繚乱のファンタズマゴリア 26
01.
―――私は、彼が好き。
彼の笑顔が好き。彼の声が好き。―――夢を語る、彼の横顔が好き。
私は彼の隣に居たい。私の道が彼と重なっていたら、どれだけ嬉しいことでしょうか。
けれど、私と彼の道はあまりにも遠い。
もし道を近づけようとしたら、私も彼も、きっと傷付くでしょう。
私はいい。自分が傷付く覚悟は容易いもの。
けれど彼が傷付く覚悟は、できてない―――なんて、言えるわけがありません。
私の想いは、王族としての責務に背くもの。
私の想いは、彼を傷付けるもの。
―――私の想いはきっと、罪なのでしょう。
王族としての生き方を貫く覚悟も、大好きな人の生き方を諦めさせる覚悟もできないくせに、この道を選んだ私は、きっと卑怯者で臆病者なのでしょうね。
それでも。卑怯者だとしても。臆病者だとしても。
私は願いたい。祈りたい。
ナシュト。大好きなあなた。
あなたの往く道が、凪いだ海のように平穏でありますように。
02.
―――レイフォンが恐れた事態は、しかし彼が予想したよりも遥かに早く起こってしまった。―――否、起きていた、というべきか。
ナシュトと恋人同士の関係になったその翌日、セレスはジークムント王に呼び出されていた。
謁見の間に立つセレスのその斜め後ろにはアルトが控えている。
わざわざ王城に呼び出された理由を、セレスは沈痛な面持ちのジークムント王のその脇に立つ青年の鎧に魔術協会騎士団の証である漆黒の剣十字を認めすぐに理解した。
―――帝国に、何かが起きたのだ。それも最悪の事態を引き起こすような何かが。
そして王が静かに口を開く。
「―――セレス姫。恐ろしい事態が起こってしまった」
「アドネス帝国に……何か起こったのですね?」
「うむ。今朝魔術協会騎士団から報告があった。詳しい話は彼からしてもらおう」
「ハッ!」
王の言葉に従って、協会騎士団の青年が前に進み出る。
「魔術協会騎士団ドウェインより報告致します。 四日前、アドネス帝国にて第一騎士兵団長ゴスペル・ゲオルギウスにより反乱が発生しました。ゴスペルは既に帝都のみならず帝国全域を掌握、王位を簒奪し新皇帝を名乗っています」
「父―――皇帝や、姉は。王族は無事なのですか?」
あくまで冷静を務めるセレス。だがその声はやや震えている。
「はい。セレス姫を除く全員が捕らえられていますが、現時点では全員生かされていると確認しています」
報告にほっと息を吐くセレス。もっとも、それが本当に良い報せかといえば違うのだが。
「ですが………ゴスペルはセフィリア共和国に対しセレス第二王女の引き渡しを要求しています。要求を受け入れない場合は、武力による制裁と奪還を行うとも」
「勿論、私はそのような要求は受け入れんがな。どうせ引き渡した後に待っているのは処刑だ。私は未来ある少女の命を犠牲にできるほど出来た王ではない。
―――だが、ひとつだけ確認しておかなければならないことがある。第二王女近衛隊長アルト・オブライエン。お主、こうなることを予想していたな?」
ジークムント王はアルトを睨む。だが責める様な視線ではない。あくまで真意を問うための姿勢である。
ジークムント王自身、こうなることが分かっていたとしてもセレスを受け入れていただろう。今も厄介事を押し付けられた、などとは思ってはいない。
セレスの父である皇帝とは性格が合わず、どちらかといえば相性が悪い方だ。ジークムント王はどちらかと言えば軟派なのに対し、皇帝はまさに堅物といった人物。
しかしその堅物が己に自らの娘を託したのであれば、王として、人として、そして男としてその信頼に堪えるのは当然だった。
そして、セレスからも「まさか」という驚きの視線を向けられたアルトは口を開く。
「―――ええ。明確な確証はありませんでしたが、微かな予兆は確かにありました。しかし証拠がない以上、ゴスペルを拘束することはできません。皇帝とて、歴代の王族が作り上げた法を無視することはできませんから。かといって適当な理由で更迭することも難しかった。―――それをするには、ゴスペルはあまり周囲に尊敬される高潔な騎士でしたからね。
そこで皇帝は、有事に備え王族の中で最年少であるセレス様のみを避難させることを密かに決定しました。ロードレシア学院への留学という隠れ蓑を使って」
ロードレシア学院は、年齢的な制限はあるものの基本的に来るもの拒まずの校風である。いや、むしろ大陸各地から積極的に生徒を集めていると言ってもいい。
確かにセフィリア共和国の王都に学び舎を構えてはいるが、正式には共和国からも帝国からも出資を受け、しかし両国から独立した機関でもある。
公的に使用できる隠れ蓑としては最良の場であったのだ。
