第一夜/前編
どこか遠くで、誰かがわたしを呼ぶ声がする。
薄ぼんやりとした光が暗闇に浮かび上がり、わたしはそれをただ眺めている。
意識が曖昧で、思考は胡乱。
いまわたし自身が、何をしているのか、何をするべきなのか、何一つ思いつかない。
「……わ、たし……あ、れ?」
信じられないくらい弱々しい声が漏れる。しかし、その声はすぐに雲散霧消する。
わたしは暗闇の中、自らの身体を見下ろした――いや、見下ろした気になった。すると、瞼は閉じたままのはずなのに、わたしのボロボロの身体が確認できた。
わたしは右腕を失くしており、腹部には大穴が開いている。
どうしてこうなったのか――わたしは呆けた頭でそう思考する。
「…………どう……なったの、でしょう……か?」
わたしは口を動かしてもいないのに、掠れたような声を絞り出す。しかし、その声すら暗闇に呑まれて消えていった。
わたしは身体を動かそうと意識する。
まずは足、けれどピクリとも反応しない。
次に失われている右腕を動かそうとした。けれど、感覚がない。
わたしは正面の暗闇を真っ直ぐと見詰めた。
すると、暗闇の先、いや感覚としては頭上高くだろうか――淡く温かい光が灯っているのが見える。
「……優しい、光――」
わたしがその光を意識した瞬間、唐突に清涼な風が吹き抜けた感覚があり、次いで身体が柔らかい何かに包まれた。
そして、耳元で必死に叫んでいる声が、脳内に響き始める。
「――女さん! 綾女さんっ!! しっかり――大丈夫か!?」
切羽詰まったその声は、なぜか安心できた。また、その声を意識出来た時、まるで深い霧が晴れたかのように、頭の中を覆っていた靄が消え去り、思考が鮮明になる。
途端――激痛が、右腕と腹部を襲った。
「……クッ! ぁ、ぅ……ぅ?」
「ッ!? 綾女さん!? 意識が、戻ったかっ!?」
わたしが激痛に瞼を痙攣させた瞬間、耳元からそんな龍ヶ崎十八の声が聞こえてきた。安堵した空気が頬を撫で、同時に、強烈な血の臭いが鼻孔を刺激する。
瞬間、わたしはここがどこで、何が起きたのかを自覚した。
強烈なイメージと共に、平成の切り裂きジャックとの戦闘、そしてその後の謎の女性とのやり取りが思い出される。
わたしは気合を入れて、カッと目を見開いた。視界も龍ヶ崎十八により既に回復済みだったようで、何の違和感もなくクリアに景色が映る。
目の前には、わたしを介抱している龍ヶ崎十八の顔があった。酷く憔悴した様子の心配そうな顔だ。
「――嗚呼、十八くん、ですか……助けて、くださって、ありがとうございます……っ、ぅ……あ、制服、汚してしまい、申し訳ありません」
わたしは視線を自らの身体に向ける。すると、露出していた胸元は、血で黒ずんだ学ランに隠されていた。龍ヶ崎十八の制服だろう。あられもない姿のわたしに被せてくれたらしい。
「いや、そんなのは全然大丈夫だけど……あんまり喋らないほうがいい。俺の生命力を分け与えて、ギリギリ一命を取り留めたけど、かなり重篤な状態なのは変わってないんだ。特にこの出血量、安静にしてないと本当にマズイよ」
「――今は、何月何日の、何時でしょうか?」
心の底から心配してくれている龍ヶ崎十八に内心で感謝しつつ、わたしはその感情をおくびにも出さず、無機質な声で問うた。同時に、安静にしろ、という龍ヶ崎十八の忠告を無視して、上半身を起こす。
「ちょ――無理はしないで、綾女さん。強引に動くと、せっかく塞いだ傷が……」
「十八くん。今は、何月何日の何時、でしょうか?」
「……はぁ――七月四日の十一時半だよ。綾女さんの助けを聞いて、すぐに駆け付けて――ただ、あまりにも深い傷だったから、この場で応急手当してたから――」
「――あれから、三時間弱、ですか……ぐ、ぅ」
