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繚乱のファンタズマゴリア  作者: USK
第二章 星下の歩み
32/33

繚乱のファンタズマゴリア 30 喪の夜 3

1.


 降りしきる雨の音を裂いて、いくつもの金属音が鳴り響く。

 王都アラザニア。その中央通りに2つの影が踊っていた。

 片や男。激情、憎悪を浮かべる翠の剣士。名をラティス。

 片や女。哄笑、嘲笑を男に投げかける黒白の剣士。名をグラウディス。

 その戦いは一見一方的なものであった。攻めるラティスと、その剣を避ける事しか出来ないグラウディス。

 ―――だが、違う。少なくともラティスが攻めているというのは見当違い、むしろ真逆なのだ。

 むしろ、ラティスは攻めあぐねていた。

 ラティスはグラウディスの剣技、"斬撃の壁"とも呼べる超高速・高密度の剣戟に対し、様子見程度に剣を振るうことしかできていない。

 対照的に、グラウディスは"遊んでいた"。斬撃の壁はラティスを攻撃する為のものでも、ましてやその剣を防ぐ為のものですらない。

 グラウディスは―――雨を斬っていた。落ちる雨粒を戯れに切り裂く。

 それはまるで『お前に刃を交わす価値すらない』と暗に告げているかのように。

 いや、正確には『かのように』ではない。実際にそうなのだ。

 既にグラウディスは自身の目的を果たしていた。こうしてラティスの相手をしているのは、単に「暇つぶしついでに足止めでもしようか」程度の理由でしかないのだ。

「ハ」

 故に。

「ハハ」

 彼女は嘲笑(わら)う。

「ハハハ」

 敵(ラティス)の弱さを。

「ハハハハ」

 愉しそうに笑うグラウディス。その姿に、ラティスは一層憎悪の相を強める。

「―――何がそんなに愉しい、狂人めが!」

「いえいえ。なに、あの弱い男のためにそう怒れるあなたが滑稽でして」

「おのれ……今尚我らを愚弄するか!」

 ラティスの怒声に、グラウディスは哂いを返す。

「愚弄? ハハハ、面白いことを言う。弱い者を弱いと告げる、それのどこが愚弄だというのでしょうか。―――むしろ優しさに満ちていると思いませんか?」

 哂い、初めて"ラティスへ向けた"斬撃を放つ。

 しかしその一撃もまた戯れに過ぎない。

 狙ったのはその首ではなく、獲物たる剣だ。しかも弾く為ですらない、単に当てただけ、ただそれだけだった。

「くっ―――」

 しかし戯れの一撃とて、ラティスに追撃を警戒させるには十分なものだった。

 飛び退き、グラウディスから距離を取るラティス。

 次の瞬間、その剣の刀身が僅かに欠けた。

「フフ。脆い剣ですねぇ、あなた。そんな鈍らでは、私の異能たる『魔剣・朧』を破ることなどできませんよ?」

「ならば―――これはどうだ!」

 怒号と共に、ラティスの剣が渦巻く風を纏う。

 風は吹き荒れる暴風、竜巻となる。そしてラティスはそれを纏う剣を振りかぶり、離れた位置に立つグラウディスへと振り下ろした。

 巻き込まれればたちまち身体をバラバラに引き裂きそうな烈風の渦に対し、グラウディスは悠々と己が異能『魔剣・朧』を振りかざす。

「『どうだ』などと言われたので採点してあげましょう。―――0点です」

 剣を―――グラウディスの普段の剣技からすれば―――ゆっくりと振り下ろす。

 ただその動作だけで、ラティスの放った竜巻が両断される。

 最早それは剣技などですらなかった。只々剣の鋭さに任せただけの、いっそ稚拙な一撃。

 しかしてその「剣の鋭さ」は、絶大。故にそれに任せた一撃もまた絶大。

「ふふ―――ふはは」

 笑みがこぼれる。―――グラウディスではなく、ラティスから。

「ははははは! 何が『0点です』だ、臆病者めが!」

 臆病者、というラティスの言葉に、僅かに眉をしかめるグラウディス。

「ほう。臆病者、ときましたか。して、その根拠は?」

 グラウディスの問いに、ラティスは薄い笑みを浮かべた。

「根拠か。簡単な話だ。"俺はお前の異能を知っている"」

 ―――その言葉にグラウディスの顔から笑みが消える。

 一転してその顔に浮かぶのは僅かなしかし確実な怒り。

「ああ、成る程。―――では、殺しましょう」

 先ほどまでとは打って変わって明白な殺意をラティスへ向け、グラウディスが距離を詰める。

「図星か。ならば俺はこう言おう。―――『死ね』」

 ラティスの言葉から数瞬遅れ―――

「……おや?」

 ―――グラウディスが、胸から血を噴き出した。

 たたらを踏んで倒れそうになるも、なんとか踏みとどまる。

 ……だが、駄目だ。これだけは、駄目だ。

 何処より放たれた一撃は、違わずグラウディスの心の臓を貫いていた。

 耐えて踏みとどまった? それがどうしたというのだ。最早彼女は数刻も持たぬ身である。

「ははは。やはり意外の攻撃には反応できぬか、その異能」

 遂に膝をついたグラウディスを見下しながら、ラティスは笑う。

「おやおや。一体私は何をされたのでしょうか?」

 この状況にあって尚嘲りを含めた笑みを浮かべるグラウディス。しかしその胸からは鼓動にあわせ血が吹き出ており、顔からは血の気が失せている。

「はっ。明かすと思うか? だがお前が隠していたものは暴いてやろう。『幻覚』。それこそがお前の本当の異能だ」

 『幻覚』。実際とは異なる光景(ヴィジョン)を相手に見せる異能。それこそがグラウディスの能力だとラティスは語る。

「確かに、お前は迅さに特化した剣を有しているのかもしれない。だが、『動いていることすら見えない』程は迅くない。ただ『動いていない姿』を見せているだけだ。同時にその剣も。凄まじい切れ味こそ事実だが、実際はそれほど大きくないはずだ。『異能』として作り出しているのも、実際は普段『幻覚』で見えなくし必要なときにその大剣の姿を現している。ただそれだけだ」

 ―――最初は余裕の笑みを浮かべていたラティスだが、徐々にその表情と声音に再び憎悪が混じり始める。

「そう、それだけだ。それだけに過ぎない。だが効果は絶大だ。幾ら師のような優れた剣士でも、相手の本当の動きが見えなければ、能力を偽られていれば……!! そうだ、お前は! わが師を騙し、卑怯な手でその命を奪ったのだ!! 何が『弱い男』だ、正々堂々の戦いすら出来ない外道、お前こそ『弱者』であろう!!」

