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婚約破棄された悪役令嬢、追放前に商会を作ったら王国が依存してきたので精算します  作者: めー
第1章:準備

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第2話 最初の一手



 朝の光が完全に差し込む頃には、屋敷の中はすでに日常の動きに満ちていた。


 廊下を行き交う使用人たちの足音は規則正しく、無駄がない。だがその整った動きの中にも、わずかな緊張が混じっていることに、私は気づいていた。視線が合えばすぐに逸らされ、必要以上の会話は避けられる。


 エレノア・ヴァルディエという存在は、この屋敷においてすでに“扱いづらいもの”として定義されている。


 それは、都合がいい。


 余計な干渉が入らないという意味では、むしろ好都合だった。


「こちらにございます」


 控えめな声とともに、机の上に数枚の書類が置かれる。


 先ほど命じた、取引先の一覧だ。急ぎでまとめられたものにしては、よく整理されている。


「ご苦労様」


 短く告げると、メイドは一礼して下がった。


 部屋に静けさが戻る。


 私は椅子に腰を下ろし、書類に目を落とした。


 並んでいるのは、穀物商、織物商、薬品の卸業者、そしていくつかの輸送業者の名前。規模も地域もばらばらだが、一つだけ共通している点がある。


 ――効率が悪い。


 契約は分断され、輸送経路は遠回りで、同じ品が別のルートで重複して運ばれている。情報の共有はほとんどなく、価格も安定していない。


 つまり、無駄が多い。


 その無駄こそが、利益に変わる余地だった。


「やはり、ここだな」


 指先で一つの項目をなぞる。


 王都近郊で余剰となっている穀物と、少し離れた街で不足している同じ品目。距離はそれほど離れていないにも関わらず、供給は途切れがちだ。


 理由は単純だ。


 ルートが繋がっていない。


 ならば、繋げばいい。


 それだけで、価値が生まれる。


 紙を置き、ゆっくりと立ち上がる。


 机の上に残された一覧は、まだほんの一部に過ぎない。だが、最初の一手としては十分だった。


 問題は、人手だ。


 計画を組み立てることはできる。だが、それを実行に移すための手足が足りない。


 信頼できる人材。


 情報を扱え、状況を理解し、指示を正確に実行できる者。


 貴族社会の中でそれを探すのは難しい。利害も、立場も、複雑に絡み合いすぎている。


 だが、別の場所なら話は違う。


 そこでは、人は単純な価値として扱われる。


 だからこそ、選びやすい。


「外出の準備を」


 扉の方へ声をかける。


 すぐに反応が返るのは、この屋敷の良いところだ。


「本日、でございますか?」


 控えめな問い。


「ええ。軽装で構わないわ。目立たないものを」


 わずかな沈黙。


 意図を測りかねているのが分かる。


 それでも、やがて「かしこまりました」と返ってきた。


 準備は早かった。


 装飾を抑えた外套を羽織り、髪も簡素にまとめる。鏡に映る姿は、令嬢というよりは、少し裕福な商人の娘といった印象に近い。


 これで十分だ。


 正体を隠す必要はあるが、過剰に隠す必要はない。


 重要なのは、目立たないこと。


 屋敷を出ると、王都の空気が肌に触れる。


 人々の声、荷車の軋み、遠くで呼び交わされる商人の声。活気はあるが、その裏にある非効率が、今の私にははっきりと見えていた。


 歩みを進めるにつれて、街の表情が変わっていく。


 整った石畳から、やや荒れた道へ。装飾の多い建物から、実用性を優先した建物へ。


 そしてやがて、明確な境界を越える。


 空気が重くなる。


 視線が変わる。


 ここから先は、貴族が足を踏み入れる場所ではない。


 だが、私にとっては違う。


「……ここか」


 目の前に広がるのは、奴隷市場。


 人の価値が数字として並べられる場所。


 倫理の話をすれば、決して肯定されるものではないだろう。だが、それを否定したところで現実は変わらない。


 そして、今の私に必要なのは理想ではない。


 手段だ。


 中へ足を踏み入れると、すぐに声がかかる。


「おや、お嬢さん。珍しい客だな」


 粗野な商人が、値踏みするような目でこちらを見る。


 無視することもできるが、情報は多い方がいい。


「人を探しているの」


 簡潔に告げる。


「どういうのだ?」


「頭が回る人間。状況を理解できる者」


 一瞬、商人の目が細くなる。


 ただの買い手ではないと判断したのだろう。


「……なら、こっちだ」


 案内された先で、私は足を止めた。


 一人の男がいる。


 鎖に繋がれ、膝をついている。だが、その姿勢に崩れはない。周囲の空気に呑まれず、意識を保っている。


 視線は伏せられているが、完全には落ちていない。


 思考が残っている目だ。


 その一点で、十分だった。


「名前は」


 問いかける。


 男はわずかに顔を上げ、短く答えた。


「レオン」


 無駄のない声。


「元は?」


「……貴族だ」


 予想通りの答え。


 ならば、扱いやすい。


 状況を理解し、言葉の裏を読める。


 それは何よりの価値だ。


 価格を確認する。


 確かに高い。だが、迷う理由にはならない。


 支払う。


 鎖が外される音が、静かに響いた。


 それでも男はすぐには動かない。


 こちらを見ている。


「なぜ私を選んだ」


 問いは当然だ。


 私は一歩だけ距離を詰める。


「生きるためよ」


 視線を逸らさずに答える。


「私はいずれ、この国を離れる。その後も生きるために、お前が必要になる」


 嘘はない。


 必要な情報だけを提示する。


「主従ではないわ。契約よ」


 言葉を重ねる。


「働いた分だけ対価は払う。結果を出せば、自由も与える」


 沈黙が落ちる。


 短い時間だが、その間に男は考えている。


 条件を、状況を、可能性を。


 やがて、わずかに息を吐いた。


「……いいだろう」


 低い声で告げる。


「その契約、受ける」


 成立だ。


 それで十分だった。


 踵を返し、歩き出す。


 背後に、ついてくる足音。


 それを確認しながら、頭の中で次の手を組み立てる。


 最初の人材は確保した。


 次は、拠点。


 そして――流れを作る。


 外へ出た瞬間、空気が少しだけ軽くなる。


 だが、それは錯覚に近い。


 本当に軽くなるのは、まだ先だ。


「まずは、小さく始める」


 振り返らずに言う。


 背後の気配がわずかに動く。


「だが、確実に積み上げる」


 それが、この計画のすべてだ。


 急ぐ必要はない。


 むしろ、急げば崩れる。


 必要なのは、積み重ね。


 やがてそれは流れとなり、流れは支配に変わる。


 そしてその時。


 この国は、自分たちが何に依存していたのかを知ることになる。


 静かに、しかし確実に。


 すべては、そこへ繋がっていた。

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