繚乱のファンタズマゴリア 30 喪の夜 1
1.
―――城内は混乱に包まれていた。
予兆もなく湧き出た廊下を埋め尽くすほどの紙の鳥―――式神と、城内のあらゆる結界の無効化によって。
式神。憑代―――大抵は紙の―――に術式を込めた使い捨ての簡易使い魔。製作の手間の割に目くらまし程度しか用途がない代物だ。
しかし今回は、"これ"は違った。紙の縁を鋭利化する魔術が追加で付与されており、鋼鉄に傷を付ける程の切れ味となっているのだ。
致命の威力でこそないものの、文字通り廊下を埋め尽くす程の数が蠢いているのだ。下手に廊下に出ればただでは済まないだろう。
とはいえ所詮紙でできた代物、式神を一瞬で焼き払える火力を持つ火炎系の異能などを全身に纏えば、或いは全身を覆う重鎧に身を包めば容易く防ぐ事が出来る。―――その類の異能を持つ者がいれば、の話だが。
不幸にも現在、この城内にその類の異能を使用できる者がいないのだ。
大隊長たる灼炎の異能使いたる騎士『灼光』ベイグラントや幻想の王たる存在より自身の名を直接授けられた疾風の騎士『晴嵐』ミランダも、共に今夜は自宅で休養をとっている。
否、完全にその類の異能使いがいないわけではない。自らの炎熱を以って迎撃しようとした者もいた。
しかし彼は絶えず出現を続ける式神に次第に押されるようになり、やがて全身を切り刻まれなんとか安全な部屋へと撤退した。
その上、兵士たちは普段は軽鎧を装着しており、重鎧はすべて武器庫の中だ。それを回収しようにも、武器庫へ無事に辿り着くことすら難しい。
救援を要請しようにも結界や連絡用の魔術はすべて無効化されており、直に伝令を出そうにも廊下は完全に制圧されている。
……完全な孤立状態であった。
―――そんな中を、ただ一人駆ける者がいた。ナシュトである。
その周囲を取り巻くのは紺色の炎。―――『ナシュト・ケム』として有する幻想の一つ、篝火の『幻想』、ウィル・オ・ウィスプである。
本来ならば道を照らすだけの弱い焔の幻想だが、ナシュトは自らの意識を『善なる影』のそれに近づけることで烈火の炎へと変質させた。
完全な自立行動を行うこの篝火の幻想が、式神の一切をナシュトに寄せ付けない。
式神に支配されたこの廊下にあって、ナシュトだけが一切の妨げを受けずに駆けていく。
しかし、式神はナシュトの走りこそ妨げないものの、視界は大きく制限される。そのためナシュトは記憶だけを頼りに目的地へと向かわなくてはいけかった。
その状況が、ナシュトに更なる焦りをもたらす。
(一体どこからこんな数の式神が―――!!)
