レイウォル丘陵撤退戦4
夜の街道を進む。
満月が照らす街道は夜ではあるが道を誤ることはなく、隊列も乱れずに行軍ができている。
平民兵である長槍兵たちは全ての装備を遺棄して、身一つで撤退をする。夜の闇の中では密集陣形を維持できない。これをヴィクターが指揮して隊列の先頭を行く。
中段ではエリックが指揮を取っている。怪我や疲労により戦力の低下した軽歩兵や、矢がなくなり弓を遺棄した弓兵を配置して、万が一の時の戦闘に備える。
そして最後列。ここは比較的体力が残り、戦える軽歩兵が配置されている。
俺はその最後列だ。ヴァルガとともに警戒任務に就いている。
秩序だった撤退。それをなんとか維持できているのは良いが、兵たちは疲労困憊の中を進んでいる。いったいどれだけの落伍者が出るか、それはまだ分からない。
せめて宿場町へたどり着くことができれば、また状況は変わるだろう。
宿場町への連絡と馬の準備はカイルや他の寄子の家の騎士が先行することになった。夜の中だから速度は出せないだろうけど、それでも当然徒歩よりかは早い。
少し前までただのメイドだった俺が、今ではこうして重要な戦力として扱われている。
これは俺の実力……ではなく、この体が高性能だからだろう。もし男のまま若返ってこの場にいたら、間違いなく死んでいた。
女になってしまったけど、これはラッキーだと言える。死んでしまったら、男や女なんて関係はないのだから。
「今のところ追撃はなさそうだ。ヴァルガはどう思う?」
「油断はできねぇな。『灰色の猟犬』がいる。あの丘や森があったろ? あそこを越えて追撃ってのは正規兵の装備を考えて、疲れた体にはつらいだろう。だが『灰色の猟犬』の連中なら話は別だ。あの場では見てないから、最初から夜戦での追撃を見越しているのかもしれない」
「その場合はどこから来る? 馬鹿正直に街道の後ろから来るのか? それとも街道沿いを進み、俺たちの伸びきった隊列の真横を突くか。どっちだ?」
「所詮は大した数のいない傭兵団だからな。混乱を起こすだけなら真横からくるだろう。だが俺たちの数を減らすための攻撃なら、馬鹿正直に最後尾を狙うって手もある。半包囲できる陣形から攻撃をして、倒せるだけ倒して、すぐに離脱だ。それを繰り返す」
撤退を阻止するための混乱を狙うか、それとも直接最後尾の俺たちを狙うか。敵の思考が読めない以上どちらにも対処できる準備をしないといけない。
「それは厄介だな。どちらにせよ被害は避けられない。エリック様には伝えてあるのか?」
「ちゃんと言ってあるぜ。警戒はしているだろうさ。それはそうと、今更だがその格好はまずいな。もう魔法は使わないんだろ?、さすがに軽装がすぎる。これを着てろ」
そう言ってヴァルガは自分の上着を俺にかけた。確かにこの服装に意味はなくなった。それならちゃんとした防具。なければ軍用の衣装を着る必要がある。
「ありがとう。実は俺も気にしてたんだ。でも着れる服がこれしかなくて参ってた。それでヴァルガはその恰好でいいのか?」
高地人の装束を脱いだヴァルガは特別な防具を装着していない。完全な平服だ。とても戦場に出る姿ではない。
「敵が来なければ問題ないし、来たらそいつから奪えばいい。どのみち俺に防具は不要だ。装束は『塵火花』のような、うざったい反射発動魔法対策として着ているだけだからな」
やはり凄い自信だ。戦いのプロフェッショナルは違うな。
でも、頼りがいがあるのはありがたい。
「じゃあ、遠慮なく着させてもらうよ。それで敵の気配はするのか? 俺には全然わからないよ」
「今はまだないな。よほど大きく迂回されれば別だが、そうでない限り察知できる自信はある。こういう警戒も傭兵として食いっぱぐれないために必要……待て!」
