表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
100/132

第9節「出発」


 王宮の門前。朝の風が吹いていた。


 門の向こうに草原が広がっている。空が高い。精霊界の空は、どこまでも透き通っている。旅には最高の天気だった。


 四人が向かい合っていた。


 俺とゼファーさんは旅装を整えている。背中の荷物は最小限。水袋と干し肉と地図。韋駄天で走るには、身軽な方がいい。


 腰には短剣を一本。ゼファーさんは千射弓と矢筒を背負っている。旅というより、戦場に向かう装備だ。


 エリカとフローシャンテリアは王宮に残る。二手に分かれるのは、精霊界に来て初めてだった。


 「気をつけてくださいね」


 フローシャンテリアが両手を胸の前で組んだ。祈るような仕草。


 「お二人も」


 ゼファーさんが短く答えた。いつもの淡々とした声だが、目は真剣だ。


 「狡猾の連中が王宮を襲う可能性もある。警戒を怠らないでくれ」


 「はい。女王様にも警備の強化をお願いしてあります」


 フローシャンテリアが頷いた。王女の顔だ。任せていい。


 ゼファーさんが俺を見た。


 「カイト。準備はいいか」


 「いつでも」


 荷物を背負い直した。肩紐を締める。足の裏に、昨日の感覚がまだ残っている。韋駄天。風を切る、あの感覚。


 エリカが俺の前に立った。


 腕を組んでいる。いつもの姿勢。でも——何か言いたげだ。口を開きかけて、閉じて、また開く。


 「\...\...本当に大丈夫?」


 声がいつもより低い。


 「当たり前だろ。誰に言ってんだ」


 「あなただから言ってるのよ。災難体質のくせに」


 「それ言うか」


 エリカが口角を上げた。でも、目は笑っていない。


 沈黙。


 風が二人の間を通り抜けた。エリカの髪が揺れる。


 「\...\...ねえ、カイト」


 「ん?」


 「必ず帰ってきてね」


 ——え。


 一瞬、言葉が出なかった。


 エリカがこんなことを言うのは珍しい。いつもは「計算上、生存率は十分よ」とか、そういう言い方をするやつだ。感情を数字で隠すのが癖みたいなもので。


 だから——「必ず帰ってきてね」は、エリカにとっては相当な言葉だ。


 あの狡猾の使者を見た後だ。衛兵を躊躇なく殺したあの男。エリカは頭がいい。道中に何が待っているか、俺より遥かに正確に想像できている。


 だからこそ、怖いんだろう。


 照れ隠しに、にっと笑った。


 「約束する。絶対に帰ってくる」


 まっすぐ目を見て言った。エリカの目が揺れた。ほんの一瞬。唇が震えたのも見えた。すぐにいつもの表情に戻る。強がりだ。でも、エリカの強がりは嫌いじゃない。


 「\...\...うん」


 小さく頷いた。


 幼馴染だからこそ分かる。俺の「約束する」は、軽い言葉じゃない。今まで一度も破ったことがない。エリカはそれを知っている。


 だから——「うん」の一言で、十分なんだ。


 エリカが一歩下がった。腕を組み直す。いつもの姿勢。いつもの顔。


 「道中の食料、足りる? 干し肉だけじゃ栄養偏るわよ」


 『\...\...急に現実的になんな』


 「大丈夫だって。2日で着くんだから」


 「帰りも2日でしょ。計4日。干し肉だけで4日は——」


 「エリカ」


 ゼファーさんが静かに遮った。


 「心配は無用だ。道中で食料は調達できる」


 エリカが口を閉じた。分かっている。食料のことなんて、本当はどうでもいい。話していたかっただけだ。少しでも長く。


 俺には、分かる。


 ゼファーさんが一歩前に出た。


 「行くぞ。5日で戻る」


 「おう」


 振り返った。フローシャンテリアが手を振っている。エリカは腕を組んだまま立っていた。手は振らない。でも、目が俺を追っている。


 『待ってろ。約束の手紙、必ず持って帰る』


 ゼファーさんと並んだ。


 「いいか」


 「はい」


 構えを取る。膝を曲げ、重心を落とす。昨日の中庭で三本走った感覚が蘇る。踏み込みの角度。蹴り出しの力。風を背に受けるイメージ。


 ゼファーさんが走り出した。


 ——追った。


 風が爆発する。景色が一気に流れた。門が遠ざかる。草原が広がる。空が近い。


 朝露を踏む。水滴が弾ける。草の匂いが鼻を抜けた。


 七割の速度。でも、十分に速い。ゼファーさんの背中が前にある。その背中を追いかける。風を纏う感覚にも、少しずつ慣れてきた。


 門前の四人が、すぐに豆粒になった。振り返る余裕はない。前を見る。ゼファーさんの背中だけを見る。


 二人の姿は、あっという間に小さくなっていた。


 門前に残されたエリカは、その背中を見送っていた。風がまだ髪を揺らしている。


 「\...\...必ず、帰ってきてね」


 小さな声。誰にも聞こえない。


 フローシャンテリアがそっとエリカの手を握った。温かい手。


 「大丈夫です。カイトさんは、必ず帰ってきます」


 エリカは少し驚いた顔をして——それから、微笑んだ。


 「\...\...ええ。分かってます」


 分かっている。カイトの「約束する」は、絶対に破らない。15年の付き合いで、一度も。


 だから——信じている。信じているけど、心配は別だ。


 二人は王宮に向き直った。


 門の向こうで、風が草原を渡っていく。二つの影は、もう見えない。


 それぞれの戦いが、始まろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