表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
104/132

第2節「赤あざ病」


 走った。


 考えるより先に足が動いていた。悲鳴の方角へ。ゼファーも無言で後に続く。


 村に踏み込むと、人だかりができていた。ひとつの家の前にエルフたちが集まっている。顔が青い。ざわめきの中に、女の泣き声が混じっている。


 「何があった」


 ゼファーが村人に声をかける。返事はない。よそ者に答える義理などないのだろう。


 だが表情が物語っていた。恐怖。混乱。そして——絶望。


 家の扉が開いていた。中が見えた。薄暗い室内。薬草の匂いが鼻をつく。


 床に横たわる女性。意識がない。枕元に水差し。誰かが看病しようとした痕跡。でも為す術がないのだろう。濡れた布が額に載せられたまま、乾きかけていた。


 そして——顔に広がる、赤い痣。


 まるで血が滲んだような紋様。額から頬にかけて、不気味な赤が這っている。生きている紋様だ。見ていると、じわりと広がっていく気がした。


 「赤あざ病だ\...\...」


 村人のひとりが呟いた。その声は震えていた。


 「アカドメア虫がこんな場所にいるなんて\...\...」


 隣の女性が口を押さえた。子供を抱いたエルフが後ずさる。村中に恐怖が伝染していた。


 赤あざ病。アカドメア虫に刺されて発症する病だという。


 村人たちの話を繋ぎ合わせると、状況は最悪だった。


 発症から七日か八日で命を落とす。十年に一度しか発症しない珍しい病。治療法は——村に伝わっていない。


 致死性。治療法なし。残り七日。


 『最悪のカードが三枚揃ったな\...\...』


 年配のエルフが腕を組んで首を振った。


 「わしの代では見たことがない。親の代に一人、そのまた親の代に一人\...\...」


 百年以上の間に、たったの二例。どちらも助からなかった。


 「それにアカドメア虫は、奥地の瘴気林にしか棲まんはずだ。なぜこんな場所に\...\...」


 ゼファーの目が細くなった。俺に目配せをする。


 『終焉\...\...か?』


 精霊界の奥地にしか生息しない毒虫が、辺境の村にまで出てきている。放牧民の国でも、古代魔法界でも、世界に異変が起きていた。ここも同じだ。生態系が崩れ始めている。


 背筋に冷たいものが走った。


 倒れた女性の傍らに、ムスクがいた。


 あの頑固な村長の面影はなかった。膝をついて、妻の手を握りしめている。その手が震えている。目は赤く、声は掠れていた。


 「パーメルク\...\...パーメルク\...\...」


 名前を呼び続けるだけの、ただの夫。昨日、俺たちを門前払いにした男と同じ人間とは思えなかった。


 パーメルクの顔は蒼白で、赤い痣だけがぎらぎらと目立つ。呼吸は浅い。意識がないのに、時折苦しそうに眉が歪む。


 見ていられなかった。


 俺は何もできない部外者だ。よそ者。昨日追い返された、ただの旅人。


 でも——だからって見捨てる理由にはならない。


 『目の前で人が死にかけてるのに、黙って見てるなんてできるかよ』


 気づいたら、声が出ていた。


 「俺たちに何かできることはないか」


 ムスクが顔を上げる。目が合った。充血した目。涙の跡。


 「よそ者に\...\...何ができる」


 弱々しい声。拒絶の言葉のはずなのに、突き放す力がない。昨日の「帰れ」とは別物だ。


 その目には——藁にもすがりたいという色があった。怒りでも軽蔑でもない。ただ、助けてほしいという祈り。


 村人たちが黙って俺を見ている。昨日まで無視していた目が、今は違う何かを宿している。


 ゼファーが俺の隣に立った。低い声で囁く。


 「王都の図書館なら記録があるかもしれん。エリカ殿の力を借りるべきだ」


 そうだ。エリカがいる。あのピンクのめがねなら古い医学書だって一瞬で読み解ける。


 俺はゼファーと目を合わせた。


 言葉はいらなかった。ゼファーが小さく頷く。答えは同じだ。


 『治療法を探すしかない』


 王都に戻る。エリカに相談する。あいつなら何か見つけてくれるかもしれない。いや、見つけてくれる。あのめがねと、あの頭脳がある。


 七日。いや、移動の時間を考えるともっと短い。


 ムスクの家を出た。朝の光が眩しい。空は昨日と同じ青だ。でも今はその青が遠い。


 村人たちの不安げな視線が背中に刺さる。何も約束できない。治療法が見つかる保証なんてない。


 それでも——。


 振り返った。ムスクの家の窓が見える。


 「必ず戻る」


 誰に向かって言ったのかわからない。ムスクに、か。パーメルクに、か。それとも自分自身に。


 「ゼファー。王都に戻ろう」


 「ああ。韋駄天で飛ばせば明日の朝には着く」


 ゼファーが風を纏う。背中を向けてくれた。しがみつく。昨日と同じ広い背中。でも今は景色を眺める余裕なんてなかった。


 風が唸る。森が後ろへ飛んでいく。行きとは比べものにならない速さだった。ゼファーも本気だ。


 パーメルクの命はあと七日ほど。


 時間との戦いが、始まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