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婚約破棄された悪役令嬢、追放前に商会を作ったら王国が依存してきたので精算します  作者: めー
第1章:準備

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第1話 思い出した結末


 最初に崩れたのは、音だった。


 誰かが息を呑む気配。衣擦れ。遠くで鳴る靴音。それらがゆっくりと引き剥がされていき、やがて大広間には、妙に澄み切った静寂だけが残る。


 その中心に、私は立っていた。


 逃げ場はない。見上げる先にあるのは、天井を支える柱と、飾り立てられた装飾。そして、それらと同じくらい冷たく整った、人々の視線。


 どの顔にも、迷いはなかった。


 すでに結論を知っている者の顔だ。


「エレノア・ヴァルディエ」


 呼ばれた名に、わずかに背筋が強張る。


 正面に立つのは、第一王子。婚約者であり、そして――これから私を切り捨てる人物。


 その表情に感情はない。怒りも、悲しみも、ためらいも。ただ、手続きを進める者の顔をしていた。


「お前との婚約を、ここに破棄する」


 ざわめきが起きる。


 だがそれは驚きではない。確認だ。形式をなぞるための音に過ぎない。


 続けられる言葉も、知っている。


 嫌がらせ。傲慢な振る舞い。貴族としての品位の欠如。どれも単体では致命的ではないが、重ねられることで逃げ道を消す“理由”になる。


 視線が、私からゆっくりと逸れる。


 王子の隣に立つ少女へと。


 柔らかな光をまとったような存在。控えめに伏せられた視線。だがその奥に、わずかな安堵が浮かんでいるのを、私は見逃さなかった。


 ――ああ。


 ここまでか。


 胸の奥に広がるのは怒りではなかった。むしろ、妙な納得に近い感覚だった。


 これは感情のもつれではない。


 構造だ。


 小さな出来事を拾い上げ、形を変え、積み重ねる。証言と証拠を揃え、誰もが疑問を抱かない形に仕上げる。


 その結果が、今ここにある。


 やがて宣告は、より決定的な形を取る。


 ――国外追放。


 ――私財の持ち出し禁止。


 それは単なる罰ではない。社会的にも経済的にも完全に切り離し、二度と戻れない場所へ押し出すための処分だ。


 そこで、意識が途切れた。



「――お嬢様」


 低く、控えめな声が耳に届く。


 現実に引き戻される感覚とともに、視界がゆっくりと開く。目に入ってきたのは、見慣れないはずの天井だった。白を基調とした装飾、均整の取れた意匠、そして静かに揺れる光。


 身体を起こすと、柔らかな寝具がわずかに音を立てる。


 ここがどこか、理解するのに時間はかからなかった。


 エレノア・ヴァルディエの部屋。


 そして、自分がその身体にいるという事実。


 記憶はすでに馴染んでいる。名前、家柄、周囲との関係、そして――先ほど見た未来。


 すべてが矛盾なく繋がる。


「……夢、ではないわね」


 呟いた声は、思っていたよりも静かだった。


 驚きはある。だが混乱はない。むしろ思考は驚くほど整理されている。


 目の前にあるのは、ほぼ確定した未来だ。


 断罪。婚約破棄。追放。


 そして、すべてを奪われるという結末。


「ご気分はいかがでしょうか」


 控えていたメイドが、慎重に言葉を差し出してくる。


 その声音は丁寧だが、どこか距離がある。完全な忠誠ではない。かといって露骨な敵意でもない。


 ――扱いづらい主人。


 そう認識されている空気だった。


「問題ないわ」


 短く答えると、メイドはわずかに安堵の色を見せたが、すぐに引っ込めた。


 その反応が、すべてを物語っている。


 エレノアは好かれていない。


 だからこそ、断罪が成立する。


 視線を落とし、ゆっくりと息を吐く。


 回避は可能か。


 一瞬だけ考える。


 だが、その思考はすぐに切り捨てられた。


 あの場にあったのは、単なる誤解ではない。積み上げられた“認識”だ。証拠と空気が揃った時点で、個人の努力では覆らない。


 ならば――


 選択肢は一つしかない。


 受け入れる。


 そして、その先で生きる。


 立ち上がり、窓辺へと歩く。カーテンに手をかけて開けば、朝の光が室内へ流れ込んだ。


 王都が広がっている。


 整えられた街並み。動き始めた人々。穏やかに見える光景。


 だが、この場所もいずれ自分とは無関係になる。


 すべてを奪われるのだから。


「……なら、先に用意するだけ」


 自然と結論に至る。


 奪われることが確定しているなら、その前に別の基盤を作ればいい。


 必要なのは、金と流れだ。


 この国の経済は歪んでいる。流通は遅く、情報は偏り、利権が絡み合っている。その歪みは、同時に隙でもある。


 そこに入り込めば、利益は生まれる。


 そして、それは生存手段になる。


「今日の予定は」


 振り返らずに問いかける。


 メイドが一瞬だけ戸惑い、すぐに答えた。


「本日は特に外出のご予定は――」


「ならちょうどいいわ」


 言葉を遮り、続ける。


「この家の取引先、分かる範囲でまとめて頂戴。急ぎで」


 沈黙が落ちる。


 背後で、空気が変わるのが分かる。


 当然だろう。これまでのエレノアが、そんなことに関心を持つはずがない。


「……かしこまりました」


 戸惑いを残したままの返答。


 それで十分だった。


 再び外へ視線を向ける。


 流れを掴めば、すべては変わる。


 物資も、金も、人も。


 その中心に立つことができれば、追放など問題ではない。


 そして。


 その時が来たなら――


 窓ガラスに映る自分の姿を、静かに見つめる。


 これは復讐ではない。


 怒りに任せて壊すつもりもない。


 ただ、帳尻を合わせるだけだ。


「……精算する」


 小さく呟く。


 誰にも聞こえない言葉。


 だが、その意味は重い。


 選んだのは向こうだ。


 ならば、その結果を受けてもらう。


 静かに、確実に。


 そのための準備は、もう始まっている。

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