―――尋常でないのはその数だけではない。その手の込み具合もだ。
これだけの質と数の式神を揃えるとなれば、相当の時間が必要だろう。
いったい何時からこの襲撃の準備をしていたのか。用意周到と言うにも程がある。
それに―――これはあくまでナシュトの推察でしかないが―――襲撃者は城の内情を知っている。
少なくともナシュトが知る限り、これだけの数の式神に対応できるであろう異能を持つ騎士は今夜この城内に居ない。
たった一晩の機会を狙い澄ました襲撃、偶然とは思えない。
ならば―――
『内通者、だろう』
『影』の声。想定したくないその答えに、ナシュトは歯噛みする。
とにかく、早くセレスの所へ行かなくては。そう考えてナシュトは更に脚を早める。
だが……既に致命的な状況となっていることに、この時のナシュトはまだ気付いていなかった。
「セレス―――!!」
記憶を頼りにようやくセレスの部屋の前へと辿り着いたナシュトが部屋に飛び込む。
その隙を狙って何体もの式神が部屋に突入しようとしたが、全てウィル・オ・ウィスプによって焼き払われた。
「ナシュト! 無事だったのですね!」
駆け寄ってくるセレス。その姿を見て、無事でよかったとナシュトは一先ず安心する。
―――だが、セレスの後ろに見えた光景を見てすぐに無事であったという考えを改める。
部屋の中央、顔をしかめたキースが右腕を押さえている。その右腕からは黒と赤がまじりあった液体がしたたり落ちていた。
「キースさん、その腕は!?」
ナシュトの声に、キースは無言で腕の"それ"を見せる。
――― "それ"は、ナシュトもよく知る物だった。
「封印式!?」
短剣バーストの力を収める為の封印布に刻まれた魔術文字。それと全く同じものが、キースの右腕に包帯を巻き付けた様に刻印されていた。
墨を操る魔術師が部屋に攻撃を仕掛け、セレスを庇った際に封印式を入れ墨のように打ち込まれたのだとキースは語る。
改めて部屋を見回してみると、確かにそこかしこに黒い染みが飛び散っている。
この式が封印できるのは魔術だけではない、異能もだ。
幸か不幸か、異能そのものが完全に封印されることは避けられたが、それでも万全に異能を使用することは不可能な状態になっている。
単純な魔術による封印ならば解除も可能だが、物理的な刻印となっているこれを無効化することは難しいだろう。
「……すみません。副隊長ともあろう者が、容易く弱体化の策に嵌まってしまうなど……」
「姫に変な物打ち込まれるよりはましよ。それより今はこれからの事を考えないと。外は式神の大群、かといってここにいてもいつまた景弘の奴が仕掛けて来るかわかったもんじゃないし……」
「隠し通路はどうなんですか?」
ナシュトが尋ねる。
セレスを匿うだけあり、この部屋には非常用の通路が隠されているのだ。
だが、シーラは首を横に振る。
「残念だけど、この状況で隠し通路が察知されてないとは思えないわ。下手したら待ち伏せしててもおかしくない。行くとしたら、交戦を覚悟しないと」
「ナシュト君。先程の炎の『幻想』、式神から姫とあなたの二人を守れる出力はありますか?」
ナシュトは難しいと答える。
ウィル・オ・ウィスプはあくまで「道を照らす」為の『幻想』だ。戦闘向きではない。
『可能性変生』の応用によってようやく一人をカバーできる火力になる程度だ。二人分を守るには程遠い。
セレスと共にあの中を突破するとしたら、『可能性変生』が必要だろう。
「切り札を晒すことになりますか……せめて隊長かフィオーネがいれば身動きしやすいのですが」
だが、肝心の二人はいない。
―――妙に遅いとナシュトは思う。二人の能力ならばあの式神程度に手こずるはずはない。
だというのに、未だこの部屋に姿を現していない。
考えられる可能性は……敵と既に交戦状態になっていること。
だとしたら、このまま二人を待つのも得策ではない。
「というか、グラウディスも何やってんのよ! 少年が起きる前にふらっと出てって、そのまんま戻ってこないし!!」
「落ち着いてくださいシーラ。―――仕方ありません。隠し通路を―――」
「……待ってください!!」
壁に隠された隠し通路を開く仕掛けを解こうとしたキースをセレスが引き止める。
「―――来ます!」
―――何が、とは誰も問わなかった。セレスが言い終えるよりも前に、"それ"を感じ取ったからだ。
言い表しがたい、悍ましい腐臭。
ナシュトはこの臭いを知っていた。
とある遺跡を探索している時に遭遇した、自分が知る限り最も厄介かつ危険な幻想存在。
