第四夜/後編
わたしが口元を歪ませたのを見て、霧崎が不思議そうな声を出した。
「……おいおい、死期を悟って狂っちまったのか? この状況で、嗤える綾女ちゃんの精神がよく分からねぇぜ」
カツン、と足音が響いた。霧崎が不用意に一歩近づいてきたようだ。
わたしはその足音に被せるように咳をして、自らの足元に血反吐を吐いた。ピチャピチャ、と汚らしい音が反響する。
「……平成の切り裂きジャックさん、もしや、貴方は……わたしに、勝った気で……いるの、でしょうか?」
「あ? 勝った気も何も――俺様の勝ち以外、あり得るのか? この状況を、どうやったら覆せるんだよ、綾女ちゃんよぉ? 綾女ちゃんはもう死に体だぜ?」
わたしの挑発的な台詞に、霧崎は不愉快そうに答えている。確かに霧崎の言う通り、わたしは死に体である。放置して逃げるだけで、勝手に死ぬだろう。
そんな絶対的有利な状況故に、また、わたしの身体を犯すつもりだからこそ、霧崎は油断して無駄話を始めているのだろう。
間髪入れずに追撃してくれば、もしかしたらわたしを殺しきれたかも知れないものを――そう思考すると、ついつい口角が上がり、愉快な気持ちになってしまう。
「…………そこまで来ると、怖ぇな。何がおかしいんだよ、綾女ちゃんよ」
覆せないこの絶体絶命の状況において、わたしが笑みを浮かべることが納得いかないようで、霧崎は舌打ちしてから、唾を吐いた。
瞬間、ブスッ、と右脚の太腿に手裏剣が突き刺さった。無造作に霧崎の投擲した攻撃である。わたしはそれを知覚出来ていたが、今回は避けずに甘んじて受けた。
途端に、脚に力が入らなくなり、ガクリ、とわたしはその場に膝を突いた。
「っ……ぅ、く」
「逃がさねぇよ――もちろん、殺さない程度にいたぶって、犯しながら殺す」
霧崎が余裕のない声でそう断言する。
追い詰めているのは俺様だ、とでも言いたげな口調だ。だが、その声を耳にしながら、わたしはいっそう愉しげに笑う。
「逃げ、ませんよ……どうして……殺す相手、から……逃げなければ、ならないのですか?」
わたしは強気な言葉とは裏腹に、左手で握っていた刀を手放した。
カラン、と仕込刀が床に転がる音が鳴る。左手はプルプルと小刻みに痙攣しており、もはや握力がなくなっている状態だった。
強がっていても、身体の反応は正直である。脇腹からの大量出血で、全身に力は入らなくなっており、酸素が足りなくなっている。
しかしこんな状況であろうと、わたしの戦意は些かも衰えはしない。
わたしは無手のまま、肩を落とした自然体の片膝立ち姿勢で、正面に顔を向けた。正座しているみたいに背筋をピンと伸ばして恰好を付けるが、脇腹を右手で無様に押さえているせいで、この姿はパッと見て虚勢にしか映らないだろう。
「……殺されるのは、怖いですよね? 今なら……逃げても、わたしは……追えませんよ?」
それでもわたしは、不敵な笑みを浮かべたまま、そんな挑発を口にする。
その挑発を受けて、霧崎は不愉快を通り越して不気味さを感じている様子だった。事ここに至ってさえ、まったく戦意を喪失していないわたしに、少しだけ警戒を強くしている。
それが証拠に、つい先ほどまで満ち満ちていた強烈な殺気、凄まじい威圧はなく、代わりに何が起きるのか息を呑んでいるような緊張感が漂っている。
「――何の狙いがあるのか知らねぇが、その減らず口は、いったい何時まで続くかな」
わたしがまだ諦めていないからか、明らかに警戒した様子の硬い声が背後から聞こえた。瞬間、わたしの胸元が豪快に切り裂かれた。
目を閉じているので実際の姿は分からないが、上半身が裸になっているみたいにスース―しているので、胸は完全に露出しているだろう。
為我井優華が動画の中でやられていたのと同じように、制服とブラを切り裂いたに違いない。
「ホォゥ、そそるねぇ。美味そうな身体だぜ。まぁ、胸が小さいのが欠点だが――」
「――余計なお世話です」
霧崎の不愉快極まる発言に即答しつつ、わたしはこの千載一遇のチャンスを逃さなかった。
「――ぁ、ぐぁ!? ぁぅ、っ――ぁ」
わたしは胸元が切り裂かれたのを確認してから、右手で仕込刀を拾い上げて、正面に居合い突きを放っていた。
トス、と肉を貫く感触が右手に伝わる――手応えあり。貫いたのは、霧崎の喉元である。
