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第8節「約束の手紙」


 朝日が差し込んだ。


 誰かの声で目が覚めた。いつの間にか壁にもたれて眠っていたらしい。首が痛い。


 声はムスクだった。


 「パーメルク\...\...! パーメルク\...\...!」


 跳ね起きた。ゼファーも同時に立ち上がる。


 ベッドの上。パーメルクが——目を開けていた。


 「あなた\...\...私、どうして\...\...」


 弱々しい声。でも意識ははっきりしている。顔の痣はほとんど消えていた。うっすらとピンク色が残っているだけだ。昨日まであれほど不気味に広がっていた赤が、嘘のように引いている。


 ムスクは妻を抱きしめた。大きな体が震えている。がっしりした腕が、壊れ物を扱うように優しい。


 「よかった\...\...よかった\...\...」


 嗚咽。あの頑固な男が、子供のように泣いている。パーメルクの細い手が、ゆっくりとムスクの背中に回った。力はないけど、確かに生きている手だった。


 村人たちが部屋に駆け込んでくる。歓声が上がった。泣いている者もいる。笑っている者もいる。朝の光がカーテン越しに差し込んで、部屋中を金色に染めていた。


 薬師が脈を取り、頷いた。


 「峠は越えた。あとは養生すれば完治する」


 その言葉に、部屋中が沸いた。


 俺はゼファーと顔を見合わせた。


 ——救えた。


 言葉にしなかった。する必要がなかった。ゼファーが小さく笑った。俺も笑った。それだけで十分だった。


 しばらくして、ムスクが俺たちの前に立った。


 目が真っ赤だ。涙の跡が頬に光っている。あの門前払いの時とは別人だ。


 そして——深々と頭を下げた。


 「命の恩人だ」


 低い声。震えている。


 「何をお返しすればいいのか。この村にあるものなら何でも言ってくれ」


 頭を上げない。あの背中が、あの太い首が、俺たちに向かって折れている。


 村人たちも同じだった。ムスクに続くように、一人、また一人と頭を下げていく。昨日まで俺たちを見ようともしなかった人たちが。


 胸が熱くなった。照れくさい。でも——嬉しかった。


 俺は口を開いた。


 ようやく言える。門前払いで話す暇もなかった、本来の目的。


 「約束の手紙を譲ってほしい」


 ムスクが顔を上げた。


 きょとんとしている。


 「\...\...約束の手紙?」


 「はい。それが、俺たちがこの村に来た本当の理由で——」


 「それだけか?」


 \...\...え。


 ムスクは立ち上がり、奥の倉庫へ消えた。ばたばたと物音。何かを引っ張り出す音。


 戻ってきた時——両手いっぱいに封筒を抱えていた。


 「何だ、そんなものでよかったのか。いくらでも持っていけ」


 封筒の山。二十通、いや三十通はある。


 俺とゼファーは顔を見合わせた。


 がっくり。同時に肩が落ちた。


 『最初から言えてれば\...\...いや、言う暇もなく追い返されたんだった\...\...』


 約束の手紙。サルーラ村の秘伝で作られる特殊な手紙。よそから見れば希少品。でも村の中では——日常の消耗品だった。村人同士の小さな約束にも使う。だから大量にストックがある。


 命がけで材料を集め、古代精霊の試練を乗り越え、七日間を費やして——手に入れたものが、村では日用品。


 『\...\...笑えない。いや、笑うしかない』


 ゼファーが口元を押さえていた。笑いを堪えている。この人でも堪えきれないか。


 「ありがたく、いただきます」


 封筒の山を受け取る。ずっしり重い。これだけあれば十分だ。いや十分すぎる。


 ムスクは不思議そうな顔をしていた。


 「命を救ってもらって、返せるものがそんなもので——本当に申し訳ない」


 いや、こっちこそ申し訳ない。あなたの奥さんの命と手紙を天秤にかけたわけじゃないんだ。


 「パーメルクさんが元気になったなら、それで十分です」


 本心だった。約束の手紙は結果オーライだ。でもパーメルクが助かったのは——それだけで、ここに来た価値があった。


 ムスクの目がまた潤んだ。


 「いつでも来い。お前たちはこの村の友人だ」


 \...\...最初に来た時にそう言ってほしかったけど、まあいい。


 村を出る準備をしながら、俺は計算していた。


 サルーラ村到着がDay2。パーメルクの発症がDay3。王都で調査がDay4〜5。西の湖がDay6。帰還と調薬がDay7。そして今日がDay8。


 当初の計画は「3日で余裕」だったはずだ。


 結果——7日かかった。


 期限まであと2日。


 『やばい\...\...急がないと\...\...!』


 のんびりしている暇はない。ゼファーの韋駄天で王都に戻って、そこから——。


 「ゼファー、急ごう」


 「ああ。わかっている」


 ゼファーが風を纏う。背中を向ける。三度目のしがみつき。もう慣れた。


 サルーラ村が遠ざかっていく。手を振る村人たち。ムスクの大きな体が小さくなっていく。


 封筒の山を抱えたまま、俺は前を向いた。


 約束の手紙、入手。


 ——代償は、7日と心の試練と古代精霊の鱗。割に合ってるのか合ってないのか、もうわからない。


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