わたしは起こした上半身を捻じり、周囲に視線を向ける。龍ヶ崎十八の言う通り、ここは気絶する前まで戦っていた廃病院の薄汚いロビーの一角である。
わたしは、そんな汚らしいロビーで、比較的、綺麗な待合席に寝かされていた。
「十八くん……わたしは、ひとまずもう平気です……それよりも――」
傍らで肩と背中を支えてくれている龍ヶ崎十八に顔を向ける。途端、ビキリ、と全身の筋繊維が千切れるような激痛が襲い掛かった。身体に力が入らず、貧血のように頭がボーっとして、視界がホワイトアウトする。
けれど、そんな異常はさして気にしない。激痛にも慣れたものである。わたしはホワイトアウトした視界のまま、龍ヶ崎十八を真っ直ぐと見据えた。
「――わたしの、友人が、どこかに囚われています……急いで、助けて――」
「――おい、市松人形ちゃん。その友人とやらは、別室で気絶してたこのお嬢ちゃんのことかよ? だとしたら安心しな。見たとこ制服はボロボロだけど、乱暴はされてねぇようだぜ」
その時、どこか誇らしげなトーンで、受付ロビー全体に聞き慣れた声が響いた。ここ最近になってよく聞くようになった不愉快な声だ。
わたしは声のした方に顔を向けた。ちょうどその時、スゥーっと貧血が落ち着いて、視界がハッキリと実像を結ぶ。
視線の先に居た声の主は、思っていた通り九鬼連理である。
九鬼連理はわたしの視線を受けてから、背負っていた女性の顔をわたしに見せた。
その女性は紛れもなく為我井優華であり、身体は毛布で包まれて隠されていた。顔色は少しだけ疲れて見えたが、寝息は正常でスヤスヤと穏やかなものだった。
「……優華さん……無事、でしたか……」
わたしは、ふぅ、と安堵の吐息を漏らしてから、一応、九鬼連理に頭を下げる。
「ありがとう……ございます、九鬼さん。優華さんは、わたしに、巻き込まれてしまっただけの被害者ですから……」
「ほぉ、えらく殊勝だな、市松人形ちゃんよ」
「……わたしは、市松人形ちゃんではありません。それに、感謝を口に出来ないほど恩知らずでもありません」
「はん、減らず口は相変わらずだな――しかし、市松人形ちゃんに友人が居たことには驚きだぜ。いつもツンツンして冷めた態度してるし、口を開けば物騒な物言いしてるから、友達なんざ居ねぇと思ってたからよ」
九鬼連理はだいぶ失礼な物言いをしながら、為我井優華を背負ったまま、わたしの前を通り過ぎる。
「――あ、ちなみに、市松人形ちゃんよ。敵は何人で、どんな連中だった?」
薄汚れたロビーから外を出る直前、ふいに思い出したかのように、九鬼連理が立ち止まり、振り返って聞いてきた。
わたしはそんな九鬼連理を睨み付けながら、溜息交じりに答える。
「……敵は、単独犯が二人。一人は仕留めましたけれど、もう一人には、完敗いたしました……その一人は、若い女性でしたけれど……視界を奪われていたので、姿は見れませんでした」
わたしは、仕留めました、と言いながら周囲に散らばる肉片に視線を送った。
わたしの視線を追って、龍ヶ崎十八も九鬼連理もわたしの『仕留めました』の意味を理解する。なるほど、と小さく頷き、状況を察したようだ。
龍ヶ崎十八は苦々しい表情を浮かべて視線を逸らして、九鬼連理は呆れた顔をわたしに向ける。
「正当防衛でも、こりゃあ、やり過ぎだろ……獣か、悪魔の所業だぜ、まったく」
ボソリと吐き捨てる九鬼連理の言葉に、龍ヶ崎十八が気を取り直したように声を上げる。
「ま、まぁでも、結果として、綾女さんが助かって良かったよ。敵も理外の存在なら、殺さなければ殺されてたわけで……実際、俺が駆け付けるのがあと少しでも遅かったら、本当にもう助からなかったかも知れない――」
