鞠江先生と藤尾さん
その頃鞠江は、午前休を取って、志乃のマンションにきていた。
近くのコインパーキングに車を止めて、マンションの敷地内に徒歩で入っていく。
エントランスに入るところで、住人と思われる杖をついた老人の男性とすれ違い、会釈をする。
(なんかヨボヨボしている割に体幹にブレがないような?気のせいかしら。)
つい職業柄と趣味の筋トレの影響か、人の肉体を観察しがちだ。
鞠江は意識を今日の目的に戻す。
(藤尾くん。何年振りかしら。)
藤尾とは、彼が専門学校時代に養護教諭として出会った。
あまりに学校に馴染まず、不健康そうな彼にお節介を焼いているうちに、なぜか懐かれてしまった。
その後色々あって距離を置いたのだけど。
今の学校に赴任してすぐの頃、なぜか"内閣府科学技術支援プロジェクト事務局"なるところから、でかい封筒が届き、わざわざ電話も掛かってきた。
事務局曰く、私の経歴から今後開発に関わる技術者に支援が必要になった場合協力して欲しい人材に選ばれたとのこと。
現在の仕事はそのままで、登録だけして欲しいと。
何度か断ったけれど、あまりにしつこく、バックに大きい力も感じて、渋々登録したのだけど。
今回のオムニアも学校関係者の中で、鞠江は最も早く知らされていた。
特別な立場が与えられ、選ばれた子供の支援を任された。
(そんなこと強要されなくても支援するけど。)
そもそもの原因は藤尾だったに違いない。
なぜだか知らないけど、ものすごく執着されていたから、藤尾を動かすための人材として選ばれたのだろう。
(あの子ったら何をやらかしたんだか)
一昨日の夜、スマホを見ていたらなぜかあの刺繍ハンカチを思い出して、思わず鞄に入れてしまったのも、もしかして何かされていたのだろうか。
(スマホをハックしてサブリミナルとか?まさかね。)
『AIなんて、気持ち悪いったらありゃしないんだからもう!回りくどいことしないではっきり言ってきなさいよ!』
鞠江はヒールを音高くならして闊歩すると、エントランスの扉を開けて、マンションに入って行った。
鞠江は迷わず管理室のインターホンを押した。
ピーと何かの電子音がなってドアがゆっくりと開錠され、隙間から藤尾が顔を覗かせた。
藤尾はドアの隙間から顔を覗かせたまま、固まっていた。
その視線は鞠江で固定され、血走ってクマのあるギョロリとした瞳は大きく見開かれて瞬きひとつしなかった。
『ひさしぶりね。』
先に沈黙を破ったのは鞠江だった。
藤尾はたぶん何か返そうとしたのだろうけど、口を微かに動かしたけどハクハクと声にならない空気の音がしただけだった。
鞠江は挨拶以降は何も言わなかった。それでも穏やかに藤尾を見守る表情は、彼の気持ちが落ち着くのを待っていた。
『お、俺は、マリちゃんと、1日だって、1秒だって離れたくなんて、なかった!』
藤尾は、まるで一瞬も視線を逸らすまいと、鞠江を睨みつけたまま、扉の隙間にもたれかかるようにズルズルとその場にしゃがみ込んだ。
瞬きすらゆるさないような強い視線を向ける瞳からみるみるうちに涙の膜が盛り上がっていき、大きな粒になったそれは藤尾のステテコズボンに濃いシミを作っていく。
『ごめんね。』
鞠江は一言だけ謝った。
『俺、マリちゃんの言う通りにしたよ?もっとちゃんと仕事と向き合えって言うから、クソみたいに無茶苦茶やったよ。でもどんなにやってもマリちゃんは戻ってこないし、たぶんマリちゃん無理やり探しても絶対嫌われるし、マリちゃんがどこに居ても俺がちゃんと仕事してるって分かるようにこんな面倒な仕事やったんだよ!』
ほとんど叫んでるみたいだった。
藤尾はそのままその場に顔を伏せて項垂れる。
一時の沈黙が場に降りる。
『ほーんと、ぶっ飛んでるのよあんたは。』
沈黙を破った鞠江の声に藤尾さんの肩がビクッと震える。
『たかだか私1人に知らせるために、地球規模のAIなんて作って。ほんと…頑張ったのね、慶太郎。』
藤尾はハッとしたようにポカンと口を開けたまま、再び顔を上げて鞠江を凝視する。目は真っ赤でその頬は涙でびしょびしょになっている。
口元がみるみる間に歪んで真一文字に結ばれた時思ったら、またもや瞳に涙が盛り上がる。
『マリちゃん!!!!!』
管理室のドアの隙間に挟まっていた藤尾はドアを開け放し、そのまま鞠江に走り寄りしがみついた。
抱きついたと言うよりは両手両足で文字通りしがみついている。
鞠江は、成人男性に体当たりされたのにも関わらず、特にふらつきも動揺もせず、大木のように安定した様子でしがみつく藤尾をなすがままにしている。
『ごめん、マリちゃんごめん、俺、巻き込んじゃった。』
『いいのよ』
鞠江はコアラのようにしがみついた藤尾の頭を撫でる。
『で、あのAIのことはどのくらい、あんたが制御できるの?』
『いや、もうあいつは俺には制御できない。むしろ俺があいつに制御されてる。』
鞠江は痛み出した頭を項垂れて、こめかみに指を当てる。
『マリちゃんのこともあいつに調べだされて、ごめん。…嫌いにならないで。』
『ならないわよ。あんたができる限りの力で、白田さんを守るために頑張るならね。』
『白田?あの小学生女児ね。なんで?マリちゃんあいつのことも好きなの?!』
『あのね!あの子は私の学校の生徒なの!好きとか嫌いとかじゃなくて、守るべき存在なの!そもそもあの子が選ばれちゃったのも、もしかしたら私があの学校に居たから、藤尾くんをコントロールしやすいからなんじゃないの?!』
『あ…』
そうなのだ。
おそらく白田志乃が選ばれてしまったのには自分の責任もあると、鞠江は気づいていた。
大人達のしょうもない都合でとんでもない大役を押し付けられてしまった、不運な小学生。
鞠江は出来る限り彼女の力になるつもりだった。
『藤尾くん、私たちは全力であの子をサポートする責任があるわ。一緒にやるのよ』