 最早冷静さの欠片もなく、ラティスは怒声をぶちまける。

「だからこそ、同じ卑怯な手でお前を殺すのだ! 惨めに、『死ね』!!」

 今度はグラウディスの頭が―――爆ぜた。血と脳漿と骨片を深紅の華と咲かせる。

 明らかな屍体となったグラウディスの身体をラティスが無造作に踏みつける。

 『幻覚』は触れられない。ならばこの屍体は間違いなく『本物』だ。

 念押しの為、その屍体に封術布を落とす。

 ―――術者が死に、更にその力の名残すら封じられてかつてグラウディスが『魔剣・朧』と呼んでいた大剣の姿が"ほどける"。

 姿を現したのは細身の刀。ラティスはそれを手に取る。

 成る程、軽い。これならば素人だろうとそれなりの迅さで振るえるだろう。切れ味も中々のものだ。

 業物、そう呼んで申し分ない。

「手向けだ。愛刀だけは残してやる」

 そう言うと、ラティスはその刀をグラウディスの屍体に突き立てた。

「終いだ。俺の目的は済んだ。復讐の場を設けてもらった恩を返しに行くぞ」

 ……それは独り言か、それとも此処にいない"誰か"に向けたものか、それは定かではない。

 踵を返すと、ラティスは疾風の如く駆け出した。



2.


「ああもう、キリがない―――!!」

 直径1mはあろう水弾をいくつも撃ち出しながら、シーラがぼやく。

 水弾は墨で構成された大蜥蜴たちに違わず命中し、その身体を押し流す。

 しかしそれはその場しのぎにならない。大蜥蜴に触れた水に墨が溶け、交じり合い、更なる墨として相手の支配下となる。

 異能『墨』。景弘の操る異能はただ「墨を操る」だけではない。その墨に染めたものすら操るのだ。

 水を操るシーラにとっては天敵ともいえる異能。水で作り出す攻撃も、防御も、ことごとく黒に染められ敵の支配下となる。

(『最大出力』でやれば問答無用で押し流せるけど……準備が足りないのよねぇ!)

 舌打ちしつつ、無駄と分かっている攻撃を続ける。自分に相性が悪い相手とは分かっているが、かといって今の自分の相方に任せるには荷が重い相手だ。

 ガキン、とシーラの頭のすぐ側で剣と爪が打ち交わされる。

 剣の持ち主はキース。そして爪の持ち主は―――奇妙な姿。強いて言えば鋭い爪を有する蜘蛛の如き上半身を持った人型。

 これもまたカーンズの繰り出した式神だ。しかし先程の紙でできた小鳥とは格が違う。

 これも同じ紙を媒介とした使い魔。しかし溢れ出る力は符から漏れ出て、純然たる力の塊として顕現する。

 こうなってしまえば、火も水も、核たる符には届かない。その体躯を直接打ち砕くほか、倒す術はない。

 しかし今のキースに許された力は曲刀一振りのみ。元より己の剣技よりも術で勝つのが戦法のキースには心許な過ぎる。

 無論いざというときに備えた切り札は2つもある。

 片や、セレス達を助ける余力を残しこの場を凌ぎ得るもの。しかし確実性はない。

 片や、確実に敵を殲滅できるものの全力を出し切るもの。セレス達を助ける余力など残りもしない。

(そもそも、彼ら程度に使っていい切り札かどうか……)

 所詮この戦いは時間稼ぎだ。セレスが逃げ切るまで、それまで時間を稼げればいい。

 ……だが、キースもシーラも知らない。気付いていない。

 すでに状況は時間稼ぎなど意味を成さないものになっていることに。―――ゴスペル・ゲオルギウスが、彼女らと対峙していることに。

「無様なものじゃのう、お前達。仮にも王族の近衛として選ばれた戦士がこのざまとは。なぜ我等ではなくお前達が選ばれたのか。全く持って度し難い」

「アンタたちみたいに裏切る心配がないかに決まってるでしょ!!」

「呵呵呵。いくら信頼を置けたところで、斯様に弱ければ護るべきものも護れまい。意味など、ないだろう」

「―――こンの!!」

 景弘を打ち据えんと右手に持った得物たるステッキの先端から水の鞭を放つ。しかしそれは景弘に届く寸前、彼の放った墨の刃によってバラバラに断ち切られるてしまう。

「………二人合わさればそれなりにはやるのだが。この通り、どちらか一方を無力化してしまえば簡単に崩れる」

「言わせておけば! キース、なんか言い返しなさいよ!!」

「……悔しいかな、返す言葉がない」

「ああそうですか!」

 キースの返答により苛立ちを募らせるシーラだが、彼女自身それが否定しようもない事実だということは理解していた。

 ―――自分とキースは不可分の存在だ。《契約者》とはまた違う。互いに足りない部分を補い合うために組んでいる。

 そして、それ以上に―――

「だから―――あんた達には負けてあげられないのよ!! 『清浄なる水の流れの下、来たれ御身が腕』!」

 詠唱と共に、ステッキを頭上に掲げる。

 その先端へと、シーラの周囲から生み出された水が集まっていく。そして水たちは収束し、1つのカタチを作り出す。

「『オケアノス・スピア』!!」

 ―――それは、渦巻く水が作り出す槍。ギリギリという水が出すものとは思えない音は、その密度を表すものか。

「あたしが手っ取り早く出せる、最大の一撃! 防げるもんなら、防いでみなさい!!」

 叫びと共に、シーラは水槍を投擲する。―――目の前に相対する景弘ではなく、キースへ向けて式神を操るカーンズへ。

「下らん真似を……その程度の悪足掻き、どうにかなるとでも思ったか!」

 式神と切り結ぶキースから一切眼を離さず、水槍へと左手を向けるカーンズ。

 伸ばされた腕のその袖から、数枚の式神―――チリチリと燻る黒い紙―――が飛び出し、水槍へ向かう。

「そんな程度でっ!!」

 シーラの叫びどおり、水槍に触れた式神はその勢いを一切減衰させることも出来ず、ビリビリに千切れ水槍に飲み込まれる。

 その光景にへへん、と自慢げな顔になるシーラ。

 それに対し、カーンズは―――。

「まったくだ。その程度で―――」

 笑みを返す。

 そして、その眼前まで水槍が迫ったその刹那―――槍が内側から爆ぜた。

 バシャバシャと、辺り一体に槍を構成していた大量の水が飛び散り水溜りを作り出す。

「たかがバラバラに破けた程度で、式神の効力が無くなるとでも思ったか?」

「破けた程度って……普通はそうでしょうが!」

 シーラの言う通り、普通であれば―――キースが相手をしている、力の塊として顕現したようなもの以外ならば―――2分割にでもされれば、最早効力は発動しない。

 ましてや千々に破れなどすれば、効力の名残すら引き出すことは不可能だ。 もっとも、特殊な手間―――例えば、巨大な紙を式神とし、その切れ端にまで効力を及ばせる等―――をかければ、紙くずになろうともある程度の力は発揮できる。