「――というか、十八よ。市松人形ちゃんは、もうお前のパートナーだろ? この結果は、どう言い繕っても、暴走だぞ、暴走! 勝手な単独行動させてんじゃねぇよ。あんだけ虎姫に逢わせるまで待機しろって言ったのに……挙句、オレの手も煩わせやがってよ」
龍ヶ崎十八が場を和ませようと明るい口調で話している途中、その台詞を遮って九鬼連理が語気荒く文句を口にする。
わたしは九鬼連理のその態度に苛立ち、殺意を篭めた威圧を放ちながら口を挟む。
「九鬼さん――何度も同じことを言わせないで頂けますか? わたしは、市松人形ちゃんではありません。それに、パートナーでもない貴女に、わたしの行動を、暴走だ、何だ、と非難されたくもありません」
「ハッ! そりゃ、失礼。市松人形ちゃん――んで? 仕留めたヤツと、逃がしたヤツは、どんな連中だったんだ?」
九鬼連理はわたしの訴えを完全に無視して、自己都合の質問を口にする。わたしは睨み付ける視線にいっそうの殺気を篭めて、吐き捨てるように答えた。
「……仕留めた一人は、男性で、霧崎、と名乗っていました。自称『平成の切り裂きジャック』らしいですね」
「――――な、に? 平成の、切り裂きジャック、だと!?」
わたしの回答に、九鬼連理が驚嘆した声を上げて、信じられないとばかりに復唱してきた。何を驚いているのか、わたしは、ええ、と力強く頷いた。
その反応を見て、わたしを介抱している龍ヶ崎十八が、九鬼連理同様に驚いた表情で、恐る恐ると挙手してくる。
「綾女さん――『霧崎』って、少し長めの茶髪をしたチャラい恰好のチンピラ、で間違いない? 凄腕のナイフマスターで、姿を透明にする【迷彩】って異能を持ってたり?」
「……あら、ご存じですか? ええ、その通りですけれど――」
それが何か、と首を傾げると、龍ヶ崎十八は絶句して九鬼連理と視線を合わせる。九鬼連理は、はぁ、と長い溜息を漏らしながら、疲れたように説明した。
「――ソイツは、B級危険人物に認定されてる理外の存在だぜ。その異能、【迷彩】の【魔女の恩寵】が強すぎて、【魔女の騎士】クラスって言われてる要注意人物だ。半端な戦力じゃ返り討ちに遭うから、単独戦闘は避けるように、って言われてるほどの猛者だぜ? それが、まさか市松人形ちゃんを狙うとは――つか、そんなB級を単独で返り討ちにするって、ちょい化物過ぎるだろ」
あり得ねぇ、と呟きながら、九鬼連理はわたしの顔を見て首を横に振る。不愉快な態度である。すると、そんな九鬼連理から話の主導権を奪って、龍ヶ崎十八が言葉を続ける。
「ねぇ、綾女さん――その、霧崎を、どうやって倒したの? 綾女さんはまだ、魔力視も出来ないはず……どうやって【迷彩】を看破したのさ?」
「どう、も何も……平成の切り裂きジャックさんの油断、です。それでも紙一重でしたけれど――」
「――おい、市松人形ちゃん。そんで霧崎じゃないもう一人は何者だ? 霧崎が所属する組織の人間か、それとも別の対抗組織か?」
わたしの弱々しい台詞を遮って、九鬼連理が矢継ぎ早に問うてくる。安静にしないとマズイほどの重傷を負った怪我人に対する態度ではない。とはいえ、その非常識を責めたとて詮無き事である。九鬼連理に嫌味は通じないだろう。
わたしは、心配そうな表情の龍ヶ崎十八に微笑みつつ、フルフルと首を横に振りながら答えた。
「説明は、ここではなく、どこか落ち着いた場所でも宜しいでしょうか? 優華さんの無事が確認出来たので、わたし、少し休みたいのですけれど?」
「あ――そ、そっか。そうだよね、ごめん。連理、取り敢えずここから動くぞ。綾女さんの意識が戻ったから、当面は問題ないけど、血を失い過ぎてるからすぐにでも点滴しないと……」
龍ヶ崎十八はハッとした表情で、すぐさま九鬼連理に鋭い視線を向けて指示を出した。二人の上下関係がいまいち分からないが、九鬼連理はそれに逆らわず、へいへい、とおざなりに言いながらも納得していた。