「これは―――ティンダロスの猟犬!?」
ナシュトが声を上げると同時に、部屋に存在する角という角から、腐汁を滴らせる目のない奇怪な四足獣が出現し、彼らに襲い掛かった。
―――ティンダロスの猟犬。亜空間からあらゆる"鋭角"を通じて出現し獲物を狩る幻想存在。
ほぼ無条件に等しい転移能力に加え獣型の幻想存在の中でも最も執拗かつ残忍な性質を持つ危険な相手だ。
そして、この閉所においては最も遭遇したくない相手。
「ウィル・オ・ウィスプ! セレスを守れ!!」
『幻想』に指示を出しつつセレスに飛び掛かる猟犬の一体をバーストで迎撃するナシュト。
ティンダロスの猟犬相手にウィル・オ・ウィスプでは心許ないが、無いよりはましだ。
ウィル・オ・ウィスプがセレスの周囲に渦巻き、更にそれを囲む様してキースとシーラが構える。
恐らく異能を封印されている今ではそれが精一杯なのだろう、キースは異能『ウルタール』で形成された曲刀を一本握るのみだ。
シーラの水の結界も、鋭角を自在に移動する猟犬相手にはさしたる足止めにもならない。
―――可能な限り自分だけで猟犬を殲滅しなければ。そう考え、他の二人とは真逆に積極的に猟犬へと挑みかかる。
「ハッ!」
低い姿勢で跳びかかってきた猟犬の頭に向けて、逆手持ちにしたバーストを振り上げる。切っ先から伸びる不可視の刀身が猟犬の頭部を切り裂く。
如何な幻想存在でも頭部を破壊されて生きていられるものは少ない。猟犬もまた同じだ。
だが、狙いは外れる。確かに不可視の頭身は猟犬の下顎までを両断したが、猟犬がすぐさまバーストの刀身を通じ亜空間へと逃れたのだ。
これがナシュトがティンダロスの猟犬を危険視する理由だ。
刃物や槍など鋭利な武器でこの猟犬を斬ろうとしても、刃をはじめとした得物の鋭角を通じて逃げられてしまう。
刀身よりも長い斬撃範囲を有するバーストだからこそ、多少のダメージを与えられたのだ。
ティンダロスの猟犬を倒せる武器は鋭角の存在しない武器だけ。そんな武器は滅多に存在しない。
もしそのような武器を持っていたとしても、この部屋のように鋭角に満ちた空間で猟犬に効果的な一撃を与えるのは難しいだろう。
今のナシュトが採れる猟犬を倒す方法はひとつ。
続けさまに視界に入ったティンダロスの猟犬に斬りかかる。先程と同じく、バーストの仮想刀身が猟犬の身体に少しの傷を付けるものの、すぐに逃げられてしまう。
しかも、大振りの一撃を避けられたことで、ナシュトに隙ができる。それを見逃すティンダロスの猟犬ではない。
隙だらけの背中に向けて、背後に転移した猟犬が跳びかかる。
―――だが、先程の一撃は元より当てるつもりのない攻撃。目的は―――この瞬間!
「来い、『幻想』!!」
ナシュトの背中から、二本の触手のような『幻想』が飛び出し、猟犬の胴体に巻き付く。
猟犬はすぐさま近くにあった鋭角を使用し転移しようとする。だが、生まれたその隙は猟犬にとって致命的なものとなった。
「限定変生―――」
背後へ振り向きざま、ナシュトの左腕が『幻想』に包まれる。
「―――『悪なる焔』!!」
『幻想』がカタチづくるのは、ナシュトの悪なる可能性『悪なる焔』。たった右腕だけの変生だが、猟犬を倒すには十分。
圧倒的な破壊の焔の『幻想』を纏った掌底が、猟犬の頭部へと放たれる。
それを避けることも敵わず、猟犬は頭部どころか胴体の半ばまでを消し飛ばされた。
「次ィ!!」
部分的とはいえ悪なる可能性を顕現させたことによる戦闘に対する異常な昂揚と猟犬がまき散らす腐臭により感覚を乱されつつも、次の1体に挑みかかりつつ周囲を確認する。
恐らくの所猟犬は5体。内1体は経った今討伐した。残るは4体、うち1体は先程バーストにより下顎に傷を負った個体。
姿は見えないが、ナシュトに対して向けられている特に強い殺気の主がそれだろう。
更に2体が、キースとシーラに襲い掛かっている。実力を発揮できない上に相性の悪い相手、セレスに近づけさせてはいないが、やはり二人とも苦戦している。
やはり状況はかなりの不利だ。
突発的な思い付きで組み立てた限定変生は猟犬に効果的であるものの、防戦一方で維持し続けられるほど消耗が少ない訳でもない。
加えて言えば、ウィル・オ・ウィスプの強化の為に意識を『善なる影』寄りにしていた所に左腕だけを『悪なる焔』へと変化させた事により、予想より強い負担がかかっている。攻めるにしても、そう時間はかけられない。
かといって完全な変生を発動すればセレスに対する守りが疎かになりかねない。
(せめてもう少し効果的な攻撃が出来れば―――!)
