第四夜/前編
目覚めてから、いつも通り早朝訓練と学校へ行く準備をして、家を出る時間の確認をしたとき、わたしはその異変に気付いた。
「…………郵便物が、投函された?」
咄嗟に時計を確認するが、時刻は七時二十分。
テレビの天気予報に表示される時刻も、一分とズレていない。こんな朝早い時間に郵便物が配達されることはあり得ないだろう。
新聞ならば可能性はあるが、そもそもわたしは新聞を取ってはいない。
しかしいま、間違いなく玄関脇に設置した郵便ポストに、何か重い物が入る音が響いた。そしてそれが、回覧板や、町内のゴミ当番表でないことも確実である。
わたしは、郵便ポストに投函した何者かが遠ざかる気配を感じながら、仕込刀【魔女殺し】を片手に、急いで玄関を飛び出した。
慌てて外を見渡すが、郵便物を届けたであろう何者かの姿は既にどこにも見えなくなっていた。
わたしは取り敢えず、何が届いたのか確認すべく、郵便ポストを開けた。
「――何ですか、これは?」
鍵付き郵便ポストの中には、宛名も差出人も書かれていない小箱が入っていた。ズシリと重みのある段ボールの小箱だ。
わたしはその小箱を注意深く触りながら、内側に何があるのか音を探る。これがわたしの命を狙う爆発物とかだと、一巻の終わりだが――
「…………まぁ、爆発物であれば、わたしが手に取った瞬間に爆発させるでしょうけど」
そんな皮肉を口にしながら、わたしは何の躊躇もなく箱を開けた。
果たして、その中身は、一通の手紙と、少し古い型の液晶タブレットだった。
「これは――へぇ?」
わたしはまず液晶タブレットを起動しようと試みるが、どうやら充電が切れているようで反応しなかった。仕方なしに手紙を開いて、それを読んでみる。
『お友達は預かってる。返して欲しければ、今日の正午までに、指定された場所まで、独りで来い。勿論、鎮守府の連中には連絡するなよ。時間切れ、もしくは鎮守府の連中が動くのが確認出来たら、お友達の可愛い巨乳嬢ちゃんは、死ぬより酷い地獄を味わうぜ』
手紙には、そんな下らないことが書いてあった。
わたしはそれを読み終えた瞬間、プッと堪え切れず吹き出して笑った。まさかこんな陳腐な脅迫文が送られてくるとは想像していなかったからだ。
クックック、とお腹を抱えて笑いながら、一旦、手紙と液晶タブレットを持ってリビングに戻る。
「なるほど、なるほど――十八くんが危惧していた事態は、こういう下衆な展開でしたか」
わたしは苦笑しながら呟き、とりあえずスマホを確認した。特に新しいメッセージや連絡履歴はない。
お友達――その単語で思い浮かぶ相手は、たった一人、為我井優華である。
念のため、わたしは携帯のSNSアプリで為我井優華に連絡をしてみる。内容は、今日は体調が優れないので学校を休む、という連絡である。
すると、普段ならばすぐに既読になるところが、一向に既読が付かない。この時間、為我井優華はバスに揺られて、暇を持て余している時間帯である。
「……となると、昨夜の帰りにでも拉致されたということでしょうか? いえ、昨夜の帰りであれば、優華さんのお姉さまの誰かから電話がありますから……今朝方、通学する際に拉致された、ですね」
わたしは、ふむ、と状況を推理しながら、送られてきた液晶タブレットを電源に繋いで充電する。
「それにしても、杜撰な計画――まず、わたしが優華さんを見捨てたらどうするつもりなのでしょう? 優華さんのご家族でも人質に取る? それとも、わたしの自宅を襲撃するのでしょうか? どちらにしろ、低俗な脅しですね」
わたしは、まるでヤクザみたい、と独り愚痴りながら、失笑を抑えきれなかった。
これを立案した馬鹿は、わたしのことを正義の味方とでも勘違いしているのだろうか――この計画は、わたしが言う通りに動くことを前提としている。もし、この液晶タブレットを充電せず、為我井優華を見捨てる選択肢を取ったならば、どんな顔をするのだろうか。
