第1節「十五年後」
桜が舞っていた。
四月の朝。空は青い。風は穏やか。通学路の並木道に花びらが散って、まるで映画のワンシーンだ。
——と思った瞬間、花びらが目に入った。
痛い。
『今日もこれか』
俺の名前は橘海斗。桜町高校の二年生。十五歳。身長は百七十五センチ。運動神経は普通。勉強はまあまあ。友達は多い方だと思う。
クラスでは盛り上げ役。文化祭のMCもやった。体育祭ではリレーのアンカーを任された。借り物競争で「イケメン」と書かれた紙を引いて、自分で走ったこともある。
『あれは名采配だった』
自画自賛だけど事実だ。会場は大いに沸いた。先生には怒られたけど。
顔は——まあ、そこそこだと思う。鏡を見て「悪くないな」と思える程度。女子から「かっこいい」と言われたこともある。一回だけ。小学三年のとき。近所のおばちゃんだった気もする。
『......まあ、細かいことはいい』
とにかく、俺は普通の高校生だ。普通に友達がいて、普通に学校に通って、普通に青春してる。
——一つだけ、普通じゃないことを除けば。
災難体質。
それが俺、橘海斗の唯一にして最大の特徴だった。
どういうことか。簡単に言えば、不幸が寄ってくる。磁石みたいに。蜂蜜に群がる蟻みたいに。割引シールに群がるおばちゃんみたいに。
『最後のたとえはちょっと違うか』
具体的に言おう。
朝、玄関を出る。靴紐が切れる。予備に替えて歩き出すと、カラスにフンを落とされる。コンビニで傘を買おうとしたら、入り口の自動ドアが閉まって鼻を打つ。
これが毎日だ。毎日。
三百六十五日、休みなし。正月も。クリスマスも。バレンタインデーも。
ああ、バレンタインか。
思い出したくもない。
中学のとき、クラスの女子に告白されたことがある。放課後の教室。夕日が差し込んで、いい雰囲気だった。彼女が「好きです」と言った瞬間——天井の蛍光灯が落ちてきた。
怪我はなかった。でも雰囲気は完全に死んだ。
翌日、彼女は目を合わせてくれなかった。一週間後には別のクラスの男子と付き合ってた。
『......恨んでないぞ。恨んでない』
それだけじゃない。
高校に入って最初の夏祭り。隣のクラスの子と二人で回ることになった。浴衣姿が可愛くて、ちょっとドキドキしてた。金魚すくいで何匹か取ってやって、いい感じだった。
花火が始まった。「きれい」と彼女が言った。俺が「ああ」と答えようとした——そのとき、屋台の焼きそばの鉄板がひっくり返って、俺の背中に熱々のソースが降ってきた。
叫んだ。当然だ。背中が焼けるように熱かった。
彼女は引いた。そりゃそうだ。デートの相手が突然「あっっっつぅ!!」と絶叫して地面を転がったら、誰だって引く。
翌週から彼女の態度は明らかに変わった。「橘くんといると、なんか怖い」。友達経由で聞いた言葉が地味に刺さった。
こうして俺の周りから女子は減っていった。
「橘くんといると何か起きる」
それが桜町高校での俺の評判だ。
友達はまだいる。男子は災難もネタにしてくれるから助かってる。「おい橘、今日は何があった?」って毎朝聞いてくるやつもいる。日記代わりに俺の不幸を記録してるらしい。
『それ友達なのか? いや、友達だ。多分』
でも女子はダメだ。近づいてこない。
教室で隣の席になった女子が、一週間で席替えを申し出たこともある。理由は「安全のため」。先生が普通に許可したのが一番傷ついた。
ま、仕方ない。
俺はもう慣れた。十五年も災難と付き合ってきたんだ。生まれた日から、一日も休まず。
母さんに聞いたことがある。「俺って昔からこうだった?」って。母さんは少し考えて、「生まれたときから」と答えた。笑ってたけど、目が笑ってなかった。
なんでだろう。
なんで俺だけこうなんだろう。
考えても答えは出ない。出たことがない。だから考えるのはやめた。
考えたって災難は減らない。悩んだって蛍光灯は落ちてくる。だったら笑ってた方がマシだ。笑ってれば、少なくとも周りの空気は重くならない。
『今日こそ何も起きませんように』
朝、家を出るたびに祈る。毎日祈る。十五年間、一度も叶ったことのない祈り。
『——無理だろうな』
わかってる。わかってるけど、祈らずにはいられない。
桜が舞う。四月の風に乗って、花びらが頬をかすめた。
今度は目に入らなかった。
小さな勝利。
『よし。幸先いいぞ』
俺はカバンを背負い直して、歩き出した。桜町高校まであと五分。何も起きるな。頼むから何も起きるな。
そう祈りながら——通学路の角を曲がったところで、自転車に轢かれた。