焦りを募らせるナシュト。
―――そして、求めた「効果的な攻撃」は、予想外の場所から放たれることとなった。
セレスは渦巻くウィル・オ・ウィスプの隙間から状況を見つめていた。
転移の能力を持つ幻想存在。ナシュト達が持つ武器で倒すことはまず不可能。
異能による攻撃も、"今の"シーラには猟犬を倒す程の威力は出せない。ナシュトは威力こそ猟犬を一撃で倒すことが可能だが、ウィル・オ・ウィスプに力のリソースの多くを割いている為今一動きが良くない。
―――このままで消耗戦を続けてたとして、襲撃を凌いだことにはならない。
恐らくティンダロスの猟犬ですら尖兵に過ぎない。先程から感じる心を押しつぶすような重圧感が、襲撃がこんなものではないと語っている。
(私に、できること―――)
炎の隙間から猟犬を見据える。自分にできることはひとつ。
「ナシュト―――この炎を解いてください! 私も戦います!!」
「セレス!?」
「倒し方はわかりました。この幻想存在を倒すなら、私の方が上手くやれるはずです」
「いや、でも……」
ナシュトは逡巡する。
確かにセレスも武術をやっているという話は聞いたことがあるが、この状況で彼女を敵の目前に晒すことには流石に躊躇いを感じた。
「……ナシュト君、解除してください。―――大丈夫、姫様がやれると言うのならばやれます」
キースに念を押され、ナシュトは諦めてウィル・オ・ウィスプを消失させる。
「セレス、無茶はしないで。危ないと思ったらすぐにまたウィル・オ・ウィスプを出すから」
「ええ、ありがとうございます」
ナシュトに対して目礼して、セレスは己が異能を発動する。
「―――『イリジア』」
セレスの周囲に純白の燐光が舞う。
―――キレイだ。この状況にあって、ナシュトの脳裏に浮かんだ言葉はその一言に尽きた。
同時にセレスの肉体にも変化が顕れた。その双眸に浮かび上がるのは輝く純白の五芒星。
足元にも同じく五芒星、異能の領域たるペンタグラムの図が浮かぶ。
そして。
「ステバノス・ケイモーン!!」
セレスの声に応じて燐光が収束し、形をつくる。
―――それは浮遊する回転刃。数にして20。
「行って!」
セレスの号令と共に、回転刃がティンダロスの猟犬の内2体に向けて放たれる。
―――駄目だ、そうナシュトが叫ぼうとする。
回転する刃は鋭利だ。しかもそれ程の数があれば、みすみす逃げ場を作る事になってしまう。
だが、その心配は無用であった。
ナシュトの予想通り、猟犬2体とも無数の回転刃が触れるギリギリで手近な回転刃を使用し転移する。否、しようとした。
「テュテーリオン・ヴォンヴァ!」
セレスが再び号令を発する。それと同時に、猟犬が鋭角へと半ば身を滑らせていた回転刃が爆ぜる。
『―――!!?』
「―――そうか!!」
爆発自体はあまり大きなものではない。しかし転移に使用していた回転刃が消失したことで鋭角を通じた別次元との繋がりを身体ごと切断され、残った下半身が床へぼとりと落ちる。
ティンダロスの猟犬の持つ転移能力の条件を上手く利用した攻撃にナシュトは感心する。
―――『イリジア』。使用者が望む『武器』を自在に作り出す異能。あくまで創りだせるのは『武器』だけだが、応用性はこの上なく高い。
「補充!」
爆破で消失した回転刃が補充され、残る3体の猟犬へと飛翔する。
回転刃の危険性に気付いた猟犬は別の鋭角を使用して逃れようとする。
