アツアツの滑り台
翌朝、普通に起きて普通に朝ごはんを食べて、普通に出かける準備をする。
お母さんがひのきくんにごはんを食べさせながら何度もあくびをしてたから、どうしたのって聞いたら、夜にさらにお父さんと話し合ってたらしい
『お父さんめんどくさいから、仕方ないけど』
『おとーさんめんどくさいの?』
『ひのきくん、あー、そんなことないよ?えーっと、お父さんは確かにめんどくさい時もあるけど、まぁ人間だしそんな時もあるよ』
『そんなときもあるね!』
大人ってやつは大変だ。
まぁ私も並の大人より大変なことになったけど。
学校に着いてもあまりに普段通りで拍子抜けする。
オムニアもずーっとダンマリだし、昨日のことは夢だったんだよって言われたら!へえ、そっか!って納得するレベルの日常度合い。
教室に着いてランドセルを棚に仕舞ってると、背中にドーンと衝撃を受ける。
『ねー!!!ねえねえねえねえねえ!!!昨日!!どうだった?!』
美弥ちゃんのあまりにド直球な質問と、物理的なバックハグの強さにヒュッと息が止まりそうになる。
『ねーぇねーぇ!昨日帰っちゃうんだもんー!』
私が『うー』とか『あー』とか言葉にならない呻き声しかでてこないでいると、今度は『いったぁ!!』と美弥ちゃんの叫びが聞こえる。
『バカかよおまえ!昨日その話するなって先生すげぇ注意してたばっかだろ!』
振り返ると野口李人が辞書をもって美弥ちゃんの背後で不機嫌そうにしている。
おそらくロッカーにしまう途中のそれを、武器にしたのだろう。
野口李人は賢くて大人しそうな見た目に反して、割と暴力的だ。
『いったぁ!超いったぁ!暴力を受けましたー!先生に言いに行く!』
『そしたら俺はさっきのお前の発言を言うからな。痛っ!蹴るんじゃねぇよ!はい、おまえも暴力だから示談な!』
『昨日あの後って、何かあったの?』
この2人が言い合うと平気で朝休み丸々終わらないので、私が口を挟むと、美弥ちゃんも野口李人もぴたりと口論をやめて私の方を見る。
『んー、志乃ちゃんは体育館で体調不良で帰りましたって。体育館行った他の子たちは教室戻ってきたから、みんな色々聞こうとしたら、先生がすごい怒鳴って、絶対何も聞くな!って』
そんなことに。とにかく聞かれないのはありがたい。私がなるほどと相槌を打っていると、野口李人も補足するように口を挟む。
『答えた人も、聞いた人も、国に罪に問われる可能性がありますって、恐ろしいこと言ってた。ということなのに、ベネットおまえ頭大丈夫?犯罪者になりたいわけ?』
『気になるからー、志乃ちゃんも私にならうっかり言うかもしれないじゃん?』
『信じられない。とにかく聞かれても白田言うなよ。俺も聞きたくないし、お前も嫌だろ。』
『もち、絶対やだ』
『えーだめかー』
ケタケタ笑う美弥ちゃんを、野口李人と私はドン引きで眺める。
美弥ちゃんは出会った頃から怖いもの知らずでこういう私たちの想定を遥かに飛び越えてくるところがある。
そんなことしている間に杉元先生がきて、朝休みが終わる。
先生はさっき野口李人から聞いたことをもう一度言って、クラス全体を蛇のようにじろりと睨んだので、クラス全員カエルよろしく固まった。
私としては余計なことを聞かれて自分がオムニアを持つ地球皇帝だとバレるのはなんとしも避けたいのでこの状況はありがたかった。
杉元先生が蛇のように恐ろしくてよかったと初めて感謝した瞬間だ。
杉本先生から、昨日呼び出されたメンバーは全員中休みと昼休みと放課後を使って順番に保健室で軽く診察してもらうことになったことが伝えられた。
どうやらうちのクラス以外も体育館メンバーは全員らしい。
授業が始まって、前回の授業のまとめシートの続きの作業になる。
隣の美弥ちゃんは前回喋っていたからか、紙面の大部分が真っ白で教科書を丸写しする作業に没頭しているようだ。
私は幸いほとんど終わっていたのでさっさと仕上げを済ませて頭の中は放課後の面談のことに思いを馳せる。
鞠江先生に会えるのは嬉しい。
昨日の出来事の中で唯一良かったことは鞠江先生が味方になってくれることだ。鞠江先生はなんだか生き物として色んな限界を超えてる感じがして、とても頼もしい。性別も超えてるし。
"まりちゃんを連れてくる約束するなら俺はここのセキュリティの仕事する。断るならしない"
鞠江先生のことを考えていたら藤尾さんのこの発言を思い出してゲンナリする。
藤尾さんの話もしなくちゃ。もし鞠江先生に断られてセキュリティの仕事しないとどうなるんだろ?
