ダヴィンチさんとマンションセキュリティ
ワシントンさんの説明を聞きながら、歩いていたらあっという間に家のマンションに着いた。
エントランスで杖をついたおじいさんが弱々しい声で『こんにちわ〜』と挨拶してくれたので、私も挨拶を返したけど、この人初めて見る人だな。
うちのマンションはそんなに大きくないので話したりはしないけど何となく住人の顔は把握している。
そんなことを考えつつワシントンさんの話の続きを聞く。
『そして、大任を担うことになったミス志乃の身の安全に関してだが、それも我々の方で準備があるので安心して欲しい。レオナルドくん、マンションのセキュリティについて話したまえ』
『オッケー。え〜っとね』
エントランスのオートロックを開けていると、またしてもオムニアから初めて聞く声がする。ワシントンさんと同じくおじさんの声だけど、口調のせいか軽々しく気さくな感じがした。
『住民はみんなエントランスのカメラで顔認証されてるし、宅配便の荷物は危険物かどうかスキャンされるね。志乃ちゃんの部屋は瞳孔認証されるようになってるから、悪い奴が勝手に入ってきたらレーザーでドロドロだね。360°攻撃できる戦車はいる?』
『せ、戦車…?』
私は唖然とするお母さんと顔を見合わせる。
『ご苦労。戦車はいらん。』
『ええ〜?戦車いらないの?戦車かっこいいよー?藤尾くんは笑ってくれたんだけどな〜。』
『彼は快楽主義者だ。判断の材料にしてはいけない。ミス志乃、彼がマンションのセキュリティを強化してくれているうえに、管理人室で警備システムが出来上がっている。安心して日常生活を送ってくれたまえ、ちなみに先ほどすれ違ったご老人も配置されたSPの1人だ。50人の悪漢に囲まれても30秒で制圧できる実力者だ。学校、マンション、通学路にSPが複数配置されている。』
『あの、おじいさんが…』
ヨボヨボで杖をついたおじいちゃんを思い出し、頭が混乱する。
『藤尾くんにもあいさつしてもらおう。』
オムニアからコール音がなり、『なに?』
と不機嫌そうな藤尾さんの声がする。
『ミス志乃が帰宅した。出てきて挨拶してくれたまえ』
ブツっと通信の切れる音がしたと思ったら、普段開いたのなんて見たことがない、エントランス脇の管理室のドアが開いて、なんと藤尾さんがでてくる。
ここまであからさまに機嫌の悪そうな顔する大人ってお父さん以外で初めて見たかも。
すでにここまでの経緯で藤尾さんが大の苦手になっている私は、目の焦点をぼやかして、見ている様に見せかけて藤尾さんの顔を見ていない。
『コンニチワ、ヨロシク』
私とお母さんを前にして、1ミリもよろしくって思ってなさそうな声だけの挨拶をして、すぐに管理室に戻ろうとする藤尾さん。
『待ちたまえ。AIの私が言うのもなんだが、君はもう少し人間関係のための体裁をとってはいかがかね。』
藤尾さんは後ろ手で閉じようとしていた扉を止めて、ゆっくりと振り返りコチラを親の仇のごとく睨みつける。主に私を。
目が充血していてとても怖い。思わずお母さんの背後に半分隠れる。
『俺はオムニアの選別で終わって解放されるはずだっ……ん???』
途中で言葉を止めた藤尾さんは私の手元を凝視して言葉を止める。そしてなんとそのまま私目掛けてズンズン近づいてくる。
お母さんが私を庇って前に立ってくれるが、ずいと、横から私の方に顔だけ突っ込んでくる。
『ちょ、なんなんですか!』
思わず手に持っていた鞠江先生のハンカチを握りしめて顔の前に掲げる。
『それ!まりちゃんの!』
『え?』
『ま、まりちゃん?』
思いもよらない言葉にキョトンもせざるを得ないお母さんとわたしを無視して、すごい熱量で迫る藤尾さん
『まりちゃんのハンカチでしょ!』
藤尾さんは私が手に持っていた鞠江先生のハンカチを奪い取り、至近距離でワカサギ釣りの刺繍を凝視する。そしておもむろに顔を埋めてスーハースーハー匂いを嗅いでいる。
その間、私もお母さんも手を取り合って後ずさって彼から距離を取る
ワシントンさんが『大丈夫、おかしな男ですが、危険はありません。』と当てにならないことを言っている。どのへんが大丈夫なのか?
『これ、どこで手に入れたの?』
藤尾さんが鋭い視線を向けて私に問いかける
『ほ、保健の先生がくれました』
『保健の、せんせい?…うん、間違いなくまりちゃんの匂い。』
ぶつぶつ独り言を言った藤尾さんはそのままハンカチをギュッと抱きしめて私を睨んだ。
『おい、白田志乃』
『は、はい。』
藤尾さんはあの体育館の僅かなやりとりで私のフルネームをしっかり覚えていた。
私の中の怖いこと言う、だらしのなさそうなお兄さんから、意味が分からなくて怖くて油断ならない人にシフトチェンジ、あるいはグレートダウンした。
『保健の先生を今度ここに連れてこい。』
『え、鞠江先生を?それは難しいのでは…』
『まりちゃんを連れてくる約束するなら俺はここのセキュリティの仕事する。断るならしない』
『えー!』
なんという無茶を。一介の小学生に保健の先生を家に連れて帰るなんてそう出来るものではない。
しかも何故鞠江先生を?鞠江先生ならこの怖い人にも腕っぷしな意味でもそうそう負けはしないだろうが、この藤尾さんは何が目的なのだ?
