その9
○登場人物
大田恵一・おおたけいいち(タクシードライバー、野望を携えて生きる野心家)
片柳彩子・かたやなぎあやこ(モデル、今どきの十代で分かりやすい性格)
久留米雀・くるめすずめ(女優、誰もが一目置く大物)
野木晃彦・のぎあきひこ(大田の学生時代の同級生、既婚で子供もいる世帯主)
柴村忍・しばむらしのぶ(週刊誌記者、久留米の連載を担当している)
亀谷右京・かめやうきょう(刑事、大田と過去に接してから後を追い続けている)
光村沙耶・みつむらさや(キャバクラ嬢、名の知れた有名店でナンバーツーを誇る)
翌日、男は新幹線にいた。今日の仕事は休暇を取り、朝早くから家を出た。移りゆく
景色の中で、男は多様な感情を募らせていく。その中心にあるのは、当然に昨日の己の
凶気だった。あの時、一体どんな顔を自分はしていただろう。同時に、柴村忍の悲惨な
表情も頭から離れようとしない。あの時、女性にはどう自分が映っていただろう。正解
は見つかりやしない。女性はもう口を開く事はないのだから。かといって、この記憶が
脳内から忘れ去られることもないのだろう。この先も携えていかなければならない記憶、
それが俺に与えられた罰だ。
正午過ぎ、男は徳島に到着した。約半年ぶりの故郷だったが、目新しい変化は見られ
ない。長閑な雰囲気は人間の気にも表れている。この空気が自分には合っている。正直、
昨日の罪事で腐りかけていた心を和らげるにはもってこいの環境といえた。
駅の改札を抜けると、外にはすでに野木晃彦の姿があった。三十分前に連絡を入れて
おいたので、前もって来ていたようだ。
「久しぶり」
「あぁ、久しぶり」
毎度の調子の低い挨拶を交わす。たまに会う程度の旧知の間柄、その瞬間に当時の関
係へ戻ることが出来る。大抵は子供の頃の活発な状態になるのだろうが、男と男性の関
係は違った。大人しく落ち着いた状態、それが子供時代からのものと思えば乾いた間柄
といえる。
「ずいぶんな荷物だな」
男が引いてきたのは青のスーツケースだった。日帰りの荷物としては確かに気には掛
かる。
「いや、お土産を大量に頼まれてるんだ。無理言って休みにしてもらったから、断り
きれなかった」
「ふぅん、そうか」
それ以上の話にはならず、道に停めてあった男性の車に移動し、トランクにスーツケ
ースを入れる。これまでの帰省時と同様に男は後部座席に乗り、男性の運転で車は動い
ていく。車内では軽い会話はいくつか交わすが、どれも内容に乏しく長くは続かない。
半年前に妊娠したと聞いていた男性の奥さんはもう間もなく出産になるようだが、そん
なことは男には関係ない。男としては昨夜の記憶がまだ鮮明に残っているので、それぐ
らいの程度の話の方が気が掛からなくてよかったが。飯屋にでも寄るかと聞かれたが、
九時過ぎに朝食を摂ったからいいと言い、車はどこにも立ち寄らずに目的地へと進んで
いった。
目的地は吉野川流域のキャンプ地だった。帰省時には必ず自らの軌跡の巡りとして寄
る場所だが、今日は滞在として訪れた。暑さこそあったが、風も爽快に吹いていたので
心地悪さはない。
「じゃあ、五時前には戻ってくるから」
「あぁ、分かった」
到着してからは自由行動になった。男の帰り時間までの四時間前後をそれぞれに過ご
していく。男性は川で釣り、男は付近の自然の中で散歩と休息をすることに決めていた。
だが、男の提示は建て前だった。男性にはそう言って消えれば、四時間は誰の気も止ま
らないで済む。
男は釣りの地点に向かった男性の後を追い、取りたい荷物があるからと車の鍵を借り、
車に戻るとスーツケースごと取り出し、鍵を閉める。すでに釣りの地点に着いていた男
性に鍵を返すと、男は大荷物を手に歩き出した。人目には絶対に触れないように極力の
注意をし、人気すらない高地の森へと入っていく。道中、何度と左右に視線を向け、何
度も後ろを振り返る。誰の視界も届いてはいないことを確認し、暗がりの奥へと歩みを
進めていく。
懐かしい感覚があった。景色、香り、匂い、音、風、土、どれもこれもが意識を幼い