本来ならば王位継承権一位の第一王女も避難させることが望ましかったが、ロードレシア学院に留学させられる年齢は過ぎていた。
―――苦渋の決断であった。しかし継承権が低いとはいえ直系の王女が逃れられるのならば、それに越した事は無い。
「だから、お前達のような者をセレスの護衛に回したか。第二王女近衛隊―――いや、それともこう呼ぶべきかね? 第零騎士隊の面々を」
「第零騎士隊―――!?」
その名をセレスは聞いたことがある。
ただの一人で戦場を殺戮場へと変える実力を有するとされる無双の騎士だけで構成された部隊。
しかしその実在はセレスにすら知らされていなかった。だからセレス自身、あくまで噂であると考えていた。
それが、まさか自身に付けられた近衛兵なとどは予想もしない事実であった。
「噂など信用できないものです。雑兵相手ならば引けを取ることはありませんが、ゴスペルや他の一部の騎士が相手ならば勝つという確証もない。その程度の実力です、我等は」
自嘲気味に笑うアルト。
「………アルト。反乱が起こると知って私を共和国へ来させたのは事実、なのですね?」
セレスの再度の問いにアルトは頷く。
「どうしてですか!? 共和国が私を匿えば、この国が戦火に覆われる。あの大戦が再び起こるのですよ!?」
もしセレスが共和国へ来ていなければ、ゴスペルの反乱は帝国だけの問題で済んだはずだ。
しかしセレスが共和国にいる今、そして共和国がセレスを匿うと決定した今、ゴスペルは共和国へと攻め入る明確な理由を得たのだ。
それが意味するのは、900年前に起こったあの100年戦争の再来である。
しかも今この大陸に存在する国は共和国と帝国の2国だけである。ならば次に戦争が起こるとすれば、どちらかが滅ぶまで続くかもしれない。
―――それは100年戦争とは比べ物にならない被害をもたらす事に他ならないだろう。
だが、セレスの言葉にアルトは首を横に振って否定する。
「いいえ。恐らくセレス様という大義名分がなくとも、ゴスペルは戦争を起こすでしょう。少なくとも私はそう確信しています。帝国にいたとしてもあなたの命が無駄に散らされる。違いはそれだけなのです。ならばセレス様に非などありましょうか」
「そんな………」
自分に非がない、と言われても、セレスにはそうは思えない。
戦争が起こるにしても、今の状況ではあちらの方が正当性がある。そしてその正当性を与えているのは他ならない自分の存在だ。
しかしそんなセレスの想いに反して、話は進む。進んでしまう。
「ともかく、だ。国境の警備は厳重にはしたものの、それでセレス姫の安全が確保されるわけではない。事態が収まるまで君の身柄は我が城で保護することにしよう」
保護。そう言えば聞こえはいいが、それは事実上の軟禁状態だ。
恐らく城を出る事は叶わない。勿論、学院へ行くことだって。
事態が収まるまで、と王は言った。―――収まる日は、自分が生きている間に来るのだろうか?
事が収まった時、自分の帰る場所は存在しているのだろうか。
いや、今のセレスにとってそんなことは些事だ。「どうしようもない」と諦めがつく程度の些事。
―――そんなことよりも彼女にとって重要な事は。
(ナシュト………)
想いを交わした少年と会えなくなること、ただそれだけだった。
3.
その夜。アドネス帝国で起きた反乱の報はドウェインによってネロ邸にももたらされた。
ブルーサスとアサヒは明らかに動揺しているが(ジルニトラはいまいち事態を理解していないようで首を傾げている)、ネロと偶然訪れていたギュスターヴとラヴィーネは至って冷静だ。
「………戦争に、なるんですか?」
絞り出すように言うブルーサス。彼もアサヒも顔が蒼白だ。
「戦争になるか、か。そうだな……むしろ逆だ。今の情勢で何百年も戦争が起こっていない事自体が異常なのだ」
「私達もネロと同意見ね。そもそも100年以上戦争がないってだけで奇跡みたいなものよ、歴史からしてみれば。2国しか存在しない状況で戦争が起きたら、それはそれは悲惨なものになるとお互い分かっているから抑えていただけだったのよ、今までは。もし一度火が噴き出たら、そりゃもう派手に燃え上がるわ。それに、火を噴き出すのならアドネス帝国ってことは予想していたし」
ラヴィーネがそこまで言ったところで、アサヒがおずおずと手を上げる。
「あの……アドネス帝国って、どんな国なんですか?」
その質問にネロは「トウヤはそんなことも教えていないのか」とあきれ顔になる。
それに対してアサヒは否定するよう慌てて首を振った。
「いえ、授業ではちゃんと教わっているんですけど……やっぱり、詳しい人からちゃんと聞いた方がいいかなと思ったんです」
