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聖戦記  作者: 桂木 京
第1章:イノチの意味は

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聖剣

「なかなかの見世物だったのぉ……」


アインを抱き締め、咽び泣くゼロの背後。

雨音に混じって、粘りつくような声が響いた。

そこに立っていたのは、漆黒の法衣を纏った異形の老人だった。


「あのリヒト様と互角に立ち回るとは……惜しい! 実に惜しい死よ。カカカッ!」


老人はただ、嘲笑っていた。

エリシャの滅亡も、一国の将軍の最期も、彼にとっては極上の娯楽に過ぎないのだと言わんばかりに。


「なんだ……テメェは」


ゼロはアインの亡骸を、崩れた壁際にそっと寄りかけさせた。

自分の上着を脱ぎ、泥に汚れないよう優しく彼女の肩にかける。

その手つきは驚くほど穏やかだったが、瞳の奥には底知れぬ漆黒の火が灯っていた。


「姉貴……。ちょっとだけ、待っててくれ。すぐに終わらせるから。そしたら、一緒に家に帰ろう」


「聖剣ゼロ」を握りしめ、ゆっくりと立ち上がる。

正面から老人と対峙するゼロの全身からは、静かな、しかし狂おしいほどの殺気が立ち上っていた。


「美しかったでのぅ。儂の傀儡(くぐつ)にでもして、永遠に踊らせてやろうかと思ったのじゃが……」


老人はゼロの存在など羽虫ほどにも留めぬ様子で、淡々と冒涜的な言葉を吐き続ける。


「テメェ……斬られたいのか? それとも、細切れになりたいのか?」


姉から譲り受けた漆黒の刃を片手に、ゼロは野獣のような鋭い眼光で老人を射抜く。


「カカカッ! お主に何ができる? 魔力も持たぬ『欠陥品』が、姉に劣るその稚拙な剣技で、我らを討とうというのか……?」


渇いた笑いと共に、老人が枯れ木のような掌をゼロへと向けた。


呪縛の鎖(バインド・チェイン)……!》


詠唱が響いた瞬間、ゼロの足元から漆黒の鎖が這い出し、その蛇のような動きで彼の身体を締め上げ始めた。

じくじく、じくじくと、それは肉に食い込み、魂を侵食するような不快な感触を伴って這い上がっていく。


「……っ! なんだ、これ……っ!」


狼狽えるゼロの姿を、老人は安い見世物でも眺めるかのような、冷めきった視線で見下ろした。


「もう少し抗えばよいものを……つまらぬ。安い、安いのぉ」


吐き捨てるような罵声を浴びながら、ゼロは奥歯が砕けんばかりに歯を食いしばった。

鎖はすでに肩口まで達し、全身の自由を奪っている。

魔力のないゼロにとって、それは絶対的な檻だった。


「カカカ! 無駄じゃ。これは濃密な魔力の鎖。儂を上回る魔力の持ち主でなければ、断ち切ることは叶わぬ。……魔力の『ま』の字も感じぬお主に、何ができる? お主を殺し、姉弟揃って儂の可愛い人形で埋めてやろうぞ……」


気味の悪い笑みを浮かべ、老人はトドメの一撃を放とうと指を鳴らす。


「死ぬ前に、冥土の土産として儂の名を教えてやろう。儂は――」


「うるせえよ、クソジジイ」


老人がその名を口にするより早く、ゼロの低い声が戦場を圧した。


「要は……テメェより高い魔力があれば、その腐った鎖をブチ切れるんだな?」


ゼロは持っている。

今、その手に。

魔力を持たぬ自分を愛し、守り、そして最期にその命のすべてを託してくれた、比類なき魔力の結晶を。


「行くぜ……聖剣ゼロ!! 姉貴の力を、舐めんじゃねえッ!!」



「行くぜ……聖剣ゼロ!!」


ゼロがその名を叫ぶ。

呼応するように、漆黒の刀身が内側から溢れ出すような目映い光を放ち始めた。


ゼロは今、かつて経験したことのない不思議な感覚に身を委ねていた。


(なんだ……? 温かくて、ひどく心地良い……。まるで、姉貴に抱きしめられているみたいだ)


直後。

――シュパッ! 肉を蝕んでいた漆黒の鎖が、剣の光に触れた箇所から、脆い糸屑のように容易く霧散した。


「何だと……!? 馬鹿なッ!」


老人が驚愕に顔を歪める。

自身の絶大な魔力が込められた呪縛の鎖。

それが、魔力など微塵も持たなかったはずの、眼前の「欠陥品」によっていとも容易く断ち切られたのだ。


「……この儂の魔力を、矮小な人間ごときが凌駕したというのか!?」


狼狽する老人を尻目に、ゼロは自由になった身で再び地を踏みしめた。


「おい、クソジジイ。姉貴を愚弄した罪……その命で、きっちり償ってもらうぜ」


剣を構え、老人を射抜くゼロの視線。

それは、獲物を確実に仕留めるまで決して逃がさない、飢えた狼のそれであった。


「小癪な! 《猛毒の矢(ベノム・アロー)》!」


老人が防衛本能のままに魔法を連射する。だが――。 「《光の盾シャイニング・シールド)》! 続けて……《裁きの炎ジャッジメント・フレア》!」


ゼロの口から、澱みのない詠唱が漏れ出す。

立て続けに放たれた攻防一体の魔法が、老人の毒矢を焼き払い、その身を襲う。

老人は邪悪な気を纏う盾を必死に展開し、辛うじてそれを防いだ。


驚いたのは、老人だけではない。

自分自身だった。

今まで一度として扱えなかった魔法の知識が、泉のように溢れ出し、次から次へと脳裏に浮かんでくる。


『次は、この魔法』


『この間合いなら、これを使って』


まるで耳元で姉に導かれているような、確かな手応え。


「殺してやる! お主のような小童(こわっぱ)に、儂の魔法衣は斬れぬわッ!」


逆上した老人が、禍々しい大魔法の長い詠唱を開始した。

魔導師が勝利を急ぎ、大魔法に頼る時――。

かつてアインが、弟に繰り返し説いた実戦の鉄則が、ゼロの脳裏で鮮やかに蘇る。


『ゼロ、覚えておいて。魔導師が最大火力を求めて詠唱に没頭した瞬間……そこが、彼らの最大の隙になるのよ』


「《神速の風(アクセル・ウインド)》!!」


ゼロは自らの脚に爆発的な加速を付加すると、一蹴りで雨を切り裂き、老人との距離をゼロにした。


「な、んっ……!!」


大魔法を解き放つ寸前、老人の眼前にゼロの漆黒の刃が迫る。

対策を講じる暇など、刹那も残されてはいなかった。


「――おせーんだよ!」


上段から振り下ろされた聖剣が、袈裟斬りに大気を断つ。


「たわけめ! この法衣は魔力を持たぬ刃など……あ、が……ッ!?」


老人の肩口から腰まで。

ゼロが全力で振り抜いた一撃は、魔力の加護を誇った法衣を紙細工のように切り裂き、その下の肉体をも一気に両断した。


「な……ぜ、だ……。この、儂が……」


斬り口から、制御を失った老人の魔力が激しく爆ぜる。

何が起きたのかさえ理解できぬまま、異形の魔導師は絶望の中で絶命した。


「ちっ……。ジジイを殺すのは、寝覚めが悪ィぜ……」


ゼロが深い吐息と共に集中を解くと、漆黒の聖剣は役目を終えたように、静かに光の粒子となって消えていった。

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