頃へと戻してくれる。小さい頃にはよくこの森に来ていた。他人と群れることはせず、
自意識の中へ治まり、周囲とは違うことをするのに自らを見い出していた孤独な少年。
少年はいつも自然の集まるこの場所へ来ては、独りきりでいる時間と空間を特別なもの
としていた。ここに来れば、日々の喧騒や戯言も消化させることが出来る。ここは少年
における聖域だった。
少年は大人になり、同じ場所を歩いている。体は大きくなり、心は荒んでしまったが、
あの頃の感覚を忘れてはいない。あの頃の自分が一番純粋に自分らしくいたはずだから。
金だの復讐だの野望だのは一切なく、ただ自己の世界にいることだけに幸せを感じれて
いたのだから。出来ることなら、あの頃に戻りたい。あのまま、あの心を抱えたままで
大人になりたい。ずっとずっと、独りきりでいたい。そう心を潤わせながら、男は歩い
ていく。
ふと我に返ると、それなりの距離を進んできていた。少なくとも、スーツケースを手
に引いてくるような場所ではない。誰の視界にも入らないし、誰が来ることもまずない。
周りには木々が無造作に生え並び、その間を冷感のある風が吹き通り、草花が日の陰で
小さくも力強く育っている。それが快い。ここでいいだろう。そう定め、男は息を一つ
ついた。
スーツケースを開き、中に入れておいた伸縮の自由がきく作業用タイプのシャベルを
取り出す。それを目の前の地面へ突き刺し、土を掘り起こす。その繰り返し、シャベル
を地面に突き刺し、土を掘り起こすだけの作業を続けた。五分、十分、三十分、一時間、
二時間、三時間、男はただそれだけの作業を一心不乱に続ける。息が切れているのも、
腕の力が減っていくのも、空腹であることさえも忘れていた。ただただ、穴を深く掘っ
ていく。
三時間が過ぎ、男は腕を止める。成果を改めて見直してみる。これだけの深さがあれ
ばいいだろう。男はスーツケースから黒のポリエチレン袋を出し、力いっぱいに穴の奥
へと投げ入れる。重さのある黒袋は鈍い音を出して穴に落ちた。これでおさらばだ、と
心の中から穴の奥へ言葉を送る。またシャベルを掴むと、掘り起こしてきた土を穴の中
へと埋めていった。
「どうだ、成果の方は」
「おぉ、戻ってきたか」
有言の通りに十七時前に男はキャンプ地まで帰ってきた。男性は四時間を釣りにだけ
費やしたようで、数匹の結果には繋がったらしい。出した荷物だけ仕舞ってくるからと
車の鍵を再び借り、男性が釣り道具をまとめて戻ってくる前にスーツケースをトランク
に詰め込んだ。
帰りも男性の運転で、男は後部座席に乗った。相変わらずに会話はありきたりで乾い
ていたが、男にはそれでよかった。飯屋に寄るかと聞かれたが、電車の時間が迫ってた
のでいいと断る。
駅に着くと、往路よりも格段に軽くなったスーツケースの扱いが楽になった。往路は
重い荷物なのに軽いとする演技をする必要があったため、普通の対応でよいのでやりや
すい。
「そういえば、今日はどうしたんだ」
今頃聞くのもなんだけど、と後付けが入る。
「どうした、って何が」
「いや、急に帰ってくるとか言い出したからさ。東京で仕事でなんかあったんかなぁ
とか思って」
仕事でミスをして傷心、とでも思ったのだろうか。あいにく、そんな低度のところに
などいない。
「まぁ、そんなところかな。でも、今日のでリフレッシュできたよ。ありがとう」
「そうか、そんならよかった」
リフレッシュなんかしてるわけがない。一生ものの傷が増えたんだ。そう簡単に癒え
るはずがない。
「じゃ」
「あぁ、そんじゃあな」
また連絡でもする、とも言うことなく二人は別れた。この関係にはそんな一般的な形
式は当たらない。連絡など、滅多なことでもなければしやしない。それでも成立してし
まう関係なのだ。
帰りの新幹線で、男はようやく食事に有り付く。昨夜から続いた体内の乱雑を一応に
落ち着けることができたが、その末に辿り着いたのはこれまでよりもさらに深い闇の中
だった。
翌日は朝から仕事だった。久留米雀が出演する二時間ドラマの撮影に同行し、昨日の
