
頭はいい。間違いなく。でも——どこか抜けている。いや、かなり抜けている。
まず、歩きながら本を読む。
これだけなら「ありがち」で済む。問題はレベルだ。こいつは本を開いた瞬間、周囲の認識が消える。電柱にぶつかる。側溝に落ちる。信号が赤でも歩き出す。
側溝に落ちたのは二回。二回とも俺が引っ張り上げた。一回目は膝まで。二回目は腰まで浸かってた。
『あのときのエリカの顔。「あら」って。「あら」じゃねえよ。腰まで浸かっといて「あら」って』
信号を無視するのは日常だ。横断歩道で青を待たずにふらっと歩き出す。俺が腕を掴んで止める。車が通り過ぎる。エリカは「ありがとう」と言って、また本に目を落とす。
何回助けたか、もう数えてない。
去年の冬。エリカが本を読みながら階段を降りていて、三段目で踏み外した。俺がたまたま下にいて受け止めた。二人で転がった。背中を強打した。
エリカは擦り傷ひとつなかった。俺は背中に巨大なアザができた。
『理不尽にもほどがある』
「ねえ、聞いてる?」
「聞いてる」
「嘘。聞いてなかったでしょ」
「............」
「来週の英語の小テスト、範囲が二十ページ増えたわよ」
「マジかよ」
「あと数学のレポート、締め切り明後日」
「知ってる」
「嘘ね」
二連続でバレた。
エリカは俺の情報管理係でもある。テストの範囲。提出物の期限。先生からの連絡事項。俺が聞き逃すことを、全部拾ってくれる。
幼稚園からの付き合いだ。家は隣同士。親同士が仲がいい。エリカの母さんと俺の母さんは大学の同級生で、偶然隣に越してきたらしい。それ以来、家族ぐるみ。
幼稚園。小学校。中学校。高校。全部同じ。エリカの方が頭がいいから別の高校に行くかと思ったけど、「通学時間が短い方が本を読める」という理由で桜町を選んだ。
志望理由が清々しい。
エリカがりんごジュースを飲み干した。ずずっと音を立てる。
「ごちそうさま」
「それ飯じゃないって」
「うるさいわね。あ、焼きそばパンちょっとちょうだい」
「食うのかよ」
ちぎって渡す。エリカは本を読みながら齧った。パンくずが本に落ちる。気にしない。
『本への愛が深いくせに扱いが雑なんだよな』
そのとき。
「ねー、橘と中島ってさ」
斜め後ろの席から声が飛んできた。田村。クラスのゴシップ担当。
「付き合ってんの?」
来た。定期的に来るやつだ。
「付き合ってない」
「付き合ってないわよ」
同時に答えた。声がぴったり重なった。
田村がニヤニヤする。
「息ぴったりじゃん」
「幼馴染だからな。タイミングが合うだけだ」
「幼馴染から恋人って王道じゃーん」
「王道でも何でもない。違うもんは違う」
「中島さんはー?」
エリカは本から目を上げなかった。
「カイトは幼馴染。それ以上でもそれ以下でもないわよ」
淡々と。迷いなく。ページをめくりながら。
『......ああ。まあ。そうだよな』
そういう関係じゃない。俺もそう思ってる。
エリカは俺の幼馴染で、一番付き合いが長くて、一番気を遣わなくていい相手だ。それは「友達」として。そう。友達。
友達、だ。
『——なんで念押しした、俺』
気にするな。気にしたら負けだ。
予鈴が鳴った。
エリカが立ち上がる。文庫本を鞄に入れようとして——落とした。しゃがんで拾う。立ち上がるとき、机の角に額をぶつけた。
ゴンッ。
いい音がした。教室の何人かが振り返るくらい。
「......っ」
「大丈夫か」
「平気」
「平気な顔してないぞ。赤くなってる」
「触らないで」
「誰も触ってねえよ」
エリカは額を押さえたまま、ぷいっとそっぽを向いて自分の席に戻っていった。足取りが若干ふらついている。
『......あいつ、俺がいなかったらとっくに大怪我してるだろ』
災難体質の俺と、天然ドジの幼馴染。
傍から見たら、コントだ。
でもまあ——こいつといると、気が楽だ。災難ばかりの毎日でも、エリカと馬鹿やってると笑っていられる。
それだけで十分だ。
たぶん。




