レイウォル丘陵撤退戦5
さすがにこれは無理だ。避けられない。短槍は確実に俺を貫く。
だけど、掴めたんだ。死を受け入れるということ。刃をその身に受ける覚悟。死中に活を求める、その意味を!
セシリアの姿が脳裏に思い浮かぶ。絶対にあきらめないと約束した。その約束を、今、果たす!
その感情に従い、槍を構える敵に向けて体を捩りなら、投げ出すように前のめりに倒れこむ。
この行動に意味があるのかは分からない。だが、これしかない。何故か分からないが、そんな確信があった。
「何!?」
驚くような声が聞こえたが、その声に反応する余裕はない。
息ができない。内臓が揺さぶられる衝撃に、意識が遠のく。地面に顔から滑り込み、横たわったことだけが、かろうじて分かった。
分かるのはもう、体を動かせないことだけ。このまま俺はとどめをさされて死ぬのか?
そんなことをぼんやりと思いながら時が過ぎた。
そう……時が過ぎた。
「大丈夫か!? リーナ!」
その声とともに、俺の体を抱き起こしたのは……エリックだった。
なぜ……? エリックは中央で指揮を取っているはずだ。ここにいるはずがないのに……?
「どうして……ここに?」
「助けに来たんだ! 敵の狙いが最後尾だけだと判断できた! だからお前たちを! お前を助けるために来たんだ!」
「そう、だったんですね……でも、それっていいんですか? 指揮は誰が?」
「ファルディン家のウィンダミア殿に任せたんだ。だから問題ない。それよりも自分の体を心配しろ!」
「はは……そうですね。でもなんで生きているんだろう? 胸をやられたはずなのに」
胸に触れると、そこには金属のプレートが縫い付けられていた。
防具としてみれば狭い範囲にしかなく、それほど厚みもない。指でなぞれば槍を受けた時にできたと思われるへこみがあった。
そっか。これに救われたのか。
「ヴァルガの装束……これのおかげか」
なんて幸運なんだ。俺はつくづく運がいい。この世界に来て、それだけは自信をもって言える。
でも、確信の正体はこれか。これがあるから体を前に投げ出すことができた。
前に聞いた、攻撃を受けるための金属板。材質は鉄か? そのことを覚えていて無意識で体が動いたんだ。
無意識ってやつも、案外馬鹿にできないものだな。
だけど、そんなことより……これは少しまずい。
エリックはここにいるべきじゃない。指揮を取らないと駄目だろう。
「もう、大丈夫。立てます……」
「無理をするな。お前は俺が連れて行く!」
「駄目ですよエリック様。あなたは指揮官なんだから、俺なんかに構っている場合じゃないでしょう?」
「だが!」
「いいから、離してください……ほら、なんとか動けます」
胸はまだ痛むし、背中もやられていて痛みが走る。
だけど、どうにか体を起こした。この痛みや疲労に強いこの体ならなんとか動く。
そして立ち上がろうとしたその時に、ヴァルガがやってきた。
相変わらず傷一つ負っていない。俺とはえらい違いだ。
「おう、動けるようだな。それと隊長さん。敵は撤退した。ここは凌げたと判断していいだろう」
「そうか。損害は、死傷者はどうなった?」
「五人が死んで、負傷が六人だ。だが皆動ける程度の負傷だから行軍はできるだろう。詳しい説明はアルディス家の騎士にでも聞いてくれ」
そうか。戦いは終わったのか。
死者が出るのは避けられなかったとしても、話を聞く限り重傷者がいないのは運が良い。
というか、もしかして俺が一番重症? 動けるとはエリックに言ったけど、実は結構つらい……。
「そうか。ならばそちらに確認をする。しかしリーナが……」
「ひでぇ傷みたいだな。処置は俺がやる。心得はある」
そう言ってヴァルガが俺の元へ来て傷の様子を確かめる。
「この傷を治療する余裕はない。応急処置として、今は当て布を縛り付ける程度で我慢しろ。手当をするから服を脱げ……と言っても痛みで無理か? 切るしかないな」
「分かった。実際、痛みで服を脱ぐのは無理だ。やってくれ」
つらくて痛いが、この痛みは生きている証だ。あの絶体絶命から生き延びたのならむしろ感謝しなければならない。
こういう時は鋏で布を切るんだったか……? そんなことを考えている間に、ヴァルガが手際よくナイフで服を裂いていた。
高地人の装束が裂かれ、下から給仕服が現れる。首を動かすと、肩が赤黒く染まっているのが見えた。
「いいぞ。あとは俺がなんとかする。そのまま座ってろ」
「頼む。それで……敵は撤退したとか言っていたけど、どうだったんだ?」
「俺が何人か斬ったところで逃げて行った。ヴァルツの野郎は仕留められなかったがな」
圧倒的不利にもかかわらずその戦果か。ヴァルツという『灰色の猟犬』のリーダーも、そりゃあ戦いたくないと言うわけだ。
でもヴァルツを仕留められなかったのは痛手か。
