第41話 言葉なき誓い
【第一部】心の扉―始―
私の体は強引に引っ張られ、足元がふらつく。
目の前には、栄善の大きな背中。
「栄善……!」
驚きと共に、その名が口をついて出る。
けれど栄善は私の声が届いていないのか、何も言わず、ただ力強く前へ前へと進んでいく。
私はただ必死にその背中を追った。
そして、気がつけば私の体は栄善によって無理やり室内へと引き込まれていた。
ここは──栄善の自室。
広く落ち着いた空間だったけれど、今はその静寂が胸の中に響き冷たく感じられた。
栄善の鋭い眼差しが私を捉える。
「あの場所で何をしておったのだ!」
その声は、何かを必死に抑え込もうとするような、震えるような響きがあった。
両腕を掴まれ、鋭い痛みが走る。
「栄善……痛い……」
痛みが、私の言葉を引き裂く。
しかし栄善はその声に一切応えず、再び問いかけた。
「あの場所で、何をしておったと聞いておる!」
その言葉が、私の胸を締め付ける。
どうしてこんなことを、こんなに冷たく聞かれなければならないのか。
あの場所で、私はただ栄善を想って泣いていただけなのに。
けれどその想いが無視されるような気がして、胸の奥が熱くなった。
「なんで栄善にそんなこと言われないといけないの!?栄善には関係ないでしょ!?」
涙で滲んだ視界で、私は叫ぶように言った。
怒りと悲しみが交錯し、声が震える。
「それに栄善、婚約するかもしれないんだってね!!対縁の儀が今度あるんでしょ!?私と出会ったときから決まっていたなら、最初から思わせぶりなことしないでよ!!」
頭では分かっているのに、心とは裏腹に言いたくもない言葉が次々と口から飛び出してしまう。
栄善はそんな思わせぶりなことなんてしない──そんなこと、栄善と過ごしてきて分かっているはずなのに……
「トワ……私は、その……」
栄善の表情は、辛く痛みをこらえているようだった。
ごめん、栄善……
私、そんな顔を栄善にさせたくなかったのに……
栄善の立場や彼が抱えているものを理解しているはずなのに……
今、私はその言葉の先を聞きたくないと思っている。
そんな自分が情けない。
何も言わず、ただ俯くことで目の前の痛みから逃げたかった。
「トワ……すまなかった。顔を上げてくれぬか……」
栄善の手が、私の頬にそっと触れる。
そして、優しい口調で静かに言った。
「対縁の儀は、許嫁同士が顔を合わせ、縁を結ぶに相応しいかを見定める儀式なんだ。……私はその日、縁談を断るつもりだ」
え……?
栄善の言葉に驚き、俯いていた私は思わず顔を上げた。
すると栄善は、先ほどまでの辛そうな表情ではなく穏やかな笑みを浮かべていた。
「トワ……私は、しきたりなどに縛られず、自由に自分の気持ちの赴くままに生きてゆきたい……」
「……栄善」
昨日、栄善が言っていた言葉が耳の中で鮮明に響き渡る。
『しきたりなどに縛られず、自由に、自分の気持ちの赴くままに生きてゆく……そんな未来を願っている』
『この国のすべての人々が、自分らしく、自由に生きられることを望んでいる』
この決断、縁談を断るという選択にどれほどの覚悟があったのかと思うと、心が激しく揺れ動くような気がした。
先ほどまでの自分の弱さが胸に突き刺さり、深い後悔と共に、痛みが押し寄せてきた。
栄善はこの国のお殿様として、数え切れないほどの責任を背負っているというのに……
「ごめんなさい……栄善。私、栄善の気持ちも考えずに無責任なことを言ってしまって……本当にごめんなさい……」
出てきてほしくないのに、涙が止まらずにあふれ続ける。
栄善はその涙を優しく拭ってくれた。
「トワ、私の方こそ取り乱してしまいすまなかった……トワの話も聞かずに。それに……悲しませてしまった」
「ううん……そんなことないよ」
柔らかな空気が流れ、お互いの瞳が自然に絡み合う。
大きな手が私の頬を優しく包み込む。
その温もりに触れ、張り詰めていた心が少しずつほどけていく。
栄善の顔が少しずつ近づいてきて──
私はそっと目を閉じる。
あたたかな感触が、私の唇に優しく触れる。
静かに交わされた口づけが、心を満たし、身体全体に広がっていく。
その幸福感が私を包み込み、心まで溶けていくようだった。
お互いに「好き」や「愛してる」という言葉は口にしなかった。
なぜかその言葉は、言ってはいけない気がした。
言ってしまうと、もう戻れなくなる気がしたから。
栄善もきっと、そう感じていたんだと思う。
言葉にしなくても、私たちは心で繋がっている。
静かな空間の中で、すべてが伝わった気がした。
──***
晴れ渡る空、心地よい風が吹いている。
まるで、みんなの心を映すように。
私の心も、すっかり晴れやかだった。
栄善の選んだ未来を、私は静かに受け入れた。
対縁の儀が無事に終わり、城内は祝福の雰囲気に包まれている。
栄善と小梅姫が婚約をした──