「……まぁ、せっかくのご招待を蹴る理由はありませんけれど」
愉しくなってきた、とほくそ笑みながら、わたしは万が一を考慮して、スマホで龍ヶ崎十八に連絡を取る。彼に一報を入れておけば、たとえ相手がわたしの手に余る強敵であろうと、後先考えずに戦えるだろう。
ところで、手紙には、護国鎮守府の連中には連絡するな、と書かれていたが、それを素直に聞くのはただの馬鹿に違いない。仮に連絡したことがバレて、結果、為我井優華が死ぬより酷い目に遭わされたところで、死ななければ別に治療できるので問題ない。
「………………」
しかし、何コールしても龍ヶ崎十八は電話に出ず、留守電にすらならなかった。
はぁ、と溜息を漏らしてから、SNSアプリの電話番号検索で龍ヶ崎十八のアカウントを探すが、許可されていないのか検索に引っ掛からなかった。
少しだけ苛立ち、同時に、まだ好感度が不足していることに歯痒さを覚えて、致し方ない、と諦める。
ちなみに、九鬼連理の連絡先は聞くつもりがなかったので、聞いていない。なので、龍ヶ崎十八に連絡が通じなかった時点で、わたしは護国鎮守府に連絡する手段がない。
「さて――そろそろ充電できましたかね」
わたしは気を取り直して、液晶タブレットを起動してみる。充電はまだ30%程度だったが、それでも起動するのに問題はない。
液晶タブレットの中には、二つのアイコンしか存在しなかった。
一つは動画アプリである。オンライン保存されている動画を確認する為のアプリのようだが、恐らく人質の安否を伝えて、且つ、わたしを脅す為の材料だろう。視る価値があるとは思えなかった。
もう一つは地図アプリである。起動すると、グーグルマップを模した地図が開き、液晶タブレットを現在地として、目的地までの道のりが赤いマーカーで強調されている。
地図アプリは、ここから目的地までの範囲しか表示されないようで、どれほどスワイプしても画面は動かなかった。
「……廃病院の辺り、ですね」
わたしはスマホの地図と、液晶タブレットの地図アプリに表示されている目的地を見比べて、そこがだいぶ昔に廃業となった病院跡地であることを確認する。現在は、心霊スポットとして有名で、夜になると暴走族が集会場にしている場所だ。
付近には、商業施設はおろか民家さえなく、また周囲は深い森に囲まれている立地だ。それゆえに、日中は誰が何をしていても気付かれることはない。
――殺し合うにはお誂え向きの戦場である。
「そうと決まれば、善は急げ――と、一応、動画も見てみますか」
わたしは立ち上がり、すぐさま飛び出して現地に向かおうとしたが、念の為、保存されている動画も確認することにした。何か重大なことを言っているかも知れない。
だが、そんなわたしの期待は見事に裏切られた。
保存された動画は一つだけで、しかもその内容は想像通りでしかなかった。
まず画面に映ったのは、目隠しされて、後ろ手に縛られた状態で、趣味の悪いことに大股開きさせられて椅子に座っている為我井優華の姿である。彼女は今朝方拉致されたと思しき制服姿だった。
猿轡はしていないので、ギャーギャー、と泣き喚いて、助けを求める声がひっきりなしに聞こえてくる。
そんな為我井優華の隣で、いかにもチャラいチンピラ然とした男が、カメラ目線でニタついていた。
その男は、肌に直接、和柄のシャツ一枚を羽織って、鍛え抜かれたボクサーみたいな腹筋を見せびらかせている。和柄の七分丈ズボンに運動靴を履いていて、両手に、60センチほどのブッシュナイフを握っていた。
『見ての通りだ。来るのを待ってるぜぇ』
男はブッシュナイフを素早く振るって、泣き叫ぶ為我井優華の豊満な胸元だけを切り裂いた。
ナイフの腕は確かなようで、為我井優華の胸元はパックリと避けて白い胸が露出したが、制服とブラだけが切れており、皮膚に傷は一つもない。