休暇の謝罪を取り巻きのスタッフへしていく。昨日の動向については、友人の結婚式に
出席していた事にしてある。あとは、適当に相手ごとに細かい嘘をついておけばいいだ
けだ。
この日は一日中、女の撮影現場にいた。ドラマの内容は、憎悪の果てに犯された殺人
事件に対する真相究明という二時間ドラマにはよくある話だ。自分が視聴者の立場なら、
間違いなくチャンネルは他に回すだろう。
撮影の様子を見届けながら、男は自らをそこへ当て嵌めた。憎悪の果ての殺人、そこ
に己を重ねるのは容易だった。自分を失わないために犯した罪、そこにはどれほどの意
味があるんだろうか。分からない。ただ、短絡的な考えじゃないのは確かだった。自分
自身を無意味にさせないこと、それは人間として必要不可欠なものだ。それを否定する
のなら、もはや死ぬしかない。でも、俺は違う。だから、やった。俺は俺自身を見捨て
たりはできない。
昼休憩が入り、午後の撮影に入る直前に携帯に電話が入る。妥当に適する対応をし、
電話を切る。
「誰からかしら」
漏れていた言葉を聞き拾っていた女に訊かれる。確認はしておくべき会話の内容だっ
たから。
「女性生活の方からです」
「柴村さんじゃなくて」
「はい、違う方でした」
それはそうだろう。柴村忍から連絡が入ることは金輪際ない。
「どういう話だったの」
「いえ、実は・・・・・・」
男は言葉をあぐねる。当然、演技として。
「どうかしたの」
「柴村さんの行方が分からなくなった、って」
男は息をついてから言葉を出した。何も知らないはずの人間からすれば、これから仕
事に向かう女性に言うのはためらうものだろうから。それでも、黙っておくべきレベル
の内容ではない。
「どういうこと」
「昨日、仕事を無断欠勤したらしくて。連絡をしても繋がらなかったけど、その日は
そこまで大事になるとは思ってなかったからそのままにしたそうです。でも、今日も連
絡が取れなくて、会社の人が自宅に行ってみたら誰もいなかったみたいで。実家や仕事
関係をあたってみても、一向に足取りがつかめないそうです」
女は驚きを見せていたが、そうとポツリと零しただけで表情を曇らせる。結局、何も
ないままで撮影現場へと戻っていった。心配をしてるのだろうが、そんな必要はないと
言ってやりたい。あいつはあなたを裏切った、その制裁を受けただけだ、と言ってやり
たい。
翌日、柴村忍の両親から警察へ捜索願が提出された。失踪の前日までは通常に仕事を
こなしていた、信頼もあって真面目な性格、友人関係や恋人関係でのトラブルは今まで
一度もない、などの生活状況が考慮されたため、特異家出人として捜索活動が行われる
ことに決まった。
とはいえ、手掛かりとなる情報は非常に少ない。事件や事故へと繋がる可能性が低い
人間だからこそ、そこの線を見つけるのは困難となる。ただ、唯一に線へと導かれそう
だと思えるのは女性の職業だ。週刊誌の記者となれば、怨恨を向けられることはあるの
ではないだろうか。そこを主線とし、過去に女性が担当した記事のネタを次々に洗い出
していく。しかし、十数年の記者生活の記事の総数から割り出す作業はまた困難にしか
ならない。それでも、捜索側はそこに焦点を絞り、女性を捜していった。それが意味の
ない作業と知らずに。
久留米雀との写真は廃棄され、世に出回る事はない。片柳彩子との写真も廃棄され、
誰の目に止まる事もない。どちらも女性が記事を他人に触れさせる前に対処したため、
男と女性以外の人間がそれを知ることはない。つまり、警察が男へと行き着く術は限り
なく無いに等しいといえる。安心とまで気を緩めはしないが、ひとまず気を難しくさせ
ておく段階は越えただろう。
これで事件は闇に葬られる、そう煙に巻いた思いでいる男の予測の外で危険信号が点
滅していた。いつでも可動が可能な状態で待ち構えている者がその動きを始めようとし
ている。亀谷右京、男もその存在には気づいている。だが、自分に辿り着くことはない
だろうと踏んでいた。むしろ、ここまで来れるものなら来てみろという挑発的な思いも