 しかしシーラは驚きこそすれど、まだその顔には笑みを浮かべている。

「でもねぇ……その言葉、もう一回アンタに返すわ!!」

 叫びながら、シーラはステッキをバトンのように振り回す。その動きを合図に、周囲に出来た無数の水溜りから同じく無数の水の触手が伸びる。

 その先端は先ほどの水槍と同じような渦巻く棘と化していた。

「こっちこそ真打ち! 『オケアノス・トライデント』!!」

 四方八方に形成された"触手の海"。それこそがこの技の本当の姿。

 逃げる術などない槍の大海。しかも異能により更に水量を増加させることで触手一本一本の密度を増していることにより、『墨』でも容易く侵食することが出来なくなっている。

「クッ……」

 初めてカーンズと景弘が焦りの表情を浮かべる。

「さあ……ブチ抜きなさい!!」

 シーラは振り上げたステッキを勢いよく振り下ろす。それと同時に、一斉に触手が敵を貫かんと殺到する。

 触手の波は二人の姿を覆い隠し、ただその内部から聞こえる轟音だけが辺りを埋め尽くす。

 ―――しかしシーラはその光景に笑みを浮かべながらも、同時に額に冷や汗をかいていた。

(……なーんて言ったけど、やっぱりそう簡単にはいかないわね……)

 異能から伝わる感覚から手応えはあった。だがそれはこの光景からすればはるかに軽いものだ。

 恐らく、与えられたのは軽傷程度のダメージ。全力の一撃の結果としてはあまりにも悲惨なものだった。

「ここまで……かな」

 シーラが小さく呟くと、敵を覆っていた水の触手が消し飛んだ。

 中から景弘とカーンズが姿を現す。

 やはり、身体の所々から血を流してはいるが殆どダメージは負っていない。

 勝ち誇った笑みを浮かべるカーンズ。だが、それも一瞬のことだった。

 彼は見た。高速で飛来する一振りの曲刀を―――!

 それはキースが投擲した、たった一本だけの『力』。しかし対峙している景弘の式神は未だ健在だ。

 式神の鋭利な爪で肩口から袈裟懸けに切り裂かれながら放った捨て身の一撃。

 或いは大瀑布の中に紛れた針。見えたその瞬間には既に手遅れ。

 キースとシーラが、そして景弘とカーンズですらもその命中を、そしてもたらされる「カーンズの死」という結末を確信した。

 ―――それは、『全員』ではなかった。

 バキン、と音を立てて、曲刀の剣先が砕ける。

「……は?」

 剣先を失くし、勢いすら殺された曲刀ではカーンズに致命傷を負わせることはできず。ただ砕けた破片がその身体を叩くのみ。

「随分と手負いに手こずっているな。手を貸そうか」

「―――!!?」

 背後より発せられた声に振り向くキース。しかしその主を認識するよりも早く、 男―――ラティスはすれ違いざまの一太刀を浴びせる。

「返答よりも先に獲物を奪うな、ラティスよ。……貴様の復讐は済んだのか?」

「ああ。頭と胸に華咲かせて、無様に死んださ」

「グラウディスが死んだって……嘘でしょ!?」

 「アレだけは何があっても死なない」という漠然としたイメージを持っていたシーラは、信じられないと呟く。

 動揺を誘うための嘘? それとも……

 シーラは考えを巡らせるが、すぐにそれが意味のないことだと止める。

 キースは重傷、今出し得る自分の力もすべて出し尽くした。

「詰み、じゃのう。手を借りる形になったのは癪だがの」

「ま、これ以上長引くと面倒になったからな。景弘のおっさんの符もさっきので大分使っちまったしよ」

「御託はいい。早々にカタをつけるぞ。……ゴスペル殿が待っている」

 ラティスは切っ先を膝を地に着けたキースと、それを支えるシーラに向ける。

「ちょ、ちょっと待った! 確認するけど……まさかゴスペルまで来てるとか言わないでしょうね!?」

 敵の会話に何かいやな予感を覚えたシーラが尋ねる。

 それに対する答えは……

「呵々、それだけと思うか?」

「「……!!!」」

 その言葉に、キースとシーラは絶望の表情を浮かべる。

 この状況で彼らが嘘を言うとも思えない。ならば、ゴスペルはここに来ている。―――しかも、予想を超える戦力を伴って。

「残念だったなぁ! テメェらは俺達を足止めしてたつもりだったみたいだが、ただ徒に戦力を割いただけでよ!」

「さあ、この下らん戦いにも決着をつけようか」

3人の敵から向けられる殺気にシーラが出来たのは、ただ睨み返すことだけだった。



3.

「グゥゥゥゥッッ!」

 全身に凄まじい衝撃を叩きつけられ、アルトは数十m近い距離を吹き飛ばされる。

 アルトの身体は分厚い、いくつもの棘が生えた甲殻に包まれていた。これこそ彼の竜体変異、その身を竜の力と化すもの。

 竜の強靭無比なそれと同じ硬度を持つはずのその甲殻は、しかし無残にも罅割れ、欠け、砕けていた。

 ―――相対するはその右手に一振りの戦鎚を携える男。姿形は人間とさほど変わらず、しかして纏うは人間とは比類せざる程の力。

 一つの神話にその名を称えられしは幻想の王、『戦王』の名を冠せしはトール。

『GRRRRRRRRRRRRRAAAAAAAAAAA!!!』

 竜の咆哮を轟かせ、フィオーネが錬気で創り出した炎竜を放つ。

 まさに渾身の力を込めて練り上げられたそれは、熱量も、巨さも、全てが規格外。人も、並みの幻想存在も、容易く消し飛ばす力。

 ―――しかし相手は人でも、並みの幻想でもない。

 トールは戦鎚をただ静かに持ちあげ、そして―――虚空へ振り下ろす。

 それだけで。ただそれだけで。

 ―――フィオーネの渾身は砕かれる。

 これぞ彼の『王』の力。一度振えば狙い違わず全てを砕く戦鎚、ミョルニル。

 強靭なる甲殻も、業炎の竜も、五大の魔法も、なにもかも。この戦鎚の前では硝子細工も同然。

 粉砕し、破壊し、蹂躙する。

 これを突破せぬ限り、彼の者へと一矢報いることは敵わない。

『急くなよ、隙ができる』

 フィオーネの焦りを感じたアルトは彼女に向けて念を送る。

『お主こそ、な』

 返された言葉に、わずかに苦笑いを浮かべる。

 《契約》によって繋がる者同士、その感情の区別は曖昧だ。

 アルトが焦りを感じれば、その焦りにフィオーネの感情も引っ張られる。

 彼女自身も焦りを感じれば、その感情はさらに増幅される。

 そして増幅された焦りはアルトに―――負の連鎖になっている。

 思考と呼吸を整えようにも、幾度となく叩きつけられるミョルニルの衝撃ともたらされる痛みがそれを妨げる。

(だが……まだ、やれる)