目隠しされている為我井優華は何をされたか分からず、いっそう大声で喚き散らした。正直、うるさいと思うのだが、男は気にせず愉しそうにしている。
耳がおかしいのだろうか。
『――サッサと来ないと、優華ちゃんがお嫁に行けなくなっちゃうぜ?』
男はニンマリとだらしない表情で、為我井優華の巨乳を舐めるように見てから、ペロリと舌を出していた。気持ち悪い奴だ、と反吐が出る。
そして動画は最後に、為我井優華のスマホを映してから消える。
スマホの画面には日付と時刻しか表示していなかったが、それは七月四日の七時ちょうどだった。為我井優華は間違いなく、今日、家を出た直後に拉致されたようだ。
「…………時間の無駄、でした」
動画を見終えたわたしは、酷く残念な気持ちで息を漏らしてから、スマホを操作する。この無駄になった時間を挽回する為に、懇意にしている闇営業の白タクシーを呼び出す。
ここから廃病院までは、車を使えばおよそ十五分。廃病院の手前で降りたとしても、二十分もあれば到着するだろう。ちなみに、闇営業の白タクシーは付近を流していたようで、五分ほどでわたしの家に到着した。
わたしは制服のまま、仕込刀【魔女殺し】だけを持って、廃病院の駐車場で降りた。闇営業の白タクシーには、帰りもまた利用するかも知れないので、二時間ほどはここら辺を流してくれとお願いした。
「さて、どこに居るでしょうか? 動画では、どこかの手術室のようでしたけれど……」
わたしは廃病院の本館入口から入って、精神を集中させた。いつどのタイミングで襲われようとも、万全の状態で闘えるよう身体と心を戦闘のそれに切り替える。
この廃病院はだいぶ広い。
本館は五階建てだし、隣接する東館は四階建てである。敷地面積は知らないが、廃業する前は病床数四百を数える大病院だった。
一つ一つの部屋を確認して回らなければならないのだろうか――わたしは警戒しながら、耳を澄ます。
しかし物音ひとつせず、廃病院内は静まり返っていた。
わたしは本館一階の受付ロビーを見渡した。
受付ロビーは見渡す限り何もなく、廃墟に相応しい光景だった。しかも奥に行くにつれて、薄暗くなっていた。非常灯も完全に死んでおり、建物内部に人工的な光はない。
けれど、暗闇というほどではなく、かろうじて窓から差し込む光があるので、戦闘を行うのに支障はないだろう。音もよく反響するし、廃墟故に隠れるところがなく見通しが良いのはありがたい。
一方で、見通しが良いのは敵も同じであり、むしろ廃病院内の間取りを把握している分、敵に地の利があるだろう。
「……格上と思われる相手。しかも確実に何らかの異能を持っており、わたしはその異能を知らない。地の利は向こうにあり、待ち伏せされている状況……これを覆してこそ、一歩、最強に近付けますね」
圧倒的に不利な現状を認識して、ついついわたしは愉し気な笑みを浮かべていた。
『逆境を乗り越えてこそ、次なる境地に至れる。死地こそ愉しむべし』
わたしの脳裏に、師父が生前口にしていた教訓が過ぎっていた。その教訓に付随する厳しい修行の日々も同時に思い出されて、わたしはひと際集中が高まるのを自覚する。
その時、カツン、と受付ロビーの奥から何者かが近付いてくる足音が聞こえた。
空気が動いた気配があり、わたしは注意深く周囲を見渡す。だが、何も見えない。
「おやおや、もう来たのか、鳳仙綾女ちゃん。早いねぇ――――おお、間近で視ると凄くセクシーだねぇ」
「――ッ!?」
気のせいか、と警戒を解いた瞬間、不意にわたしの耳元からそんな台詞が聞こえる。まるで、すぐ隣に立って話しかけてきているような声量だった。
わたしは咄嗟にバックステップで距離を取りつつ、瞬間的に仕込刀を抜刀して、横薙ぎに刀を振るった。当然それは空を斬り、ただの空振りに終わる。
「おお、怖い怖い。驚かせるだけで、首を取られたら洒落にならねぇ――」
