表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
103/132

第1節「焚火と三つの月」

第1節「焚火と三つの月」


 焚火が爆ぜた。


 小さな火花が闇に散る。木の実が弾ける音。それだけが、この夜の全てだった。


 村の外れ。大きな木の根元。俺とゼファーさんは地面に座っていた。


 門前払いを食らってから、もう一時間は経っている。


 『\...\...手ごわいなんてもんじゃねえ』


 ムスクの顔を思い出す。あの鋭い目。紹介状を見ようともしなかった。名乗る暇すらなかった。「帰れ」の一言で、扉が閉まった。


 膝を抱えた。地面が硬い。尻が痛い。こんな時にそんなことを気にしている自分が情けない。


 ゼファーさんは黙って火を見ている。枝を折って、焚火にくべた。乾いた木がぱちぱちと鳴る。


 「\...\...話も聞いてもらえないって、どうすりゃいいんだ」


 声に出すと、余計にみじめだ。


 「焦るな」


 ゼファーさんの声は低く穏やかだった。


 「人の心は急には動かん」


 分かってる。分かってるけど。


 『期限があるんだ\...\...』


 約束の手紙。宝物庫から盗まれた杖を取り戻すための切り札。フローが待っている。エリカも。


 あの村長に、どうやって——。


 風が頬を撫でた。冷たい。精霊界の夜風は肌に染みる。


 顔を上げた。


 星空が広がっていた。


 三つの月。白い大きな月が天頂にある。青みがかった小さな月は東の空。赤い月は西の低い位置。三つの光が森を照らしている。木々の影が何重にも重なって、地面に不思議な模様を描いていた。


 ——綺麗だ。


 こんな時なのに。門前払いを食らって惨めな気分なのに。空を見上げたら、綺麗だと思ってしまう。


 「ゼファーさん」


 「何だ」


 「あの村長、なんであそこまで外を嫌うんですかね」


 ゼファーさんは火を見つめたまま答えた。


 「辺境の村はどこでも同じだ。王都から遠い土地は、見捨てられていると感じている」


 「見捨てられてる?」


 「命令だけが降ってくる。税を払え。兵を出せ。だが村が困った時に助けは来ない」


 焚火が揺れた。ゼファーさんの顔に影が落ちる。


 「放牧民の国でも同じだった。辺境のクランは王都を信用していない」


 ——そうか。


 ゼファーさんは知っているんだ。辺境の気持ちを。風の草原クランも、決して王都寄りではなかった。


 「だから、紹介状を見せても無駄だったんですか」


 「紹介状は王宮の権威だ。辺境にとっては押し付けの象徴でしかない」


 なるほど。逆効果だったかもしれない。


 「じゃあ\...\...どうすれば」


 ゼファーさんは答えなかった。代わりに、村の方角に目を向けた。


 木々の隙間から、かすかな灯りが見える。ランプの光だろうか。小さくて頼りない。でも確かに、人がそこで暮らしている。


 「あの灯りを見ろ」


 「はい」


 「閉じた村だ。外を拒んでいる。だが——中には暮らしがある。家族がいる。守るものがある」


 「\...\...」


 「ムスクは敵じゃない。守っているだけだ」


 守っている。


 あの鋭い目は、確かに——敵意じゃなかった。壁だ。家族と村を守るための壁。


 ゼファーさんが薪をくべた。火が大きくなる。暖かい。


 「奥さん、病気なんですかね」


 ふと思い出した。ムスクの家を訪ねた時。「妻は寝ている。静かにしろ」。あの言い方。不機嫌の裏に何かがあった。


 「かもしれん」


 ゼファーさんは短く言った。


 沈黙が落ちた。虫の声だけが夜を埋めている。精霊界の虫は不思議な音を出す。鈴を転がすような高い音。リーンリーンと規則的に繰り返す。


 干し肉を齧った。硬い。顎が疲れる。でも走った後の体には、この塩気がありがたい。


 『明日だ。明日、もう一回行こう』


 方法は分からない。でも、引き下がるわけにはいかない。


 ゼファーさんが水袋を差し出した。受け取って、一口飲む。冷たい水が喉を通った。


 「寝ろ。明日も長い」


 「ゼファーさんは?」


 「交代で見張る。先に寝ていい」


 横になった。地面が硬い。背中に小石が当たる。荷物を枕にしたが、高さが足りない。首が痛い。


 『ベッドが恋しい\...\...』


 目を閉じた。まぶたの裏に、三つの月の残像が浮かぶ。白と青と赤。


 眠れない。


 体は疲れているはずだ。韋駄天で二日間走った。地面に転がれば泥のように眠れると思っていた。


 でも、頭が回っている。ムスクの目。閉じた扉。「帰れ」の一言。


 ——どうすれば、あの扉を開けてもらえるんだろう。


 力で押し通すのは違う。それじゃあ「王都の押し付け」と同じだ。紹介状も逆効果。頼み込んでも聞いてもらえない。


 『\...\...誰かの心を動かすって、こんなに難しいのか』


 放牧民の国では、違った。ゼファーさんは最初から俺たちを受け入れてくれた。タクファーもソクタンも。風の草原クランの人たちは温かかった。


 でも、あれは——ゼファーさんという存在があったからだ。クランの長が受け入れたから、周りもついてきた。


 ここにはゼファーさんの立場がない。よそ者。それだけだ。


 虫の声が遠くなった。意識がぼやける。


 ——結局、少しだけ眠れた。


 目を覚ましたのは、鳥の声だった。


 高い。甲高い、聞いたことのない鳴き声。精霊界の鳥は見た目も声も独特だ。


 体が痛い。全身が軋む。地面で寝ると、こうなる。背中を伸ばしたら、ばきばきと鳴った。


 『年寄りみたいだ\...\...15歳なのに\...\...』


 ゼファーさんはとっくに起きていた。焚火の跡を片付けている。手際がいい。灰を土で覆い、薪の燃え残りを脇に寄せる。


 「よく眠れたか」


 「\...\...正直に言っていいですか」


 「言わなくていい。顔を見れば分かる」


 ひどい顔なんだろうな。自覚はある。


 水袋の水で顔を洗った。冷たい。目が覚める。朝靄が森に漂っている。空気が甘い。花の匂いだろうか。夜とは違う、柔らかい朝の匂いだった。


 村の方角を見た。朝日が木々の隙間から差し込んでいる。屋根に朝露が光っている。煙突から薄い煙が上がっていた。朝餉の支度だろう。


 閉じた村。でも——人が暮らしている。


 「何か策はあるか」


 聞いてみた。ゼファーさんは首を横に振る。


 「相手次第だ。だが、きっかけはどこかにある」


 きっかけ。そんなもの、どこに——。


 言いかけた、その時だった。


 村の方角から——悲鳴が聞こえた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