森の中での戦いの時もそうだった。引き際を間違えずに撤退している。
奴はしぶとい。そう簡単には倒せないのかもしれない。
「……む。結構深いな。肩甲骨は無事か? これはちゃんと手当をしないと駄目だが、宿場町までは持つだろう」
そう言って手当をするヴァルガ。その手付きは明らかにこなれている。
その間、ふとエリックをスルーしていたことに気がついた。
エリックは俺の隣に立っていたが、何も言わず、どこか落ち着かない様子だった。
「エリック様。俺のことはいいですから、指揮に戻ってください。それがあなたの務めのはずです」
「それは……そうだが……」
煮え切らない態度。
分かっているんだ。自分がしたことが、決して褒められた決断ではなかったということを。
だからこそ、今言わなければならない。
本来なら俺が口を出すべきではないのかもしれない。それでも、言う必要がある。
「エリック様、もう一度言います。あなたの務めは何ですか? 俺の治療をただ見守ることではないでしょう! ギルバード様から引き継いだ責任から逃げては駄目です!」
「リ、リーナ……」
エリックの顔が驚きに染まっている。
俺がこんなことを言うとは思わなかったという顔だ。
だとしても続ける。今、諫言できるのは、俺しかいないからだ。
「本来なら指揮官が殿への援軍に来るなんて許されることではありません! その決断をする覚悟がなければ指揮官になんかになるな! それが辛い務めであることは、最初から分かっていたはずだ!」
俺の言葉を受けてエリックは目を見開きながら動揺しているようだ。
そして、心の整理がついたのか、ゆっくりと口を開く。
「……ああ。そうだ。リーナの言う通りだ」
「俺のことはいいですから、早く指揮に戻ってください。いいですね?」
「分かった……では、行く」
そう言って去っていくエリックの背中には哀愁が漂っているように見えた。
本来なら、こういうことはカイルが言うべきだった。けれど、今この場にカイルはいない。
だからこの言葉は俺が言わなければならなかった。俺は……アリオン家の使用人なんだから。
「よしっ、これで終わりだ。しかしそこまで言うことはなかったんじゃないのか? 実際あいつが助けに来なければお前はたぶん死んでいたぞ」
「当然感謝はしているさ。助けにきてくれたことも嬉しい。だけど誰かが言わなくちゃいけないことだろう? この場でそれが言えるのはアリオン家の人間である俺だけさ。たとえ使用人であろうとも、な」
「貴族のことは良く知らん。だが、その覚悟を持った忠言はいいと思うぜ。お前震えてるじゃねぇか。実は怖かったか?」
バレてたか。そりゃあ、肌に触れてるもんな。
そして怖い? そりゃ怖いに決まっている。エリックに嫌われたら、俺の今後がどうなるかなんて分からないんだから。
「勘弁してくれ。せっかく勇気を出しての諌言なんだから最後までカッコつけさせろよ。でも、服を駄目にしちまった。すまない」
「気にするな。俺はそこの死体から体に合うやつを探して着るさ」
「すまんな。うーん……痛いけど何とか動ける……はず」
傷に負担をかけないようにして立ち上がる。
ひどい痛みだけど、どうにか我慢できそうだ。
……なんだ? いつの間にか、最後尾で殿を務めていた皆が俺を取り囲むように集まっている。
「皆さん? どうかしましたか?」
この場に残り警戒をしていたのだろう。
アルフレッドやフィンなどの騎士たちが俺を見ていた。
やっぱ、まずかった? 使用人として言って良いセリフじゃなかったか?
「ああ、その、なんだ。嬢ちゃんは本当に女か? 体を見る限りそうだが、とてもそうは見えなかった。そうだろ?」
そう言って周囲を見渡すと、全員が無言で頷いていた。
この反応から言ってエリックに対する発言がまずかったわけではなないようだ。
なら良かった。そこはほっとした。
「こういう性格なもんで、そういう女だと思ってもられば助かります。それとも、もっと態度を改めたほうがいいですか?」
俺の言葉に騎士たちの中で一番年の若いフィンが声を出す。
「そんなことはない! リーナさんはそのままでいいよ! だからここまで戦ってこれたんだろう? ですよね、皆さん!?」
フィンの言葉に頷く騎士たち。
こんな時だけど、どこか心が温かくなるような気がした。
「そういうことだな。じゃあ、そろそろ行くぞ。リーナは無理せずに宿場町にたどり着くことだけを考えればいい。さらなる追撃が来るとは思えんが警戒は俺がしておく。最後のひと踏ん張りってやつだ」
ヴァルガに促され、一歩を踏み出す。どうにか歩くことはできるようだ。
こうして夜襲を乗り越え、夜の行軍は続く。
だけど、ついにこの行軍に終わりが見えつつあった。
希望の灯は、まだ消えていない。