 ともすれば飛びそうな意識を保ち、策を巡らせる。

 甲殻へのダメージの蓄積は深刻だ。まだ耐えられるが、長くは持たない。

 ブルーサスのあの空間を変異させ鎧とする能力でも使えれば少なくとも鎧を砕かれることはないだろうが、それを為す術がわからない。

 ならば甲殻が完全に砕け散るそれまでに反撃の一手を紡ぎだし、それ以降は防御を捨て一気呵成に畳みかけるしかない。

 その為の術は―――ある。

『フィオーネ……頼むぞ!』

 繋がった思考により、作戦はすぐさまフィオーネに伝わる。

 フィオーネは頷くが、アルトに伝わった彼女の感情は、困惑。

(無理もない、あれだけは……私の魔術の理を超えている)

 それでも、やるしかない。

「『Dies ira, dies illa solvet saclum in favilla, teste David cum Sibylla.

 Quantus tremor est futurus, quando judex est venturus, cuncta stricte discussurus. 』―――」

 フィオーネが術を紡ぎ始める。

 即座にトールは戦鎚を彼女に向けて振わんとする。

 しかし衝撃は届かない。アルトが投擲した、自らへし折った甲殻の棘がその右腕が振り下ろされるのを妨げたからだ。

 右腕に突き刺さった棘を一瞥すると、それを払い落とすかのように今度はアルトへ向けて右袈裟に戦鎚を振るう。

 左肩の甲殻が砕ける。のみならず、貫通した衝撃により肩関節が外れる。

(砕けなかっただけマシだ!)

 自分に言い聞かせ、

「『Sanctus.』!」

 短い詠唱とともに、もう一つ棘を折り投擲する。それと同時に自身もトールへと駆けだす。

「『Sanctus.』!」

 投擲された棘の先端は魔術によって赤熱し、更に纏う風によって回転/加速する。

「『Sanctus』!」

 更なる詠唱。右手に現出した剣が雷雲を纏う。

 戦鎚がまずは飛来する棘へと振るわれる。

 砕け散る棘。しかしその砕けた破片は燐火となり、空中に静止する。

 そしてアルトがその中を潜り抜けると、燐火は剣の纏う雷雲の中に吸い込まれる。

 火焔にして氷雪にして暴風にして業雷にして鉄塊。五大を束ねし魔術の剣。

 紡ぎたるその名は―――

「聖唱三連・剋生剣!!」

 普段詠唱と同時に術式を紡ぐアルトが、唯一詠唱に予め術式を定める形式を採った魔術。

 術自体は、非常に小規模なものの組み合わせだ。

 しかし五大の力には、それぞれ互いに生み出しあい、互いに強化しあい、同時に互いに打ち消しあう力がある。

 それをすべて同時に束ねるとなれば、もたらされる力は―――混沌。

 五大の剣とも、聖剣とも、魔剣ともつかぬその一振りに、トールは歓喜の笑みを浮かべる。

「ほう、まともな攻撃も出来るではないか。貴様と対峙して初めて―――砕き甲斐があると感じたぞ」

 振るわれた剣から放たれる力の奔流。大地を砕き、大気を焦がし、大敵を飲み込まんとするその光へと、トールはミョルニルを叩きつける。

 衝撃。2人の丁度中間地点にて衝突した力と力は、巨大なクレーターを生み出し、学院の硝子窓の悉くを砕き、なおも拮抗する。

 だが、それもしばしの間だけだ。拮抗は長くは続かない。

 元より五大の干渉し合う力を束ねたもの、単純とはいえ高い制御力を必要とする。

 一撃を振るうのみならばまだしも、長時間を放つならば、ましてや更に強力な力と打ち合うならば―――やがて魔術は制御を失い、霧散してしまう。

 アルトの渾身、それすらトールは砕いてのけた。

 だが。だが、確かにアルトの一撃は、確かにミョルニルによる一撃を相殺した。

 それだけでも。アルトのひとつの目的は―――時間稼ぎは果たしたといえる。

「―――『Rex tremenda majestatis, qui salvandos salvas gratis, salva me, fons pietatis. 』」

 フィオーネの詠唱が止まる。だが、何も起こらない。

 ―――少なくとも、五大の魔術と思われるものは。

 だが、代わりに。

 代わりに、生み出されたものがある。

 フィオーネの手の内。握られる、一振りの槍。

「な……」

 それを見たトールは絶句する。それは彼がよく識る物だ。

「何故だ……何故、それを、貴様が!」

 ―――其れは、神話に伝わる槍。

 ―――曰く、その槍は勝利をもたらすと。

 ―――曰く、狙った全てを貫くと。

 ―――曰く、終末を告げる一槍であると。

「神槍グングニール!!」

 異能の領域ユグドラシルへの信仰、その主たる神格オーディンの持つ絶対勝利の神槍。

 《契約者》といえ、魔術師といえ、ただの人の身が持ち得るものではない。

 だが、それは確かに、人の姿となった竜の手に握られていた。

「簡単じゃ。ただこの場で創った、ただそれだけのことよ」

「創っただと……ありえん!!」

 さも当然のように言ってのけるフィオーネに、トールは激昂する。

 神槍が神格もなき者に握られているだけでも有り得ない事、ましてやこの場で創ったなど。

「何もおかしい事などない。我が魔術は五大。―――即ち万物を構成するとされるものの一つだ。ならば神槍であろうと。創り出してみせるさ」

 告げるアルト。

 ―――だが、それはハッタリでもあった。

 五大を世界を構成する要素と定義し、それによりあらゆる物を創り出す、アルトの真の切り札。

 だがしかし、あくまで屁理屈を捏ね繰り回して編み出した理論、本来のアルトの持つ五大の魔術の理からはかけ離れ、しかもアルトの持つ実力すらも凌駕している。

 グングニルの創造は成功した。それこそ、纏う神威すらも再現する程に。

 それでも必ずどこかに穴がある。

 一撃。それでトールを打ち倒せねばそれが最後だ。

「行くぞ戦王。此れなるこそ戦神の滅槍―――グングニール!!」

 神槍が投擲される。音もなく空間を捻じ曲げ、破砕し、消滅せしめるその神槍へ、トールは渾身の力でグングニールへ戦鎚を振るう。

 一瞬の均衡、しかし神槍を止め得るはずもなく。

 戦鎚が弾き飛ばされる。そして神槍は、トールの身体へ。

 その瞬間、鈴の音が響き渡る。

 衝撃、閃光。強烈な光でアルトとフィオーネの視界が塞がれる。

(これ、は……)

