生還
翌朝。
夜明けとともに、俺たちはようやく宿場町へと辿り着いた。
疲労困憊とはこのことだ。兵たちは地べたに座り込み、ほとんどが動けなくなっていた。目的地に着いた安堵から緊張が途切れ、動く気力が一気に抜け落ちたのだろう。
そんな俺たちを迎えるために、町の中心部では炊き出しが用意されていた。これはカイルが手配してくれたようだ。単なる塩味が利いただけの麦粥だったが、涙と鼻水を垂らしながら、麦粥を啜る兵の姿がそこかしこにあった。
だけど俺はその感動を共有できない。なぜなら怪我の治療をしなければならないからだ。
「ふ、ぐ、んんん! ぎ、う、んん!!」
俺も涙を流し鼻水を垂らしながら、金創医の治療を受けている。
度数の高い酒で傷口を洗い流された時は、脳天まで痛みが昇ってくるかのようだった。
薬草を練ったような軟膏を傷口に押し込まれると、冷や汗が噴き出し、肺の奥まで痛みが広がるようで息をするのも苦しかった。
しかし、それらはまだ許容できる痛みだった。
「むむむ! うぅ! んんんんんっ!」
だがこれは無理だ。
麻酔なんかなく、肌をさす太い針と、太く如何にも強度がありそうな糸。これで背中の傷を縫われている。
口に押し込まれた布を噛み締め、ひたすら痛みに耐える。だが、そんな健気な意識とは無関係に体が何度も跳ね、意思とは関係なく悲鳴が漏れる。この体がいくら痛みに強くても、限界はある。
声を抑えることができない。針が肌を刺すたびに激痛が走る。失禁していることに気が付くが、だからと言ってどうにもならない。
「あともうちょっとだ、我慢しろ。漏らしても誰も馬鹿にはしねぇからそのまま出しちまえ。おいヴィクター! もっと強く抑えろ! 体が動いてるぞ」
「んんんんん!!」
「あ、ああ。すまない。しかし、これは見ていてつらい……」
「そりゃあ、剣術ばっかで戦場にでなかった弊害だぜ。これはまだマシなほうだ。ロクな道具もないのに手足を切り落とすほうがもっときついぞ」
「む! むっ! う! うぅ!!!」
「む……そうだな。なら多少はマシか。今のうちに慣れておくことも必要だな」
そんな話を聞かされるこっちの身にもなれ!
死ぬほど苦しい! いや、死なないのは分かってる。だけど、この痛みはたまらない! 頼むから、見世物みたいにしないでくれ!
当然、そんなことを口にできるはずもなく、ただひたすら耐えるしかなかった。
そしてようやく治療が終わり、俺は解放された。
顔は涙と鼻水で汚れ、下半身は垂れ流された尿で濡れている。安堵の息が何度も漏れ出し、うつ伏せながらも胸が上下しているのを自覚できた。
「医師殿。その仕事ぶり、お見事。治療を必要としているものは多い。そちらも頼む」
「分かりました、次にいきましょう。お嬢さん、骨までズタズタってわけじゃない。剣が肩甲骨で止まってくれたのは運が良かったな。筋肉は裂けてるが、縫っときゃくっつく。しばらく無茶しなきゃ、歩くくらいはどうにかなるだろう」
「は、はひ……」
言葉が上手く出せない。でも何とか返事ができた。
ヴィクターと医師は他のベッドに寝かされている負傷者のところに向かって行ったようだ。俺の悲鳴がその負傷者に恐怖を与えていないか少し心配になるが、そんな思考ができるのは余裕がある証拠か。
地獄のような時間だったが、こうしてまだ意識を保っていられるのは、もしかすると俺が結構タフだからなのかもしれない。
とはいえ、そんなことは関係なく今までの人生で一番の激痛だった。靖彦としても、リーナとしても、これが人生で一番体力を消耗したと思う。
「おう、なら行くぞ。次の負傷者もすぐに運ばれてくる。このまま持っていくからな」
ヴァルガが治療台に寝かされている俺の体を、下から手を差し入れそのまま持ち上げるようにして外まで連れて行く。
上半身裸なんですけど……はは……もう、どうにでもなれ……。
恥ずかしく情けない姿を皆に晒しているのは分かるが、どうでもいい気分だった。
そして連れてこられたのは街の中央広場だ。ここでは食事を終えた兵士たちが思い思いに休んでいる。これからすぐに出立となるから、最後の休憩だ。
広場の中の空いている一画に座らされた。この背中の傷では何かに寄りかかることができない。これは地味だが相当しんどいぞ。
「ほら、お前の服……を着るにはまだ痛みが辛いか。ならこの布でも体に巻いてろ。洗濯したての布だ。清潔で綺麗な服しか着たくないんだったよな?」
「うん。不潔な服でも着て傷が化膿したら嫌だから。雑菌……って言っても分からないか。とにかく汚れているのは駄目だ」
「医学の知識でもあるのか? それは気になるから後で教えてくれ。なら洗濯したての服を調達してくる。少し待ってろ」
そういってヴァルガは治療をしていた建物に入っていった。
なんというか、面倒見がいいな。
俺の裸を見てにやついてる時もあれば、今回みたいにそんなことには目もくれずに世話をしてくれたりもする。
一応、俺はヴァルガにとって妹弟子だ。だから同じグレン先生の門弟とも言える。そういう親近感でもあるのかな?