あった。
その一週間後、亀谷右京に衝撃が走った。男の足跡を追い続けてきた彼がその異変を
察知したのだ。久留米雀との不謹慎な関係に疑問を抱いてから、彼は女についての調査
を開始した。個人的な意向のため、通常の仕事とは重ならないように進めていかなけれ
ばならず、その分だけ時間も掛かったがある程度の面については把握する事ができた。
当然に女優として作品を通しての女は知っていたが、それ以外の個人としての詳細部分
の情報を。
そうしているうちに、一人の女性の名前が目に映り込んできた。柴村忍、特異家出人
として捜索が始められた女性だ。名前を目にしたのはたまたまだったが、見覚えのある
字だと気には掛かった。そして、女の調査をしている時に再びその名前を目にすること
になる。柴村忍、女が連載を持っている週刊誌の担当者だ。その女性がなぜ捜索される
ことになったんだ。彼はすぐに女性の捜索の担当の人間に経緯を聞きに行く。不審とも
捉えられる失踪、意図的な何かが動いている可能性がそこにはあった。彼の頭には大田
恵一の顔が浮かんでいく。
男は女の運転手として勤務していたが、いつからか女のマネージャーとなっていた。
どうしてそうなったかは分からないが、おかしいと思わざるを得ない。これまで運転手
だけをしてきた人間を急にマネージャーになどするのだろうか。会社に例えるならば、
昨日まで社長の運転手をしていた人間が今日から秘書をするようなものだ。疑いを抱く
のはなんら変わったことじゃない。自分の側に置いておきたい、という女の思いなのだ
ろうか。だとしたら、あの二人は完全に異質な関係にある。女の支配欲も相当なものと
いえるが、男の欲もそれに劣らぬものといえるだろう。
男と柴村忍には繋がりがある。女と女性が仕事をする場に、マネージャーとして同席
はしているだろう。女と女性は仲が良く、仕事以外でも交流があったらしい。そこにも
男の姿があったりしたのだろうか。女を介し、女性と交流があったりしたのだろうか。
その先に、何かトラブルがあったのではないだろうか。そううまく話がいくはずはない
と思うが、あの男の事とすると可能性は無いとは言いきれない。あの時の男の瞳を思い
起こすと。
その日の夜中、男は久留米雀の体を抱いていた。もう、何度この細く弱々しい老体を
包んできただろう。もはや、感情は大きく崩れ去り、慣れすら生まれてしまっている。
こんなことに慣れが生じるのは危機感が募らなければならないことなのだろうが、この
先も続けていくにはそれぐらいに心を枯れさせてしまう必要もある。正常でなど、いら
れるはずはない。
「柴村さん、どうなってしまったのかしら」
行為の後、女が独り言のように呟く。女は女性の事を気に掛けていた。女性の失踪か
ら一週間以上が過ぎるが、一向に発見される気配はない。仲が良かった女からすれば、
気掛かりなのは当然だろう。だが、事実を知っている男には裏切られてる女の惨めさも
濃く映ってくる。
「無事を信じたいですけど。ただ、これだけ時間が経っても音沙汰がないと、何かの
揉め事に巻き込まれた事も考えられるかもしれません。仕事柄、恨みは買いやすいでし
ょうし」
男の言葉に、女は無言で息をつく。女も心配は続けているが、さすがに事件や事故が
絡んできている可能性も示唆されてくる。最悪の事態も何回かは考えてしまい、頭を悩
ませた。
翌朝、仕事が休日なので女を自宅まで送り届け、男はそのまま車で渋谷に向かった。
夜中まで賑わいを見せている中心街も、朝となると静けさに覆われている。人もまばら
にしかおらず、店も閉まっており、ここが日本の中心地区である事を忘れそうになる。
逆に、これだけ熱のある街が冷えている状態の中にいるというのも気持ちはいい。贅沢
な気分にすらなれる。
そんな安息にいられるのはこの時だけだった。光村沙耶のマンションに到着し、中へ
入ろうとすると横から何者かが割って入ってくる。その姿を目にすると、男は急速に身
構えた。
「よぉ」
亀谷右京は精悍な面持ちで男へ近づく。男は事態の重さを考える。彼がこんな男の女
