第3節「救う手立て」
王都に着いたのは翌朝だった。4日目。パーメルクの発症から二日目。残り時間は刻一刻と減っている。
ゼファーの韋駄天は行きより速かった。俺の焦りが伝わったのか、それともゼファー自身が急いでいたのか。たぶん両方だ。
王宮の一角にある俺たちの部屋に飛び込む。エリカは机に向かって何か書いていた。俺の顔を見て、ペンが止まる。
「どうしたの。顔色が悪い」
「エリカ、頼みがある」
息を整える暇もなく、事情を説明した。サルーラ村。赤あざ病。残り六日。治療法なし。
エリカの目が変わった。
分析モードだ。こうなったエリカは速い。
「赤あざ病\...\...アカドメア虫が媒介する致死性の——待って。精霊界の奥地にしかいないはずの虫が辺境に?」
「そう。それも気になるけど、今は——」
「わかってる。治療法ね」
エリカはピンクのめがねを取り出した。一瞬だけ躊躇する。
「\...\...後ろを向いて耳をふさいで」
今この状況でもそれはやるんだな。ゼファーと二人で背を向ける。
背後で小さな声が聞こえた。
——おりこうさんになあれ。
数秒の沈黙。それから、ページをめくる音が猛烈な速さで響き始めた。
王室図書館。精霊界の歴史と知識が集められた、巨大な書庫。天井まで届く書棚が並ぶ。埃の匂い。古い紙の匂い。窓から差し込む光が、塵を金色に染めていた。
エリカはめがねをかけたまま、書棚の間を駆け抜けていく。手に触れた瞬間、本の中身が頭に流れ込む。一冊が数秒。常軌を逸した速度だ。
俺とゼファーは後ろをついていくしかない。
「これじゃない\...\...これも違う\...\...」
エリカの独り言が図書館に響く。膨大な蔵書。その中からたった一つの治療法を探す。干し草の中の針だ。
三十分——いや、もっとかかったかもしれない。
エリカの足が止まった。
古い革装丁の本。表紙は色褪せて文字も読めない。だがエリカの目が光っていた。
「見つけた。赤あざ病の治療法」
振り返ったエリカの顔には、疲労と達成感が混じっていた。めがねの奥の目が真剣だ。
「必要な材料は二つ——東の山脈の『幻影木の実』と、西の湖の『最果ての水』」
幻影木の実。標高の高い岩場にしか自生しない希少な木の実。
最果ての水。西の湖の主——古代精霊ヴォルミラの許可なしには手に入らない。
どっちも簡単じゃない。
「でも韋駄天なら間に合う可能性がある」
エリカが続ける。頭の中で既にタイムラインを組んでいるのだろう。
「問題は、東と西の両方を回る時間がないこと」
地図を広げる。東の山脈と西の湖は精霊界の両端だ。片方だけでも往復二日。両方回ったら四日以上。パーメルクの残り時間を考えると——。
「二手に分かれましょう。ゼファーさんは東へ、カイトは西へ」
「\...\...は?」
俺は思わず声が出た。
「西の湖って\...\...古代精霊がいるとこだろ? 一人で?」
「ゼファーさんの韋駄天がないと東の山脈には間に合わない。西の湖は走れば届く距離。だからカイトが西」
論理的だ。完璧に正しい。正しいけど——。
『古代精霊って、あの水竜だぞ。体長数十メートルの。一人で会いに行くのか、俺が?』
エリカが俺の顔を見て、少しだけ表情を緩めた。
「大丈夫。カイトなら——」
「根拠は?」
「勘」
おい。天才軍師の根拠が勘かよ。
「嘘。七割くらいはデータに基づいてる」
三割は勘じゃねえか。
ゼファーが口元を隠して笑っていた。こういう時、この人は助けてくれない。
エリカは机に戻ると、猛烈な速度で書き始めた。調薬方法の書面化だ。
「材料さえ揃えば、あとは薬師に任せられる。調合の手順、分量、注意点——全部書く」
ペンが紙の上を走る音が部屋に満ちた。エリカの字は几帳面で読みやすい。図解まで入っている。間違いのない手順書。これがあれば、サルーラ村の薬師でも調薬できるはずだ。
「本当は私も行きたいけど\...\...」
エリカがぽつりと呟いた。ペンの音は止まらない。
「行けない分は、ここに全部書く。一滴の誤差もないように」
「手紙はおなじものを二人に託すから、直接サルーラ村にいって」
その横顔は真剣だった。自分にできる最大限を、紙の上に叩き込んでいる。
——翌朝。
出発の時が来た。朝靄が薄く漂う中庭。ゼファーは東へ、俺は西へ。
エリカが書面を手渡してくれた。ずっしりと重い。分厚い。
「これ、何ページあるの」
「二十三ページ。全部必要だから落とさないで」
二十三ページ。さすがにやりすぎでは。
フローが見送りに来てくれた。
「気をつけてくださいね」
柔らかい声。だがその目は真剣だ。
「ああ。行ってくる」
ゼファーが風を纏い、東の空へ消えていった。速い。一瞬で点になる。
去り際に、一言だけ。
「お前なら大丈夫だ」
ゼファーにしては珍しい言葉だった。
俺は西を向いた。森が広がっている。その先に、湖がある。
『一人か\...\...』
不安がないと言えば嘘になる。でも、立ち止まっている暇はない。
走り出した。