だが次々と襲い来る回転刃そのものとそれが起こす爆発が猟犬を追い立て、その動きを制限する。
「―――オラァ!!」
猟犬の逃げ道にナシュトが立ち塞がり、変異した右腕を振るう。セレスへの防御を不用と断じ完全に意識を『焔』へ傾けたため、その威力は格段に上昇している。
先程は触れることでようやく猟犬を破壊できたが、今度は噴き上がる焔ですら猟犬を焼き融かす。
セレスとナシュトのコンビネーションは、瞬く間に猟犬を殲滅するに至った。
(それにしても―――)
ナシュトは息を整えるセレスに対し、率直に思った事を尋ねる。
「……セレスって、もしかしてメチャクチャ強い?」
武術をやっていた、という程度ではない気がする。というか、普通に戦った場合自分でも勝てるのか分からないとナシュトは感じた。
それに対し、セレスは
「いえ、そんなことはありませんよ。私の異能は特殊な能力に頼る相手には通用しますが、力一辺倒で押してくる相手には後れを取りますし」
「姫の異能は相手の能力が分かっててこそだからね。―――ともかく、敵の第二陣は防げたかな」
キースとセレスは頷くが、ナシュトは妙な違和感を覚えていた。
(何か……足りない気がする?)
確かに猟犬が発していた殺気は完全に消えているが―――猟犬の遺した腐臭と血の臭いで感覚が鈍り、上手く集中できない。
―――そういえば―――
(そうだ―――足りないんだ!)
ナシュトは気付く。倒した5体の猟犬の中に"下顎が両断された個体"がいなかったことに。
つまり、猟犬は―――6体いたのだ。
「セレス、伏せて!!」
慌ててセレスに指示を出すナシュト。それとほぼ同時に、セレスの背後へと突如姿を現した猟犬が跳びかかる。
ナシュトは咄嗟に駆け出しバーストを振るうが、このままでは間に合わない。他の二人もだ。剣が届くよりも速く、猟犬の爪はセレスの背中を引き裂くだろう。
―――もっとも。
「……姿を現さなければ、見逃されていたのに」
まったく動ぜず猟犬へ背を向けたままぽつりとセレスは呟く。なぜなら、セレスは気付いていたから
セレスへ向けて振りかざされたその前脚が振るわれる。飛び散る血。だが、それはセレスの物ではない。前脚を細切れにされた猟犬の物だ。
いつのまにか、セレスの横に一人の女が佇んでいる。濡れ鴉色の髪の、東方の民族衣装を身に纏った女。
「―――やれやれ。時間がかかってしまいました」
もっとも。この場の4人よりも迅く、剣を振るえる者がいる。それこそが彼女。
セレスが動じなかったのは、彼女の到着に気付いていたから。
「剣技―――流水」
更に放たれた斬撃―――恐らく、一瞬で10は下らない回数の―――を受け、全身を細切れにされ猟犬は絶命した。
「大丈夫ですか、姫」
「ええ。助かりましたグラウディス」
彼女―――グラウディスにセレスは礼を言う。
「グラウディス! 一体どこをほっつき歩いていたんですか!」
一方キースはグラウディスを責める。本来部屋で待機していなければいけなかったのに勝手に持ち場を離れたのだ、キースが責めるのも無理はない。
「いやはや。少々月見をしに屋根に上っていたらいつの間にか騒がしいことになっていましてね。しかも廊下は式神で一杯だったので、こうして壁やら床やら天井やらを斬り抜いてようやく着きました」
―――グラウディスの言う通り、いつの間にか壁の一角が丸くくり抜かれている。
(……普通剣で壁くり抜く?)
