第2節「帰還と別れ」
期限当日の朝。空が白み始めていた。
ゼファーの韋駄天が砂埃を巻き上げる。俺は脇に抱えられたまま、王宮の門が見えた瞬間に叫んだ。
「着いた! 間に合った!」
急停止。体が慣性で前に飛びそうになる。着地して、ふらつく足で踏ん張った。朝の空気が肺に冷たい。
門の前に、二つの影。エリカとフローシャンテリアだ。
エリカの顔が目に入った。——目の下にクマがある。寝てないな、こいつ。でも俺を見つけた瞬間、表情がぱっと明るくなった。
「カイト!」
エリカが駆け寄ってくる。フローシャンテリアもその後ろに続く。俺は満面の笑みで、手に持った封筒の束を掲げた。
「やったぜ! 約束の手紙、山ほど手に入れた!」
どさっと封筒を見せる。二十枚以上はある。エリカの表情がほっと緩んだ。
「\...\...よかった」
小さな声だった。安堵の声。でも——なんだろう。その顔に、別の何かが混じっている気がした。
「カイト、話がある」
エリカが真っ直ぐ俺を見た。笑顔が消えている。
嫌な予感がした。
「私がゼルのところへ行く。ゼファーさんに付き添ってもらう」
——は?
一瞬、言葉の意味がわからなかった。ゼル。狡猾の幹部。あの銀髪の、冷たい目をした男のところへ。エリカが。一人で。
「お前が? 冗談だろ。俺も行く」
声が大きくなった。自分でもわかる。エリカは首を横に振った。
「ダメ。あなたはここに残って」
「なんでだよ! 説明しろ!」
詰め寄った。エリカは一歩も引かない。その目に迷いがないのが、余計に腹が立つ。
「フロー様を守れるのはあなただけよ」
エリカの声は静かだった。
「狡猾は王女も狙ってる。あなたがいなければ王宮は危険。私とゼファーさんが行く間——王宮を頼む」
言葉に詰まった。
フローシャンテリアが隣で黙って立っている。不安そうな顔。この人を危険にさらすわけにはいかない。それはわかる。わかるけど——。
「\...\...他に方法はねえのかよ」
「ないわ。ゼルは私を『一人で来い』と指定してきた。二人で行ったら交渉が成立しない」
「だったら俺が一人で——」
「読心能力がないあなたが、ゼルの心理戦に勝てる?」
ぐっと言葉に詰まった。正論だ。くそ。
エリカが一歩近づいた。声を落とす。
「私にしかできないことがあるの。\...\...信じて」
その目が真剣だった。ふざけている時のエリカじゃない。データも確率も持ち出さない。ただ「信じて」とだけ言った。こういう時のエリカは、テコでも動かない。
ゼファーが口を開いた。
「カイト。エリカの話は道中で聞いた。筋は通っている」
ゼファーまでか。俺は二対一だ。
拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。悔しい。何が悔しいって、エリカの言うことが正しいのが悔しい。
「\...\...わかった」
絞り出すように言った。喉が詰まる。
「でも絶対に帰ってこいよ」
エリカが微笑んだ。いつもの、少しだけ生意気な笑顔。
「約束する」
——その笑顔の裏に何が隠されているか、俺は知らなかった。
エリカがポケットから何かを取り出した。小さな革のポシェット。横にクマのぬいぐるみがぶら下がっている。いつ用意したんだ、そんなもの。
「じゃあ、行ってくるね」
軽い口調だった。まるで買い物にでも行くみたいに。エリカがゼファーの方を向く。ゼファーが頷く。二人が背を向けた。
ゼファーがエリカを脇に抱え、韋駄天で走り出す。砂埃が舞い上がる。エリカの小さな背中が、朝日の中でみるみる遠ざかっていく。
フローシャンテリアが隣でつぶやいた。
「\...\...大丈夫でしょうか」
「大丈夫だ。あいつは約束を破らない」
そう言った。言い聞かせるように。自分自身に。
でも胸の奥に、モヤモヤが残っている。エリカの目の下のクマ。一晩中何をしていたんだ。あいつの「話がある」の切り出し方。いつもと違った。いつもならデータを並べて、確率を計算して、論理的に説明するのに。今日は——理由が一つしかなかった。
『何か隠してやがる\...\...』
わかっている。でも、信じるしかない。
エリカの背中が、森の向こうに消えた。俺は拳を解いた。掌に、爪の跡が四つ残っていた。
「\...\...さて」
振り返る。フローシャンテリアと、門の衛兵たちが俺を見ている。
エリカにはエリカの戦いがある。なら——俺には俺の戦いがある。
「フローシャンテリア様、頼みがある。衛兵を全員、中庭に集めてもらえるか」
「全員、ですか?」
「ああ。作戦会議だ」
フローシャンテリアが目を丸くした。それから、小さく笑った。
「\...\...わかりました。お任せください」
朝日が王宮の壁を金色に染めている。




