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第6節「カイトの答え」


 幻影の戦場で、俺は膝をついていた。


 目の前に、動かない仲間たち。ゼファー。エリカ。フローシャンテリア。


 血。折れた弓。割れためがね。光を失った杖。


 『俺のせいで\...\...俺がもっと強ければ\...\...俺がちゃんと守れていれば\...\...』


 自責の声が頭の中をぐるぐる回る。止められない。心臓が痛い。息ができない。


 手が震えている。膝が地面から持ち上がらない。


 ——お前のせいだ。


 誰の声だ。敵か。幻影の中の誰かか。


 違う。俺自身の声だ。


 ——お前が弱いから、こうなった。


 『わかってる\...\...わかってるよ\...\...!』


 拳を握る。爪が掌に食い込む。痛い。幻影のはずなのに痛い。


 エリカが横たわっている。めがねの破片が散らばっている。あの几帳面な字で二十三ページの調薬書を書いてくれた手が、動かない。


 ゼファーが倒れている。「焦るな」と言ってくれた声が、聞こえない。


 フローが目を閉じている。「気をつけてくださいね」と微笑んでくれた顔が、蒼白だ。


 ——その時。


 声が聞こえた気がした。


 『カイト、データを見て。これは現実?』


 エリカの声。いつもの、冷静な分析の声。


 幻影だ。エリカ本人の声じゃない。俺の記憶が作り出した幻聴。でも——。


 『データを見ろ、か\...\...』


 データ。事実。目の前にあるものを、冷静に見ろ。


 エリカならそう言う。泣いている暇があったら観察しろ。感情に溺れるな。事実を見ろ。


 顔を上げた。


 戦場を見回す。荒れた大地。赤黒い空。倒れた仲間。


 ——でも。


 ここに敵はいない。戦いの音もない。剣を振るった痕跡はあるが、誰と戦ったのかわからない。この戦場には「過程」がない。「結果」だけが置かれている。


 幻影だ。ヴォルミラが見せている、俺の恐怖の形。


 わかっている。最初からわかっていた。


 でも——恐怖は本物だ。


 仲間を守れなかったら。俺のせいで誰かが傷ついたら。俺がリーダーのくせに、何もできなかったら。


 その恐怖だけは、幻影じゃない。


 震えながら、立ち上がった。


 膝がガクガクしている。格好悪い。ヒーローならもっとスマートに立ち上がるだろう。でも俺はヒーローじゃない。ただの高校生だ。半年前までテストの点数を気にしてたような、普通の——。


 口を開いた。


 「怖いよ」


 声に出した。認めた。


 「めちゃくちゃ怖い。仲間を失うのが。俺のせいで誰かが傷つくのが」


 声が震えている。情けない。でもいい。嘘をつくよりマシだ。


 「俺は強くない。たぶんこの先も、怖いことはたくさんある」


 幻影の仲間たちは動かない。答えない。当然だ。これは俺自身との対話なのだから。


 「でも——」


 拳を握り直した。爪の痕が掌にくっきり残っている。


 「恐れてる暇があったら足を動かす。怖いからって立ち止まってたら、本当に誰も守れない」


 顔を上げた。赤黒い空を見上げた。


 「俺は仲間を守るためにここに来たんだ。だから——前に進む」


 言い切った瞬間——世界が砕けた。


 赤黒い空にひびが入る。大地が崩れる。幻影の仲間たちが光の粒に変わり、風に散っていく。


 視界がホワイトアウトした。


 ——。


 水の音が聞こえた。


 目を開ける。


 湖畔だった。


 夕暮れの光が水面をオレンジに染めている。さっきまでの鏡のような青ではない。温かい色。空気が柔らかい。


 足元が濡れている。膝まで水に浸かっていた。いつの間に。


 目の前に、ヴォルミラがいた。


 巨大な水竜の顔。青と銀の鱗。金色の瞳。


 その顔に——微笑みのようなものが浮かんでいた。水竜の表情なんて読めるはずがないのに、そう感じた。


 「恐怖を否定せず、それでも前に進む」


 ヴォルミラの声が頭に響く。さっきまでの威圧感は消えていた。深く、穏やかな声。


 「お前は合格だ、人間の子よ」


 ——合格。


 力が抜けた。膝が水の中に沈む。全身の緊張が一気に解けた。


 ヴォルミラの巨大な口元から、銀色の光が溢れた。水が渦を巻き、掌サイズの水球が俺の目の前に浮かぶ。透き通った、青い光を放つ水。


 最果ての水。


 「受け取れ」


 両手で受け止めた。冷たいのに、温かい。矛盾しているけど、そうとしか言えない。命が詰まっている感触。


 だがヴォルミラは、それだけでは終わらなかった。


 巨大な体が揺れる。鱗の一枚が——ぱきん、と音を立てて外れた。


 俺の手のひらほどの大きさ。青と銀の鱗。光を受けて虹色に輝いている。


 「これは私の加護だ。困った時に使え」


 鱗が、ゆっくりと俺の手の中に降りてきた。触れた瞬間、温かさが腕を伝って胸まで広がった。


 「縁があれば、またどこかで会おう」


 ヴォルミラの巨体が沈み始める。水面が波立つ。青と銀の鱗が水の中に消えていく。


 最後に金色の瞳だけが残った。一瞬——ほんの一瞬、その目が笑った気がした。


 そして湖は、元の静寂を取り戻した。


 俺は水の中に立ち尽くしていた。両手に最果ての水と、ヴォルミラの鱗。


 夕日が沈んでいく。水面がオレンジから紫に変わる。


 深呼吸をした。肺いっぱいに冷たい空気を吸い込む。


 「\...\...よし」


 急がなきゃ。パーメルクが待っている。ゼファーも、きっと幻影木の実を手に入れてサルーラ村へ向かっているはずだ。


 水から上がる。足を踏み出す。韋駄天もどきでいい。走れるだけ走る。


 振り返った。静かな湖面。ヴォルミラの姿はもうない。


 「ありがとうございました」


 頭を下げて——走り出した。


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