なんでスマートウォッチ?
7月に入ってしばらく経ったその日の朝学活の時間は大幅に遅れていた。
すでに1時間目の始まりを告げるチャイムが鳴ってから10分が過ぎていた。
教室のあちこちから生徒たちの非日常を訝しがる声が上がっている。
隣の席のベネット美弥ちゃんが私に肩を寄せてきた。
『先生なんで来ないのか知ってる?』
『ううん、知らないけど』
『なんかDコースの子に聞いたんだけど、朝に黒い長い車が何台も南門に止まってたんだって!絶対なんか事件じゃない?』
美弥ちゃんは噂話大好き人間だから心配1割ワクワク9割という様子で私の返答を待っている。きっとすっごく驚いたりワクワクして欲しいんだろうな。
『えー、ほんとに?でも事件ならパトカーとかじゃないの?』
『まぁ確かに、、』
『なぁ、誰か先生呼んできた方がよくね?』
ここで美弥ちゃんとは反対側の隣から、唐突に野口李人が口を挟んできた。
野口くんは2年の時もクラスが一緒だったからか、まだ6月だけどいつも全然遠慮なしに私と美弥ちゃんの会話に入ってくる。
ちなみに美弥ちゃんは全然人見知りしない子だから、友達の友達だった私は初対面から友達扱いしてくれて、そんなに積極的な人付き合い得意ではない私には、まだ日も浅いクラスでありがたい存在。
『え、なんで?』
美弥ちゃんはまだワクワクしてる。
『なんでって、このまま時間過ぎると怒られるんじゃねーの?』
『じゃあ、野口くんが呼びに行けばいいじゃん』
『え?嫌だよ、白田が行けよ』
『え?なんで私?』
急に上がった自分の名前に驚いて、野口くんに思わず問い返す。
『だって、そういうのはこの3人の中ではお前じゃん』
そういうのってどういうことだ?という疑問を浮かべた眼差しで美弥ちゃんに助けを求めるが、なぜか美弥ちゃんも腕を組んで頷きながら
『確かにこの3人の中じゃ、そうだ。』
と答えるではないか。
しばらく3人で向かい合ってだんまりしていたが、二人からの無言の圧力に耐えられなくなった私は渋々教室から出て職員室に向かった。
結局私は職員室にたどり着くことはなかった。
廊下の角を曲がったところで、段ボールを抱えた杉本先生が猪突猛進してきたからだ。
段ボールで前も見えてないのに、明らかに徒歩の定義から速度オーバーの早歩きで猛進してきた先生とぶつかる寸前で私は慌てて声を上げた。
『せ、先生!ぶつかる!』
先生はその場にピタリと静止したけど、急ブレーキに耐えられなかった段ボールの中身が廊下にいくつか散らばって落ちた。
『白田さん、なぜこんなところにいるんですか!』
先生は出会った3秒で私を叱り出し、その雰囲気はいつにも増してさらにピリついていた。
先生との予想外の遭遇か、はたまた衝突事故寸前の恐怖へのドキドキか判断しかねる心臓の高鳴りを呼吸で鎮めつつ
『あの、先生が来なかったので、呼んできた方がいいという話になって、私が呼びに行く途中でした。』
私は弁解をしつつ、段ボールで両手の塞がった先生の代わりに散らばった小さなビニール袋に入った何かを拾って、段ボールの中に戻す。
何これ?腕時計?
文字盤に当たるところが艶々で真っ黒で、お父さんの持ってるスマートウォッチによく似てる。たくさんあるってことは配られるのかな?
