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第1節「約束の手紙の秘密」


 俺とゼファーがサルーラ村へ向かっていたあの夜。エリカは一人、王宮の図書館にいた。


 蝋燭の灯りが揺れる中、古文書が山のように積まれていたらしい。羊皮紙の乾いた匂い。インクの残り香。エリカはピンクのめがねをかけ、片っ端から読み漁っていた。


 約束の手紙。その正確な使い方を知るために。


 誰もいない図書館に、紙をめくる音だけが響く。


 めがねの力で、文字に触れるだけで内容が頭に流れ込んでくる。精霊界の古い言語で書かれた文献も関係ない。千年前の契約法、血の魔術の基礎理論、精霊王の勅令集——。膨大な知識が次々と脳に蓄積されていく。


 普通なら頭がパンクする情報量だ。でもエリカの脳はそれを全て受け止める。放牧民の国で得た「膨大な記憶量」のおかげだと、エリカは思っている。


 だが——手紙の使い方を調べるほど、別のことが引っかかっていた。


 矢の作戦だ。


 『ゼファーさんの弓の腕は信頼できる。でも——』


 エリカは蝋燭の炎を見つめた。


 『紐のついた矢を、長距離から動く相手に当てる。当たったとして、相手がよける確率。矢を払い落とす可能性。紐が切れるリスク。回収までの時間——』


 指が無意識にこめかみを叩く。計算している。


 『よくて五分五分。まして相手は狡猾の長。戦闘の技量もわからない。五分五分は楽観的すぎるかもしれない』


 あの場ではカイトの提案に頷いた。他に方法がなかったからだ。でも五分五分の賭けに全てを懸けるのは、エリカの性に合わない。


 もっと確実な方法があるはずだ。


 あるなら見つけるのが自分の仕事だ。


 エリカは古文書の山に向き直った。七冊目の古文書を開いた。


 かすれたインク。精霊界の古語で綴られた記述が、めがねを通してエリカの頭に流れ込む。


 ——約束の手紙は、精霊王アルヴェリオンの時代に作られた。当初は国家間の条約に使われていたらしい。戦争を終わらせるための誓約。破った国には精霊の裁きが下る。それほどの拘束力。


 ——初期の手紙では、双方がほんの少しの血を封筒に垂らした。——やがて簡便化が進み、血判が一般的になった。


 ここまでは復習。新しい情報はない。


 次の一節に目が移った。


 ——血を垂らす順番には厳格な定めがある。まず、約束を履行する者——すなわち願いを叶える側——が先に血を垂らす。次に、約束を求める者——すなわち依頼する側——が後から血を垂らす。この順番が逆転した場合、拘束力は生じない。


 エリカの指が止まった。


 血の順番。これも前に読んだ。最初はただのルールとして頭に入れた。でも今は——矢の作戦を考えた後だからこそ、同じ文章が違って見えた。


 『依頼される者が先——つまりゼルの血が先。私たちの血が後\...\...』


 蝋燭の炎が揺れた。


 『矢で血を回収する作戦は、ゼルの血を遠距離から手に入れる方法。でもこの順番があるなら——ゼルの血を先に手紙に垂らして、その後で私の血を垂らす。その場で、順番を管理しないといけない\...\...』


 『待って。順番を管理する——つまり、その場にいる必要がある。遠距離じゃダメ。ゼルの目の前で、血の順番を制御しなければならない\...\...』


 そこまで考えて——ひらめいた。


 全てが繋がった。


 『\...\...そうか』


 エリカは古文書を閉じた。


 心臓が速くなっている。怖いからじゃない。答えが見えたからだ。


 『今の私の能力なら——確実にいける』


 思念読み。相手が何を考えているかリアルタイムでわかる力。精霊界に来てから芽生えた力だ。めがねとは別の何か。


 ——本当は転移スキルなのだが、それを知るのはまだ先の話だ。


 思念読みがあれば、ゼルの思考が筒抜けになる。何を企んでいるか。何を警戒しているか。全てが見える。


 その場で。目の前で。ゼルを出し抜ける。


 エリカは蝋燭の炎を見つめた。揺れる光が瞳に映っている。


 『でも——これは私一人でやるしかない』


 思念読みを使いながら、その場の状況をコントロールする。ゼルの心を読み、会話を誘導し、隙を作る。それができるのは自分だけだ。カイトには思念読みがない。ゼファーにもない。


 つまり。一人で、狡猾の長の前に立つということだ。


 問題は、カイトだ。


 この計画を話せば、あいつは絶対に止める。「俺が行く」と言い出すに決まっている。でもカイトには思念読みがない。ゼルの心理戦に勝てる保証がない。


 それに——カイトを危険にさらしたくなかった。


 エリカの脳裏にカイトの笑顔が浮かんだ。いつもの能天気な笑い方。あのバカみたいに真っすぐな目。あいつは迷わず自分の身を投げ出す。だから——だからこそ、言えない。


 『ごめんね、カイト。矢の作戦はそのまま進めて。でも——もしもの時のために、私にも手を打たせて』


 エリカは蝋燭の炎を吹き消した。


 暗闇の中で、手が少し震えていた。怖くないわけがない。狡猾の長に一人で挑むのだ。殺されるかもしれない。


 それでも。


 エリカは立ち上がった。


 図書館の窓から三つの月が見えていた。蒼い光が古文書の山を照らしている。


 指先の震えが止まった。静かに、覚悟を固めた。


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