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繚乱のファンタズマゴリア  作者: USK
第二章 星下の歩み
29/33

繚乱のファンタズマゴリア 29 予兆~戦火は星を覆う~

1.


「―――人は誰しも何かを追い求める。生まれ出でた赤子が酸素を求め泣き叫ぶように。死に瀕した老人が彼岸に安寧を求めるように」

 暗黒の中、男の声が語る。

 暗黒。暗闇。ただ一つの物を除いて黒に染められた世界。

「例えば。それは夢であるとか、希望であるとか。あるいは渇望と呼ばれるものであるとか」

 およそ光と呼べるもののない漆黒の世界にただ一つ、幽幻の如く浮かび上がる物―――それは仮面だ。眼元を覆う骨の如き白の仮面。

 仮面が示すは憎悪の相。ならば眼窩に灯る紅蓮もまた憎悪の光か。

「追い求める事。それはヒトに課せられた逃れられぬ宿命にして、全てのヒトの意思に許された権利である」

 仮面は語る。それは誰に向けられたものか。

 暗闇に飲まれ見えぬ誰かへ? それともこの場にいない誰かへ?

「そう、権利だ。君にも、君を取り巻く人々も。誰も彼もが何かを追い求める権利を持つ。

 ―――だが。もし、その権利を追い求める為に誰かを傷付けなければならないとしたら。何かを奪わなければならないとしたら。―――君はどうする?」

 男の声に込められた感情は、嘲り。しかし同時に、憐れみに震えた声でもあった。

 怒りの相と、嘲りと憐れみの声。それがこの暗澹たる世界を支配する全てであった。

「―――これは命題である。この世界に課せられた命題と比べれば遥かに些細なものだが、君個人にとってはそれに勝るとも劣らぬ重要な命題だ」

 仮面の声に応える者はいない。仮面もまた応答など期待していない。

「君がどんな解を見出すかは君次第だ。だが、この世界に課せられし最大命題を否定する為にも肯定する為にも力が必要であることに変わりはない。努々忘れるな」

 ああ、時計の針が刻まれる。時を告げ、時を裂く音が鳴り響く。

「―――時間だ。何時か来たるその日の為に。或いは君自身の為に。君が勝利の塔の果てへ至る事を期待している」



2. 喫茶店ロシェにて


「あ~つ~い~」

 テーブルの上に突っ伏したカミラが絞り出すように言う。

 その様子ときたら、まるで溶けかけの氷のようだ(事実強い紫外線で肌が溶けていたりするのだが)。

 その言葉に、確かに暑いな、とブルーサスは頷く。

 季節は夏も盛り。その暑さときたら、触ると冷たく感じる白岩を使用して建てられたロシェの中ですら茹だる様な暑さにしてしまうほどだ。

 学院は既に夏休みに突入しており、平日の昼間でありながらもわずかながらの涼しさを求める学生で溢れている。

 そんな中、ブルーサスとジルニトラ、リョウとオルフェ、そしてカミーラとアサヒというほぼいつものメンバーは集まっていた。


 ちなみにこの中でまともに熱気に当てられているのはカミラだけだったりする。

 オルフェはそもそも異能のおかげで暑さに耐性があるし、リョウも異能で発生させた霧を自分の周りに漂わせて幾分か暑さを和らげている。

 ブルーサスとジルニトラは『幼き風』により涼しい風を受ける事ができているし、アサヒもジルニトラを膝に抱きかかえているためその恩恵を享受していた。

 ……まあそのおかげでブルーサスはジルニトラ経由で伝わるアサヒの豊満な胸の感触に密かにドギマギし別の意味で体を熱くしていたりするのだが、そんなことは些細な事だ。

「しかしカミラ、ナシュトとセレスがいなくて寂しいのは分かるが……俺ら野郎共は必要か? 普通に女子同士でお茶してた方がいいんじゃないか?」

 頬杖を突きながらリョウが言う。

 6人中4人が女子なのだ、当然話題は女子らしいものになる。そんな中で、一人だけが話題についていけずに疎外感を味わっていたために出た言葉だった。

(つーか、なんでブルーサスは女子の話についてけてるんだ?)