先へ姿を見せることはなかった。遠目からは見ているのだろうが、男にも分かる程度に
姿を見せるのは自宅付近が常だったから。何だ。何があったんだ。そう男の胸を不定に
わだかまりが動いていく。
男は何も言葉は返さない。彼の言葉があろうとも、大抵は素通りをしていく。男は彼
を昔から知っているが、もう関わりたくはないと決めている。刑事の責任か分からない
けれど、ここまで長く執拗に追いかけられるのは良い気などしない。もう二十年になる
のに、一人の事件関係者に何故そんなにもこだわるのだろうか。男は自分の本質を彼に
嗅ぎつけられてるような気がしていた。それでも、ここに届くことなど出来やしないだ
ろうが。
いつもの通りに男は彼の横を過ぎていこうとする。だが、彼の顔がこちらに向き、左
横に来た時に言葉を投げられた。
「柴村忍はどこに行った」
威勢のいい張りのある声が耳元に響く。その言葉に、思わず男も彼に顔を向けた。何
かを見据えた、相手の奥底を見るような目でこちらを見ている。長年刑事をやってきた
人間の、何一つの証拠も見落とさない観察力や洞察力が読み取れた。でも、それぐらい
で怯むわけにはいかない。
「どういう意味ですか」
男も目を細める。睨むとはならないように意識して。彼の言葉を怪しむ、という程度
のものとして。
「週刊誌の女性生活の記者、柴村忍の行方不明は知ってるな」
「はい」
それがどうした、と言い加えたくなるのを抑える。
「お前、どこに行ったのかは知らないか」
知ってるんだろ、と含めたような語調だった。
「知ってるわけないでしょ。何を言ってるんですか」
心外だ、という空気を醸し出す。この時点で、もう彼が男に疑いを掛けてるのは汲み
取れた。
「何か知ってるのなら言っておいた方がいいぞ」
「いや、俺も早く無事に見つからないかと心配してるんです」
お互いの視線がぶつかり合う。気鋭な彼の視線と無心な男の視線。彼の方から視線は
外れ、舌打ちをして去っていく。
男も高級マンションへ入り、女の部屋でベッドに倒れ込む。亀谷が自分と女性の関係
に疑惑を持っている。大田恵一を追ってきた彼からすれば、そこへ行き着くのは難しく
ないのかもしれない。ただ、そこから解明までの様々に絡む糸を解くのは不可能に違い
ない。
そう経たないうちに、女は仕事から帰ってきた。甘えてくる女の服を脱がし、望むが
ままに行為に及んでいく。いろいろな体位で喘ぐ女が視界にいながら、男は何度か亀谷
の存在が頭に浮かんだ。行為が終わり、裸で抱きついてくる女をなつかせながら心は別
にあった。
睡眠を取り、夜からは片柳彩子と会った。男が女性を殺める前に会って以来、女の子
の接し方は多少変わった。表面的にも心的にも距離を縮め、恋人としての関係を紡いで
きている。男がプレゼントした指輪は仕事の時は体裁を考えて外しているが、デートの
時には嵌めてくる。そして、女の子はよく幸せだなぁと言い零すようになり、その言葉
に男は心をくすぶられた。
亀谷右京は柴村忍の失踪時近辺の男の動向を調べた。女性が最後に目撃されているの
は仕事を終え、帰宅する時の姿。別に、その後に誰かに会う約束をしているという話は
聞かれていない。当日の様子も特にといった変化は見られていない。今のこの状況を予
測していたわけではないのだろう。おそらく、女性は意図していない状況へと追い込ま
れたのだ。
男はその日は休日だった。つまり、一日どうとでも動けたといえる。休日の男の通常
の動向は、久留米雀と自宅で一夜を過ごし、渋谷にある高級マンションの一室で朝から
夕暮れまでを過ごし、夜は片柳彩子と外で食事をする。男は休日には、数ヶ月前から大
概はこの流れで動いている。久留米雀とは異質な関係を築き、自らの思惑と交換してい
るのだろう。渋谷のマンションに行くのは、光村沙耶という女に会うのが目的だろう。
二人でいるところは二度しか見たことがないが、それ以外の住人といたことはないので
間違いはないはずだ。女はキャバクラで働いている。それも中々の有名店で人気もある