気配はない。影も形もない。しかしその声は、ハッキリと聞こえてくる。幻聴ではない。
わたしは声のする方を睨み付けながら、腰をグッと下げた。それは肉食獣が獲物に飛び掛かる寸前のような姿勢である。
獲物は見えないが、見えた瞬間に一撃で殺す気合を放った。
「――けど、綾女ちゃんキミ、俺様の姿が全く見えてねぇな? 護国鎮守府に所属したんじゃないのか? その殺気はなかなか凄まじいが、魔力は一切感じねぇ。どうやって【風神】五十嵐葵を殺したんだ?」
まだ手を抜いているのか、と囁くような声が、尻すぼみに受付ロビーの闇に消えていった。途端、ズン、と重力が倍になったような錯覚をするほど、わたしを取り巻く空気が重くなる。
その空気は、わたしの殺気を呑み込むほどの強烈な殺意だった。知らず知らずに、わたしは冷や汗を流していた。
わたしだって、この歳で二桁は殺してきている。命懸けの修羅場だって、幾度も乗り越えてきている。しかし、この強烈な殺意はその比ではない。
修羅場を潜った数が圧倒的に違い過ぎる――そう直感した。
とはいえ、その程度で腰が引けるほどわたしは腑抜けではない。あえて挑発的な声で強気に返す。
「どうやって殺したか? 教えて欲しければ、わたしと闘ってみれば宜しいでしょう? 隠れていないで――」
「――吼えるねぇ。けど、俺様が何故わざわざ声を掛けたと思う?」
すると、挑発的に返したわたしの言葉に被せるように、またもや耳元で囁き声がした。同時に、グサリと左肩を刺される。激痛が全身に走った。
「ぐぅ!? チッ――クソッ!!」
わたしは慌てて、刺された切っ先と同じ方向に逃げて、全力の跳躍でもって距離を取る。まったく寝耳に水の激痛に動揺しつつ、攻撃された方向から推測した敵の位置を睨み付ける。
果たしてそこには、やはり何も見えない。
馬鹿な、と心の中で悪態を吐きつつ、わたしは乱れる呼吸を必死に抑えて、冷静になろうと努める。
「……ふぅ――」
わたしは深く息を吸い込みながら、状況を分析する。
敵の姿は見えない。薄暗い闇に隠れているとかそんなレベルではなく、影も形も見えない。
視線は感じる。その気配も、居ることは確かに感じ取れる。だが、受付ロビーを包み込んでいる強烈な殺気と威圧に紛れてしまい、位置を特定するには至れない。
足音や衣擦れの音、息遣いなど何一つ物音は聞こえないのに、なぜか耳元で囁かれるその声だけは、ハッキリと聞こえる。
(……実体がないのか、幽霊か……声だけが真横で聞こえる理由はどうしてでしょうか……)
わたしは脳内で自問しながら、ギラリとした鋭い睨みを周囲に向けた。すると、カツン、と右手前側で微かな靴音がする。
すかさずわたしは音に反応して身構えた。しかし次の瞬間、顔を向けた方とは別の方から、ふたたび声が聞こえてくる。
「俺様が声を掛けた理由は――綾女ちゃんを、確実に殺せる自信があるから、だぜ? 俺様の流儀でな。殺そうと思った相手には、ちゃんと自己紹介してるんだよ。ってわけで、冥土の土産に覚えておいてくれよ。俺様は霧崎――【平成の切り裂きジャック】だぜ」
その声は、靴音が聞こえた方向と逆側からだった。慌ててそちらに振り返ると、ドズン、と左脇腹に鋭い痛みが走る。
わたしはすぐさま思い切り身体を捻じり、切り傷が内臓に達しないよう回避した。
「がっ――く、ぁ……」
その不意打ちの刺突は、下から抉るような軌道だったおかげで、肋骨で切っ先が止まったようだ。傷は浅く、致命傷にはなっていない。
とはいえ、これは想像以上に厳しい状況だろう。姿が見えないのは、まったくの予想外だった。
わたしは思考をフル回転させて、霧崎と名乗った透明人間をどう仕留めるかを考え始める。
(……見えない、能力? だとして、どうしてわざわざ声を掛けてくる? 言葉通りの流儀であるはずはあり得ない……そもそも、声の位置と攻撃の気配が一致していない理由は?)