『とりあえずオッケーしちゃいなよ。あとで大人が権力でどうとでもするって〜』
ダヴィンチさんが雲が如く軽い無責任な後押しをする。
『…分かりました。出来るかわからないけど、聞いてみます。』
『まりちゃんは、超優しい。小学生という立場を存分に利用して縋り付けば絶対来てくれる。ただし、俺の名前は出すな、分かったな。』
『…分かりました。』
これ以上この人と話したくないので、出来る出来ないは考えずにとりあえず返事をしてしまった。
そのあとはお母さんが前にでて、藤尾さんと大人の話ってやつをしてた。たぶん。
お母さんも途中途中ハテナがたくさん飛んでたけど、大人だし大丈夫だろう。
まじで藤尾さんがトップオブトップで謎だけど、絶対知りあいたくはない。
結局ハンカチは返してもらえなかった。鞠江先生に謝らないと。
とにかくそんなこんなで私、白田志乃の地球皇帝の日々は始まってしまったのである。
お母さんと家に帰って麦茶を飲んでいたら、しばらくしてお父さんも帰ってきて、3人で色々話し合って今後のことを決めた。
・お父さんとお母さんと鞠江先生以外には絶対に誰にも言わないこと
・ひのきくんはまだ小さいので間違えて言っちゃうかもしれないので、秘密にする。
・地球皇帝の仕事にノルマは無いので、学校生活や日常に支障のない範囲で出来るだけやる。
3人で話していると、時々オムニアも入ってきて、お父さんが明らかにイライラしてきた。
『ご息女に多大なる負担をおかけして、誠に恐縮でございます。きっと大いなる課題に思い悩む彼女の姿を見たあなた方はご助言されたくなるでしょうが、それはルールとして禁止してあります。他人の意思で彼女がコントロールされることがあってはならないので。』
水色の玉がテーブルの上でふよふよしている。
『コントロールって!私たちは娘の親です。娘のこんな状況を無視しろと?』
『お気持ちは分かります。心のケアは問題ありませんが、内容の助言はおやめください。場合によってはご両親と離れて暮らさなければなってしまう。』
『AIが人の気持ちのことを語るな!』
どうしよう…。お父さんめっちゃ怒ってる。
私が地球皇帝なんかに選ばれちゃったから。
胸の辺りが大きな石を飲み込んだみたいに重くなる。謝った方がいいのかな?
ちらっとお母さんを見ると、静かにしてて特にどんな気持ちか分からない表情だけど、怒ってる感じはしなくて、少しホッとした。
とりあえず私が地球皇帝として何かを考えるときにお父さんとお母さんに相談しちゃいけないんだなってことは分かった。
お父さんはオムニアに怒ってるって頭では分かってるけど私の方に向けて喋るから怖い。そもそもこんなもの持ち帰った私のことも嫌なのかもしれない。
『分かった。一旦私も話していい?』
数分の気まずい空気が流れたあと、お母さんが口を割った。お父さんは無言だけど、それを了承と解釈したお母さんはオムニアに話しかける
『とりあえず、助言しなければ聞く分には問題ないんですか?あと内容への助言なしで励ますのはいいですか?』
『そうですね。問題ありません。』
『じゃあ、志乃ちゃんが話したければ、お母さんたち聞くことは出来るから。聞いて欲しい時は言ってね。あとオムニアさん、娘からあなたへの対応が私たち親から見て不適切だと思う場合も対応してもらえますか?』
『もちろん、いつでも承ります。』
お父さんは無言で席を立っていなくなってしまった。
お父さんはいつもすぐ拗ねてどっか行く。たぶんお父さんには相談できないだろうな。怒るから。
お父さんが居なくなった後もお母さんはオムニアに何個かルールを頼んでいた。
・私が話しかけたとき以外はオムニアから話しかけない。
・地球皇帝の仕事も放課後から夜ごはん前までしかさせないこと。
・私に敬意を持って接すること。
全部お母さんらしいなって思った。
なんかちょっとだけ大丈夫な気がした。
その後私はなんだか眠くなって、保育園の時以来の昼寝をして、
起きたらひのきくんも保育園から帰ってきてて、お父さんの機嫌もさっきよりはマシになっててお風呂のあとドライヤーかけてたら『話はちゃんと聞くから』とボソッと私に言って去って行った。ツンデレかよって心の中で思ったけど、嬉しかった。
オムニアはお母さんの約束を守って一切話しかけてこなかったから私は昼寝もしたくせに、その夜も夢も見ないで深く深く眠った。