 右手で閃光から目をかばいながら、その先にいるトール……ではなくフィオーネへと意識を向ける。

 グングニールがトールに命中する間際聞こえた鈴の音。

 それが聞こえた瞬間に、フィオーネの身体から力が抜ける感覚が伝わってきた。

 ―――閃光が収まる。

 トールは、健在だった。しかし無傷ではない。

 左上半身を大きく抉られた姿で佇んでいた。

 その右手には、戦鎚ではなく硝子のようなものでできたハンドベル。

 一方で、フィオーネは脱力し、地に膝をついていた。

「ふむ……もしもの時に使えと言われていたが、まさか本当に使う事になるとはな。誇れ、我が予想より上を行ったぞ、貴様らは」

 手に持ったハンドベルを興味深げに眺めながら、仰々しくトールが言う。

「……この鈴が気になるか? なに、大した物ではない。……ただの、妖精の力を封じる魔導具だそうだ」

「……!!?」

 その言葉に、アルトは凍り付く。

「はて、なぜ妖精の力を封じるだけの物が、幻想の王種たる竜の娘に効いているのだろうか? なぁ、『竜騎士』アルト……いや、『妖精騎士』アルトよ?」

 白々しい口調で疑問を告げるトール。

 しかしそれは―――彼の、彼らの持つ最大の秘密を暴くものだった。

「何故……何故、それを貴様が知っている!」

「何故? "噂"を聞いただけのことよ。《契約》したとはいえ相方は妖精、さしたる力も持たず鳴かず飛ばずだった騎士に持ちかけられた実験。死したる竜の骸に妖精を込め、『妖精騎士』を『竜騎士』という英雄として喧伝した、という噂をな」