 という疑問もあったが、ツッコむだけ無駄な気がしたため口にはしなかった。

「いいじゃないですか。最近カミラと仲が良い子も里帰りして暇を持て余しているんですから。

 私も……その、先輩に会ういい口実になりますし」

「それは……まあ、ありがたいことで。俺としても気晴らしになるからいいんだけどよ」

 そう言うリョウの顔には、僅かながらも疲れの色が見え隠れしていた。

「やっぱり騎士団の仕事、大変なんですか?」

「まあな。最近は訓練に出ずっぱりだ」

 ―――ここ数日、騎士団は有事に備えた訓練を繰り返している。

 そんな中、学生ながらも異能により変幻自在な戦闘を行うリョウは様々な相手を想定した訓練ができる相手として、ここ数日各部隊に引っ張りだこなのだった。

「ここ数日、ロクに寝ちゃいねえ。昨日ようやくミランダが休暇をくれたが、多分明日にはまた訓練に参加することになるだろうな」

「う……ごめん」

 最近まともに寝ていないという言葉を聞いて、先程まで怠そうな表情をしていたカミラが一転申し訳なさそうな顔になる。

 折角の休日に取るに足らない理由で呼び出してしまったことに気負いを感じているのだろう。

「お前が気にすることじゃないさ。言ったろ、気晴らしになるってな。

 それに俺なんかまだマシな方だぜ? 政治的な事にも関わらなきゃいけないミランダたち高位の騎士と違って、ただ戦ってるだけでいいんだからな」

 リョウの言う通り、政治的な権限を有する高位の騎士たちは日夜地方分隊の調整や国境防衛隊から送られてくる情報の把握、軍費の請求などそれぞれの仕事に追われている。

 件のミランダなどは、疲労・心労のせいで騎士団でも有数の美貌と語られているのが嘘のようにやつれていたとリョウは語る。

 とはいえ訓練詰めも相当な疲労が溜まる筈だ。むしろ「疲労の色が見え隠れする」程度で済んでいるリョウが異常ともいえるのだが。

「リョウ、無茶は駄目だよ?」

「わかってるよジルニトラ。俺もオルフェに心配かけさせる訳にはいかないからな」

 そう言って大笑するリョウ。一方のオルフェはその言葉に顔を赤く染めて俯いた。

「あー、はいはい。暑い中お熱いことで」

 惚気るリョウをカミラが呆れ半分で茶化す。

 そこに、そういえば、とアサヒが思い出したように言う。

「無茶といえば、ナシュト君も相当な無茶したわよね。あの『竜騎士』アルトさんと一騎打ちでしょ?」

 ナシュトとアルトの決闘に関しては、「学院の生徒が帝国の『竜騎士』と決闘した」と級友どころか王都中に知れ渡っていた。

 あれだけ派手な(という域を軽く越えている気もするが)戦いを繰り広げていたのだ、知られていないという方がおかしい。

 そして、それに対する反応は、大体が「無茶な」だ。

 なにせ一部の王都住民は先の吸血鬼事件においてアルトの、ひいてはその《契約》相手であるフィオーネの戦いを目撃し、その実力を目の当たりにしているのだ。となれば、その実力者を前に学生ごときが挑むなど無茶と言うほかないだろう。

 もっともそれは決闘を目撃していない者の感想で、遠くから決闘を見た者は口を揃えて「学生(と思われる方)も途轍もない強さだった」と口を揃えて評しているのだが。

 しかし、ナシュトの実力を知っていたとしても、アサヒやオルフェの評価は「無茶」だった。アサヒの言葉に、オルフェが頷く。

「本当です。アルトさんは《契約者》としての力は使わずに魔術師として戦ったそうですが……やはり一国の代表ともいえる騎士との決闘など、私はあまり考えたくありません。

 ―――これもひとえにナシュトのセレスに対する愛ゆえですかね」

 オルフェの愛、という言葉に、リョウは何故か顔を苦々しそうに歪め、小さく呟く。

「―――Amantes, amentes……」

「?」

 リョウの言葉に首を傾げる他の面々。

「『愛する者に正気なし』ってな。愛の為に人は死ねるし殺せるんだ。あの程度、無茶とも思ってないだろうよ、あいつは。

 唆した俺が言うのもなんだが、あれが正しい方法だったのかは俺にも分からねぇ。だが正しいにしろ間違っているにしろ、セレスの側に居させることがあいつを"勝利の塔"の高みへ至らせる道だということは確かだ」

