第49話 満月の冬の夜
【第一部】心の扉―始―
今夜は師走の冬至。
栄善の誕生日──
夕食を済ませ、今日の仕事を終えた私は、お城の庭にある池のほとりに立っていた。
ここは、あの日、栄善のことを想いながら静かに涙を流した場所。
あのときは晩秋だったけれど、冬の夜の冷気は吐く息を白く染め、胸の奥まで沁みていった。
「もう少し厚着してくればよかったかな……」
手に息を吹きかけ、そっと温める。
なぜ私が今ここにいるのかというと、小梅姫に頼まれてのことだった。
小梅姫に話しかけられたとき、初めは少し驚いてしまったけれど……
ほんの数分前のこと──
仕事を終えて自室に戻ろうとしていた私に、ふと声がかけられた。
「笠原トワさん、ですよね?」
振り返ると、小梅姫がそこに立っていた。
「えっ……」
私は、まさか小梅姫に話しかけられるなんて思っていなくて、戸惑ってしまった。
「ごめんなさい……急に驚かせてしまいましたよね。実は、トワさんにお願いがあって……」
困ったように両手を添えて、そう口にする小梅姫。
「トワさん、料理が苦手だと聞きました。でも、このお城でトワさんの作る料理を日々いただいて、苦手でも努力すれば料理ができるようになるんだと、希望が持てました」
「え、あの……」
「だから、その……私に料理を教えてほしいんです!」
……え?
小梅姫の突然のお願いに、私は思わず肩の力が抜けてしまった。
「ごっ、ごめんなさい……変なことを言ってしまって。私も料理が苦手なんです……」
小梅姫は俯き、悲しそうにそう言った。
「私、栄善の妻になるのに、愛する夫に料理も作れないなんて……やっぱり妻として、時には私の手料理も食べてもらいたいんです」
そう言って、頭を深く下げる小梅姫。
「栄善の妻」という響きに、胸がチクリと痛んだ。
でも、栄善の隣に立つのは小梅姫なのだから、私が協力しない理由なんてない。
それに、料理が苦手な気持ちは、とてもよく分かるから。
「こ、小梅姫、顔を上げてください。私でよければ、もちろんですよ」
私にずっと頭を下げている小梅姫を見て、申し訳なくて、私は手をあたふたさせながら口を開いた。
「トワさん、本当ですか!?」
私の言葉に、小梅姫の表情がぱっと華やいだ。
そして彼女は、そっと私の両手を握る。
「トワさん、本当にありがとうございます。こんなことをお願いしてしまって申し訳ないのですが……今日は栄善の生まれた日でしょう?だから、記念に今夜食べてほしくて……夜も遅いですし、無理を申し上げているのは分かっています。でも、もしトワさんがよければ、今夜お願いしてもいいでしょうか?」
ふふっ……小梅姫も乙女だな……
「もちろんですよ。一年に一度の大切な日ですし、今夜作りましょう」
「トワさん……ありがとうございます。それでは、私は着物を着替えてきますね。少ししたら、お庭の池のほとりで待っていてもらえませんか?今、厨へ行くと、何かしているところを誰かに気づかれてしまいそうで……それが少し恥ずかしくて……」
確かに、まだ今のうちは、お菊さんや私が厨にいる頃合いだ。
それに、遅めに食事を取られる方もいらっしゃるから、何を作るかも含めて、別の場所で決めてからの方がいいかもしれない。
「はい、わかりました。それでは、私は池のほとりでお待ちしていますね」
*
そして──今に至る。
やっぱり小梅姫は、華やかでとても美しい方だった。
私は、お菊さんが優しく丁寧に教えてくださったおかげで、苦手だった料理も少しずつではあるけれど、できるようになった。
苦手な料理を、みんなが「美味しい」と笑顔で食べてくれるのは、本当に嬉しいことだった。
だから私も、小梅姫に分かりやすく丁寧に教えたい──
そして、小梅姫が作った料理を、栄善に「美味しい」と喜んでもらえるように……
私にできることは、精一杯尽くそうと思った。
小梅姫は、まだかな……
着物だから、着替えるのに時間がかかっちゃうよね。
私は、ふっと夜空を見上げた。
今夜は満月なんだ。
冬至の頃って、確か三日月や上弦の月だったような……珍しいな。
……あ、そうだった。
この世界は、私のいた世界とは違うのだから、そんなことも不思議ではないんだった。
この世界の居心地が良すぎて、つい忘れちゃうな……
満月、綺麗だな……
夜空に輝く美しい満月を、ただ静かに眺めていた──
そのときだった。
「トワ!!!!」
愛しい人が、私を呼ぶ声が聞こえた。
久しぶりに聞いた、私の名前を呼ぶその声。
振り向いた私の視界に飛び込んできたのは──
愛しい人の、大きな背中だった。




