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聖戦記  作者: 桂木 京
第1章:イノチの意味は

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12/15

戦火の中で

「はっ……、はぁっ……、はぁっ……!」


ゼロは、ただひたすらに走り続けていた。

肺が焼け付くような熱さを上げ、足の感覚は(とう)に失われている。

だが、止まれない。

置いてきたオスカーの覚悟を、守るべきエリシャの民の安寧を、そして何より――最愛の姉、アインの無事を確かめるまでは。


「姉貴がいるんだ……! あの人が負けるはずがねえだろ!」


脳裏にこびりつく「ノースグランドの惨劇」を振り払うように、ゼロは乱暴に頭を振った。

しかし、ようやく視界に捉えたエリシャの街は――。


燃えていた。

視界のすべてが、悍ましい(おぞましい)ほどに赤く染まっていた。


天を焦がす炎の赤。

石畳を濡らす、生々しい血の赤。


赤く塗り潰されたその光景は、ここもまたノースグランドと同じように「出口なき屠殺場」へと変わり果てたことを冷酷に告げていた。

至る所に横たわる亡骸。

そのどれもが、ゼロの記憶にある穏やかな顔ぶれだった。


道具屋の陽気な主人。

宿屋の世話好きな女将さん。

いつも厳しく、けれど温かく剣の手入れを教えてくれた鍛冶屋の親方。

「また痩せたんじゃない?」と野菜を分けてくれた、近所のおばさん。


その誰もが、今は物言わぬ赤黒い肉塊となり、泥にまみれている。


「なんだよ……これ。なあ、冗談だろ……」


自分の後を追い回していた『こども自警団』の少女。

「もうすぐ産まれるんだ」と、幸福そうに腹を撫でていた若い夫婦。


「ちくしょう!! なんなんだよ!! ふざけんなよぉッ!!!」


ゼロは、再び走った。

筋肉が裂け、骨が軋もうとも構わない。呪詛(じゅそ)を吐き出しながら、狂ったように地を蹴る。


道中、物言わぬ(むくろ)の衣服を、貪欲に貪るアンデッド兵がいた。


「……なにしてんだ、テメェえええッ!!!」


怒りに任せ、手にした剣を鎧ごと叩きつける。

魔力なき腕力のみの痛恨の一撃。

アンデッドが起き上がるたびに、ゼロは狂ったように斬り、叩き、粉砕していった。


行く先々で、見知った隣人たちが不浄の徒に穢されていく。

そのたびにゼロは立ち止まり、彼らを蹂躙する影を斬り伏せた。

手にした剣の刃は零れ、刀身は血と脂で赤黒く変色していた。


そして――。


「ふざ……けんなよ……」


辿り着いたエリシャ宮殿は、もはやかつての威厳を失っていた。

美しかったタペストリーは焼け落ち、誇り高き旗は心棒のみを無残に晒している。

城壁には、主君を、民を守ろうとした白騎士たちが、折り重なるようにして絶命していた。


「……全滅なんて、嘘だろ……?」


煮え繰り返るような怒りは、いつしか凍りつくような絶望へと変わり、ゼロの顔を青白く染めていく。

満身創痍の体を引きずり、よろよろと宮殿の門へと歩を進めた、その時だった。


荘厳であったはずの入口の先。

そこには、一際巨大なアンデッドの群れが蠢いていた。

群がる不浄の徒が、その爪で深紅のマントを裂き、白銀の鎧を剥ぎ取ろうとしている。その下に横たわるのは――。


「なにやってんだコラァァァァァッッ!!!!」


枯れ果てたはずの喉から、獣のような咆哮が上がる。

ゼロは弾丸と化して、その死の渦中へと飛び込んだ。


アンデッドの群れの中心。

血の海に伏し、動かなくなっていたのは――姉、アインだった。



アンデッドの群れを、ただひたすらに薙ぎ倒す。

それは洗練された剣技などではなく、まるで深い藪を鉈で叩き斬るような、獣じみた執念の産物だった。


「くそっ!! どけ……! 姉貴から離れろッ!!」


もはや刃を失った鈍器同然の剣を叩きつけ、不浄の徒を肉塊へと変え、弾き飛ばす。

ようやくアインの元へと辿り着いたゼロは、狂ったように周囲の安全を確保すると、震える手でその身体を抱き起こした。


「姉貴! 姉貴!!」


腕の中の体温は、まだ温かい。

だが、右胸に穿たれた無慈悲な孔が、彼女の命の灯火が今まさに消えようとしていることを残酷に予見していた。


「ゼ…………ロ」


うっすらと開かれた蒼い瞳が、焦点の定まらないまま愛おしい弟の姿を捉える。


「姉貴! もう大丈夫だ、安心しろ! 周りの雑魚は全部片付けた! あとは……みんなを助けに行くだけだ!」


「みんな」など、もうどこにもいない。

救える命など、一つも残っていない。

分かっていながら、ゼロは剥き出しの嘘をついた。

そうでもしなければ、自分自身の心が真っ二つに割れてしまいそうだったから。


「ごめ……ん。私、負けちゃった……」


「勝ち負けなんてどうでもいいだろ! 生きてりゃいいんだよ!」


「私……もう、ダメみたい……」


「バカ野郎! 縁起でもねえこと言うなッ!!」


胸の孔を、血に染まった自分の掌で必死に押さえる。

自分に魔力があれば。

ほんの少しでも癒やしの奇跡が使えれば。

ゼロは生まれて初めて、これほどまでに己の「持たざる」宿命を、呪わしく、忌まわしく思った。


「僧兵!! 誰か、早く来い! 助けてくれ!!」


誰もいない、死に絶えた広間に、虚しい絶叫が木霊する。


「ゼロ……これ、を……」


絶え絶えの意識の中で、アインは震える手で自らの愛剣を差し出した。

漆黒の刀身が、月光を吸い込んで静かに脈動している。


「こんなもん要らねえ! これは姉貴の誇りだろ、姉貴が持ってろよ!」


「私は、いつだって……あなたと……一緒に……いるわ。剣に、名をつけるのが……騎士の第一歩。この剣の……名は……」


アインは最後の力を振り絞り、漆黒の剣をゼロの胸へと押し当てた。

彼女は、たった一人の弟の名を、騎士の命に刻もうとしていた。


「――聖剣、ゼロ」


自らの誇り、命、積み上げてきた研鑽のすべて。

その結晶である剣に、彼女は最愛の弟の名を授けた。


「剣なんて要らねえ! 姉貴がいなきゃ、意味ねえんだよ!」


涙が止めどなく溢れ、ぽたり、ぽたりとアインの頬を濡らしていく。

アインは、慈愛に満ちた微かな微笑みを浮かべた。


「いつでも、側にいるわ。……聖剣ゼロよ。私の命を、すべての魔力を、(あるじ)となるこの子の中へ……」


その瞬間、アインの身体が、夜の闇を塗り替えるほどの眩い光を放った。

優しく、どこか温かいその光は、螺旋を描いて一箇所へと収束し、やがて漆黒の剣の奥深くへと吸い込まれていく。


「これで……私はこの剣と共に、あなたの側に……。あなたを、助けてあげる……から」


剣から手を離したアインは、最後にぎゅっと、ゼロの震える手を力強く握りしめた。

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