「外道之太刀――【穿ち月】」
わたしはすかさず刀を引き抜いて、改めて渾身の突きを放つ。容赦なく心臓目掛けたその刺突は、気が動転している霧崎には避けようもない神速だった。
ドパン、と肉が弾け飛ぶような音が鳴り、ピギィ、と甲高い断末魔が響いた。
視界が奪われていてその光景は見えないが、手応えから心臓が爆散したのは分かった。
外道之太刀【穿ち月】――無手で繰り出してさえ岩盤を貫ける威力を持ち、これを本来の刀で放ったならば、その威力は鉄板さえも紙のように貫く。
人体に当たれば、必然、大砲の直撃みたいな穴が開く攻撃だ。
さて、この手応えで充分、霧崎の即死を確認出来たが、わたしはそこで終わらせる気などなかった。
わたしは突き出した刀を捻って、切っ先の感触だけを頼りに、霧崎の身体を内側から細切れに解体する。一瞬のうちに、霧崎の身体は、十を超える肉片と化して、汚い血の水溜まりを作る。
「……油断、大敵……ですよ……ぐ、げぇ……」
わたしは息も絶え絶えに呟いてから、鼻を刺す臭気に当てられて、消化途中の朝食と血反吐をその場に吐き出す。
しばし、げぇげぇ、と吐いてから、無造作に制服で口元を拭った。
もはや全身は返り血で汚れている為、ここに吐瀉物が混じろうとあまり関係ない。
「……ふぅ――それにしても……また一つ、わたしは強く、なりました……」
わたしは誇らしげにそう呟いた。
誰に言うわけでもない独り言だが、思わず口にせずにはいられない気分だった。
何とか倒せたが、霧崎はかなりの強敵だった。
あんなチャラい見た目に、自己流の雑なナイフ術にも関わらず、わたしの地力とほぼ五分――それでいて、あの驚異的な異能である。
今回わたしが勝てたのは、ひとえに霧崎の油断と、その反吐が出る性癖によるだろう。
霧崎がわたしを犯そうとして、即死させなかったことが、彼の決定的な敗因だ。いたぶってくれたおかげで、わたしは殺すチャンスを手に入れたのである。
わたしはつい苦笑した――つくづくこの世界は広い。
巫道サラから圧倒的な強さを教えてもらい、五十嵐葵には己の自惚れを教えてもらった。
そして、いまこうして、いかなる状況でも冷静でいることの大切さを学ばせてもらった。また、未知の能力の驚異、【魔女の恩寵】の脅威を、嫌というほど学んだ。
「五感を研ぎ澄まして……五感を共有する。なまじ、見えないことで……音と匂い、気配と触覚、空間把握の感覚が……向上、出来たと思います……」
わたしは霧崎との戦闘を振り返りそんな感想を口にして、なけなしの体力を振り絞ると、すぐ傍にあった椅子の上に身体を横たえた。
流石に血を失い過ぎたか、意識が朦朧とし始めている。
「……十八くんを、呼ばない、と……携帯……どこ、でしたっけ……」
わたしは霞がかった意識を必死に繋ぎ止めながら、スカートのポケットを漁る。けれど、そこに求めている携帯はなかった。
「――――霧崎さんは本当に嫌いでしたが、まさか負けるとは想定していませんでした。正直、こんな結果になるなんて、まったく信じられない気持ちです」
その時、不意に受付ロビーの入口から涼やかな女性の声が響いてきた。
わたしは慌てて身体を起こして、仕込刀を握り締める。血が足りない為、グラリと身体が揺れたが、そんなのは無視して、ふたたび全身に戦意を漲らせた。
視界は閉ざされていて目は開けられない。
脇腹からの出血はそろそろ限界で、まるで極寒に裸で居るみたいに全身が寒く、さっきから痙攣が止まらなくなっている。
右脚は先ほどの刺突で踏ん張りが利かない。俊敏な動きは難しいだろう。
ここまで絶望的な状況で、しかしわたしの気持ちは昂っている。
現れた相手がどれほどの強者か、確かめたくて仕方なくなっている。我ながら病気だと思うが、至って正気である。
「……平成の切り裂き、ジャック、さんの名前を……知っている、ってことは……敵、ですね?」
殺気も威圧も感じないが、強者独特の雰囲気は肌で感じ取れた。
聞こえてきた声の反響具合と、漂ってくる気配から、わたしとの距離は20メートル前後。一息では近寄れないだろう。
とはいえ、持っている能力によっては、そうも言ってられない。先入観は一切捨てるべきだ。
