帰還
馬の蹄が土を踏みしめ、ゆっくりと進む。
遠くにカステリスの城門が見えてきた。
ここから見る城門の光景は二回目だ。初めてカステリスを見たときは圧倒されたっけ。
でも今回は違う。傷を負いながらも戦場を生き延びた。俺の心にあるのは帰って来たという想いだった。
胸の奥がじんわりと熱くなる。生きて帰れたんだ。ようやく、それを実感する。
「馬は兵営で預けることになる。あの屋敷まで送ればいいんだよな?」
ヴァルガが気軽に問いかけてくる。そこには何の感傷もないようだった。あれだけの激戦だったあの戦場も、特別なものではなかったのだろう。
俺が命をかけて戦った場でも、ヴァルガにとっては日常の一部。戦場を生き抜くことが当たり前の男。歴戦の傭兵というのは、きっとこういうものなのかもしれない。
今の俺の体は布でヴァルガに固定されている。移動の最中は話す余裕もなく傷口に響く痛みに耐えているのみだったが、今の馬の歩調はゆったりとしていて、話すにはちょうどいい。
「うん。セシリア様がいるはずだから、報酬もそこから貰えばいいよ。と言っても輸送だけだから金額としてはそれほどでもないかな?」
「まあな。小銭稼ぎくらいのものだ。もらえるものはきっちり貰うが、お前たちとの繋がりを重視して、辞退するという選択もある」
それはつまり、損して得取れ……か。
まるで営業のような考え方だな。
「そこはヴァルガの自由だけど、繋がり、か……俺としては今後もヴァルガとは一緒にいたいから、そっちを選んでほしいな」
「おっ! なんだよ! 俺に惚れたか?」
「頼りにしてるけど、それは言い過ぎ。一番はヴァルガと敵対したら怖いってことさ。本気で戦ったら簡単に殺されてしまうだろうからね」
「そうだな。お前の考えは間違っちゃいない。お前みたいなやつは敵対したなら早めに仕留めたいもんだ」
そうなのか。結構評価されているみたいだな。
その評価は嬉しいけど、なおさら敵対したくない。
「そっか。なら、俺からも何か差し出せるものがあれば差し出すから、今後も一緒に戦ってよ。何ができるかわからないけど……」
使用人だから金なんて持ってないからなぁ……なけなしの小遣いで雇えるわけはなし。
「ほう? ……お前がそう言うなら、一つ考えがある」
「何?」
「怪我が癒えたら抱かせろといって、お前は首を縦に振るか?」
……いや、考える必要もない。俺の貞操にそこまで価値はないからだ。というか、かなり良いじゃないか!
ヴァルガみたいな凄腕の傭兵の選択に影響を及ぼすってことだろ? さっすがTS美少女娘! 俺ってば、いい女!
この体を差し出すことで、ヴァルガが仲間になったままだというのなら、それはまさに。
「お買い得ってやつだな。いいよ。こんな体でよければ好きにしろ」
「なんの迷いもなく言うんだな。口に出して言うからには本気と見るぞ?」
「おう! それにこれは戦力保持という観点だけじゃないよ。ヴァルガのこと、頼れる兄ちゃんみたいだなって思ったら、好きになってたんだ。だからいいかなって」
人に対してこんな簡単に心をさらけ出すことは俺としても初めてだ。
でも、あの戦いで学んだ。心に秘めている感情は、死ねばそこで終わりだ。
伝えたい想いがあるのなら、それは素直に表に出すべきなんだ。
「……ずいぶんと恥ずかしいことを言う奴だ。そういうことなら遠慮はしねぇ、怪我が癒えたら、その時にやらせてもらうさ」
「分かった。そのかわり、敵にはなってくれるなよ? それと初めてだから、その配慮も願いたいね」
いくらTS物が好きだと言ってもレイプ紛いの行為はNG! やはり快楽に溺れるくらいに蕩けさせてもらわないと困る。
でも開発そのものはそこそこ進んでいるんだよな、この体って。だからなんとかなるとは思う。
「初物なのか、お前……まっ、それはその時に考えるか。そろそろ城門だ」
前回カステリスに入ったのと同じ手順で中に入る。
城壁の上を巡廻する兵や、門を守護する兵の数に変化は感じられない。それが兵力の問題なのか、それとも防御施設の人員の受け入れの数の問題なのかは俺には分からなかった。