 ―――勝利の塔とは、と ブルーサスが尋ねようとするが、それを拒む様にリョウは窓の外へと視線を向け、手に取った菓子をひとつ頬張った。

「―――でも、確かに私もナシュトの立場だったら同じことをしていたかもしれません」

「うん、僕も同じだと思う。愛する者に正気なし、か。やっぱり、恋って難しいよね」

 ―――ブルーサスが何気なく言った一言に、ジルニトラを除く全員が好奇の目を彼に向ける。

 というのも、ブルーサスが彼自身の恋愛絡みの話をするのをこの面々は聞いたことがなかったからだ。

「あら、ブルーサスにも恋の経験が?」

「恋―――なのかな。恋なのかもしれないし、ただの愛情なのかもしれないし……。うん、愛情があるのは確実だけど、異性として好きなのかどうかは分からないや」

「どうせジルニトラちゃんのことでしょ」

 アサヒが呆れ顔で言った言葉にジルニトラが顔を赤くするが、ブルーサスは複雑そうな笑みを浮かべながら首を横に振った。

「半分正解、半分間違い。確かにジルニトラに対する想いも、自分では良く分かってない。好きか聞かれれば間違いなく好きと答えるし、愛情もある。けれど異性としてはどうなんだろうって。

 でも……ジルニトラと恋人同士になっても、何も問題はないでしょ? そもそも今の時点で夫婦以上の関係だし。それと違って……」

「ちょっと待って。……なんか分かったかも」

 アサヒはブルーサスの言わんとすることを察したようだ。……何故かその顔には明らかに呆れの表情が張り付いている。


 オルフェたちがアサヒの導きだした解答を促す。

「ほら、いるじゃない。ブルーサスが心の底から敬愛してる、けど色々と問題がある人。

 ―――お姉さんでしょ」

「正解。―――僕は確かにお姉ちゃんを家族として愛していた。けどそれ以上に異性として想いを向けていたんじゃないかなって、最近よく考えるんだ。

 ……えっとみんな、なんでそんな僕から遠ざかるのかな」

「いや、俺のダチにも妹ラブの奴がいるが……流石にガチの近親は引くっていうか…………」

「当てといて言うのもなんだけど、まさかそこまでとは…………」

「わ、私たちがとやかく言うことではありませんし……その、悪いことではないと思いますよ。……多分」

「私はよくわかんないけど人間の姉弟同士って駄目なんでしょ? それでも好きになる程のお姉ちゃんってちょっと見てみたいわ」

 皆からの冷たい眼差しに言わなければ良かったとブルーサスは肩を落とす。

「つーかそれ、ジルニトラはどう思ってんだ? 《契約者》って普通《契約》相手が第一だろ。それなのに別の奴―――しかも姉が《契約》相手と同等なんて」

「悪くなんて思わないよ。だって、ブルーサスは私の事も『家族』として愛してくれてるもん。

 ―――私には家族がいなかったから。だから家族になれただけでも、とても幸せ。その上ブルーサスが好きになっちゃうくらい素敵なお姉ちゃんも家族なんて素敵。でしょ?」

 リョウの問に屈託のない笑みで答えるジルニトラ。

「……ま、歪んでない感情なだけマシか。

 ―――ところで話が変わるが、疲れてる女性に贈るいいプレゼントって何かないか? ミランダにゃ世話になってるし、何か気晴らしになる様な物を贈りたいんだが」

「ホントに話変わるわね―――」



† † †


 その後も他愛のない話を続けた人がロシェを出た夕方には、先程まであれほど晴れていた空がどんよりとした重い雲に覆われていた。

 こりゃしばらくしたら雨だな、とリョウは空を見上げてぽつりこぼす。

 そして、ふと他の5人に向き直った。その顔にはいつもの笑みを浮かべていたが、しかしその目だけは笑っていなかった。

「そうそう、最後に一つ。不安がらせる為に言う訳じゃないが……多分、今晩何か動きがある気がする。気を付けろよ」

 ―――それは。

「戦争が近づいてるぜ」

 誰もが気付かぬふりをしていた、粘つくような不穏な空気を突き付ける言葉だった。

「…………」

 全員が口を閉ざす。

 今日になってからずっとだ。妙に張りつめた空気が、灼ける暑さにも、この空にも、普段のそれと全く違う印象を持たせていた。