九鬼連理は為我井優華を背負ったまま、受付ロビーを出て行った。それを見送ってから、龍ヶ崎十八は、ごめん、と謝りながら、わたしに肩を貸してくれる。
わたしは龍ヶ崎十八の肩を借りて、よろけながらも立ち上がる。意識はハッキリしていたが、想像以上に身体は疲弊しているようだ。
「……じゃあ一旦、移動しよう。外に護国鎮守府で雇ってる車が待機してるから」
「優華さんは、どうするのでしょうか?」
わたしは九鬼連理の背負っている為我井優華に視線を向けながら、龍ヶ崎十八に問い掛ける。龍ヶ崎十八は、ああ、と頷きながら、優しく答える。
「彼女も精密検査をしてから、問題がなければすぐに解放するよ。まぁ、念のため身辺は確認させてもらうけど、悪いようにはしない。確認だけど、一般人、なんだよね?」
龍ヶ崎十八が恐る恐ると首を傾げる。その質問にわたしは、力強く肯定した。
「ええ、優華さんは紛れもなく一般人です。わたしの裏の顔も存じ上げませんので、可能であれば、わたしの裏の顔は、黙っていて頂きたいです」
「――あ、うん、わかった。大丈夫、安心してよ。そこんとこは、何とでも誤魔化せるから」
龍ヶ崎十八の自信満々なサムズアップと、肩から感じる温かいぬくもりに、わたしは微笑みを浮かべながらフッと意識を失った。
安堵したことで、貧血と激痛、極度の疲労が襲い掛かってきたようだ。
虎尾市の中央に位置して、市役所の真横に建っている県内屈指の大病院――虎尾総合病院。
総合診療科を中心に、あらゆる病状の人を幅広く受け入れる大病院である。1000を超える病床数を誇り、県内で唯一の高度救命救急センターを擁するこの大病院は、今日もまた様々な事情を持った患者で満員御礼だった。
さて、そんな大病院の敷地内にあり、市役所とは逆側に面した立体駐車場に併設して、八階建ての隔離された閉鎖病棟がある。
この閉鎖病棟は、一階から四階までが緩和ケアセンターになっており、五階から七階までが精神病棟として機能していた。なお、四階までのフロアには、リハビリ用のウエイトトレーニングルームや、温水プール、本物の植樹がされた庭園が用意されており、病院とは思えない構造をしている。
ちなみに閉鎖病棟とは、常時出入口が施錠されており、自由な出入りが禁じられた病棟のことである。
その閉鎖病棟の八階、副院長以下の権限ではセキュリティを通ることが出来ない特別な病室、その一部屋で、わたしは薄ピンク色の病院着になって寝かされていた。
「嗚呼――ここが噂の……特権階級だけが利用できる、虎尾総合病院の闇……特別病室、なのですね?」
「……その噂は知ってるけど、一応、説明させて。ここが特別病室であることは事実だけど、特権階級だけ、って表現は違うよ。正確には、俺ら『護国鎮守府』の関係者、もしくは、理外の存在専用の病室さ」
先ほど目が覚めてから、わたしは退屈を紛らわすように、矢継ぎ早で龍ヶ崎十八に質問を繰り返している。それは今の状況とは全く関係ない質問も含めてであり、かれこれ一時間以上、そんな下らない質問ばかりしていた。
しかし、それを少しも煩わしそうにせず、龍ヶ崎十八はわたしの質問に一つ一つ丁寧に答えていた。
わたしの質問はそれこそ思いつく限りで、例えば、どうやってわたしをここまで運んだのか、から始まり、為我井優華の容態であったり、龍ヶ崎十八と九鬼連理の関係だったりする。
「護国鎮守府の存在や、理外の存在は、世間的には秘匿されてるからね。ここで絶対にバレないよう隠れて治療してるんだよ」
龍ヶ崎十八は言いながら、チラと病室の入口に視線を向ける。都合、八度目になるその所作を見て、わたしは、これ見よがしに溜息を漏らす。