SPとか言ってたし、やっぱり危ないのかな?
私はにわかに不安なってきた。
オムニアに、聞いたら分かるのかな?
でも話しかけたら地球皇帝としての何かが始まってしまうのでは?
というか、むしろ昨日から何もしていないけど大丈夫なのか?
オムニアが巻いてある左手が急に重くなったような錯覚に陥る。
『おい、白田、今後の課題のところ終わった?』
『え?』
『ぼーっとしてんなよ。今後の課題の欄、これどこ見て書けばいいの?』
野口李人ないつも教えを乞うてるのに関わらず謎に偉そうだ。
『これは先生自分で考えて書けって言ってたよ』
『はい、せんせー、大田区のことどうでもいいんで自分で考えて何も思いつかないんですけどー』
『いや、私じゃなくて先生に言いなよ』
『言うわけないし、半殺しにされるし、馬鹿なの?』
『じゃあそんな馬鹿だと思ってる私に聞いてる野口くんは阿呆なの?』
『はい、阿呆って言う奴が阿呆ー、あ、あー、やめたやめた』
いつもの野口李人の悪口の応酬が始まると、私は臨戦態勢になっていたのに、唐突に勝手に終わらせてきた。
『とにかく、ぼーっとすんなよ』
捨て台詞を残してひと睨みすると、野口李人はまた近くの男子とふざけ始めた
なんなんだあいつは。
帰りの会が終わった後、いつも一緒に帰ってるメンバーの1人に用事を告げると荷物を持ってダッシュで保健室に向かった。
ノックの後、返事があったので『失礼しまーす』と言いながら、なんとなく緊張しながら保健室のドアを開けると、なんということでしょう。
鞠江先生はおしゃれなパステルカラーのヨガウエアを纏い、片手で逆立ちして、腕立てしていた。
『ごめんなさいね〜少し空き時間があったからヨガしてたの、今終わるから待っててね』
ヨガとは?