 この緊迫した世界情勢にあって、誰もが感じ取っているこの不穏感が示唆するもの。

 それは唯一つ。戦火の予感。

 それを振り切るように、まったく気にしていない風に皆装っていたが、リョウの言葉がその一種の空元気を吹き払う。

「お前等は感覚が鋭いからな、この気配に気付いていると思ってたが、やっぱりか。

 ―――安心しろ、多分"動きがある"だけだ。すぐに戦争が始まる訳じゃないさ」

 まったく安心できない事を言うリョウ。もっとも、安心させたところで状況が変わるわけでもないか、とブルーサスは思う。

 そしてブルーサスも空へと視線を向けた。


 ―――空はまるで牢獄のような重苦しい灰色。

 仄かに薫る雨の匂いが、何故かふと血の臭いを感じさせた。



3. セフィリア共和国王城にて


「……………………」

「……………………」

「「………………………………………………」」

「な、なんですかこの重苦しい空気は……」

 セフィリア共和国王城の有する4本の高い塔。そのひとつにあるセレスが匿われている部屋に入ったキースは、部屋に充満している妙に気まずい雰囲気に面食らう。

 原因は一目でわかった。ベットに腰掛けたセレスと、彼女に背を向けて椅子に腰かけているナシュトだ。

 二人とも、気まずそうに俯いて顔を合わせないようにしている。ついでに顔が赤い。

「何があったんですか、シーラ」

「あー……まあ簡単に説明するとね―――」

 そう前置きしてシーラはキースに耳打ちする。

 彼女曰く、セレスが湯浴みをしていた所、同じく湯浴みしようと浴室に入ってきたナシュトと鉢合わせし、お互いの裸を直視してしまったそうだ。

「……それでお互い恥ずかしくって顔を会わせられないと?」

 こくこくと頷くシーラ。彼女の話にキースは呆れ顔だ。

「そもそも何でそんなことになったんですか。あなたが浴室の前で見張ってたでしょうに」

「まあ仮眠終わって寝ぼけ気味だった少年をお風呂に入るよう私が誘導したんだけどね」

「あなたですか元凶は…………」

 あっさりと自身のイタズラだと白状するシーラに、キースはあきれ果てて頭を抱える。

 何を考えてシーラがそんなイタズラをしたのかはまだ理解できる。どうせ歳不相応に初々しい二人をからかって気晴らしでもしようとしたのだろう。

 イタズラの内容自体にはキースは特に文句はない。仮にも恋人同士なのだ、立場上"こと"に及ぶことだけは認められないが、裸の付き合い程度だったら大目に見るつもりだった。

 ―――が。今そのイタズラをしたことだけはいただけない。

 ただでさえ情勢が緊迫している上に、今日は今朝から異常なほど濃厚な不穏の気配が漂っている。

 それこそ王都にいる人間の大半が感じ取っている程の予兆なのだ。帝国騎士団の中でも「魔人」と称される騎士の一人である彼女が、加えてその魔人の中でも汚れ仕事に通じる彼女がそれに気付いていないはずがない。

(だからこそ余計に気を紛らわしたいんでしょうけど)

 いくら魔人と呼ばれ得る力を持っていようと、それなりの数の命を奪って来ようと、まだ若い少女でしかないのだ。セレスの護衛のみならず結界の維持に根を詰めているこの状況でストレスが溜まらないはずもない。

 ―――まあ、だからと言って不問にする気は更々なかったが。

「シーラ、一週間おやつ抜きです」

「えー!?」

 不満そうに口をとがらせているシーラを無視して、キースは未だ気まずそうにしているナシュトに指示を出す。

「ナシュト君、頭を冷やすついでに夜回りにいってきてもらえますか?」

「あ、はい!」

ハッとした顔で立ち上がり、慌てて身支度をするナシュト。

「ちょっとキース、もうすぐ夕食でしょう。そもそも今は隊長が夜回りしてるし」

「この様子じゃ今食事にしても喉を通らないでしょう。少し時間を置いて別々に食事させるべきです」

 この状況で食欲がないと言われても困りますし、とキース。

「行ってきます!!」

 そう言ってそそくさと部屋を後にするナシュト。結局キースが部屋に戻って来てから一度もセレスに顔を会わせていなかった。

(まったく、初心過ぎるのも考え物ですね……)