「――十八くん。それで? いったい何時になったら、九鬼さんは戻ってくるのでしょうか? わたしは別に、十八くんにだけ事情を説明したって良いのですけれど?」
わたしはジト目を向けながら、非難じみた口調で言った。それに対して、龍ヶ崎十八は申し訳なさそうに顔を伏せた。
実のところ、今この時間というのは、どこかに消えた九鬼連理待ちの不毛な時間である。
わたしが平成の切り裂きジャックと戦った事情、その過程、姿を見ていない水を操る女の話など、経緯を説明しようとした時、龍ヶ崎十八が『連理を待ってくれないか』と懇願するもので、致し方なく本題に入らず待っているのだ。
だというのに、一向に当人である九鬼連理が戻ってこないので、いい加減苛立ちが募り始めている。
「九鬼さんは、いったい何をしているのでしょうか? そもそもどうして、九鬼さんにも説明する必要があるのですか?」
「あ、うっ――ご、ごめん。もうちょっと……もうちょっとだけ、待ってよ。え、と――ほかに、何か質問とかは?」
「はぁ……そう、ですね……十八くんたちは、護国鎮守府内ではどれくらい強いのですか? 序列とかあるのですか? 九鬼さんと十八くんでは、どちらの方が強いのですか?」
わたしはパッと口を突いて出た疑問を、そのまま適当に問うた。
その質問は龍ヶ崎十八にとっては意外だったようで、一瞬面食らった表情を浮かべると、次いで、悩ましげに口元に手を当てる。
「……強いか、弱いか……か。考えたこと、なかったなぁ……どうかなぁ? そもそも俺と連理は、鎮守格の代表だし……序列も同じだったから……純粋な実力も、比べたことないしなぁ」
「組み手などはしないのですか?」
「いやぁ、しないね――けど、たぶん、模擬戦なら連理に軍配が上がるけど、殺し合いなら、俺の方に軍配が上がるかも……あ、それは能力の差でね? 俺は治癒能力って特殊な異能があるから、その点で有利だし――」
「まぁ、そうでしょうね。それで、護国鎮守府内では如何ほどなのでしょう?」
「あ、うん。俺や連理は、鎮守格十二家の代表だから、最低でも上から数えて十二番目で、最高でも上から数えて三番目かな? 鎮守格同士に序列はないから、そういう意味じゃ、護国鎮守府内の序列は、第壱戦斗部の最高幹部って位置付けかな」
サラリと答えた龍ヶ崎十八の言葉に、わたしはふと疑問を感じる。
「……鎮守格十二家というからには、少なくとも十二名ほど居るのは理解しましたし、互いに腕比べをしていないのであれば、実力の程は定かではないのでしょうけれど……最高でも上から三番目、というのはつまり、頂点と次点は、語るまでもなく分かっている、と言うことでしょうか?」
龍ヶ崎十八と九鬼連理が、鎮守格十二家なる家門の頂点、最強者であることは、今までの会話から理解出来た。わたしと同い年というのに、名のある家門を率いる代表で、且つ、家門最強を誇ることは、尊敬の念を禁じえない。
けれど、そんな実力者が、何の疑念もなく格上と認める存在が居ることは驚愕だった。
正直、龍ヶ崎十八も九鬼連理も、認めたくはないが、今のわたしより格上の存在である。それ以上の強者を想像すると、脳裏に巫道サラの満面の笑みが浮かんだ。
「あ、そっか……まだ逢ったこともないもんね。うん、そうだよ。護国鎮守府の最強は、紛れもなく虎姫さ。歴代最強の【魔法具】を継承した後継の魔女であり、同時に、鎮守格の一つ『虎尾家』の代表――」
「――おい、十八。何を勝手に、本人の許可なく虎姫の紹介をしてるんだよ?」
「……自己紹介くらい、ボクは自分で出来る」
傍らの龍ヶ崎十八に集中していたからか、口を挟まれるまで、扉が開いたことに気付けなかった。
わたしは慌てて声の方に顔を向ける。話の腰を折られた龍ヶ崎十八も、やっとか、と呆れた顔を浮かべて、闖入者たちに顔を向けていた。