ようだ。男と知り合ったのは、タクシーかキャバクラのどちらかだろう。男の自発的な
趣味で行く店ではないので、前職の時に年長の同僚にでも連れていかれたと考えるのが
妥当だ。本命なのかどうかは分からないが、あのキャバ嬢なら接する客も高等になると
すると利用に値する人間ではあるかもしれない。片柳彩子はモデルとして、それなりの
地位を確立している。同世代の憧れの的、というやつだ。最近は女優業にも進出してる
らしい。男と知り合ったのは、タクシーの乗客としてだろう。少なくとも、久留米雀の
マネージャーとして係わる事はない。本命なのかどうかは分からないが、会っても食事
だけということも多く、スマートな関係といえるし、モデルという職業が利用に値する
ものかは疑問ではある。
男と女性に当日の接点があったとするなら、その後の夜の深い時間になる。どちらも
誰かに会っていた形跡はない。だからといって二人が会っていたわけではないが、その
可能性は否定されないことにはなる。
そして、彼には追い風が吹いた。その翌日、男は仕事を休みにしてもらってるのだ。
前職から、男が病気や旅行の類の他に自ら休暇を願い出た事はなかった。友人の結婚式
に出席していたという理由だったが、俄かに信じがたい。男には結婚式に参列するほど
仲の良い人間などいない。いるとすらなら・・・・・・野木晃彦、あいつぐらいだが、
既に結婚しているから対象から外れる。結果として、当日の男の動向には疑いを拭い去
れるだけのものはないことになる。
男が女性に手を掛ける理由はあるだろう。久留米雀との関係を掴まれたか、片柳彩子
との関係を掴まれたか。光村沙耶にしても、仕事上で何か裏社会に通ずるものがあるの
かもしれない。いずれにしろ、男は探られれば悪意を抱くだけの事をしており、悪意を
抱くだけの人物でもある。
男が女性に手を掛けたとするなら、男は休暇を取った一日に何をしてたのだろうか。
女性が生きてるにしろ、そうでないにしろ、自宅に置いておく事はしないだろう。俺が
嗅ぎつく事ぐらいは予想してるはずだ。自宅に踏み込めば一発でバレてしまう。とする
なら、女性をどこかへと移動する必要が出てくる。どこか、ってどこだ。隠し場所なら
無数に存在する。大きく言えば、一日で日帰りをできる場所の全てが対象になる。そん
なことを考え出したら切りがない。男が隠し場所として選択するところ、男が犯罪の末
として選択するところ・・・・・・あそこか。
それから一週間が過ぎた。柴村忍の捜索について、警察から進展の一報は届かない。
もう無事では帰って来ないのかもしれない、親近者にもそう覚悟せざるを得ない状態と
なってきた。
男は久留米雀の現場にいた。二時間ドラマの撮影は佳境に入り、刑事が犯人を追い詰
めるシーンとなっている。推理から導いた事実を突きつけ、犯人はその場に崩れこむ。
弱った体を起こし、手錠をかけて連行されていく。
男自身、今回のドラマの内容には自らを投影する機会は多かった。ならば、自分にも
こういうシーンが巡ってくるのだろうか。迫りくる追っ手から逃げ切る術はないのだろ
うか。いや、そんなことはないはずだ。女性を殺める場も、沈める場も誰にも見られて
はいないのだから。ここにまでなんて、辿り着きようがない。そうだ、もっと心を広く
持っていればいい。
ただ、亀谷の不気味な存在感も拭いきれないのも現実だった。あの男は大田恵一とい
う人間に勘付いている数少ない一人だ。表向きに繕ったものじゃなく、裏側に潜めてる
凶気に。
亀谷に初めて会ったのはもう二十年も前になる。あの時は今のようにではなく、子供
に接する優しげな大人というふうに映った。しかし、次第に彼は優しさを薄めていった。
そして、男の現状を逐一に確かめるようになる。どこに行こうと、その視線は男に着い
てきた。
「じゃあ、明日は八時に迎えに来ます」
「えぇ、お疲れ様」
仕事終わりに女を自宅まで送り届ける。女はもう女性の事について口にしなくなった。
危険を心配するのを止めたわけじゃないが、もしかすればの事態も考えるようになった
のだろう。




