第47話 影と香 御誕辰の刻【栄善編】
【第一部】心の扉―始―
本日は、私の御誕辰祭。
朝からの式典も無事に終わり、城内は落ち着きを取り戻していた。
私は今、小梅とともに夕食の席についている。
婚約が決まったあの日から、目まぐるしく回る日々……
いつの間にか今夜を迎えていた。
──華礼の式のあの日。
過去の悲しき記憶が蘇る。
なぜまた……何が目的なのだ。
なぜ数年の時を経て再び私たちの前に現れたのか。
──路傍斬り。
またしても朽葉ノ国で……
顔は覆われ、闇の奥で目だけがこちらを見据えていた。
手首に刻まれた黒百合模様の入れ墨。
それは、かつて城の者たちを襲った人物と同じ印であると見て間違いないだろう。
無差別に通りすがりの者を狙うと思っていた。
いや、そう信じて疑わなかった。
だが、あの視線を思い出すたび、私は疑わずにはいられない。
狙いが最初から定まっていたのではないか……?
そうなれば、本来狙うべきは私のはず。
それなのになぜ、またあいつが狙われたのか……
やはり私の近くにいたからなのだろうか……
哀伝が路傍斬りを取り押さえるのを見届け、私は城へ戻るように命じた。
だが、城に戻った私たちを待っていたのが、あのような出来事だとは──
私の問いかけに路傍斬りが口にした、あの言葉。
あれは一体……どのような意味を持っていたのだろうか。
それに、まさか──あんなことが起こるとは……
私が今まで行ってきたことは、本当に正しかったのだろうか。
何を信じればいいのか。
そして自分自身を信じてよいのかさえ──私にはもう分からなくなっていた。
「栄善、食べないの?」
小梅にそう声をかけられ、私ははっとして夕食に手を伸ばす。
「……あぁ、食べるとしよう」
私は今夜の御品書きに目を通す。
一筆一筆に心が込められているのが伝わる。
丁寧で、清らかで、美しい文字。
そして──じゃがいもの絵。
見ているだけで、胸の奥に温もりが広がる。
私は御品書きに込められた想いを感じ取りながら、その紙をゆっくりと撫でる──
この紙が高級な和紙だと知ったときの、トワの肩を落とし沈んでいたあの表情を思い返す。
素直に感情を顔に出すトワの姿を想い、私は自然と笑みをこぼした。
私がお願いした御菜──芋きなこ和えと、トワが剥いたじゃがいもの味噌汁。
芋きなこ和えをお願いしたのは、あの日、トワと一緒に訪れた団子屋でのひとときがあったから。
初めてトワと町へ繰り出し、初めて一緒に訪れた店。
美味しそうに団子を頬張るトワ。
口元についたきなこ。
互いの視線が自然と絡み合ったあの瞬間。
すべてがかけがえのない思い出となっている。
「栄善、舞茸ご飯食べないのー?せっかくの舞茸なのに、冷めちゃうよ?」
「……あぁ、そうだな」
毎年、私の御誕辰祭の夕食には舞茸ご飯が出る。季節の舞茸は風味も香りも絶品で、品のある香りが立ち上がっている。
トワも今頃、食べているのだろうか。
きっと満面の笑みで、幸せそうに味わっているのだろう。
しかし、私が一番楽しみにしていたのは、トワが剥いたじゃがいもの味噌汁──
歪な形のじゃがいもが、彼女の存在をそばに感じさせるようで……
苦手ながらも一生懸命、私のために剥いてくれたのだと思うと、愛しさが込み上げてくる。
「なぁーに、このじゃがいも……すごい形してない?ねぇ、栄善」
「ふっ、そうだな」
小梅がそう言って、私に差し出したじゃがいも。
そして、小梅の手に添えられた漆の箸。
──トワが、客人のことを想って選んでくれた漆の箸。
私にとっては、どうしようもなく、そのすべてが愛おしく思えた。
トワと二度目の町。
『……トワ。其方も私のことを……あ……』
町の人たちに「愛されている」とトワが私に告げてくれたあのとき、私は言いかけた言葉をそっと飲み込んだ。
そして、トワと口づけを交わした日……
トワ……
君に「愛してる」と──
そのたった五文字の言葉が、どうしても言えなかった。
こんな臆病な私を、どうか許してくれないだろうか。
あの言葉を口にしてしまえば、この想いは溢れ出し、もう戻れなくなる気がした。
すべてを投げ打ち、欲望のままに君と二人で歩む道へと──
それでも。
国を治める殿である以上、国の者たちの命を背負う身である以上、私はその一言を紡ぐことができなかった……
胸の奥が熱くなるのを感じながら、私は箸を握り直した。
その想いがあるからこそ、私は御礼すら口にできずにいる。
それでも──感謝の気持ちをどうしても伝えたい……
今宵は私の御誕辰祭。
一目、トワの顔を見ることくらいは、どうか許されてほしい──
心の片隅で、そっと君に想いを寄せる。