扉を開けて立っていたのは、待ち人である九鬼連理その人である。
赤茶けたショートカット、片耳にだけ付けたイヤリング、健康的な肌色に同性も見惚れる美貌。九鬼連理は、私立六花高等学校の制服を着たまま、腕を組んで鋭い視線をわたしに向けている。
そして、もう一人。
そんな九鬼連理に護られるようにして、その隣にチョコンと立っている美少女がいた。
美少女は、薄い蓬色に花柄を散らした和服を着ており、九鬼連理と比べてだいぶ小柄だった。頭二つ分は身長が低いので、恐らく百五十センチほどだろう。
体格は細身だが、見事に和服を着こなしているので、なんら違和感のないスタイルをしていた。
「キミが、噂の鳳仙綾女くん?」
美少女は若干イントネーションのズレた発音をしながら、九鬼連理を押し退けて一歩前に出た。
わたしはその美少女の顔をマジマジと見詰めて、思わず、ほぅ、と感嘆の溜息を漏らす。それほど、美少女の相貌は可愛らしかった。
美少女は前髪を右に流してオデコを出しており、後ろ髪を一つにまとめてアップヘアにしていて、驚くほど白いうなじを見せている。きめ細かい肌にはシミそばかすは皆無で、蝋人形か、とツッコミたくなる美しさだった。目はパッチリ、眉はしっかり、鼻の形は細く整っている。
「自己紹介しよう――ボクは、キミたちが話題にしてた『虎姫』こと、虎尾秋姫。護国鎮守府、第壱戦斗部所属、鎮守格十二家が一つ、虎尾家の代表だ」
ボクっ子の美少女は、ツンと澄ました顔で胸を張りながらそう自己紹介していた。
虎尾秋姫――なるほど、略して虎姫か。
猛々しく凛々しい名前と可愛らしい外見のギャップが強過ぎて、わたしは少しだけ混乱してしまった。虎尾秋姫の特徴は、姫は姫でも、女王然としたものではなく、雛人形のお姫様という表現こそピッタリの姫だった。
「六花高等学校、宗教科に通う一年生。虎尾家一子相伝【影虎流】免許皆伝で、若き総代。自他共に認める不世出の天才美少女だ――キミは?」
独特なイントネーションと、意味の分からない演舞を披露しながら、しかも自画自賛をふんだんに織り交ぜた台詞を吐いて、虎尾秋姫はわたしをビシっと指差した。
自分に酔うタイプのメンヘラに思える所作だが、その仕草の一つ一つは流麗で、まったく隙が無い。しかもよくよく見れば、体幹を少しもブラさず踊っていた。間違いなく九鬼連理たちと同程度か、それ以上に身体能力は高いのだろう。
「……初めまして、虎尾さん。わたしは鳳仙綾女。県立三幹高等学校二年生、【人修羅】蒼森玄の後継者で、正統な乙心一統流継承者です」
「知ってるよ――じゃ、これで自己紹介は終わり。面通しが済んだところで、本題に入ろう?」
わたしの紹介を軽く流して、虎尾秋姫は部屋の隅から椅子を出して座った。
その自分勝手な振舞いに苦笑しつつ、九鬼連理は出入口を封じるように扉を背にして、腕を組んだままわたしを見やる。
わたしはそのあまりにも自分本位過ぎる連中に苛立ちを隠さず、二人に強烈な殺意混じりの睨みをぶつけてから、まだ話は終わっていない、とばかりに龍ヶ崎十八に話し掛けた。
「十八くん。護国鎮守府最強が、そこに座っている可愛らしい虎尾さんだと仰いましたが、それは本当ですか? まぁ本当だとして、次点の方と言うのは、どういった方でしょうか?」
わたしの質問に、ピシリ、と室内の空気が張り詰めたのが分かった。ちなみに、張り詰めさせたのは余裕じみた笑顔を浮かべている虎尾秋姫である。
ほぅ、とわたしは心の中で感心する。虎尾秋姫は言うだけあって、確かに天才に違いない。強者が複数居るこの空間の空気を、一瞬にして自らの支配する空気に変えたのだ。
「ボクさ、無視されるのは好きじゃないし、馬鹿にされるのも好きじゃない。必要だったら、実力分からせるけど――どうする?」
