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聖戦記  作者: 桂木 京
第1章:イノチの意味は

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エリシャ襲撃

「やはり……。最悪の予想が当たってしまったようね」


エリシャ宮殿のバルコニー。

アインは北ではなく、南の地平を睨み据えていた。

旧帝都の方角から押し寄せる、およそ一万の軍勢。

その漆黒のうねりは、陽光を飲み込むほどに禍々しく、不気味な静寂を纏っていた。


「漆黒の鎧……。大陸のいずれの国にも、これほどまでの重装兵団を抱える国家など記憶にありません」


傍らの副官が、震える声で呟く。

その困惑は、騎士団全体の動揺でもあった。


「正体など後でいい。今はただ、守り抜くだけよ!」


アインの凛烈な声が、騎士たちの迷いを一喝した。


「城下の民をすべて宮殿へ収容して! 僧兵隊は避難誘導。いざという時の脱出路も開放しなさい!」


彼女の指示は、淀みなく、そして冷徹なまでに迅速だった。


「街の損壊は度外視します。相手は万の軍勢、今は一人の犠牲も出さず、民を守りきること。それだけを考えなさい!」


『華将軍』の号令の下、白騎士団は一糸乱れぬ動きで陣を敷く。

彼女の存在そのものが、絶望に震える兵たちの魂を繋ぎ止める黄金の楔となっていた。


「将軍!! 来ました!」


城門の向こう、黒い塊が街の境界線を越える。

それは、統率された軍隊というよりも、人、魔物、そして不死人が混ざり合った「死の奔流」であった。


「迎え撃つわ! 魔導師、弓兵は撃ち方始め! 槍兵は一歩も引かず敵を引き付けなさい。重装歩兵、宮殿の防壁を死守!」


白銀の剣を抜き放ち、アインは陣の最中央に立つ。

直後、街を蹂躙した黒い軍勢が、波濤のごとく白騎士団へと激突した。


だが、エリシャの盾は脆くない。

アインの的確な指示と、絶妙なタイミングで放たれる回復・補助魔法により、白騎士団は幾千の牙を跳ね返していく。

アインが剣を振るうたび、前衛を抜けてきた死の影が白い閃光の中に消え、彼女の動き一つで、騎士団は攻防一体の巨大な生き物へと姿を変えた。


防衛戦が数時間を経過し、戦場に疲弊の色が混じり始めた、その時だった。


「……さすがはエリシャの華将軍。一筋縄ではいかぬか」


地鳴りのような猛攻の奥底から、一人の男が歩み出た。

纏うのは、光を吸い込むような漆黒の鎧。

その手に握られた黒槍からは、戦場の喧騒すら凍りつかせるほどの殺気が放たれていた。


「……全員、下がって!」


アインの背筋を冷たい悪寒が走る。

目の前の存在は、先ほどまでの「死の群れ」とは格が違う。


「雑魚には用はないのだがな……。華将軍、貴様を折らぬ限り、我が軍の勝利は完成せぬようだ。いいだろう。雑魚ども、せいぜい私を楽しませてみろ」


黒騎士は悠然と両手を広げ、挑発するように死の門を開いて見せた。

そのあまりの傲慢さに、アインの制止も間に合わず、白騎士団の精鋭たちが一斉に黒騎士へと斬りかかった。




――――――




「他愛もない……」


その力は、あまりにも一方的で、圧倒的だった。

大陸北部最強の盾と謳われた白騎士団が、たった一人の黒騎士によって、枯れ葉のように蹂躙されていく。


漆黒の鎧は魔導師たちが放つ極大魔法すら無慈悲に弾き、弓兵が放つ必中の矢は、人間業とは思えぬ神速の槍によってすべて叩き落とされた。

近接戦闘を挑もうにも、何人がかりで包囲しようとも、黒騎士は微塵も揺るがない。

彼は踊るような足取りで凶刃を振るい、一人、また一人と白騎士たちの亡骸を積み上げていった。


「これが北部最強……。笑わせるな、この程度の小国を制圧するなど、赤子の手をひねるより容易い」


鮮血に塗れた槍を、無造作に一閃する。

滴り落ちる血を吸い込むかのように、漆黒の槍は生き物めいた不気味な光沢を放っていた。


「さあ、次はお前だ、華将軍」


槍の先が、まっすぐにアインを指し示す。


「……これ以上、エリシャを蹂躙することは、この私が許しません!」


白銀の剣を正眼に構え、アインが踏み出す。

刹那。


黒い弾丸と化した騎士が、爆ぜるような速度で肉薄した。

受けていては間に合わない。アインは瞬時に横へ飛び退くが、黒騎士は着地と同時に上体を捻り、死神の鎌の如き鋭さで彼女の胴を薙ぎに来る。


白銀の剣でその衝撃を受け流しながら、アインは至近距離で掌を突き出した。 《聖なる炎よ(セイント・フレア)!》 顔面に直撃した爆炎を目眩ましにし、その肩を蹴りつけて大きく距離を取る。