傷口の鈍痛に耐えながら待っているとヴァルガが服を持ってきた。体に合うサイズではなさそうだが、頑丈な布地で、確かに清潔そうな見た目だ。
「ほら、これを着ろ。傷の痛みはあるだろうが、裸ってのは困るだろう。その前に包帯か。金創医が忙しくなければ治療所で巻けたんだろうが、この状況じゃ仕方ない。俺が巻いてやるからじっとしてろよ」
ヴァルガは服と一緒に持ってきた包帯を、躊躇なく巻き始めた。
やはり慣れている。流れるように包帯を巻く、その手付きに淀みはない。
「慣れてるのか? 応急処置の時もそうだったけど」
「まあな。俺が傷を負うなんて滅多にない。だから他人の傷の処置ばっかり上手くなっちまった。動ける奴が治療を担当するからな」
イヴリンと戦っても無傷だもんなぁ……それは今回の戦いでもそうだし、強すぎだろマジで。
「最近食らった傷といえば、お前んとこの主の嬢ちゃんの光くらいか? あれはやばかった。死ぬかと思ったぜ」
「俺は直接は見てないんだよな。お前に殺される直前で目を瞑ってたからさ」
「そんな厭味ったらしい声を出すなよ。あれが俺の仕事だ。まあ、恨むなとは言わんがな」
「……そうだな。俺が悪かったよ。でもどうやって避けたんだ? エリック様が言うには瞬く間もなく出てきた光って話だけど」
「それはな……っと、包帯はこんなもんでいいか。きつくねぇか?」
適度に締め付けられるように巻かれた包帯によって、痛みが軽減されたような気がする。
大分楽になったかな? うん。これなら体を動かすにしても、少しは我慢できそうだ。
「助かった。いつつ……うぅ、服を着るのも大変だ」
大き目のサイズのゆったりとした服で、首元が大きく開けている。
着るだけなら簡単だけど、肩を動かすだけで痛みが走るのはやはりきつい。
「それで光の件だよ。どうやって避けたんだ?」
「あの嬢ちゃんがなんかやってくるってのを察知してな。それがやばそうだから、咄嗟に横に避けたんだ。それでも当たっちまった。見てみろ。これだ」
そう言って見せるのは横っ腹だ。そこにある傷は縫い合わせたような跡がまだ残っている。あれからそれほど時間も経っていないから、傷跡が生々しく残っている。
「傷とは言ったが、まるで肉がごっそり無くなったような感じでな。周囲の肉を無理やり寄せて縫い合わせたんだ。傷口自体は綺麗なもんだったから、むしろ治りは早かったが……二度と喰らいたくはない。もう一度避けろといっても同じようにできるか分からん」
そういってヴァルガは服を直した。
「でもさ、それって未来でも予知してるみたいなもんだろ? もしくは敵の心が読めるとかさ。そういう力がないと躱せないよな?」
「そこまで大げさなもんじゃないが、俺は昔から感が良くてな。それを戦いに活かしているんだ。じゃないと流石の俺でもここまで戦うのは無理ってもんだ」
やっぱりそういう力を持っているんだな。
魔法のある世界だから、そういう特殊な感があっても不思議じゃないか。
「無駄話はここまでだ。お前んとこの主の元に行かなきゃならん。動けるか?」
体を動かそうとするけど……駄目だ。力が出ない。
こうして座っているのが限界だ。体力が完全になくなっている。
「すまん。無理だ。あの治療で体力を使い切った」
「なら仕方ない。我慢しろよ」
「え、ちょ、まっ!」
俺の静止の声を無視して、ヴァルガは俺をここまで運んで来た時と同じように持ち上げた。
いわば、逆さのお姫様抱っこ。見た目は間抜けだが、肩の傷に触れることはなく、この運び方は理に適っている。
そのような配慮をされているのが分かったから、黙って運ばれることにする。
そうしてやってきたのは町の外だった。
ここにはたくさんの馬が集められ、体に問題のないものはカステリスへ移動している。
こんな状態だけど、俺もすぐに出立しなければならない。怪我をしているからむしろ急ぐ必要があるとも言える。
「おう! アリオン家の嫡男さんよ! アンタの愛しの侍女を連れてきたぞ」
「む、ヴァルガか。そしてリーナ……随分治療に難儀したと見える」
うつ伏せで地面にしか視界が向かないからエリックがどんな顔をしているか分からない。
でも難儀したって、そのことがなんで分かるんだ?
