旅立ち
焼けただれ、かつての色彩を失った街。
そこから少し離れた郊外の、緑の深い一角にその場所はあった。
アインとゼロの家は、奇跡のように戦火を免れていた。
あまりに奥まった場所だったからか、あるいは奪うべき魂が不在だったからか。
ともかく、二人の家は、数えきれないほどの思い出を抱いたまま、静かにそこに佇んでいた。
「……マジかよ」
掠れた声で、ゼロは小さな驚きを漏らした。
腕の中に抱いたアインの亡骸に、彼はそっと語りかける。
「姉貴、良かったな。帰ってくる家、ちゃんとあったぞ」
部屋のベッドに彼女を横たえ、ゼロは丁寧に、慈しむように、姉の身体を清めていった。
汚れを拭い、傷跡を隠し……。
そして、彼女が騎士となってからは一度も袖を通すことのなかった、鮮やかな春色のドレスを着せた。
「俺を守るために、ずっとあんな重てぇ鎧着てたんだろうけどよ……。姉貴、やっぱりこっちの方が、ずっと似合ってるわ」
騎士の威厳を脱ぎ捨て、一人の村娘に戻ったアイン。
それでも彼女は息を呑むほどに美しく、穏やかな寝顔はまるで慈悲深い聖母像のようであった。
「なあ、姉貴……。やっぱり、起きねえか……?」
血の気の引いた姉の端正な貌を見つめ、弟は最後にもう一度だけ、祈るように、縋るように問いかけた。
だが、冷たくなった彼女の唇が、二度と動くことはなかった。
家の裏手。
両親が眠っていると教えられてきた古い塚の隣に、ゼロはアインをそっと埋葬した。
白騎士団のエンブレムと、数多の功績を称える騎士勲章。
そして、年相応の女性として愛用していたはずの髪留めと鏡を、その側に添えて。
「姉貴……あっちでは、ただの女として生きてくれ。戦うのは、これからは俺がやるから」
頬を伝う一筋の熱を、ゼロは乱暴に袖で拭った。
「俺は、もっと強くなる。こんな思いをする奴は、この世界にもう、一人だって居ちゃいけねえんだ」
最後に、一輪の花を添えた。
アインが生前、好んで食卓に飾っていた名もなき蒼い花だ。
「白騎士アイン。俺は、ここに誓う」
嗚咽を噛み殺し、ゼロは墓前で深く腰を落とした。
「強くなり、貴女を……完璧だった貴女を必ず超える。そして、寄る辺なき弱き民を、俺がこの手で守り抜く」
言葉に魂を乗せるたび、ゼロの瞳から迷いが消えていく。
「貴女の……いや、世界の『剣』となって、蔓延る悪や、降りかかる悲しみに立ち向かってやる」
墓標の代わりに置かれた、折れ曲がった白銀の剣。
ゼロは託された漆黒の聖剣の切っ先を、静かに姉の遺剣へと合わせた。
金属の澄んだ音が、雨上がりの空に響く。
「……騎士じゃねえけど。これが、俺の『騎士の誓い』だ」
その晩、ゼロは家で一晩を過ごした。
かつて姉が座っていた椅子、彼女が作った料理の匂いの残滓。
思い出を一つ一つ噛み締め、一人きりで声を上げずに泣き通した。
そして、翌朝。
ゼロは振り返ることなく、エリシャの地を後にした。
世界を覆う理不尽な悪を、人々の頬を濡らす悲しみを断ち切る『剣』となるために。
自分のような、持たざる悲劇を背負う人間を、一人でも減らすために。
若き剣士の旅は、ここから始まる。