わたしは警戒を強めて、虚勢でも何でも、立ち上がり中段に刀を構える。脚がガクガクと笑っていて、踏ん張りなど全く利かないが、それで油断してくれれば、充分勝てる要素はある。
「――敵か、味方か? その点だけを論じるならば、わたしたち【神言桜花宗】と、貴女たち【護国鎮守府】は敵対しています。けれど、いまのわたしは少なくとも、貴女と敵対するつもりはありません」
何者か分からない女性はそう言って、薄い気配をいっそう希薄にさせる。
その言葉が真実かどうか見分ける術をわたしは持たないが、敵ではないのだったら何の用があるというのか――
「わたしと敵対、するつもりがない……ならば、何の用、ですか?」
「単純です。貴女の力は稀有なものです。わたしたちの仲間になりませんか?」
「――――お断り、します」
わたしはどこかデジャヴを感じるその台詞に、苦笑しながらも即答した。
助力を求められるのは悪い気がしないけれど、わたしの求めるものは【最強】の号である。
どんな強者とも、手を組むのではなく闘いたい、というのが本音だ。なので正直なところ、龍ヶ崎十八や九鬼連理の仲間にはなったが、隙あらば殺し合いたいとも思っている。
わたしの即答に、女性は呆気にとられたのか、しばしの間沈黙していた。
「――理由をお伺いしても?」
たっぷり一分経ってから、女性が抑揚のない声で聞いてきた。わたしは答える必要を感じなかったが、なぜか素直に答えた。
「わたしは、今よりもっと強くなりたい……誰よりも強く……最強に至り、師父を越えたい……そのために、貴女のような強者を倒したい……そう思っているから、です」
わたしの言葉に、女性は息を呑んだように沈黙した。そんな下らないことで、と不愉快な台詞を呟いている。
「貴女にとって、下らなかろうと……わたしにとっては、それが……全てです」
カチャリ、と刀を握り直して、もはや問答無用に斬り掛かるつもりで気合を入れ直す。下らないか、下らなくないか、それを決めるのはわたし自身である。
「貴女が何者か……わたしには分かりません……けれど、強いことは分かります……なので、ここで殺します」
「――失礼いたしました。下らないは、わたしの失言でしたね」
わたしの宣言と本気の殺意に、女性は丁寧な謝罪を口にしていた。表情は見えなくとも、その声の響きから、心底申し訳なく思っているのが理解できる。
けれど、だからどうした――もはや謝ろうが謝らなかろうが、殺し合わない理由には足りない。
わたしはグッと腰を落として、左脚に全体重を乗せた。全身に火が入り、脇腹の出血が激しくなる。
常人ならば目も眩むほどの激痛を堪えて、迷わずわたしは飛び掛かった。
長引けば長引くほど、致命傷を負っているわたしが不利である。それでなくとも、女性がどれほどの強者か、どんな能力を持っているのかわからない以上、先手必勝以外に活路はない。
「……残念ですが、わたしは貴女と闘うつもりはありません」
わたしの突撃は、歩法【飛天】で特攻気味に踏み込んだ渾身の一撃だ。女性の位置を声で測って、一息で振り下ろす絶命の【斬鉄】である。
躱されても、受け止められても、次撃はもうない。
これで決まらなければ、後がない捨て身の特攻だ。
「ふぅ――水の枷よ」
果たして、わたしの必死の攻撃は、しかし躱されることもなく、受け止められることもなく――女性に届くこともなかった。
女性の呟いた呪文じみた不思議な響きが聞こえた瞬間、わたしの両手両足が何かに包まれて固定されたからだ。
それはまるで水に包まれているみたいな感触だったが、凄まじい圧力があり、鎖に繋がれたように動きが取れなくなった。
「ッ――何っ!?」
「貴女が万全の状態であったならば、もしかしたら、わたしに手が届いたかも知れません。けれど、満身創痍の今の貴女では、決してわたしに触れることは出来ないでしょう――わたしは、貴女を殺すつもりなどありません」
「――チッ、この――解け、ない!?」
目が開けない状況では、わたしはいま、何をされているのか理解できなかった。
悪態を吐きながら、全身のリミッターを外して身動ぎするが、少しも状況は変わらない。わたしが本気で抗っても、両手両足の枷が一向に外せない。
わたしはなんだかよく分からない枷に捕らわれて、空中で磔にされたように吊り上げられていた。
(……これが、能力? 液体でも、操っている……のでしょうか?)