もっともなツッコミをナシュトは心の内に留めた。
「ってちょっと! そんなことしたら式神が入り込んできちゃうんじゃないの!?」
「安心せい。それならもう大丈夫じゃ」
声と共に、部屋の扉が開け放たれる。声の主はフィオーネだった。その後ろにはアルトもいる。
「遅れてすまない。式神どもを焼き払いながら進んでいたら予想外に時間がかかってしまった」
二人の服のすす汚れが、その言葉を裏付けていた。
「もっと速く戻りたかったのだがの、丁度陛下の寝室の近くで襲撃に遭遇したのじゃ。流石に陛下の安全を確保せずに立ち去る訳にもいかぬだろう?」
「お二人が油を売っていたとは思っていませんよ。―――外の様子は如何でしたか?」
「式神は私達がほぼ全て焼き払った。それに応じて、城内の騎士団も緊急の配置に就いている」
名立たる実力者が一人でもいればもっと早く対応できただろう、とアルト。
「これで少しは持ち直せますね」
ナシュトがほっと一息吐く。
「ああ、だが終わってはいない。安心するのはまだ早いぞ」
「……分かっています」
緊張を解いた事をアルトにたしなめられ、ナシュトは気を引き締め直す。
「セレス、大丈夫?」
「私は大丈夫です。ナシュト、あなたこそ大丈夫ですか?」
セレスの心配そうな視線が自分の右腕に向けられているのに気付いて、ナシュトは変生を解いた右腕に初めて目を向ける。
「う……結構酷いな」
意識していなかったせいで痛みを感じていなかったが、見れば所々が火傷になっており、更にあちこちから血が出ている。
―――本来、変生とはもたらされる力に相応したリスクを伴う非常に高度な技術だ。
ただ異能を収束させるだけの形成と違い、肉体を異能そのものとする変生は肉体の変質と再構成という曲芸に近い技術を必要とする。
肉体変質と再構成、どちらも一歩間違えれば死に直結するものだ。
余程自分の力に自信のある者ぐらいしか使わないし、あった所で完全にこれを成せるのは異能の訓練をした者の中でも数万人に一人。
《アートレータ・アエテルヌム》に匹敵する希少な能力なのである。
実の所、ナシュトの異能の技術は変生を完全に扱える程のものではない。精密性と出力、咄嗟の応用力こそあれど、強大な力を制御する能力に欠けているのだ。
それでも彼がそれを可能としているのは、「可能性への変生」が未だ明確に自覚できていない自身の渇望に非常に近いものであるため。
異能は己の渇望に沿った使用をすることでより強力なものとなる。おぼろげながらも渇望螺旋階段を上るナシュトならば自身の意思を未来の可能性へと変え、肉体を変化させるまでは可能なのだ。
更に、「今のナシュト」が完璧な変生を出来ずとも、「ナシュトの可能性」はそれを完璧に行う事が出来る。
変生そのものが変生を維持・制御する。その異常とも呼べる状態によって『可能性変生』は成り立っているのだ。
しかし、今ナシュトの右腕に現れた傷は変生の失敗―――正確には解除時の肉体の再構成に失敗した為にできたものだ。
通常の『可能性変生』であれば、先述の通り変生後の『焔』や『影』が変生の維持や解除を行う。しかし『部分変生』ではそれが出来ず、ナシュト自身が維持と解除を行わなければならなかった。
右腕だけの変生だった為維持と制御こそ上手くいったものの肉体の再構成が不完全になってしまい、多少の肉体の欠損や異常が裂傷や火傷という形で現れたのだ。
それでも下手をすれば右腕が完全に消失していたかもしれないという事を考えれば、この程度まだ成功の範疇だろう
「―――うん、大丈夫。見た目ほど傷は深くないよ」
軽く腕を動かして状態を確認したナシュトは、セレスを安心させるように笑いかける。