現状に至るまでの様々な情報を、取り留めなく脳内で反芻する。同時に、身体は痛みに反射で動けるよう待ちの姿勢で集中した。
わたしは打開策を見出すまで、攻撃を受けたら回避することに全神経を費やすことに決めたのだ。
「へぇ……見えてない俺様の攻撃を、よくそこまで回避できるな。こりゃあ、いたぶり甲斐がある」
今度は背後からそんな声が聞こえる。また声と同時に、ザシュ、と背中が切り裂かれたのを自覚した。
わたしは咄嗟に反転して、飛ぶ斬撃――外道之太刀【雨燕】を繰り出す。けれどそれは手応えなく、文字通り空を切った。
「……そういえば……【平成の切り裂きジャック】――確か、二、三年前に、話題になった連続強姦殺人鬼、でしたか? 週一ペースで、中学生から大学生の女性を強姦、身体を切り刻んで殺した変態――被害者の数は二十人を数え、平成最大最悪の猟奇殺人犯と呼ばれてましたね……けれど、事件発覚から半年ほどで、警察に捕まったはず、では……?」
耳を澄ませて、周囲の音に集中しながら問い掛ける。わたしの問い掛けたその声は、微弱に反響しながら受付ロビーの闇に消えていった。
わたしは空気の微細な振動も逃さないと視野を広げて空間を把握し、間合いの内側には誰も入れないとばかりに威圧を放つ。
「――捕まったさ。けど偉大なる教主の手引きで脱獄したのよ。しかも、こんな【魔女の恩寵】も授かったぜ」
ニヤけた顔が見えそうなほど愉しげな声が正面から聞こえてくる。わたしはその不愉快な声を聞きながら、少しだけ大げさに首を捻った。すると、ザシュ、と肩口が浅く切り裂かれる。
今回の攻撃は、投擲によるものだった。
霧崎の声が聞こえた直後、声とはまったく違う方向から、空気を裂く風切音と、何かが投擲されたような気配を感じたのだ。音から軌道を読むと、その射線上にはわたしの首筋がある。避けなければ、頸動脈を裂かれただろう。
カン――と。わたしが余裕を持って躱した直後、背後の壁に何か硬い物が当たり、弾かれて転がる音が響いてきた。
チラと視線だけ向ければ、それは棒状の手裏剣だった。殺傷能力はそれほど高くはないが、戦闘で使われたのは初めてだ。霧崎は忍者か何かなのだろうか。
わたしは身動ぎせず、正面を睨みつける。すると、ヒュー、と口笛が聞こえる。
「ビビるほどの戦闘センスだ。俺様の手裏剣を、見えないに関わらず、ここまで完璧に避けるなんざ。まったく信じ難い神業だぜ? 場数と経験は俺様が上だろうが、同条件で殺りあったら勝てねぇなぁ」
感心した風な声と、ふたたびの風切音が、別々の方向から同時に聞こえてきた。
また投擲か、まったく芸がない――と、一瞬だけ落胆するも、今度の攻撃は先ほどと異なり、空気を切り裂く音が複数聞こえる。
わたしはすかさず、風切音から攻撃の射線を予測する。
その攻撃は、わたしの肩口を狙って二つ、喉元に一つ、眼球を狙って二つ――計五連撃の投擲のようである。
絶妙な時間差の範囲攻撃だ。避け方を誤れば、致命傷を負うかも知れない。けれど、避けることはさして苦労しない。
わたしは瞬きすらせず、腰を落として肩口の攻撃を紙一重に避ける。同時に、身体を横に流して喉元への攻撃を避けつつ、首を捻じる動きで眼球狙いも躱して見せた。
それは傍目から見れば、ほんの少し身体が傾いだ程度の動きだったが、その挙動一つで致命傷を避けて見せた。まぁ、少しだけ紙一重過ぎたか、戦闘に影響が出るほどではないが、頬と首筋の上皮がスパッと裂けてしまった。