ヴァルガがピタリと足を止め、周囲に目を向けている。
そして耳を澄ませてあたりを見渡し、さらに鋭く何もないはずの夜の平原に睨みつける。
「いるな。数は分からんが、最後尾……俺たち狙いか」
「わかった! なら合図は俺がするからヴァルガはそのまま敵を観察してくれ! 敵襲! 敵襲だ!」
大声で叫ぶように、エリックに伝わるように声を上げる。
それによって騒めきが広がるが、それでも道を歩むその足は止まらない。
事前に決めた作戦の通り、戦える余裕のあるものが警戒態勢に移る。俺たち最後尾は殿として足止めをする。これでなんとかするしかない。
「ヴァルガ? 敵の動きは?」
「お前が騒いだのが効いたな、俺たち狙いだ! おいでなすったぜ!」
ヴァルガがハルバードを構える。
月明かりが影を落とす中、そいつらの姿が浮かび上がった。
レイウォル丘陵に来てすぐに森の中で戦った傭兵……おそらく『灰色の猟犬』だ。
その数は多くはない。せいぜいが二十人程度、しかし最後尾を半包囲するように配置され、手には短槍や剣などで武装していた。
「ヴァルガ! また会ったな! つくづくお前とは縁があるようだ」
その中の一人がそんなことを言いながら俺たちの前に姿を現した。
聞いたことがある声。その風貌はヴァルガと似ている。
多分こいつは……ヴァルガの従兄だという高地人だ!
「その声はヴァルツか。わざわざ声掛けとは余裕があるようだな? お前たちお得意の奇襲はどうした?」
「俺たちのことを察知している奴の言うセリフじゃないな。まあいい。交渉しないか。もっとも、これで最後だがな」
「交渉だと? 俺が依頼主との契約を違えると思っているのか? それとも依頼主の不備でも掴んで、それを教えるというなら聞いてやるよ」
「知らんな、そんなことは。だがお前とはやりたくはない。とはいえ俺も仕事でここにきている。ガキの使いじゃないんだよ。それに標的はお前でなく、そこの女だ。そいつさえ始末できれば俺たちの仕事は終わりだ。女一人とお前たちの軍勢……つり合いが取れるとは思わないが、どうする?」
こいつら、俺が標的だって! ということは依頼主はあの連中だな! ローブの女の邪魔をしたのが、よほど腹に据えかねているようだ。
そしてこいつらが悠長に話している理由もこれか。標的が俺だけなら敵に差し出されてもおかしくない。
どう考えたって、俺一人と、カステリスへ撤退する兵……つり合いなんて、とれるわけがない。
「あいにくだな。俺もガキの使いじゃない。仕事はきっちり最後までやりとげる。それにつり合いだって? そんなもので俺が判断を変えると思うか? 俺は俺の仕事をするだけだ」
ヴァルガがハルバードを構えた。完全に臨戦態勢だ。
そしてこうなったら俺も戦うほかはない。鞘から剣を抜いて敵と対峙する。だが他の兵はどうだ? 剣を抜き傭兵と対峙する者たちもいるけど、彼らをカステリスへ返すことが今は最優先のはず。ここで戦わせていいのか?
「おい、高地人の傭兵ども! 俺たちが仲間を売るとでも思ってるのか!」
「そうだ! 救われた命の借りは戦いで返す! それがアルディスの騎士だ!」
そう言って俺の前に立ち、盾となる者たちがいた。
それはあの時の森で救ったアルディス家の騎士たちだ。
「アルフレッドさん、フィンさん!」
「そうだ嬢ちゃん。あんたの働きで俺もフィンも生き残った。いや、俺だけじゃない。撤退戦の時は見事な魔法だった。あれに救われた者は多い。そうだな! 皆!」
「応!」
その声とともに集まってきたのは最後尾についていた兵たちだ。
いざとなったら殿として戦うことを命じられていた。その兵士たちがここに集結していた。
皆、俺のために戦おうとしている……なら俺もその想いに答えるしかない!