「魔法は牽制か……。なかなか、戦場慣れした判断だ」


黒騎士は兜から白煙を上げながらも、何事もなかったかのようにゆっくりと歩み寄る。


「初めから、初級魔法が効くなどとは思っていないわ」


アインは乱れる呼吸を整え、再び剣を構え直す。


「惜しい……。有能なだけに、惜しいぞ。その若き命を、ここで散らしてしまうことが!」


黒騎士の突きが、視認不可能な速度で繰り出される。

アインは魔力の障壁でそれらを辛うじて弾き飛ばすと、一瞬の隙を突いて懐に潜り込み、渾身の力を込めて剣を叩きつけた。


――ギィン!!!――


鼓膜を突き刺すような金属音。

手応えのなさを察知した瞬間、アインは反射的に大きく後方へ跳んだ。


「ほう……」


その慎重かつ無駄のない身のこなしに、黒騎士は感嘆の声を漏らした。


「殺す前に一度だけ聞いておこう。……我が軍に来ないか? これから大陸のすべてを飲み込み、統一する至高の軍だ。お前ならば、その将として相応しい席を用意してやろう」


黒騎士は手を広げ、慈悲をかけるように軍門に下れと促す。

だが、アインの瞳に迷いはなかった。


「お断りします。侵略という名の血の海に築かれた世界など、平和とは呼ばない!」


凛とした声が戦場に響く。

言い終えると同時に、アインは手にしていた白銀の剣を、迷いなく地面へと投げ捨てた。


「……何のつもりだ? 降伏か?」


黒騎士が怪訝に問うた、その時。

アインの右手に、大気を震わせるほどの禍々しい魔力が集束した。


現れたのは、光を拒絶するような真実の闇を纏った、漆黒の魔剣。

純白の鎧とはあまりにも対照的なその影は、平和を愛する彼女のイメージを根底から覆す、異質な殺気を放っていた。



アインの手に握られた、漆黒の剣。

その刀身は、夜の静寂を凝縮したかのように美しかった。

禍々しさは微塵もなく、むしろ凛とした気高ささえ感じさせるその刃は、アインの膨大な魔力と共鳴し、呼応するように淡い光を放ち始める。


「――覚悟!」


言葉と同時に、アインは地を蹴った。

一瞬にして黒騎士との間合いをゼロにする。


「!!」


黒騎士が槍を構え直すよりも、彼女の踏み込みがわずかに速い。

――シュパッ!

先ほどまで白銀の剣を嘲笑っていた漆黒の鎧が、まるで無抵抗なスポンジのように容易く両断され、弾け飛んだ。


「……なん、だと……?」


動揺が黒騎士の動きを僅かに鈍らせる。

だが、アインに容赦はない。

横凪の一閃。

その勢いを殺さぬまま独楽のように回転し、猛烈な遠心力を乗せた追撃が黒騎士の兜を襲う。


間一髪、致命傷こそ避けたものの、黒騎士の兜は紙細工のように二つに裂け、無残に地面へ転がった。


「…………皇帝より、よほど手応えがありそうだな」


露わになったのは、流れるような銀髪に、彫刻のように端正な顔立ち。

黒騎士は「愚かな」とでも言いたげに、自嘲気味な溜息を漏らした。


「……なんですって? では、やはり皇帝陛下を襲ったのは、貴方なのね……!」


「ああ。手応えのなさは老いたせいだと切り捨てたのだが……。どうやら久しぶりに、本気のやり取りができそうだ」


口元に傲岸な笑みを浮かべた黒騎士は、その槍を正眼に構え、大気を震わせる殺気を放った。


「我が名は黒騎士リヒト。冥土の土産に、我が名を持って行け……!」


一直線に肉薄するリヒト。

放たれるのは、もはや瞬きすら許さぬ神速の突き。

アインは五感を極限まで研ぎ澄まし、人間離れした反応速度でそれらを捌いていく。


「……くっ」


だが、攻防を繰り返すほどに、アインの表情は緊張に歪んでいく。

リヒトの突きは、針の穴を通すような精密さで彼女の急所のみを正確に穿とうとしていた。

たった一度の油断、たった一瞬の呼吸の乱れが、即座に彼女の人生の終着点へと繋がる。

一刻一刻が死の淵を歩くような、張り詰めた静寂の攻防。

アインは今、漆黒の槍と、その後ろで鎌を構える死神の二者を相手に戦っていた。


「……ふっ!」


突きを剣の腹で受け流し、同時に左手へと魔力を集束させる。 《地神の衝撃(アース・インパクト)!》


リヒトが剣を捌ききれず、槍を盾にして衝撃に備えたその瞬間。

アインはがら空きになった彼の胴へ、ゼロ距離から不可視の衝撃波を叩き込んだ。


『速すぎる相手には、衝撃波を使い、内側からその機動力を奪え』


それは、彼女の父であり、師でもあった男が遺した不変の教えだった。


「ぐっ……!!」


内臓を揺るがすほどの衝撃に、リヒトの巨躯が城壁まで吹き飛ぶ。

だが、彼は不気味なほどゆらりと立ち上がると、口元に溢れた鮮血を無造作に拭い、三度槍を構えた。


「――そろそろ、幕を引くとしよう。……起きろ、ネクロス」


リヒトがその名を呟いた瞬間、漆黒の槍が脈動を始めた。

それはまるでリヒトの意志と肉体を喰らうかのように、不気味にその右手を侵食し、一体化していく。


そして……。

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