……もしかして下半身? そういえば小便まみれで汚かった……傷口のことばっかりで忘れてたよ……。
「傷は浅い方だが、結構な長さだったからな。こう、ぱっくりいっちまってたから治療が長引いた。大の男でもこうなるだろうさ。それでどうする? とっととカステリスへ送って安静にさせるのが一番と思い連れてきた。馬は相乗りで使うんだよな?」
「ああ、乗馬できる者たちならばすぐに帰還できるはずだ。この町に辿り着けた負傷者との相乗りになるだろう。言っていて虚しくなるが、歩けないような重傷者は落伍して、ここにはいないからな。なんとか馬の数は間に合うだろう」
負傷者を置いていったのことは知っている。仕方ないことだとはいえ、虚しさは募る。
「乗馬ができない平民兵は徒歩での帰還となる。その援護のための軽騎兵がすぐにこの町に来て撤退を支援する手はずだ。そのような状況だから重い装備は全て破棄する。撤退が最優先だ」
平民兵は徒歩か……援護は出るというけど、全員が撤退できればいいんだけど。
「俺のハルバードは捨てたくないんだがな。装備を捨てるにしても、その保証はできるのか?」
「この撤退戦を支えたんだ。武器の支給はされるだろう。ヴェリウス辺境伯家との交渉はヴィクターと一緒にしてくれ。モラント家に雇われているんだろう?」
「分かった。それで話はもとに戻るが、こいつは誰が連れて行く? アンタやヴィクターはできる限りここに残って撤退を見守るって話だが」
この場合は指揮官が残るのが正解か。
ぎりぎりまで残って兵たちを逃がすのがエリックとヴィクターの仕事というわけだ。
「お前に任せよう。これは別途の依頼となるだろうから、リーナの輸送の報酬はアリオン家から出す。それと護衛の報酬もだな。ヴィクターには俺から言っておくからすぐに出発してくれ」
「通常なら、まずは依頼主の確認を取るが……今回は仕方ないか。それにアンタとヴィクターの仲は知っている。特別だと思ってくれ。それと護衛の報酬はいらん。俺もリーナには助けられたからな」
「そうか? 分かった。それと……リーナ」
エリックが突然俺に声をかける。
こんな態勢で受け答えはどうなんだ?
「はい、なんですかエリック様?」
「お前の言葉は効いたよ。一瞬、腹が立ったものだが、それでも正論だ。兵たちをカステリスまで返さなくてはならない。それを第一に考えるのは当然だ」
「エリック様……」
「セシリアが言っていた。お前は結構厳しいことを言う時があるとな。それが昨日の諌言なんだろう? 俺はそれほど気にしていない。もし諌言が必要と思ったら許す。その時は遠慮なく言ってくれ」
「ははは……少しは気にされてたんですね」
「まあな。あれだけ言われて感情を乱されない者などいないさ」
「確かに、失礼をしました。……失礼と言えば、この態勢で話し続けることの方が失礼だと思いますが?」
「ん? そうだな。だがお前の顔は今、人に見せられるものか?」
涙と鼻水は拭いたけど、逆に言えばそれだけだ。人に見せられる顔じゃない。
「多分ひどい顔をしていると思います」
「なら、カステリスに戻ったらお前の顔を見せてくれ。その時ならば問題はあるまい? ではヴァルガ。リーナを頼むぞ」
その言葉を最後にエリックは俺から離れていった。
俺の生意気な言葉で、エリックが何かを掴めたのなら、それでいい。
とはいえ、だ。
「そろそろ下ろしてくれよヴァルガ。少しは体力が戻ってきた。今なら歩くくらいはできる」
「おう、ほらよ。だが、顔を合わせなくて良かったじゃないか。ひどい顔してるよ、お前」
「ひどい顔って、そんなひどいことを、怪我人に向かって言うなよな」
そんなことを言いながら俺たちは笑いあった。
心の底からではなく、搾り出すような笑いだったが、それでも笑みを浮かべる余裕が戻ってきた。
死地からの生還。それが今ようやく実感となった。
だからこそ、こんな笑みが出るんだろう。