 平和な時分なら僕も素直に彼を弄れたのに……とキースは考えるが、ひとつの現実に気付き頭を振る。

 ―――彼らは平和が脅かされたこの時代だからこそ出会えたのだ。

 もし本当に平和な時代に彼らが生まれていたら、決して出会えていなかっただろう。出会えても、きっと今のような関係にはなれなかったはずだ。

「―――皮肉なものですね。人の縁というものは」

「なに悲観してんの。二人のことを悲しませる結末には絶対にしない。そうでしょ?」

 シーラの言葉に全くその通りだと頷くキース。

「さてと。ちょっとキツいけど、結界の再強化しますかね」

 シーラは一回背伸びをすると、目を閉じ両腕を広げて城内に張り巡らされた結界網に集中し始める。

 その様子を視界の片隅に置きながら、キースは未だに俯いたままのセレスを諭す。

「姫様も。いつまでも恥ずかしがっていてはいけませんよ? 彼が戻ってきたら、いつも通りに接してあげてください。こういうものはお互い気にしないのが一番です」

 ―――だが、反応は帰ってこない。

 そんな恥ずかしがっていては嫁いだと時が心配です、などと自分もセレスをからかおうとしたキースだが、ふと彼女の表情が「そういうもの」ではないと気付いた。

 怯え。僅かながらもその感情を感じ取ったのだ。

「……姫様?」

「…………はっ。す、すいませんキース。少々考え事をしていて」

「何かに怯えていますね? 一体どうしたのですか?」

「ふふ……キースには気づかれましたか」

 キースの質問にセレスはようやく照れ笑いの表情を浮かべる。

「凶つ兆し―――とても嫌な予感がするのです。星が、震えて―――」

「星読みですか。今日は星が見えないようですが……」

 昼間あれほど晴れて忌々しい暑さを振り撒いていた空は一転して今にも降り出しそうな重苦しい雲に覆われ、一切の星が見えない。

「例え黒雲で隠されていようとも分かります。覆う暗黒でもない、閉ざす深閻でもない、貪り喰らう飢餓の星に怯える星が」

「飢餓の星……貪星、ですか」

 ―――キースの額に脂汗が流れる。

 貪星。そう称される力を持つ者を彼は、彼らは知っている。

 光の反射というものを一切起こさない黒の巨腕。星すらも呑み砕くと謳われる圧潰の異能。

 『魔人』と称されるキースですら肝胆寒からしめたその力の持ち主は―――。

 まさか、彼自身が襲撃するとでも? まさか、そんな…………


 脳裏を過った悪い予感を掻き消すように、突如シーラが叫んだ。

「キース! まずいことになった!!」

 しかし―――告げられた言葉は、キースの脳裏に過った悪い予感を肯定するものだった。

「結界が改変されて機能してない。私たちが張った結界も、この城に設置されてるのも、私の異能を張り巡らせた感知網も、全部!」

「「!!?」」

 シーラの言葉を受けて、手元に発生させた空間映像で急いで結界を確認するキース。そして映しだされた状況に愕然とする。

 空間映像には結界の設定・状況が正常であることが示されている。だが、二人は見逃さなかった。

 僅かな、ほんの僅かなひずみ。誤差の範囲といってもいいほどの些細な結界のひずみが、その機能の一部を巧妙に破壊―――否、浸食し無効化しているのだ。

 無効化されている機能は城内の異常探知と警報。結界そのものの異常を探知する機能は生きている。

 つまり姿の見えぬ相手は、結界そのものに一切の異常をきたさずにその機能を無効化したのだ。

 ―――その手腕を持つ者を、二人は知っている。

「速く状況を城内に知らせなければ―――」

 結界の警報は使えずとも念話は通じる。キースは近衛隊と現在城に詰めている上位の騎士達へと語りかける。

「こちら帝国第二王女近衛隊副隊長キース・オーメル! 敵襲です! 城内の結界が全て無効化されています!!」

 ―――だが、彼らからの返答はない。代わりに―――。

『―――久しいな『魔人』、それに『死せる都の』。こうして言葉を交わすのは数年振りか』

 返って来たのは壮年の男の声。それはキースのよく知る男の声だ。

 近衛隊になる前。かつて暗殺者紛いの仕事をしていた頃に鎬を削り合っていた二人組のうちの一人。

「……やはりあなたでしたか、『墨』の景弘。傍に『符』のカーンズもいるのでしょう?」

 苦虫を噛み潰したような表情で問うキース。

『察しの通りだ。ふむ、知ったる仲とはいえ容易く正体を看過されるのは暗殺者としては儂も未熟ということか』

「こうして対象に話しかけておいて何が暗殺ですか。ただの襲撃でしょう」

 キースの皮肉に、然り、と答える景弘と呼ばれた男。

『そう、襲撃だ。生憎と暗殺者としての仕事は結界の排除だけだ。後は―――』

 言い終えぬうちに、部屋の角という角から"それ"は染み出してくる。

『―――力で奪い去るのみ』

 ―――――――――!!



† † †


 大変な事になっちゃったなぁ……。

 一人廊下を歩きながらオレは溜息を吐く。

 あれは事故。そう、不慮の事故だ。オレに非はないはず。……多分。きっと。

(セレス、綺麗だったな……)

 ―――じゃなくて!!

