信頼
正午を待たずして、オスカーとゼロはエリシャの門を潜った。
大陸北部には主要な地点を結ぶ「転移魔方陣」が古の時代より敷かれており、険峻な谷や急流を飛び越え、一瞬にして距離を稼ぐことができる。
これならば、ノースグランド王城には陽が落ちる前には到着できるはずだった。
アインの手回しは、今回も完璧であった。
主君の発つ直前、すでに彼女は隣国へ早馬を飛ばしている。
『貴国との和睦、および現状の確認につき、領主オスカー自ら推参。直々の謁見を請う。』
この機先を制するような気配りの早さこそが、エリシャの安寧を支えるもう一つの盾であった。
風を切って進む道中。
「なぜ、ゼロ……君は白騎士団に入らないんだ?」
ふとした沈黙を破り、馬を並べるオスカーが問いかけた。
「姉貴と同じことを聞くんだな」
ゼロは、またかと言わんばかりの呆れ顔を隠そうともせずに応える。
騎士という人種は、揃いも揃って同じ思考回路をしているのか、と。
「いや、職務の合間に雑談を交わすたび、君のことが話題に上がるものでね。戦況を瞬時に見抜く眼力、そして一足飛びに間合いを盗む瞬発力……。あれは私ですら敵わないと、あのアインが手放しで賞賛していたぞ」
「あれはただの弟馬鹿だからな」
と付け加え、オスカーは穏やかに笑った。
「俺には、魔力ねえからよ」
「だが、君の剣技はすでに常人の域を超えている。白騎士団の精鋭を相手に、手厳しい稽古をつけているという話も聞いているが?」
オスカーの口調には、一切の悪意も打算もなかった。
そこにあるのは、純粋な好奇心と、惜しみない期待だ。
しかし、ゼロの答えは、姉に問われた時と同じく、頑ななまでに不変であった。
「それでも、俺は姉貴と同じ騎士団にだけは入らねえよ」
「……どうしてそこまで、姉と共に戦うことを拒む? 大陸随一と謳われる『華将軍』の隣で、その背を守れるのだぞ。それは男にとって、夢のような栄誉ではないか」
納得のいかない様子のオスカーに対し、ゼロは淡々と、しかしどこか絞り出すような声で言った。
「……だからだよ」
「……どういうことだ?」
「姉貴の……『弱点』になりたくねえんだ、俺は」
ゼロの歩みが、わずかに鈍る。
「姉貴は、もし俺が窮地に陥れば、自分を犠牲にしてでも助けに来る。迷わず、躊躇わずにだ。……俺は、それが耐えられねえんだよ」
苦虫を噛み潰したような顔で、ゼロは胸の内に澱んでいた本音を吐き出した。
「足手まとい」――その四文字が頭をよぎった瞬間、彼の頬は、羞恥と悔しさで赤く染まった。
自分はまだ、守られているだけの子供だ。
その自覚があるからこそ、彼はあえて光の当たる騎士の道を拒み続けてきたのだ。
「……アインのことが、本当に好きなんだな」
オスカーの眼差しは、慈父のような優しさに満ちていた。
「別に、好きとかじゃねえ。ただ……俺の前であの人が死ぬところなんて、逆立ちしたって見たくねえだけだ」
「はは、素直じゃないねぇ……」
オスカーは馬を寄せ、ガシッ、とゼロの肩を抱き寄せた。
不意の親愛の情に、ゼロは困惑して身をすくめる。
「大丈夫だ。君はきっと、強くなる。誰よりも……アインよりも強く。そして、今度は君が彼女を救う日が来るはずだ」
不器用な少年の肩に置かれたその掌は、驚くほど温かかった。