わたしは身動ぎ出来ない状況でも決して諦めず、捕らわれている全身の感覚を研ぎ澄ます。すると、致命傷である脇腹に、ドパン、と生温かい水が浴びせ掛けられた。
「癒しの水、です。とはいえ、応急処置ですので、後程、しっかり病院で診てもらって下さい。適切に治療出来れば、後遺症が出ることもなく、二か月ほどで全快できるでしょう」
わたしの脇腹に浴びせられた水は、どうしてかそこに留まっているようだった。傷口が水で包まれている感覚がある。
「……貴女は……何が、目的、なのですか?」
わたしは動かない身体を必死に動かそうと抵抗しながら、恐らく正面に居るであろう女性に問い掛ける。するとまるで待ち構えていたように、スラスラとわたしに答える。
「目的は――貴女を仲間にすること。けれど、交渉は決裂したので、後は個人的に、貴女を助けているだけです」
「助け、る? 貴女が、わたしを捕らえているのでしょう? 助ける気があるならば……わたしを、解放して、殺し合いをしなさいッ!」
わたしの怒号が受付ロビーに響くが、女性はいたって冷静に言い返した。
「助ける気があるので、解放する気はありませんよ。まるで狂犬みたいな人ですね、貴女は……」
女性が呆れたようにそう呟くが否や、わたしの両手両足を捕らえていた水がいっそうキツくなった。握りつぶすつもりか、と勘違いしそうになるほどの強烈な圧力が加わる。
カツカツと近付いてくる足音が聞こえて、すぐそばで息遣いと気配を感じた。
手を伸ばせば、一息に両断できる距離に居る――だが、指先一つ満足に動かせない。
「……ところで、一つだけ教えて頂きたいことがあるのですが、宜しいでしょうか?」
それは囁くような声で、わたしを試すような響きを持っていた。
「……不愉快、ですね。この状況では、教える以外に選択肢がないでしょう?」
女性の言葉が脅しであることを察して、わたしはあえて反抗してみせる。どうせもはや勝ち目はない。しかし勝ち目がなくとも、諦めることはあり得ない。
「別段、脅しているつもりはありませんし、答えたくなければ、答えずとも結構ですよ?」
女性はそう言いながらも、いっそうわたしを捕らえる水の圧力を高めてくる。何をされているのか分からないのが癪でならないが、確定していることは一つ。
もはや自力では逃げられない。
「…………何が、知りたい、のですか?」
「どうやって霧崎の【迷彩】を捉えたのでしょうか? 貴女は【魔女の騎士】ではなく、ましてや【魔女の恩寵】も持っていない。魔術の行使はおろか、魔力視さえも出来ない……だのに、どうやって透明な霧崎を斬り殺したのでしょうか?」
わたしはその質問に、つい吹き出して笑った。
ズキズキと腹部が痛むが、笑いを堪え切れなかった。すると、わたしのそんな態度に、女性は苛立ったような空気を漂わせる。
女性の苛立ちを肌で感じて、少しだけ溜飲が下がる。
「何が、おかしいのでしょうか?」
「――貴女は、ついこの間のわたしと同じ……いまだ敗北を知らない様子……」
「敗北を知らないから、何だと言うのですか?」
わたしは口の中で血の味を感じながら、クックッと笑い、緩く首を横に振った。
「……いえ、他意はありません……しかし、なるほど【迷彩】ですか……確かに、周囲の景色に溶け込んだように見えましたね……」
わたしはしみじみと、瞼の裏に先ほどの光景を思い返しながら呟く。霧崎の能力は、そのものズバリの名称である。
「……彼は、かなりの強者でしたけれど……残念ながら、その【迷彩】を使いこなすことが、出来ていませんでした……あの【迷彩】は……自らの挙動音を隠せなかった……だから、あえて声を掛けて、音を誤魔化しつつ、攻撃してきた……」
