河川港の戦い1
河川港に足を踏み入れたセシリアを追う。
そこには倉庫や宿が立ち並び、壁には篝火が灯されていた。その明かりが周囲を照らしている。
広場にはさらに大きな篝火が焚かれ、俺たちの姿を隠すものは何もない。加えて、積み荷の箱が不自然に倒れ、あたり一面に散乱している。
視界を遮る物がないのに、足場だけは最悪で、激しく動き回るには向いていない。
その広場の中、敵が整列しているのが見えた。
扇状に展開した前後二列の隊列。その間を、セシリアがすり抜けていく。
おそらく目的地は、船着き場に停泊しているあの船だ。
「ヴィクター様……これは圧倒的に不利、ですね」
ざっと見積もって二十人ほどの敵。
その視線は俺に向き、精神を攻撃されている感覚があるが、狙っているのはヴィクターだろう。
この布陣は完全にヴィクターを警戒してのものだ。これでは、あの跳躍を活かした攻撃はできない。すぐに包囲され、無力化されてしまう。
「思った通り。奴らの標的は俺たちのようだ。いや……俺ではなく、お前だな」
ヴィクターが俺の背後に身を寄せながら言った。
「俺? 俺はそれほど強い自覚はないですが」
「やつらの力……俺は何度もくらったが、お前は平然としていた。そんな奴を放っておくわけがない。だからこうしてセシリア嬢を囮にしてでも、お前を始末しようとしているんだろう。セシリア嬢が船に近づけば近づくほど俺たちは焦り、隙ができる。そこを狙っているようだ」
なるほどな。この状況は、俺たちにとってチャンスであり、絶体絶命のピンチでもある。そのような状況を敵はあえて作り出したんだ。
……駄目だな。打開策がまるで浮かばない。俺には戦闘の経験が少なすぎる。こんな時、どう動くべきなのか?
そんな思考の迷路に迷い込んだ俺に、ヴィクターが冷静な声で提案をしてきた。
「リーナ、お前の魔法は使えるか? リボルバーって言ってたな? 『水礫』の魔法だ」
「……今は使えません。そんな気分じゃない。こんな時に心を女にするなんて、無理ですよ」
「だがな、ここは水辺で、『水礫』なら格段に威力が出るはずだ。人形を吹き飛ばす破壊力はいらない。敵を怯ませ、混乱させる程度でいい。同時に俺も『瞬躍』で跳びながら『熱火』を使う。敵の実力は大したことはないとはいえ危険な賭けになるが、それなら勝ち目はある」
『瞬躍』とはあのジャンプするやつのことか。そして『熱火』の組み合わせ。俺の魔法と同時に使えば地上と空中からの立体的な魔法攻撃になるということ。
ヴィクターの提示したプランは確かに唯一勝算がありそうなものだった。
未熟な剣士の俺と、ひとにらみで無力化されてしまうヴィクター。この組み合わせで駄目なら、俺がヴィクターの言うところの魔導師級とやらになるしかない。
……だがどうやって? 一人称を私に変えるだけじゃあ、このひりついた心を変えるなんてできないぞ。
「それしか手段はなさそうです。ですがどうします? 敵だっていつまでもああしているわけじゃないでしょう。心を変えるまでにどれだけ時間がかかるか分かりません」
「一つ手段がある。リーナ。お前はただ感じていれば良い。それでなんとかならなければ……諦めるしかないな」
手段? 感じる? 一体どういうこ……そ、そういうこと、ね。
ヴィクターの手が俺の……いや、私の体を触り始めた。今は胸を撫でるようにして刺激している。
当然これで感じるわけはないんだけど……心はどうか? それは私次第ってところか。
「見ろ? いきなりの俺たちの乳繰り合いに敵も動揺しているようだ」
「そ、そんなこといわれても」
ヴィクターの指が胸の中でも特に敏感なところをこねくり回す。
厚い布地のメイド服ってわけじゃないから、結構な刺激があった。体が思わず震えだす。
「いや、悪くない。さっきまでの張り詰めたものが消えかかっている。連中はどういうわけか心の揺らぎがみな同じのようだ。あれだけ人数がいるのに心の気配がほとんど同じで似通っている。どんな理屈かわからんが、俺たちには好都合だ」
「そ、それは良いことかもしれないですね……って、そ、そこは」
ヴィクターは片腕を私の胸に置きつつも、もう片方を下半身に持ってきている。
そしてついには私のスカートをたくし上げ、下着ごしにお尻を触っている。
このぞわぞわした感覚がさらに私を敏感にさせる。
「どうだ? まだか?」
「も、もう少しで、できそうです。そんな感じが……します」
「ならこれでどうだ? これ以上はさすがに厳しいぞ」
「あっ、やっ、そこはっ!」
ヴィクターの指が、ついにそこに触れた。
ゆっくりとした動作で力は強くない……なのに今までで一番大きな刺激に感じられる。それは体でなく、むしろ心が最も敏感に反応しているようだ。
あ、でも、来た。今、切り替わった……そんな気がする。
そしてそれを自覚すると、さっきから感じていた気分の悪さ、敵の使う精神攻撃がさらに大きくなるような感じがあった。
何故いまさらにこれほど強く干渉を受けるのか? 分からない。分からないけど。
「ヴィクター様。今なら……やれます!」
「よし! やれ!」
ヴィクターの手が私の体から離れ、背後で臨戦態勢を取る気配が伝わってくる。
そして私がやらなければいけないこと。この気分の悪さと恐怖を乗り越えた先に成さねばならないこと。
セシリア! 必ずあなたを助けてみせる!