確かに敷いてるのはお母さんも使ってるヨガマットだけれども。
お母さんのヨガとはだいぶ違うようだ。
『はいはい、ここ座ってねー』
鞠江先生はマッチョな身体の重さを感じさせず、羽のように軽やかに足で着地すると、颯爽と椅子にかけてあった白衣を羽織り、即座にテーブルと椅子を用意してくれた。
危ない。
衝撃的な絵によって何を言うか全部記憶喪失になるところだった。
鞠江先生曰く、私と話すために、ついでに昨日の生徒全員とカウンセリングという体裁で面談することにしたらしい。
『白田さんだけ呼ぶとまずいから全員呼んだのよ。その方が校長先生にも話しつけやすいしね。で、家ではどんな感じだった?お父さんお母さんと話せた?応援してくれる感じ?』
『はい。お母さんはオムニアと話して、色々ルール決めてくれて、お父さんはちょっと怒ってたけど、大丈夫です。でも励ますだけで内容は相談しちゃダメって』
『そうね。まぁその辺りは周りの大人が気をつけるから大丈夫よ。白田さんが相談しも回答しなければいいんだから。あまり気負わないで。』
『あのー、鞠江先生』
私は任務を遂行すべく切り出す
『藤尾さんって人、知り合いですか?昨日体育館に居た。』
鞠江先生が5秒くらい完全停止した。
あれ?時間止まった?ってくらいピタ止まりだった。
『…何か言われたの?』
ゆっくり運転再開した鞠江先生はにっこりといつもの余裕の女って感じの笑顔に戻っていた。
『えーっと、あの人、なぜかうちのマンションにいるんですけど、鞠江先生に会いたいそうで…』
私はどこまでそのまま伝えていいものか考えあぐねて歯切れ悪く視線を合わせられず、とりあえず藤尾さんの要求だけ伝える。
鞠江先生はそこまで聞くと呆れたようにため息をついた。
『いいわ。大体見当がついた。大丈夫、藤尾くんに会いに行くわ。仕事の都合がついたら連絡するって言っておいて。なんというか、昨日あのハンカチを私が珍しく持っていたことからもう運命だったのかしら。』
そのあとも先生は『あるいはもしや何か仕込まれた?』とぶつぶつ独り言で思案していた。
『あ、先生のハンカチは、その、藤尾さんが持って行っちゃって』
『いいのよ、あれは元々藤尾くんがくれたやつだし。』
『え"っ』
『白田さんも巻き込んじゃってごめんなさいね。』
今無茶苦茶気になることを言われた気がするけど、これ以上藤尾さん関係に深入りするのも怖いし。
保健室を出て、そのまま帰るために昇降口に向かう。
下校時刻を30分ほど過ぎているので、いつも賑わっている下駄箱は誰もいない。
上履きからスニーカーに履き替えて、正面玄関をでると、むわっと熱気が襲ってくる。
正門付近に並べられている2年生の朝顔がどの鉢もしなしなになっている。
志乃も2年生の時世話をしていたが、朝休みの時に義務づけられている水遣りがされているはずなのに、放課後にはもうこの状態だ。
1人で歩く通学路はやたら暑いし長く感じる。
早く夏休みにこないかな。
いつも夏休み前になると待ち遠しくなるけど、今年は地球皇帝やらオムニアの隠し事のせいでいつもの何倍も切望している。
残り日数を指折り数えてみる。
あと2週間くらい。長いなー。
途中でものすごい勢いで自転車を漕ぐ男の子とすれ違う。
片手にアイスキャンディーを持ち、鼻歌を歌いながら片手運転をしていた。
たぶんうちの学校の3年生だった。名前は知らないけど。
3年生のくせに、買い食いして、片手運転して、スピード違反して。
ぬるい風が吹いて、近くで揺れた大きな木の影が志乃の顔に揺らめく。
右手に公園があった。通学路での寄り道は禁止されているけど、よく帰り道に公園の中を通って滑り台を滑ってから帰っている生徒は、よく見かけている。
志乃自身は、4年生の今まで自分ではやったことないけれど。
吸い寄せられるように公園に入っていく。
後ろめたい気持ちは全然起きないし、むしろ足はふわふわと軽かった。
ランドセルをベンチに下ろして、よいしょと滑り台の手すりに手を掛けた。
『あっっっっっつっっ!!!』
金属製の滑り台は灼熱の太陽によって熱々に熱せられていた。
手のひらがジュウジュウ焼けたんじゃないかと慌てて確かめるが、すぐ離したことが幸いしたのか、手のひらは赤くすらなっていない。
改めて滑り台を見ると、滑る所に紐と看板が括り付けてあって、
『夏季使用厳禁』と書いてある。
こんな危険物なら滑り台全体をバリケードで覆って欲しい。
結局初の通学路寄り道の試みは出鼻を挫かれて失敗に終わった。
ランドセルを背負い直して、残りの通学路をトボトボと歩いた。
異常気象ってやつは滑り台を熱々の危険物にしちゃうわけね。