「……平成の切り裂きジャックさん……冥途の土産とやらに、もう一つ、お伺いしたのですけれど……貴方は、【魔女の騎士】でしょうか?」
わたしは頬を伝う血の滴りをそのままに、正面の空間に問い掛ける。同時に、ギュッ、と刀を握りしめ、ほんのちょっと腰を落とした。
「……強さは明らかに理外の存在レベル……間違いなく【護国鎮守府】だろうが……俺様が【魔女の騎士】かどうか、聞かないと分からないって、どういうことだ?」
霧崎がわたしにそう問い返してきた直後、次なる風切音が聞こえてきた。
音の軌道、攻撃の射線は、腹部と脚部――まずはわたしの機動力を奪うつもりだろう。捻りのない投擲である。
わたしは内心の落胆をおくびにも出さず、霧崎が採るであろう行動を予測して、それに合わせた。
「フッ――ハッ!」
わたしは鋭い呼気と共に、あえて思い切り踏み込む。当然、腹部と脚部を狙う手裏剣は、踏み込みながらの一太刀で払い落とした。
「な、ッ――こ、畜生!」
カキン、という金属音と、空気の抵抗を切り裂く感触があり、続いて、ドン、と霧崎の身体に体当たりした重みを感じる。
やはり思っていた通り、今度は投擲しつつ直接斬り掛かってきていた。ここまで想定通りの行動をされると、少々張り合いがなくて残念だ。
わたしは霧崎の驚いた声を耳にしながら、払い落とした刀を逆袈裟に斬り上げた。
「――グ、ぅ!?」
ガキン、ザン――と、一瞬の火花と、噴水のような血潮が、薄暗い受付ロビーを彩る。手応えあり、である。
「……咄嗟に、十字受けで回避しましたか……思ったより、傷は浅いようですね――ま、流石に、この程度で決着したら拍子抜けですけれど」
逆袈裟で斬り上げた残心の姿勢で、わたしは正面右手側に流し目を送る。音も気配もないが、そこに手負いの霧崎が立っている確信があった。
霧崎は、わたしを格下と舐めて掛かっていたが故に、動きを読まれているとは想像できず、軽率過ぎる直接攻撃に及んだのだろう。その油断から、反応も遅れたのである。
しかし、完全な不意打ちだったはずだが、かすり傷しか負わせられなかったのは、嬉しい想定外だった。これは見事と褒めるしかあるまい。
付け入る隙は多いように感じるが、少なくともわたしより格上であることは間違いなかった。
「……なるほど、な。化物、め」
わたしが霧崎の戦闘力に感心していると、ふとそんな舌打ち混じりの呟きが聞こえてきた。音の位置から、わたしの睨んでいる先で間違いないようだ。
「化物とは心外ですね――」
わたしは残心を解いて、刀の切っ先を下げた。そして、下段の構えで、姿の見えない霧崎に向き直る。
「――ところで、もう一度お聞きしますけれど、貴方は【魔女の騎士】ですか?」
わたしは空気を読まずに、いまだ答えてもらっていない問いを繰り返した。すると霧崎は、さもおかしそうに笑い声を上げながら、受付ロビーにその姿を現す。
「クハハハハ! ブレねぇな、綾女ちゃん。いいぜ、答えてやるよ――残念ながら、俺様は【魔女の騎士】には成ってねぇ。【四象の魔女】――偉大なる教主に選ばれた人間だが、教主からは【魔女の恩寵】を授かっただけだぜ。けど綾女ちゃんを殺して、【風神】の後釜に座り、教主の弟子にして貰う予定だ」
そう高らかに告げる霧崎の姿は、動画に映っていたチャラいチンピラ然とした男だった。ただし、今はその胸元がパックリと斬り裂かれていて、腹筋が血で染まっている。
なぜ姿を現したのか――疑問は浮かぶが、いっそう強まった殺気と威圧から、わたしとの勝負を諦めたわけでないことだけは明白だった。