すでに伝令がひっきりなしに情報の伝達をしているし、エリックやヴィクターの依頼書や命令書があるから、スムーズで実にいい。
馬から降りたらヴァルガにおぶさって道を進む。城門の近くの兵営を抜けて、街中に入る。
すでにレイウォル丘陵の陥落が知れ渡っているのか、目抜き通りなのに人影は多くない。
そこらにあった出店は一つもなくなり、通りの店はすべて閉められ、人のいなくなった商店街のような雰囲気を滲ませる。
さすがにこの賑やかな街も戦時体制に入ったんだろう。ヴェリウス辺境伯が帰還しているというのも関係しているのかもしれない。
そんな目抜き通りを過ぎて、曲がりくねった坂を上り、ヴェリウス家の管理する屋敷の前に着く。
ここにも変化はない……かと思いきや、そうでもなく、庭に的のようなものが置かれていた。
「魔法の練習用の的かな?」
「焦げているだけじゃなく、ところどころ欠けている。『水礫』や『砂弾』を使ったんだろう。これは使用人も戦場に駆り出すつもりかもな。籠城戦ならよくあることだ」
この屋敷には寄子の子女が数多く勤めている。となれば魔法は当然の如く使えるだろう。
俺の同僚……とはまた違うけど、一緒に働いていたのは確か。男ならともかく女まで、侍女まで戦場に出るのは好ましくはないけど、それも無意味な感傷だ。
そうして門までやってくると、そこで門番に止められる。そこでヴァルガは背負っている俺を門番に見せた。
「この女、リーナは知っているよな? こいつの主のエリック・アリオンからこの屋敷まで送り出すように依頼を受けた。これが依頼書だ。そして引き取り人は妹のセシリア・アリオン」
「リーナ嬢ちゃん……戦場に出ると聞いたが、怪我を負ったのか?」
門番の中では一番仲の良かった人がいて助かった。これなら話がしやすい。
「なんとか生き残れました。そういうわけで中に入りたいんですが、それともセシリア様に取り次いでもらったほうがいいですかね?」
「正式にはそのほうがいいだろうが、その怪我を見てはそうも言ってられないな」
ゆったりとした服からは肩の包帯が良く見えるだろう。かなり広い範囲を巻いているから、怪我の程度も一目で分かる。
「確認するが、その傭兵は信用できる者か?」
「剣術指南役のグレン先生の甥、ヴァルガです。身元は問題ないと思いますよ」
「依頼書もあるし、問題はないか……いいだろう。入ってよし」
そういって門番は俺たちを通してくれた。
俺が指示を出してヴァルガを誘導する。
屋敷に入ってセシリアの部屋に行くまでに、屋敷で働くメイドに声をかけられるが、その返答もそこそこにセシリアの元へ向かう。
ついに部屋の前にやってきて、ここからは自分で行く必要があると思い、ヴァルガの背から降りた。
「まだまだ、痛むな……歩くのも体に響きそうだ」
「そりゃそうだろ。悲鳴を上げながら小便まで漏らして治療したような傷が、簡単に治るわけがない」
「……そういや小便まみれだったな、このスカート。今は乾いているけど、そのほうが臭いか……。はぁ、ここまで来たら仕方ない」
嗅覚疲労ってやつだ。今の俺には自分の臭さは分からないし、一緒に戦場にいたヴァルガもそれは同じだろう。
着替えたい欲求もあるが、今はセシリアに顔を見せるほうが先決と思い扉をノックする。
「……どうぞ。入ってもらってかまいませんわ」
許可が出てから扉を開けて部屋に入る。
そこには当然だけど、数日前と変わらないセシリアの姿があった。
「リーナ! 帰って来たのね!」
椅子に座っていたセシリアは、俺を一目見て立ち上げりすぐさま駆け寄ってくる。
だけどその視線が俺の肩口へ向かうのが分かる。俺の体に触れようとしていた手が、それを見て止まった。
誰の目から見ても大怪我だ。でも、無事だ。俺は無事に帰って来た。
「ただいま戻りました」
「そんな怪我をして……無茶を、したんでしょうね。でも……」
セシリアの目に涙が滲むのが見えた。
それは俺も同じだ。セシリアの姿が、少し歪んで見える。
「お帰りなさい、リーナ」
「はい。セシリア様」