「交渉は決裂だな。なら死ね。敗残兵らしい最後をくれてやる! いくぞ!」
ヴァルツと名乗った男が先頭になって突っ込んでくる。
その後ろにいるのは十人を超える傭兵たち。そして両側面に五人ずつが俺たちの動きを阻害するように接近してくる。
数の上での戦力は同じ。しかし陣形は明らかに俺たちが不利。しかも連戦と歩き続けたことによる疲労があり、コンディションの面では完全に相手が上だ。
そんな圧倒的不利な条件で、戦わなければならない。
「ヴァルガ! 無茶だ!」
ヴァルツが指揮する十人の傭兵の中にヴァルガが突っ込んでいく。そしてあえて敵に囲まれるように敵の陣形の中に入る。
何故あんなことをするか? 決まっている! 自分に注意を引き付けて俺たちになるべく負担をかけないためだ!
「傭兵に続け! アルディス家の武勇と誇りを見せろ!」
アルフレッド等のアルディス家騎士数名も、前面の敵に突っ込んでいく。他の騎士や兵は側面を防御するように陣形を広げている。これならなんとか戦えるはずだ!
なら俺も前に出て戦う! 俺が標的なら、俺を狙ってくるはずだ! 守られるためにこの場にいるわけじゃないんだよ!
ヴァルガとアルフレッドたちを援護するために前に出る。しかし、ヴァルガの動きに引っ張られ、戦線は乱れ、もはや陣形は崩壊しつつあった。
仲間の背後を守りながら、敵の動きを牽制する。今の俺では敵を倒すのは難しい。だから援護に徹するのが一番貢献できるはずだ。
しかし乱戦となれば、その場からすり抜けて俺を標的としているやつが現れる。短槍を持つ傭兵が俺に突っ込んできた。
鋭い突きが放たれる。穂先を叩き落とし、なんとか凌ぐ。
周囲を素早く観察する。完全な一対一だ。それなら極限に入れない俺でも戦える! まずリーチの不利をなくすために接近する!
大胆とも言える動きに敵が驚くのが見えた。
俺を女と舐めていたであろう傭兵に斬りかかるが、すぐに半身を引きつつ腕で俺の剣撃をガードした。
手甲! 軽装かと思いきや、防具をしっかり仕込んでいる。そしてこの動き、やはり戦い慣れしている!
「やるな! 女にしておくのが惜しいくらいだ! だがその程度では俺たちには勝てんぞ!」
そう言いながら敵も俺に接近してくる。そして鋭い蹴りを放った。
「くっ!」
なんとか飛ぶことによって威力を減らしたが、それでも内臓に響くような威力があった。
こいつ! 槍の間合いを詰められても格闘で対処するなんて! この動き、イヴリン・グリムヴァルと似ている! 武器に固執せず、体術を織り交ぜた戦い方……!
「嬢ちゃん! しっかりしろ!」
「おっと! これじゃあ直接狙うのは難しいか。ならばまずはお前たちだな!」
「ほざけ! やれるものならやってみろ」
アルフレッドやフィンが俺と敵との間に入る。
しかし駄目だ。敵の狙いは俺を殺すことかもしれないけど、そのためにまずは俺たちの戦力を減らす作戦にシフトしている。
夜とはいえ月に照らされているおかげで良く見える。そう、仲間たちが次々とやられていくのが!
連戦の疲労で魔法を使えないのは騎士たちも同じだ……剣や槍の実力だけでの戦いとなれば『灰色の猟犬』相手には不利だ。
「これじゃあ、駄目だ。俺が、俺が前にでないと!」
蹴りを入れられた腹が痛むが、そんなこと言っている場合じゃない! なんとか敵の数を減らさないとこのままじゃ負ける!
俺が足を引っ張っちゃあ駄目なんだ! 俺は女としてここにいるんじゃない。守られるためにここいるんじゃないんだ!