だが、その言葉にはセレスを安心させるための嘘が含まれていた。
確かに傷は深くはない。動きにも問題はない。しかし見た目以上に失血が酷い。
傷による出血も少なくはないが、それ以上に肉体の再構成で血が消失していたのだ。
(今の状態で戦うのは難しいな……)
いつもの軽業を主体とした戦い方を十全に行える程の血は残っていない。
(使えるのは『幻想』と『可能性変生』だけか)
通常の『幻想』では強力な相手との戦闘には心許ない。
かといって完全な『可能性変生』ではセレス以外の周囲への被害が発生する。それを覚悟するにしても、戦い方が制限されることには変わりはない。
……状況はまったくもって芳しくない。
「本当に大丈夫なのですか?」
なおも心配そうなセレスに大丈夫と返しつつ、右腕に『幻想』を纏わせて一応の止血とする。
「よし。こうすれば血は止まるし、いざという時に盾にできる」
そうセレスに自慢げに言うが、実際は止血よりも咄嗟の防御行動が目的だ。
今奇襲攻撃を仕掛けられたら、迎撃行動に即座に移る自信がない。こうして『幻想』を纏わせていれば異能を操作することで腕を無理やりにでも動かす事が出来るし、生身よりは硬度もある。
「あなたがそういうのなら、私は信じます。……あなたはいつも無茶をするから、私は心配でしかたありません」
「セレス……ごめん。こんな時に余計な心配かけさせちゃったね」
「今回ばかりは私からも注意させてもらうぞ。分かってはいると思うがさっきのは二度と使うな。お前の身が持たん」
「そのつもりです」
流石にアルトには今のナシュトの状態はばれていた。しかしセレスの前だからか、直接それに言及するつもりはないらしい。
「アルト、これからどうするのですか? 城の内も外も、最早安全とは言えません」
「どうせこちらの動きは筒抜けなのだ。私としては反撃に転じたい所だが……」
「敵の戦力が未だに計り切れません。迂闊に動くのも如何なものかと」
「わかっているさキース。流石に今の状態では些か戦力が心許ない。―――グラウディス、貴様外に居たと言っていたな。ミスティルテインに救援の要請はしたのか?」
「ああ、そういえばそんな集いもありましたね。すっかり失念していましたよ。まあ、城内とはいえこれだけの騒動が起きているのですから、わざわざ連絡せずとも異常を察知してすでにこちらに向かっているでしょう」
「……それは楽観視に過ぎるぞグラウディス。彼らは我等の危機に早々に駆け付けるような者ではない。特に、アートレータ・アエテルヌム達はな」
アルトはギュスターヴから彼とネロの渇望を伝え聞いていた。そこから判断されたのは、その二人がこの状況で動くことはないということだ。
加えて、戦いを好まないブルーサスとジルニトラ、どこか計り知れないものを感じさせるリョウも動くかどうかはわからない。
既に動いている可能性があるのはトウヤやレイフォン、ガルスぐらいだろう。
ベイグラントなど上級の騎士達もまた既にこちらへ向かっているだろうが、名の知れた彼らに襲撃者が何の対策もしていないとは考え難い。
「ならば尚更城の外に出るべきだ。どうせ城内では街中で戦闘になるとなれば、ミスティルテインの腰の重い者も巻き込めるだろう」
「……! アルト、それは……!!」
アルトの言葉の意味に気付き、セレスは彼に抗議の声を上げる。
「民間人にも被害が出る可能性があるのう。しかし姫よ、ここでは少年も小僧も本気で戦えぬぞ? それにこのまま城にいれば王まで危険に晒され続ける。―――民の被害以上に王の被害は避けねばなるまい。
―――姫よ、主の命は重いのじゃ。……無辜の民よりもな。主の命は帝国そのものでもあるのじゃ王族とそれを忘れるでない」
