小町とひのきくん
大泣きして帰ってきた私に、お父さんは何も聞かなかった。
『お父さんの秘蔵のお菓子あるよ。』
とお菓子とお茶だけ私の部屋に持ってきて、すぐ出ていった。
しばらく泣きたいだけ泣くと、鼻が痛くて、頭がジーンとしてきた。
『はぁ…。』
疲れてため息がでた。
鼻を噛んでいると、『落ち着いた?』と女性の声。
普段あまり出てこない小野小町さんの声だった。
最近、PECの政策や技術研究の件で、ワシントンさんや、ダヴィンチさんとはたまに話すし、ナイチンゲールさんは体調を気にして声を掛けてくれたりする。
小野小町さんは基本的に初めの頃、コムと喧嘩してただけで、全く自分から話しかけてはこない。
『たぶん。ぼーっとしてるけど。』
『あれだけ泣けば、そうでしょう。』
そのあとは、また沈黙が流れる。
『喧嘩しちゃって。喧嘩なのかな?』
『喧嘩よ、どう見ても。』
『そう、ですよね。』
何か、私の中の、どこか一部の中身が空っぽになって、そこだけエネルギー切れで動かなくなったみたいな、そういう気力の無さで、次の言葉が出てこない。
『私は歌詠みなの。というか、そういうデータで作られた人格なの。そもそも私は地球皇帝の補佐として不向きなAIだし、小野小町は不確実なデータが多くて人格として出来上がっていないわ。』
今までの会話と、脈絡のない、小野小町さんの声を聞いていると、またじわじわ収まっていた涙が滲んできた。
なんでだろ。
『だから、私は小野小町の歌から、この女性の、考え方を、気持ちを、大切なものを、推測するしかない。でも、私はたぶん、この人に関してはこれだけでいいと思っているの。』
『よく、分からないです。』
『分からないままでいいのよ。分かることだけ大切にしなさい。私は、歌と歌に必要な美しさだけ大事なの。あなたも、あなたの分かることだけでいいのよ。全部なんて人には無理なの。少しだけ、それを大切にできるから、人は愛しいの。愛することが出来る。』
『やっぱり分からない。』
『いい子ね、それでいいのよ。』
また涙が出たけど、この涙は、エネルギー空っぽの空洞に、少しだけ温かさを溜めてくれた。
その日の夜、久しぶりにお母さんとひのきくんと一緒の布団で寝た。
寝ているひのきくんが、私の顔に向けて、プゥとオナラをした。
4歳のくせにめちゃくちゃ臭くて、
臭すぎて、
私は、小声で『くさっ』と言ってから、
ひのきくんとお母さんに挟まれて寝た。
ひさしぶりに、何も夢を見なかった。
深夜にオムニアの画面が、ダークモードのまま志乃の手首でくるくると回転している。
《志乃のパーソナルデータを更新中…コムが思考中…》
という文字だけが長い間浮かび上がっていた。