陣形を抜けた敵が俺に迫る。迎え撃つために袈裟懸けで斬りかかる。
だが、あっさりと見切られ、剣の刃先で受け止められた。
くそっ、バインドか! 反撃が来る!
「ちぃっ!」
バインドから流れるように突き出された剣を、体を思い切り横に反らし、躱す!
すぐに追撃が迫る。それを避けるために、反らした体の動きを活かし、そのまま横に跳ぶ。
だが、それも読まれていた。間髪入れず、詰めるような剣が俺を襲う。
一撃必殺の威力はない。だが、刻むような浅い斬撃の全てを受けきることはできず、捌くこともできない……俺の体に次々と傷が増えていく。
こちらの消耗を狙い、フェイントや小技を絡めた厄介な攻撃を仕掛けてくる。こんな攻撃をしてくる敵は初めてで、それに俺は対応できない。
結局俺はこの体の能力だよりか! 現実を軽く見過ぎた。戦えるだなんて、ただの思い上がりだった。リーナでない俺は、靖彦は所詮この程度だった。
だが、それでも!
「諦めるもんかよ! こんなところで死ねるかぁ!」
「そうかい! なら頑張って凌いで見せろよ!」
敵の攻撃が鋭さを増す。削る攻撃から、仕留める攻撃に切り替わりつつある。
使う魔法にはキレがないのが唯一の幸運。せいぜいが『塵火花』などの反射発動魔法でこちらの意識をそらす程度だ。
しかしその脆弱な魔法に翻弄される。意識を逸らされ、気づけば新たな傷が増えている。
この傭兵の剣の腕は明らかに俺よりも上だ。だからこの戦い、あと数合の打ち合いで俺は負ける、そして死ぬ。
それを自覚した瞬間、心の奥底で凝り固まっていた何かが霧散した。
所詮俺はこの世界の人間じゃない。だから本気でこの世界と向き合うことなんてできない。どこか部外者のような感覚が心の隅のどこかに常に存在していた。
借り物の体で生きる、仮初の人生。そんな想いだからこそ、自分を大切にしようとする気持ちが薄かった。
だからこそ、エドワードさんの想いに執着し続けた。自分でも分かっていなかった異常な勇敢さ。それはそこにあったのだ。
それが今ようやくわかった。
吹っ切れた。
今までのピンチには必ずあった援護や援軍。そして都合よく発動した魔法。この戦いにそんなものが、あるはずはない。
死を受け入れる。それは、戦士が持たねばならない覚悟。ようやく俺はその境地にたどり着いた。
だから、今の俺には一か八かの戦いができる!
俺の態勢の乱れを見逃さず、敵が大きく剣を振りかぶる。牽制でも消耗狙いでもなく、殺すための一撃。
これを喰らえば、確実に死ぬ。 だが、防御をしても、この攻防が続けば結局俺は死ぬ。
なら……死を受け入れ、前に出る!
「ぬっ、ぐぅ、お、まえ!」
体を屈めて飛び込むように前に出た。
肩に熱を感じた。それは鋭く背中を走っていく。だけど、それだけだ。俺はまだ生きている!
そして無理やりにでも突き出した剣は……敵の体の貫いた。
「や、やる……な……」
それがこの傭兵の最後の言葉だった。
死んだ? 殺せた……俺だけの力で。勝つことができた。
セシリアやヴィクター、ヴァルガの助けもなく、リーナとしての力も使わず、靖彦としての心と……力だけで、敵を倒せた!
「や、やった……い、くぅ……」
しかし次の瞬間、肩から背中にかけて痛みが走る。
おそらく剣の鍔元で受けた。だから俺は死なずにいる。ヴァルガに上着を借りていたのも大きい。致命傷ではないと信じたいが、どんな怪我の状態なんだ?
駄目だ……血の流れる感覚と、痛みによって、意識を上手く保つことができない……。
そんな俺の視界に映るのは。
怒りを込めた瞳で俺を見つめ、短槍を構える新たな敵の姿だった。