腕を上げて、心の中にリボルバーを作り出す。
ハンマーをコッキング。左手を右手に沿えて構える。そして心の中の引き金に指をかけ、撃つ! 撃つ! 撃つ!
現実を心で、精神で、魂で塗り替えるようにしてさらに撃つ!
六人の敵がこの数秒の内に倒れ伏した。私の魔法は完全に威力を発揮している!
シリンダーをスイングアウト、スピードローダーで装填し、スイングイン。これでリロードが完了する。
単なる想像、魔法を使うのには無意味な動作。でも、無意味だからこそ意味がある!
そして再度リボルバーを向けた瞬間、飛び上がったヴィクターの『熱火』が敵の一人に着弾し、悲鳴が上がる。
現実を塗り替える。そんな技術である魔法を使っているからなのか、心が、精神が、魂が、この世界に広がって自然とこの場の全ての動きを知覚できるかのようだった。
今、ヴィクターが敵のただ中に降り立ち剣を薙ぐ、それによりさらに二人が地に伏せた。
これで敵の数は十人強! そしてまだまだ敵の混乱は解けていない!
だけどヴィクターへと向けられる敵の視線が、私には見えた。
ならその視線を向ける奴が次の標的だ!
私のイメージする水の弾丸。それは狙いすました通りに放たれ、寸分違わず敵の胴体を撃ち抜いてゆく。
今度は無差別に撃つんじゃない。ヴィクターを妨害しようとする敵を見定めて、彼の邪魔をさせないように、彼を助けるために。狙って撃つ!
ヴィクターの再度の跳躍。これで敵の視線を切ることができた! でも跳んだヴィクターを視線で追っている奴がいる! 次の狙いはそいつだ!
そして六発すべてを撃ち切った、見ればあれだけいた敵も残り数人になっている。
だけど敵の全てが死んだわけじゃない。意識を保って反撃の機会を狙っている人もいるはずだ。だから油断はできないし、とどめを刺す必要がある。でも……。
「でき……ない……!」
倒れた人に追撃を掛けることは、私の心ではひどく抵抗があった。
守るためなら魔法を放てる。助けるためなら敵を撃てる。でも相手を殺すためだけの魔法の使用は、どうしても抵抗感が存在していた。
理屈では理解している。今ここで躊躇することが、どれほど危険なことかも分かっている。
それでも心が……拒絶する。
……なら! 私を俺に変えればいい! リーナから靖彦へ心を戻すんだ!
頭の中にあったリボルバーの存在を消し去って、腰に下げた鞘から剣を抜く。
思い出せ! 俺が剣を習うことになった経緯。俺が剣を持って戦った記憶。そして剣を使って守ろうとした人たちを!
心が変わっていくのが分かる。俺が靖彦である証。それはこの剣と共にある!
剣をさらに強く握りしめ、意識が切り替わるのを自覚した。
私ではなく俺ならば、成すべきことを成すために、どんな汚いことだってやってやる!
靖彦へと回帰した心。それによって極限への入口が、今、見えた!
まだ立って抵抗している敵、被弾してうずくまる敵。そのすべてに攻撃を加えるために、このひどく悪い足場を乗り越えて前進する。
景色がゆっくりと流れていく、地面に散らばる障害の一つ一つを認識できる。今の俺にこの程度の姑息な足止め通用しない!
そして無抵抗だろうが確実にとどめをさして、ヴィクターと協同し、残敵を殺し切った。
広場には死体と静寂だけが残っていた。そしてこの場で動いているのは。
「よし! あとはセシリア嬢を救出するだけだ! お前が行け! まだ敵は潜んでいるぞ!」
「はい! ヴィクター様!」
俺とヴィクターとセシリアの三人のみ。
もし他にいるとするのなら……それはセシリアを今でも操っている、敵だけのはずだ。