「……可能性は想定していたが、全て筒抜けか」

 ―――そう。アルトは、そしてフィオーネは。正道の騎士ではなかった。

 トールの語る"噂"は事実である。

 ありふれた、少々の魔術を修めただけの騎士であったアルトが偶然出会い《契約》を交わした妖精種の少女、それがフィオーネであった。

 《契約》を交わしたとはいえ、元より才に恵まれない騎士と元より戦いに向かない幻想存在である妖精種、強大な力を身に着けることもできずにいた。

 そんな中、彼らに持ちかけられたのが永き刻を経て朽ちゆく竜に別の魂を込め、その力を手に入れるという外法の計画。

 そして計画は成功し―――フィオーネは竜となった。

 竜の姿、竜の記憶、竜の能力を彼女は、手に入れたのだ。

 アルトもまた竜と《契約》した騎士」としてその力を振るい、帝国有数の騎士となった。

 しかしそれでも完全ではない。フィオーネには竜種の絶対的な"格"だけは手に入れることはできなかった。

 故に本物の竜種と比べれば致命的な力の差が残っている。

 当然、竜種に匹敵する幻想の王とも。

「だからといって態々そのような魔道具まで用意するとはの……戦王たる者、小細工などに手は出さんと思っておったが」

「贋物が言えた台詞ではあるまい。……その贋物にここまでしてやられたのは屈辱であるが」

 抉られた半身へ視線を向けるトール。

 そしてアルトとフィオーネへ一瞥を向けると弾き飛ばされたミョルニルを拾い上げ、そのままこの場を立ち去ろうとする。

「何処へ行く、トール!」

「貴様らの底は知れた。態々我がヴァルハラへ送るまでもない。戦が始まれば誰かがお前を殺すだろう」

「ふん、半身を消し飛ばされて大層な事を。お主とてこれ以上戦闘を続ける力が残っていないだけじゃろう」

 息も絶え絶えに言うフィオーネ。

「……貴様等に止めを刺せぬ程消耗していると思うか」

「……少なくとも、それに対してこちらは為す術はない」

「なればこそ。逃げも隠れも防ぎも反撃もせぬ獲物など、狩りの対象ではない。木偶人形にすら劣る」

 ―――違いない、とアルトは思う。

 例えここで命を繋げようと、最早セレスの下へ行く力は残っていない

 最後の要、ナシュトに託すしかない。

 今の自分に出来ることは、去りゆくトールへ憎悪の視線を向けることのみ―――

「おい。人の庭で散々暴れといて主に何の謝罪もねえたぁ何事だ?」

「「―――!」」

 投げ掛けられる、男の声。

 少し遅れ、アルトとトールの中間の位置にその男が"降って"きた。

「『大魔導士』トウヤ・ロクジョウ―――!」

 土煙の中から現れたその男の姿に、歓喜の笑みを浮かべるトール。

「これは僥倖! この場所で戦う以上もしやと思っていたが、まさかこうして相見えることが出来様とは! つまらぬ者も相手にしてみるものだ!」

「おいおい、その有様で俺とやりあおうってのか? 別に構わねえがよ、楽に倒せる」

「この程度。貴様のような強者と戦えるのならば、半身が砕けていようと! 万全と変わらぬ力を」

 その言葉を聞いたトウヤは大笑いする。

「ハハッ、面白れぇな、お前―――」

 ―――だがその笑いは一転、無表情になり―――

「―――まさか万全なら魔術師の工房で魔術師に勝てると思ってるんじゃねえよな」

「―――!!」

 向けられた鋭い、貫くような殺意に咄嗟にミョルニルを振り被るトール。

 だが。

「……どうした? さっさと打ち据えてみろよ。 こっちはとっくに必殺突きつけてるんだぜ」

 振り上げられた戦鎚は、振り下ろされることなく。

 否、それどころか、トールはその体勢のまま身動きすらできず。

 一瞬。アルトとトールですら「動いた」とまでしか認識できない程の速度で、トウヤはトールに密着した距離まで詰めた。

 その右拳はトールの胴体に触れるか触れないかの距離で止められている。

 この距離では突いたところでさしたる威力はでない。通常なら。

 しかしトウヤは撃てる。この距離からでも、絶大な威力を誇る一打を。

「その必中、振らねえのかい? 振れば当たるんだろ? ―――遠くにいなきゃ、当てられねえか?」

 トールの目が、驚いたように見開かれる。

「何故、って顔だな。なに、伊達に500年も生きちゃいねえってことさ。もっともお前は―――おっと」

 何かに気付いたトウヤが、後方の何もない空間に回し蹴りを放つ。

 虚空への蹴り、しかしそれは飛来した"何か"を弾き飛ばす。

 その隙にトールは飛び退り、トウヤから距離を取る。

「魔力弾か……方向は分かるが感知できねぇ程の距離からか。しかも鋭ぇ、不意打ち喰らったらタダじゃ済まねぇな」

 そんなものを蹴りで―――しかも無傷で―――打ち落としたのか……とフィオーネは内心呆れる。

「まあ1人増えようが2人増えようが構わねぇよ。両方ともぶっ飛ばして―――」

「―――悪いが」

 刹那。轟と音を立ててトウヤたちの周囲をぐるりと漆黒の炎が取り囲む。

「そうはさせない。少なくとも、今は」

 男―――青年と思しき声。

「新手か!?」

 アルトが叫ぶ。だが、男の姿は見えない。

「ふん。要らん手助けを……」

 トールはそう呟くと、再び身を翻し、跳び去っていった。

「追わないのですか?」

「追いたいのは山々なんだがなぁ……こいつぁ無理だわ」

 頭を掻きながら、炎の吹きあがる石畳を指し示す。

「―――!?」

 ―――炎に触れている石畳が、徐々に崩れていく。熱によるものではない。何か別の―――

「残念だが消えるのを待つしかねえな。後は託すしかねぇ」

「……」

 その場に座り込み、アルトは空を見上げる。

 雨は未だ降りしきり、砕けた甲殻を雨粒が叩く。

(頼むぞ、少年……)



4.


「駆け貫け、ナイト・オブ・キャロル!」

 降り注ぐ高重力の力を物ともせず、白き騎士が操る駿馬が駆ける。

 御伽話の騎士《ナイト・オブ・キャロル》。《善なる影》が編み出す幻想のひとつ。

 目指すは黒き英雄、ゴスペル・ゲオルギウス。

 大岩すら紙の如く穿つ騎馬鎗を携え、大敵を撃ち抜かんと疾走する。

 迎え撃つゴスペルは両腕を軽く広げ、肘を軽く曲げ、異能により形成されたその重厚な手甲に包まれた拳を固く握り締めるのみ。

 一見無防備な構え。だが《影(シャッガイ)》はそこに一切の隙を感じない。

(基本的な戦闘技法は鍛え抜かれた無頼の体術……一番厄介な類だ、弱点がない。それにあの手甲――――)

『―――!』

 ナイト・オブ・キャロルが声なき雄叫びと共に騎馬鎗を振るう。

 風雨を裂き振るわれる騎馬鎗。堅牢な甲殻を持つ《幻想存在》すら容易く穿つ一撃。

 だが、ゴスペルには届かない。その切っ先、容易くその腕に掴まれ。

「……」

 騎馬鎗がまるで飴細工の如く容易く握り潰される。

 そしてゴスペルがその腕を引くと同時、纏う重力―――引力が騎士を引き寄せ、騎馬から引きずり下ろす。

(―――引力を纏うか。迂闊に避けようとしても、引き寄せられてしまう。かといってウォーライオンを一撃で砕く拳、そう防げるものでもない。ならば―――)

 放たれる剛腕。バランスを崩したナイト・オブ・キャロルに防ぐすべはない。―――ナイト・オブ・キャロルには。

 兜から、紺に輝く双眸が覗く。瞬間、纏う鎧が、内側から押し開かれる。

 その内から溢れ出た異なる《幻想》―――トランプの兵士(ナイツ・オブ・カーズ)達が、拳を遮る。

 ナイト・オブ・キャロルの本来の能力は《幻想》の運び手。騎士としての能力など、それを効果的に運用するための付随効果に過ぎない。

 数にして52ものトランプの兵士達が重なりあい、ナイト・オブ・キャロルの盾となる。

(防げるのなら幸い、一枚でも残り僅かでも力を吸収できるのならば―――!)

 ―――剛腕がナイツ・オブ・カーズ達に突き立つ。

 ほんの僅かな抵抗すらゴスペルに感じさせず、トランプの兵士達は千々に破れ散る。

(―――やはり防ぐことすら無理か。ならば)

 ナイツ・オブ・カーズの破片が紺の光に還り、一つに束なり、再び別の姿を為す。

「マッドハッター!」

 形成された狂える帽子屋(マッドハッター)が、纏う帽子から無数の拘束具を射出する。

 ゴスペルは右腕を振り払う。その圧と、纏う引力が、放たれた拘束具の悉くを打ち落とす。

 ―――その一瞬に、ナイト・オブ・キャロルの兜を内側から割り砕かれる。

 現れたのは、ナイト・オブ・キャロルの頭部よりも遥かに大きい、卵型の《幻想》。砲弾の如くゴスペルへ突進する。

 その剛腕で《幻想》を掴み止めようとするゴスペル。

 ―――だが、それはただの砲弾ではない。炸裂弾だ。

「爆ぜろ、ハンプティ・ダンプティ!」

 命令と共に、《幻想》がゴスペルへ向けて炸裂する。

 ゴスペルの重力防御を抜き得る威力を持たせた渾身の一撃。だが―――

「なっ……!?」

 ―――"打ち抜かれた"。弾丸の如く飛来する《幻想》の破片を、その背後にいるナイト・オブ・キャロル毎拳圧で打ち砕いたのだ。

 虚を突いた一撃。しかしそれを遥かに上回る反応速度を以って迎撃してのけた。

(―――違う。体術だけではない。あの腕、引力による敵の引き寄せに加え拳の加速も行っている。その相乗効果があの破壊力か)

 成程、最初に自分が出て良かった、と影《シャッガイ》は思う。

 《幻想》の操作による戦闘を得意とする自分ならば《幻想》を尖兵とすることで攻撃の正体を見定めることができたが、焔(フォーマルハウト)であればそれが出来ぬまま不意を突かれていたかもしれない。

 それに、自分ならば。敵の高重力による攻撃も防御も無視する方法が、ある。

「―――行くがいい!」

 声に応じ、ゴスペルの背後の地面から、1体のナイツ・オブ・カーズが飛び出す。

 全53体のトランプの兵士、その最後の1体を、影(シャッガイ)は密かに地面に潜らせていた。

 トランプの兵士が出現した瞬間、ゴスペルは振り向きざまの拳を振るう。

 ―――だが。

「……むぅっ!?」

 初めてゴスペルが驚愕の表情を僅かながらも浮かべる。

 拳は、トランプの兵士を砕けない。

 その高重力の篭手、空間ごと抉り取られて!