「成程な。ふむ、何から話すべきか……そうだな、国の為政に関して言えば間違いなく善政を敷いている。そうでなければ1000年も国は続かんよ。それに広い国土からくる資源も豊富だ。
だが―――そうだな。強いて問題を挙げれば“軍事国家”であることだろう」
「そう。平和な時代が続いた中で徴兵制を続けている。基本的な軍事の考え方も国民皆兵だしね。最も、教育が行き届いているから国民の殆どが誇り高い騎士みたいなものだ。統率も取れてるし、自分たちこそが国そのものであり自分たちこそがその守護者であると自負している。
ただ、それが一番の問題なんだ。騎士の主な信仰対象は知っているね? ………そう、ユグドラシルの属のひとつ、誇り高く戦い死んだ者だけが辿り着ける戦士の地平グラズヘイムだ。帝国はそういう国柄だから、これを信仰してる国民もかなり多い」
ネロの言葉を引き継ぐギュスターヴ。
そして、“戦死を良しとする者”にとって、長い平和というものは………。
「地獄、でしかないのさ。戦争がなければ戦死もできない。戦死できないのならば楽園には辿り着けない」
そんなことで戦争を起こすのか、と愕然とするブルーサスとアサヒ。
「お前達は戦争を過大視しすぎだ。高々壺1つで戦争は起きることは歴史が証明している。戦争などその程度のものなのだ。
………しかし、俺としては予想外と言えば予想外の事態でもある。何か起こるとすれば王都だと考えていたのだがな……」
「大祖母の予言、だね」
「ああ。俺はこの王都そのものではなく、王都にいる存在が“うねり”―――『特異点』なのだと推測していた。そこで―――」
ネロがブルーサスに目を向ける。
「―――俺が王都を目指してから最初に起きた大きな出来事の中心人物、つまり竜との《契約》を行った貴様だと考えていたのだがな。見込み違いだったか?」
ネロが自分を『特異点』と考えていた? 予想外の発言に驚くブルーサス。
「もしかして、僕を屋敷に下宿させているのは……?」
「半分監視、半分善意だ。お前はどう考える、ギュスターヴ」
「まだ肯定材料も否定材料も足りないね。もしこのまま戦争になってセフィリア共和国が負けるであれば、最終的な戦場はこの王都だ。最後まで戦っているのが彼でないとは言い切れないよ」
「ふむ、今はまだ“うねり”の外縁に過ぎないと? 確かにその可能性はあるな。先の事件も―――」
当人の動揺を余所に話を進める二人。
(僕が『特異点』? ―――まさか)
ブルーサスはありえないと僅かに苦笑する。そんな実感は当然無いからだ。
ジルニトラとの《契約》。確かに竜との《契約》は一大事だろうが、王都や世界を揺るがすほどの事件ではないはず。
先の吸血鬼事件だって、ヴァンパイアの一人を倒しただけで事件の中心には―――
そう結論付けようとして、しかし自身が『特異点』でない事を否定できない要素が存在することを思い出した。
―――空間変異と喰らう錬気。グランデルとの戦いの中でジルニトラと心を交わした事で発現した二つの力。
どちらも竜の、そして《契約者》としての能力の延長線上にある力だが、しかしその“延長線上”に他の《契約者》が至ったという話は知らない。
確かに《契約者》の数が少ない以上その記録も多くはないのだが、逆にその少数に関しては殆ど記録は残っている。ましてや竜との《契約者》の数は両手で数え切れる程だ。
学院の図書館にある記録を調べた中でも、やはり変異は自分の肉体を幻想存在に近づけるものであるし、錬気はただ力を錬るだけ。
古い記録も多かったし、《契約者》という英雄的人物に対しての記録ならば多少の脚色もあるのだろう。しかし逆に考えれば異端な力を発現させればそれはもう盛大に話を盛る筈。
それが見受けられなかった以上、あの能力の変化は異常なものなのだろうとは思っていたが………。
とはいえ、それが『特異点』の証とは限らないし、なにより『特異点』とは、うねりとは何なのかがはっきりとしていないのだ。
ブルーサス自身、それを判断することはできない。
「―――今は『特異点』の事は置いておくとしても、だ。状況の推移によってはこれがミスティルテインの初仕事となりそうだとは理解しておくべきだ」
ネロの結論にブルーサスは頷く。
―――しかし、ギュスターブは何か思うところがあるのか、意味深な苦笑を浮かべるだけであった。
次回予告
人は誰しも星を求める。今は手が届かなくとも、いつか指先が届くと夜空の星へ手を伸ばす。
だが夜空にあると信じていた星が、その実夜空の更に先の宇宙にあると知った時―――。
人は、どうする? 諦める? それでも手を伸ばす?
―――それとも………
次回、繚乱のファンタズマゴリア 26話 星はただ彼方にありて