わたしは淡々と、霧崎の攻略法を口にする。
別段、隠し立てする意味もない。教えて欲しいと言うのであれば、いくらでも教えてやろう。
「平成の切り裂きジャックさんの、【迷彩】は……恐らく、触れた物、もしくは自らの身体を透明にするような能力、と推測しました。実際、見えないのは脅威で……けれど、気付けば攻略は、簡単です……目を凝らせば、足元に影はあり、音も聞こえた……その時点で、攻撃を避けるのは、容易……ただ、厄介だったのは、あの声、でしたね」
目の前に迫っている女性は、わたしの台詞に、ほぅ、と感心げな声を上げた。
「……平成の切り裂きジャックさんは……声を飛ばしていました……それに気付くのが、もう少しだけ遅かったら……勝てなかったかも、知れません……」
わたしは勝ち誇った笑みを浮かべて、女性に逆に問い返す。
「彼の異能は、二つ……透明になる能力と、声を飛ばす能力、でしょう?」
「――お見事。それが分かっていたのであれば、勝てて当然ですね。ただし、テストの答えとしては半分だけの正解ですよ。霧崎の持つ異能、【魔女の恩寵】は一つだけ――【迷彩】のみです」
女性の吐息が耳元に感じる。血生臭いこの戦場で、ふんわりとした爽やかな香りが漂ってくる。
「貴女の言う、声を飛ばす能力――それは正確には、異能ではなく風属性の魔術です。習得できる技能であり、技術です。風魔術【音玉】と呼ばれている初歩的なものですよ。彼が唯一行使できる魔術であり、自慢のとっておき――でも、あっけなくバレていたんですね」
「……魔術? ああ、貴女たちは、そう区別してるのでしたか……けれど、わたしから言わせれば、魔術だろうと異能だろうと、どっちも異常な能力に違いはありません……」
わたしは小馬鹿にした笑みを浮かべながら、女性の顔があると思われる位置に血混じりの唾を吐いた。ピチャ、と唾が掛かる音が聞こえて、不愉快そうな舌打ちが聞こえる。
「……普段の振舞いは清楚なのに、こと闘いの場では、冷静沈着でいて冷酷。そして、ここまで粗野になるのですね――【人修羅】の後継者、鳳仙綾女さん」
女性はそう言って、フフフ、と上品な笑いを響かせて、スゥっとわたしから距離を取る。
わたしは朦朧とし始めた思考を必死に繋ぎ止めながら、溜めた力を一気に爆発させて、右腕を引き千切った。
「――なっ!?」
わたしを拘束している液状の枷は、何をしてもビクともしなかった。だからわたしは、壊せない枷ではなく、自らの身体を壊して、攻撃に転じたのだ。
このまま去るつもりだったのか、それともトドメを刺すつもりだったのかは定かではないが、どちらにしても、女性は完全に油断していた。
わたしに、もはや抵抗の芽はないと考えていたのだろう。
「無刀之型――穿ち月!」
わたしは女性の驚きを目印にして、右手のない骨剥き出しの腕を突き出した。
手首から先がない為、拳を握り込むことも、貫手を作ることも出来ないが、それ以上に強力な剥き出しの尺骨がある。
命中さえすれば、一撃で女性を絶命できるはず――
「――っっっ!?」
バキン――ゴロゴロ、と。
骨が砕ける音が響き、遅れて何か重たい物がロビーを転がる音が聞こえる。
わたしは焼けるような激痛を味わいながら、右腕を襲う違和感に歯噛みした。
「……自らの腕を引き千切るなんて、本当に恐ろしい人……」
女性の涼しげな声が聞こえる。
その声の調子から、わたしの渾身の攻撃が不発に終わったことを嫌というほど理解した。
「…………右腕が、斬られた……のでしょうか?」
「ええ、申し訳ありません――本当はここまでやるつもりはありませんでした」