「チェシャ!」

 高重力を喰らった、空間ごと避けた口を持つ猫がケラケラと笑う。

 空間を喰らうチェシャの力をナイツ・オブ・カーズに吸収させ、放出と同時にその力に《幻想》のカタチを与える、曲芸のような手段。

 それだけに、効果はあった。如何に高重力をまとっていようと、その周囲の空間ごと削り取ってしまえば何の意味も為さなくなる。

 僅かにではあるが。チェシャの牙は、手甲を超え、ゴスペルの肉体をも削った。

 傷を与えられるならば、勝機はまだある。

 手甲を一瞬にて再生させたゴスペルは、ケラケラと笑い続けるチェシャへと拳を振り下ろす。

 だがチェシャは避けるでもなく、防ぐでもなく、その大口を開けてゴスペルへと突進する。

 振り下ろされた拳を、その大口で噛み切らんとするチェシャ。

 牙は手甲の半ばまで食い込み―――しかしそこで止まった。

(止めた!? 一体―――)

 空間ごと削るチェシャ、その牙を防ぐ術があるとすれば―――

「重力で、空間を歪めるか―――!」

 ただただ単純に異能を極限まで高めた、小細工など一切ない力技。

 あらゆる小細工をねじ伏せる剛の力である。

 これで自分が為し得る、効果が見込める攻撃は尽きた。だが同時に、ゴスペルの力もそれなりに見定めることができた。

 ならば、残る最大の力を叩きこんだ後、《悪なる焔》へ決着を託す他ない。

(セレスがいる、アリスは使えない……ならば!)

