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第34話 秋風の記憶

【第一部】心の扉―始―

山茶花(さざんか)が揺れる岸辺で過ごすこのひとときを、ゆったりと味わっている。


「この空間、本当に素敵だよね。きっとこれから、山茶花や山茶花団子を見るたびに、今日のこの時間が忘れられない記憶として心に残るんだろうな……」


「……あぁ。きっと忘れられないだろうな」


そう言って栄善(えいぜん)は静かに微笑んだあと、山茶花を見つめたまましばらく黙っていた。


「トワ……山茶花や山茶花団子を見ると思い出す、忘れられない記憶があるんだ」


栄善のその表情から、とても大切な記憶として、心に残っている出来事なのだと感じた。


「私が養子として引き取られることになった理由が、その時期に跡取りの者が亡くなったばかりだったという話は、先ほども少し触れたが……その者は生まれつき身体が弱く、寝たきりであったそうだ」


「……そうだったんだ」


その話を思い浮かべると、胸の奥が切なく痛むようだった。


「名を蛍火(ほたるび)というのだそうだ。哀伝(あいでん)杏歌(きょうか)は、年も変わらぬゆえ、よく話を交わしていたという」


「蛍火さん……なんてあたたかい名前なんだろう」


「私もそのように思う。蛍火は、寝たきりであったゆえ、一度も外に出たことがなかったそうだ……それでも蛍火は、自分の足で外を歩き、さまざまな場所を走り回りたいと願っていたと聞いた」


胸の奥に、深く響く何かを感じた。


「あるとき、蛍火は山茶花団子を目にして心を奪われたそうだ。山茶花団子やその箱に描かれた色とりどりの山茶花を見て、外の世界にはこんなにも美しい光景が広がっているのかと……」


実際に目の前に広がる山茶花を見ていると、蛍火さんが山茶花団子やその箱の絵に心を奪われた想いが、まるで自分の胸にも染み込んでくるように感じる。


「そして夢ができたという。箱に描かれているような美しい山茶花の景色の中を、自分の足で歩き、この目で見ることを心から楽しみにしていたそうだ。山茶花団子も、その彩りとまろやかな風味に魅せられ、大変気に入っていたと聞く」


その想いが、胸に密かに、優しく広がるように感じられた……


「しかし、その願いは叶わなかった……生涯、一度も外の世界に足を踏み入れることなく、山茶花を目にすることも……亡くなる最後の年には、山茶花団子も口にすることができなかったそうだ……」


蛍火さんのことを想うと、言葉にならない静けさに包まれた。


「当時は財政が厳しく、餅米の仕入れ状況によって、山茶花団子は一日だけしか販売されなかったようだ……」


淡くやるせない感情が、心の片隅でそよぐように息をついた。


「そのことは、養子として迎えられ、二人と打ち解けた後に、杏歌から教えてもらった。そして杏歌に言われたんだ。私が殿になった暁には、山茶花団子の販売期間を延ばしてほしいと……期間が長ければ、蛍火も食べることができたのかもしれないと……」


栄善は少し息を吐き、目の前の山茶花を見つめたまま、静かに続けた。


「その願いは、私が殿になってからもすぐに叶えられたわけではなかった。交易や外交、勘定の者たち── 多くの者の協力が必要だったからだ。それでも皆の力を借り、少しずつ形にしていくことができた。皆には、誠に感謝している」


「だから今は、晩秋から冬にかけて販売されているんだね。杏歌さんの願いも、栄善の想いも、ちゃんと届いてる気がする。きっと蛍火さんも、喜んでるんじゃないかな……」


「私もそうだと嬉しく思う……」


山茶花団子や山茶花にかける想いが、私にとって、より一層かけがえのないものになった──


団丸(だんまる)がこのことを知っておるかは定かではないが、この時期になると、団子の見た目の美しさや山茶花の鮮やかな風景には目もくれず、食することにしか集中していなかったが、ある日突然『山茶花団子と山茶花は特別だ』と言うようになったな」


「ふふふ、なんだか団丸らしいな」


山茶花団子と山茶花には、時を越えても変わらぬ特別な想いがそっと宿っているのだと、胸に刻まれた。

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