まるで反省した様子のない謝罪を耳にしながら、わたしは肘から先が何もないことを把握する。どうやったのかは分からないが、一瞬のうちに、わたしの突き出した右腕は切断されたようだ。
「…………ぅ、ぐ……もひゃや、これまれ……です、ね……」
ドバドバと溢れ出る右腕からの出血に、わたしはいよいよ意識が混濁してきて、呂律も回らなくなっていた。渾身の一撃があしらわれた結果、集中が途切れて、疲労と激痛が怒涛の勢いで襲ってきていた。
もはやこれ以上、わたしには抵抗する術がないし、そもそも指先一つさえ動かない。
すると、わたしを捕えていた枷が全て消えた。自然、わたしはその場に崩れ落ちる。
「非常に、残念です。わたしは、殺す気などなかったのに――ここまで致命傷を負ってしまっては、誰がどんなことをしようとも、もう助けようがありません」
女性はそんな捨て台詞を吐きながら、受付ロビーから去ろうとする。しかし、女性を引き留めるようにその時――ピピピピ、と携帯の着信音が響き渡った。
初期設定の着信音は、間違いなくわたしの携帯である。音の反響位置から、女性の足元に転がっているように思えた。
「――『トオヤくん』から、ですね。彼氏さん、でしょうか?」
「…………」
女性は携帯の表示を読み上げて、しばし沈黙してから、何を考えたか電話に出た。
そして、無言のままスピーカー設定して、瀕死で俯せるわたしの口元に携帯を近付ける。
『――あ、綾女さん、おはよう。俺だよ、俺、十八です。って、朝からハイテンション過ぎるか、ごめん。えと、調子はどうかな? ん……あれ? どうかした? ……あれ? おーい、綾女さん? おーい、俺の声聞こえる? んん? 繋がってる……よな?』
電話口からは、気の抜けた龍ヶ崎十八の声が響いてくる。
どうやら、ここに来る前に架けていた着信を見ての折り返しのようだが、わたしに何が起きているのかまったく察していない様子だった。
女性はそんな龍ヶ崎十八の声を聞きながら、ふぅ、と呆れたような吐息を漏らしていた。そして、杞憂ですか、と小さく呟きながら、静かに受付ロビーから去っていく。無関係な第三者からの電話だと判断してくれたらしい――とてもありがたい勘違いである。
女性の足音はゆっくりと遠ざかり、一度も立ち止まることなく、すぐに聞こえなくなった。
『おーい、綾女さん! どうしたの!? んん……架け間違え、かな?』
けれどわたしは、龍ヶ崎十八の呼び掛けにはまだ答えず、女性が完全にいなくなった確信を持てるまで耐えた。
もしここでわたしが助けを求めるのがバレて、龍ヶ崎十八を待ち伏せされたうえで殺されたら――そんな最悪のシナリオを考慮して、声が出せない振りを続ける。
『おーい……もしもし? おーい』
龍ヶ崎十八の怪訝そうな声を聞きながら、わたしはなけなしの意識を総動員して、女性の気配を探り続ける。しかし、もはや足音も息遣いも聞こえず、気配さえ感じない。
完全に居なくなったと確信出来た。
『…………えーと、一旦、電話切るよ? そろそろ授業始まるからさ……何か急ぎの用とかなら、ショートメールがあれば――』
「――たす、けて……」
わたしはか細い声で、振り絞るようにしてそれだけ呟いた。瞬間、龍ヶ崎十八が息を呑む音が聞こえる。
『……いま、どこ?』
龍ヶ崎十八が抑えるような声で問い掛けてくる。その声を耳にしながら、わたしはボソボソとした声で、病院の住所を告げた。
「――急いれ、くたさい……」
住所を告げて、最後にそう呟いた時、プツン、と電池が切れるように、わたしの意識はブラックアウトした。