ゾクリとするほどの強烈な重圧を受けて、わたしは口角を吊り上げる。
「この状況で嗤うのか、綾女ちゃんよぉ――本当に、いたぶり甲斐があるぜぇ。その可愛い顔が、ぐちゃぐちゃになって『許してくれ』って、哀願する様、想像するだけで興奮するなぁ」
「出来るものなら、どうぞご随意に――お手並み、拝見いたします」
互いにそんな言葉を交わすと、霧崎が真剣な顔になり、腰を落とす。
霧崎の姿勢は、まるで四足獣が如き前傾姿勢だ。その両手には、牙にも思える冷たい輝きを持ったブッシュナイフが逆手に握られている。
彼の腹筋からは血がとめどなく滴って、埃の積もった床に血の跡を残していたが、その傷は見た目が派手な割にさしたるダメージはなさそうだ。
わたしはそんな霧崎と対峙して、さて、と思考を切り替える。
今までその姿を隠していた霧崎が、唐突に姿を見せたということは、最低でも、これからの攻撃パターンが変わるのは間違いない。
先ほどまでは、声を掛けられてから攻撃が来るというワンパターンだった。
それが手抜きなのか、それとも、声を掛けないと攻撃できない欠陥があったのか、理由は分からない。
姿を見せた今が、果たして本気なのか、それとも、もはや姿を隠すことさえ出来ないほど憔悴しているのか、それも不明だ――けれど是非とも、どちらも前者であって欲しい、とわたしは強く願った。
「シィ――ッ!!」
そのとき、裂帛の気合と共に、霧崎が踏み込んできた。
霧崎の踏み込みは、わたしの歩法【飛天】にも匹敵するほどの疾さで、しかもジグザグと機動が読み難い走法である。
一定でないリズム、速度は弾丸のようで、予測困難の機動力。
何よりも異様に低い姿勢――初見では、面食らってまともに反応できないだろう。わたしは、思わず舌を巻いて驚嘆した。
先ほどまでの見えない攻撃も驚異だったが、この機動から繰り出される攻撃は、見えても反応できない可能性が高い。
「素晴らしい!!」
わたしは、つい歓喜の声を上げていた。眼前には、棒状の手裏剣がいくつも迫っていた。
飛来する手裏剣は、上下左右、縦横無尽に降り注ぐ雨のような攻撃だ。わたしを囲むように、四方八方から飛んできて、見る限り逃げ場はない。
とはいえ、弾き落とせない攻撃ではない――わたしは、深く静かに息を吸った。
「外道之太刀――修羅之位」
この呟きは呪詛であり、同時に身体のリミッターを外すスイッチだ。
わたしは、身体能力が一段階跳ね上がったのを自覚する。体温が急激に高まり、脈拍が凄まじい速さで脈打って、身体が羽のように軽くなる。知覚範囲が向上して、わたしを取り巻く時間が止まったように緩やかになるのも感じる。
そんな時が止まったような緩やかな流れの中で、わたしは仕込刀を踊るように振るった。
果たして――ガキキキン、と目算で三十を数える手裏剣の雨が、一瞬にして地に落ちる。
わたしは手裏剣の雨を無傷で凌ぎ、微塵の油断もせず、そのまま次の攻撃に備えた。そして、次に繰り出された攻撃に、思わず反応してしまったのである。
「ッ――!?」
繰り出された攻撃は、霧崎本人の攻撃でも、手裏剣の第二陣でもなく、ただの粉袋だった。わたしは、防御する必要さえない粉袋を切り裂いてしまったのだ。
避ければ無害、直撃したところでダメージはなかっただろう。けれど、切り捨てたせいで、見事に目晦ましとなる。
わたしは眼前に飛んできた粉袋を一刀両断して、舞い上がった粉塵に目潰しされる。
(――本命は、次ですかっ!?)