 さっきの光景を思い浮かべて、それを振り払うように頭を振る。

「なにしてるんだろうな、オレ……」

 セレスを守る為にこうして近衛に入ったのに、こうして逆にギクシャクすることになって。

 ―――いや、わかってる。ギクシャクしてるのはオレのせいだ。

 あの時、いっそ笑ってごまかしでもしてれば、多分ちょっと気まずくなるだけで、それで終わりだったと思う。

 それを男のオレの方が大げさに恥ずかしがって、余計に気まずい状況を作ったんだ。

「戻ったら謝らないとな……」

 呟いて、オレはふと傍にあった窓に寄って外を眺める。

 太陽はとうに沈み、晴れていれば満天の星が窓の外に広がっているであろう刻限だ。

 しかし昼間あれだけ晴れていた空は分厚い雲に覆われている。そのくせ熱気は今尚残り、湿気の多い粘性の空気も加わって不快極まりない。

 その上城内に満ちている静けさも陰鬱さを演出している。今もこの城には多くの騎士たちが詰めている筈だが、まるで誰もが息を潜めているよう。

 静かなのは城だけではない。王都全体もだ。いつも以上に、街は静まり返っている。

 ―――誰もが感じているのだ。二つの国家が置かれた状況が、動き出すのではないかと。

「ゴスペル・ゲオルギウスか……」

 小さく"敵"の名を呟く。

 ゴスペル・ゲオルギウス。アドネス帝国第一騎士兵団長。―――そして、帝国最強の騎士。

 先日アルトさんとした会話を、オレは思い出す。



† † †


「ゴスペルがどんな男か……だと?」

「はい。やっぱり"敵"になる人のことはよく知っておきたくて。アルトさんなら知ってますよね?」

「ああ。

 ―――ふむ。あいつを一言で表すならば『実直な男』だ。強大な力を持ちながらも驕らず、自らが部下と民草の楯とならんとする武人であった」

「……」

「予想していたのと違うと思っているな?」

「……はい。望んで戦争をしようとする人です、ただの戦闘狂なのかと……」

「それは短慮というものだな。仮にも多くの騎士が反乱に加担しているのだ。積極的にしろ消極的にしろな。そんな事、人望がなければ出来んよ」

「なら、そんな人がどうして……」

「それは私にも分からんよ。実直すぎる故に理想と現実の差に折れたか……それとも最初からこの野望を持っていたのか。

 ただ、私にはどうも信じられんのだ。例えあいつが戦争を引き起こす野望を持っていたとしても、何の切っ掛けもなしに反乱を起こすなど」

「……アルトさんはゴスペルを信頼しているんですね」

「ある意味でな。―――ナシュト、強さとはすなわち信念の強さだ。それは分かるな?」

「はい」

 ―――その事は師匠から聞いていた。

 真に己の渇望を理解し、己の原風景―――すなわち在り方を受け入れることが出来るか。

 それがもたらす意志力、そして信念こそが強さの源であると。

「あいつは強い。試合での戦績こそ互角だが、私と違いあいつには揺るがぬ意思があった。本気で殺し合えば私でも勝てるかどうか」

「……強いんですね」

「強い。もしお前が相対すれば、英雄の何たるかを思い知る事になるだろう」



† † †


「英雄、か……」

 ―――あの時、「強い」と断言したアルトさんの言葉が今も印象に残っている。

 オレはアルトさんと本気で戦った時、『可能性変生』を使ってようやく互角だった。

 そんなオレがもし、万が一ゴスペルと相対することになったとして―――勝てるのだろうか? セレスを護れるのだろうか?

『―――少しいいか』

 自分の中から語りかけてくる声があった。

「『影(シャッガイ)?」

 それは自分の持つ可能性の一つ、『善なる影』の声。

『どうやら英雄に勝つよりも先にどうにかしなければならない問題が発生した様だ』

「え―――?」

『―――敵襲だ』

 ―――そして、オレは気付く。

 廊下の先。漆黒の闇の先から聞こえてくる、まるで巨大な羽虫の大群が羽ばたくかのような音を。

次回予告

 幻想、魔人、騎士。

 求めるものは人世の幸福。振るうは護る刃。

 英雄、魔神、義士。

 求めるものは神世の誇り。振るうは奪う拳。

 奪う者。失う者。全ては争いうという渦の中に。

 次回 繚乱のファンタズマゴリア 第29話 喪の夜

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