『…そうですか…。早く教室に戻りましょう。』
私の返答を聞いても、先生の纏う空気は全く和らがなかったけれど、とりあえずこれ以上怒られることはなさそうな流れに私は内心でほっと息を吐いて、駆け足で先生の後を追ったのだった。
先生は教室に入ると、まず配布係の子を呼んで段ボールに入っていたスマートウォッチ的なものをクラス一人一人に配らせた。
男子の数人は手に渡った途端ビニール袋を破こうとしたが、杉本先生がその子らを破茶滅茶に怒鳴ったので、今や教室はみんなシーンとしてお膝に手を乗せて机の上のスマートウォッチ的なものを少しでも視覚情報から解析しようと凝視している。
杉本先生がいつにも増してピリピリして、もはや帯電してビリビリしてるのかなって雰囲気だ。私は避雷針になりたくないので、机の上を見ることもしないで地蔵の如く前を向いて固まっていた。
『みなさん、おはようございます。』
やっと話し始めた先生に、教室が瞬時に静まる。教室中の生徒がこれが何なのか先生の説明をまだかまだかとウズウズしている。
『今配ったものは、東京都から都の小学生に貸し出されることになった、スマートウォッチです。今後タブレットと合わせてみなさんの勉強に役立てていくものなので、大切に扱ってください。』
『えー!』『東京都やば!』『めんど!』
クラス中から賛否両論のリアクションが起こる。
隣の席の野口李人は結構賢いやつなので
『これ結構新しいやつじゃん、東京都金あるな』なんて子供らしからぬことをぶつぶつ言いながらすでに電源ボタンを押そうとしている。
『明日から基本的に毎日学校につけてきてください。貸出品なので卒業の時に東京都に返すのでくれぐれも壊したりしないように!画面右下のボタンを押しっぱなしにして、画面がつくか確かめてください。』
文字盤にあたる画面の右下のボタンを長押しすると、すぐに画面にタブレットでお馴染みのアイコンがでる。
腕に巻いてみると、黒くて艶々してて未来感があってなかなかかっこいい。
教室のあちこちで新しい暇つぶしの道具を得た生徒たちがキャッキャッと喜びの声をあげていたら
教卓の先生は唐突にため息をついて教卓に手をついた。
先生はその姿勢のまま俯いてしまい、動かなくなってしまった。
先生と生徒のテンションの温度差が半端ない。
教卓から発せられる冷気に4年2組な生徒のサーモグラフも一気に右下がりの急降下して真っ青になり、シーンとなる。
杉元先生がこんな長く静止するなんて、これは異常事態だ。クラス全体がざわついてくる。
みなさんご存知ないかもしれないが、昨今の小学校というのは息を吸ったり吐いたりおしゃべりするのも急がなきゃいけないくらいにとにかく一分一秒レベルで時間がないのだ。
そして中でも我が4年2組の担任の杉元先生はいつでも首からストップウォッチを下げているし、なにより運動会のお弁当を時間が無いから6分で完食しろとクラスに指示したエピソードを持つ、校内の先生の中でもトップレベルのせっかちだ。
時計の秒針がちょうど一回りしてから、先生はやっと顔をあげて口を開いた。
『今日はもう一つ、大事なお話があります。
みなさん、先々週、お母さんお父さんに国からの調査アンケートを出してもらいましたね。あの結果をオムニアに入力した結果、うちの学校の生徒から“地球皇帝”を選ぶことになったそうです。』
『は?』
野口李人の間の抜けた声が第一声となり、衝撃的な発表は4年2組の教室は阿鼻叫喚の嵐とした。
『ねー!ねー!ねー!すごくない?!やばくない?!なんなの?!やばくない?!』
美弥ちゃんは私に飛びついて肩をガクガク揺らして、私自身も頭の中もシェイクされた『やばくない?!』の文字がばらばらに散った。
『今からご両親がオムニアの条件にあった子を集めて、体育館に集まって“くじ引き”をするそうです。本人の能力や、ご両親は一切関係ないそうです。あくまで一般的な人間を選出するそうです。名前を呼ばれた子は廊下に並んでください。』
くじ引き?一般的な人間?なんで小学生?
地球皇帝っていう地球の代表決めるんだよね?何から疑問を持っていいのか分からないくらい意味が分からない。
『ええっと、小野さん、佐々木さん、白田さん、富木さん、…』
名前を呼ばれてしまった私を含めた4人のクラスメイトは現実感のないまま呆然と先生の後をついて体育館に移動した。
校舎から体育館に移動するガラス張りの通路は、晴れている時は天井から陽が差し込んでキラキラする学校内で1番お気に入りの場所なのに、今日はどんよりと分厚い灰色の雲に覆われた空しか見えなかった。
今にも降り出しそうな雨をギリギリ溜め込んでるような重そうな雲を見ないように前の背中だけ見て歩いた。