手裏剣の雨が派手だったせいで、本命は次の攻撃――そう勘違いしてしまったが故に、霧崎の術中にハマってしまったらしい。
派手な攻撃で注意を引いて、直後、猫騙しのような目晦まし。まさに戦闘経験の差を見せ付けられた思いだった。
わたしは、してやられた悔しさに歯噛みしつつ、ギュッと瞳を閉じて、咄嗟に大きくバックステップで距離を取る。
「――シャアァッ!!!」
すると、霧崎の裂帛の気合が聞こえて、右腕と右肩に鋭い痛みが走った。バックステップしていなければ、この刺突で右腕の運動性を奪われていただろう。
傷は浅い――わたしは目を閉じたままで、仕込刀を横薙ぎに振り抜く。
「外道之太刀――【雨燕】」
横薙ぎに振り抜くと同時に、わたしはそう呟き、頭の中で繰り出した技の軌道を思い描いた。視覚を奪われている今、声に出すことで暗示を強めなければ、心技体は一致せず、集中も乱れてしまう。
そうして、霧崎が居るであろう位置に向けて【雨燕】は飛んだ――はずだったが、手応えはなかった。
「ッ、チィ――ッ」
ザシュ、という肉を裂く鈍い音が背後から聞こえる。また、幾度も味わった覚えのある強烈な激痛が全身に走った。
これは背中が斜めに切り裂かれた感覚に間違いない。流れ出る血液が背中を伝う感覚と、ズキズキする鈍痛、燃えるような熱さがあった。
何が起きた――と、わたしは混乱する。
いくら視界がクリアになっていなくとも、背後に回られた気配などなかった。
そんな疑問が浮かんだ直後、雨燕の放った方向で、ギィイン、と甲高い音が響き、一瞬遅れて、ガラスが割れる音が響き渡る。
どうやら繰り出した雨燕は不発で、受付ロビーのガラスに激突したようだ。
「ォォオオ――シャァッ!!」
わたしが混乱して硬直した一秒に満たないその瞬間、今度は左側面から、走ってくる霧崎の鋭い怒号が聞こえた。
いつの間にそんなところに移動したのか――その声には距離感があり、わたしとはおよそ十五メートルは離れているだろう響きだった。
「こ、の――」
わたしは迫り来る霧崎に顔を向けて、素早く大上段に刀を振りかぶった。一瞬だけ力を溜めれば、必殺の一撃、外道之太刀【斬鉄】をお見舞い出来るだろう。
音の距離感から、一秒後にはわたしの眼前に到達する。そこにカウンターで合わせ――
「――ッ!? え?」
刀を振りかぶった刹那、ブシュ、と右の脇腹が切り裂かれる音が聞こえて、内臓が裂かれる痛みを感じる。脇腹を斬りつけられた。
わたしは反射的に傷口に手を伸ばすが、既に斬られた後で、流れ出る血の温かみしか感じとれない。
「オリャッ!!」
そして、またもや背中から霧崎の声が響いて、今度は瞑ったままの両眼を切り裂かれた。
幸いにも、咄嗟に首を後ろに引いていたおかげで、眼球までは傷付いていないが、とはいえ、現状これでは視界は当てにならない。
わたしの視覚は完全に奪われた。のみならず、脇腹の傷は致命傷でもある。もはや戦闘続行自体が危ぶまれる状況だった。
「あ、ぐッ……ぅ」
わたしは力なく刀を下ろして、腹圧で内臓が飛び出ないよう右手で脇腹をグッと押さえた。途端、口の中に凄まじい血が逆流してきて、思わずその場に血反吐を撒き散らす。
「決着、だなぁ――その脇腹の傷、致命傷だぜ? となれば、こっからがお楽しみタイムだぁ――死ぬ前に気持ち良くさせてやるよ」
下卑た笑いが聞こえてきた。
わたしはその台詞を聞きながら、窮地だというのに、狂ったような悦びで口元を歪ませた。