「それは、是非に――売られた喧嘩は、もちろん買わせて頂きますよ?」
虎尾秋姫が言いながら、音もなく椅子から立ち上がる。いっそう室内の空気が重く、息苦しくなった。凄まじい威圧が放たれている。一触即発の空気だ。
けれど、それを制するように、慌てた様子の九鬼連理が、わたしと虎尾秋姫の間に割り込み、両手を広げて、どうどう、と宥めた。
「おいおいおい、虎姫。んなのは後にしろって――言っといたろ? この市松人形ちゃんは、狂犬だから誰にでも噛み付くってよ。いちいち、んなことで反応してたら、淑女にゃなれねぇぞ?」
「……綾女さん。綾女さんも察してると思うけど、虎姫は強いよ? ただ、持病があって長時間起きてることが出来ないんだ。だから――」
「――トーヤッ!! 黙れっ!!」
龍ヶ崎十八に最後まで言わせず、虎尾秋姫は静かに怒鳴った。
口調は鋭く厳しく、殺意と覇気が篭められていた。その怒鳴り声はまるでナイフのようで、声だけだったが、充分にその場の全員を黙らせることに成功する。
流石のわたしも、声に篭められた威圧に一瞬たじろいで、二の句が継げなくなってしまった。
「アヤメくんさ。ボクも大概だけど、キミの態度も大概、不愉快だよ。だから、キミのご要望通りに事情聴取した後で、模擬戦をやってあげよう。そこで嫌ってほど、実力差を理解させてあげる――さて、そうと決まれば、早速本題に入りたいとこだけど……まぁ、このノリで出血大サービスしてあげるよ。キミの質問、護国鎮守府最強と次点について、ちゃんと教えて上げよう」
場が静まり返ったところで、威圧を少しだけ緩めて、虎尾秋姫が静かに語り出した。
「まず、鎮守府の最強はボクで間違いない。ボクは史上最年少で影虎流を修めた天才であり、四属性の魔術を習得している魔術の申し子であり、現存する魔法具の中で最強の攻撃力を誇る【太陽の錫杖】を引き継いだ後継の魔女であり、魔女の序列では、上位に数えられる美少女さ。ちなみにどれくらい強いかって言えば、魔術抜きの体術だけでも、S級危険人物と同格……トーヤとレンリ二人掛かりでようやく互角、ってとこかな」
それは自惚れが過ぎる、とわたしは心の中で毒づいた。
戦わずとも虎尾秋姫が強いのは理解できるが、それでも化物じみた潜在能力を持つ九鬼連理と、本気でなかったとはいえ、わたしを投げ飛ばした龍ヶ崎十八を二人同時に相手取れるほどとは思えない。
しかし、わたしのそんな疑念は、龍ヶ崎十八と九鬼連理の納得した様子の頷きに否定された。
「――ま、互角ってのはオレらに花持たせすぎだけどな」
九鬼連理のその呟きで、少なくとも二人は、虎尾秋姫の言葉が真実だと認めているようだった。思わずわたしはその得体の知れぬ強さに武者震いしていた。
さて、そんなわたしの内心は無視して、虎尾秋姫は続ける。
「で、鎮守府の次点か――そうだね。ボクの所感では、ボクの次に強いのは『神鳴家』だと思うんだけど、違うかな?」
虎尾秋姫が龍ヶ崎十八に首を傾げる。神鳴家、と言うのは、恐らく鎮守格十二家の一つだろう。わたしは聞き覚えのない名前だった。
龍ヶ崎十八は力強く頷いた。
「うん。俺も神鳴天火先輩だと思ってる。天火先輩の強さは、ちょっと異常だし……連理も、そう思うだろ?」
「つか、むしろ、天火姉さん以外で、虎姫に匹敵するヤツなんざ居ねえよ」
神鳴天火――その名称に、龍ヶ崎十八、九鬼連理、虎尾秋姫は三人とも、当然と納得していた。
しかも、名前の響きから男性かと思ったが、会話から察するにどうやら、年上の女性であるらしい。この三名が即答で強いと答えるほどならば、よほどの強者なのだろう。
なるほど、聞けば聞くほどこの世界には強者が多く潜んでいるらしい。
わたしは武者震いするのほどの歓喜に、人知れずほくそ笑んでいた。