「っ……」
反論出来ず言葉を詰まらせるセレス。
いま彼女に課せられている責務は国を存続させるための鍵そのものとなる事なのだ。
例え王族の意思であろうとその責務の前には無力であり、同時に王族として決してその責務から逃れてはいけないのだ。
「……決まりだな。これより城外へ移動、姫を護衛しつつ攻勢に移る。各自、最大限に警戒を―――」
「―――ああ、その必要はありませんよ」
アルトが指示を出そうとした時、グラウディスが突如それを遮る。
「……何か意見が?」
グラウディスに訝しげな視線を向けるアルト。
グラウディスの顔に浮かぶのはいつもと同じ、一切の真意を他者に計らせることのない笑み。
「いえいえ。ただ、わざわざ私たちの足で外まで向かう必要がないというだけです。ほら、この通り……」
地面を指し示すグラウディス。
それと同時に、部屋の床一面がぼうっと赤い光を放ち始めた。
否、一面ではない。正確には、床中に赤い光の線が走り複雑な模様を描いている。
「これは……転送陣!?」
光の模様の正体に気付いたナシュトが声を上げる。
転送陣。2つの対となる魔方陣により空間を繋ぎ、片方の陣の上にある物をもう片方の陣の上に転送する基礎魔術のなかでも特に高度なものだ。
目を凝らして床を見れば、床に刻まれた極々細い傷に先のティンダロスの猟犬の血が流れ込んで魔方陣を構成している。
紋様の複雑さからして、そう遠くに転送できるものではないだろう。
転送する距離に応じて陣の複雑さは変動するとはいえ、少なくとも一昼夜で刻み込めるものではない。"以前からこの部屋に出入りできる者"にしかこれを刻むことはできないはずだ。
それに加え、床の傷は酷く薄く鋭い刃物でなけれつけられない程の細いものだ。
―――それを出来るものが、少なくともこの中に一人いる。
「あなたが内通者ですか、グラウディス!!」
キースが怒りを露わに曲刀で斬りかかる。しかしその斬撃は容易くグラウディスに防がれてしまう。
「危ないじゃないですかキース、そんなもの振り回して。当たったら死んでしまいますよ」
「裏切り者が、ふざけた口を!!」
キースは怒りに任せ更に幾度も斬りかかるが、まるで子供と戯れるかのように軽々といなされてしまう。
「グラウディス、なぜこのような事を……!」
セレスの問いに、グラウディスは飄々と笑いながら答える。
セレスには信じられない―――いや、信じたくなかった。目の前にいる、仲間である彼女が裏切っていたなど。……あるいは、ずっと前から、このために近づいていたのかもしれないなど。
それはナシュトも同じ事だった。バーストを構えつつも、動揺によって身動きできなくなっていた。
「私はこう見えて信心深い人間でして。『強い相手と戦いたい』、そして『どうせ死ぬなら戦いの中で死にたい』―――その点において私は彼らと同類なのですよ」
芝居がかった大仰な手振りをしながら語るグラウディス。その最中にも、転送陣の光は強くなっていく。
一度発動してしまった転送陣を解除することは難しい。下手に陣を破壊すればデタラメな場所に飛ばれたり、身体がバラバラになって転送されてしまう可能性が高いのだ。
部屋を出てしまえばいいだけの話ではあるが、グラウディスが張り巡らせた強い殺気がそれを許さない。下手に逃げようとすれば多少距離が離れていたとしても即斬られる。それだけの実力を彼女は持っているのだ。
「では―――行きましょうか。悪意と誇りが入り混じる戦場へと」
「セレスッ!!」
ナシュトは咄嗟にセレスを庇うように抱き留める。
瞬間、周囲の景色が塗り替わってゆく。