 上空で集い編み上げられる巨大な紺の光。それは一つの存在をカタチづくる。

 蛇の如く異様に長い首、その先にある角ある頭部が有する咢にはデタラメに打ち付けたかような乱杭歯。

 巨大な翼にはしかし被膜がなく、ただ蔦で編み上げられたような骨格があるのみ。

 四肢は細く歪にねじ曲がり、尾からはまた適当に生えたような尾鰭が伸びている。

 個々のパーツは歪だが、そのシルエットは彼の存在を表していた。

「―――ドラゴン!?」

 その姿を見たセレスが驚愕の声を上げる。

「来たれ幻想、歪なる欺瞞の竜―――ジャバウォック!!」

 ジャバウォック。歪なる竜の似姿。

 《善なる影》が有する、最も強靭なる『幻想』。

 『喰らう力』や錬気、その他能力こそ持ち得ないが、成体の竜に匹敵する身体能力を有する小細工なしの力の顕現。

「全身全霊だ。―――征け、ジャバウォック!!」

『OOOOOOOOOOOOOOO!!』

咆哮をあげ、ゴスペルへと襲い掛かるジャバウォック。

その体躯へと、高重力の圧が降り注ぎ、重力の壁が立ちふさがる。

 だが、そんなものは障害にすらならない。竜の力は、それを容易く打ち破る。

「成程」

 迫るジャバウォックの姿を見据えながら、ゴスペルは小さく呟く。

「全身全霊、そう称するのにふさわしいだろう。だが。

 ゴスペルは静かに、ゆっくりとした動作で初めて構える。

 その右腕に収束する異能の力。

「―――竜を砕くのは久方ぶりだ」

 放たれる拳。

 ―――世界に、罅が入る。

 術理は単純明快、空間を極限まで歪め、割った。

 先程チェシャの攻撃を防いだ空間歪曲を更に高め、攻撃に転換した、ただそれだけのものだ。

 だがそれ故に強い。

 如何に強固な鱗であろうと、甲殻であろうと。

 空間ごと割られてしまえば、何の意味もないのだから。

 広がる罅がジャバウォックを飲み込み、千々に断ち切る。

 否、それだけではない。割られた空間に働く修復力、その揺り戻しが衝撃となりジャバウォックを消し飛ばす。

 ジャバウォックを構成していた『幻想』がカタチを失い、紺色の煙となって周囲一帯を埋め尽くす。

 視界を覆われつつも、動ずることなく、煙の先を見据える。

 そこへ―――

「ヴォルカニック―――」

 膨大な熱量が、煙の中で発生する。

 そして煙を裂いて現れるのは―――

「―――ランサーダート!」

 破壊の焔を纏う、悪なる顕現。

「新手、いや……別の姿か」

「『|悪なる焔《フォーマルハウト≫』! 今度は俺に付き合ってもらうぜ!」

 『幻想』を纏う矛へと姿を変えたバーストと、ゴスペルの重力腕がぶつかりあう。

 拮抗する力。否、僅かながらに押されてはいるが。

 破壊の『幻想』がゴスペルの纏う重力を焼き、砕く事でその威力を大幅に減衰させていた。

「異能の力自体を破壊するか」

「気に食わねえが影(シャッガイ)の奴がテメエの力引きだしたお蔭でできる芸当よ! 完全にブッ壊せねぇのが癪だがなぁ!」

 叫びながら、幾度も矛をゴスペルへ振るう焔(フォーマルハウト)。

 しかしゴスペルはその悉くを僅かな動きでそれを捌いていく。

「チッ! 流石にこれだけじゃ体術は抜けねえか……だったら、これはどうだ!」

 片手に発生させた破壊の『幻想』を焔(フォーマルハウト)は無造作に放つ。

「え―――」

 ―――セレスに向けて。

「貴様っ―――!?」

 発生させた高重力でそれを打ち落とすゴスペル。

 ―――そこに隙が生まれる。

「もらったァ!!」

 哄笑と共に振り下ろされた矛を半身を翻して回避するゴスペル。

 しかし纏う破壊の炎がその身体を掠め、焼き焦がす。

 異能を振るい焔(フォーマルハウト)を吹き飛ばす。

 矛を地面に突き立て、遠くへ飛ばされるのを焔(フォーマルハウト)は防ぐ。

「守るべき者へ害を為すなど……その力、完全に制御できていないな。愚かな」

「ハ。ナルホド、ここで死なれるのはマズイってわけか。―――要するに、民の前で殺して自分が帝王だと宣言してえワケだな」

「……」

 ゴスペルの目つきが、僅かに険しい物となる。

「テメエみてぇなのが支配欲に溺れるとは思えねぇ。金、名誉、女。……どれもテメェは見ちゃいねえ。となりゃあ、残るは―――戦、だな」

「―――然り」

「ほう、気が合うねえ。俺も戦争は好きだぜ。勝利の先にある蹂躙、ゾクゾクするぜ」

 ……ゴスペルの視線が、失望の物に変わった。

「否。我らが望むは誇り高き戦い、その先にある死なり」

「……あ?」

 理解できない、というように眉を顰める焔(フォーマルハウト)。

「なんだそりゃあ。新手の自殺か」

「全ては、我等の手に名誉ある死を、ヴァルハラを取り戻すため。……これ以上語ることなどない」

 構えを変えるゴスペル。

 初めて、明確に戦闘体勢とわかる構えを見せる。

 ―――大地が、空気が振動する程の『異能』の高まり。

「ああ、テメェに興味も失せた。望み通り殺してやるよ」

 ―――矛に破壊の『幻想』が収束する。

 そして―――

「ヴォルカニック・ディザスター!!」

 先に動いたのは焔(フォーマルハウト)だった。

 矛に収束させた破壊の『幻想』を解放し、横薙ぎに振るう。

 大地を焼き砕き、大気を焼き焦がし、ゴスペルへと飛翔する火焔。

 それに対し、ゴスペルは。

「……」

 静かに、拳を放つと同時に『異能』を解き放つ。

 ―――世界が、歪む。

 火焔が飲み込まれる。拮抗すらない。

「チッ……」

 即座に構え直す焔(フォーマルハウト)。

 しかし、遅い。

 刹那のうちに間合いを詰めたゴスペルが、目の前に。

 ―――轟音。

 およそ人体が叩かれた音とは思えぬ音。

 そして―――命が、砕ける音。

 おびただしい血を吐きだし、焔(フォーマルハウト)の姿が崩れ、ナシュトの姿へと戻る。

「ナシュト!!」

 セレスの悲鳴。

 しかし、既にナシュトの耳には届いていない。

 ―――内蔵の多くが破裂した。骨も、少なくとも胴の物はよくて複雑骨折、最悪粉砕。

 ―――最早、即死も免れないダメージだ。

 倒れ伏すナシュト。

 地面に広がっていく血の海を、雨粒がより広げていく。

 その光景に、へたり込むセレス。

「……さあ、姫様。貴女を護る者は倒れた。大人しく私に従っていただきたい」

 『異能』の篭手を解除し、セレスへ手を差し伸べるゴスペル。

 その姿を、セレスは憎悪の視線を向け―――

「ええ、従いましょう……貴方ではなく、ナシュトに!」

 そう言って、彼女の『異能』で作りだした短剣を自らの喉元に突き立てようとする。

 だが、僅かに刃が肉に達した所で、容易くゴスペルに短剣を叩き落とされ、宙に浮かばされる。

 せめてもの抵抗として無数の飛翔する刃をゴスペルと自らへ向けるも、触れることすらかなわず全て『異能』に打ち払われる

「それが貴女の答えですか。ならば」

 ゴスペルが懐から取り出した一枚の札をセレスへと貼り付ける。

 ―――セレスを襲う、強烈な眠気。

 なんとか抗おうとするも、数十秒と経たず、その意識は途切れた。

「……」

 意識を失ったセレスを肩に担ぐゴスペル。

「ま……て……」

 背後からの声。

 振り向くと、倒れ伏したナシュトがゴスペルへ少しずつ這っている。

「よく闘った、少年よ。無謀なれど、その魂は必ずやヴァルハラへと至るだろう」

「セレスを……離、せ」

 手を伸ばす。

 セレスへ。未だゴスペルへの闘志を、ほぼ見えていないであろう瞳に燃やして。

 けれど。肉体は、限界だった。

 力尽き、地へ落ちる伸ばされた腕。

 ゴスペルは静かにそれを見つめていた。

「……」

「終わったかのう?」

 ゴスペルの周囲に、4つの影が現れる。

 ―――否、4つではない。

 その内の1つ、カーンズが女性―――シーラをを担いでいた。

「……他の近衛の始末はどうした」

「グラディウスは殺した。キースやアルトは……『貴石の騎士』や『大魔導士』を相手にしてまで潰すこともないだろう」

「……ならば帰還する。為さねばならぬ事は多い」

 ―――そこへ―――

「勢揃いか。一々探し回らねえで済む」

「貴様は……」

 蒼の装甲で全身を覆った男。

 月明りもあまり届かぬ闇夜に、その兜の面(フェイス)が妖しく灯る。

「名乗るとでも? テメェ等をここで殺す男だ、それ以上は必要ねえ」

 挑発に構えるラティス。

 しかしゴスペルはそれを制する。

 それを視界の端に、男―――リョウは倒れているナシュトを一瞥する。

「……随分やってくれたようだな。いや、死なねえだけ期待通りではあるか。……さて、死ぬ準備はいいか、テメェら」

「……ここで御身と刃を交える気はない。お引き取りを」

 ―――ゴスペルの言葉に、リョウがその動きを止める。

「テメェ……今、なんつった」

 面(フェイス)の光が揺れ、浮かび上がるより強く輝く三つの光。

 それは、まるで―――

「我等が行動と御身の望み、利害は一致していると、あの女から聞いている」

「女だと……? そういうことかよ。なら行っちまえ、この場だけは見逃してやる」

「いいのか、ゴスペルよ。たかが1人、潰すのも手間ではあるまい」

「構わん。行くぞ」

 ゴスペルがそう言うと、彼等を囲むように、足元に赤い魔法陣が展開される。

(転移陣……そう遠い距離じゃねえな。となれば……他に移動手段用意してるみてえだな。まあいい)

 まずは、と1人呟き、倒れ伏すナシュトを見下ろす。

「こいつを、どうにかしねえとな」

 

次回予告

「奪われし者の想い。それは悲しみ。嘆き。怒り。憎しみ」

「抱く感情がいずれであろうとも、人は奪われた時にこそ想いの極限(はて)を見る」

「なればこそ、我等は人を観察し、嘲笑するのであろう」

「ああ、だがこの展開は些か我等の求めるものとは異なる」

「さすれば、演出すべきはひとつ。ご都合主義を―――」


 次回 繚乱のファンタズマゴリア 第31話 あがき~されど我は星を求む者なれば~

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