繚乱のファンタズマゴリア 24
1.
「はぁぁぁぁぁぁ………」
僕の机に突っ伏したリョウ先輩が長い溜息を吐く。
吸血鬼事件から2ヶ月が経った。
学院も一学期の終わりが近づき、今日は期末試験の答案の返却日。
最後の答案が返って来た後、わざわざ下級生である僕達の教室に来てまでその結果を嘆く先輩。
その周りには親しい同級生―――オルフェさんやアサヒさん。
そして、僕の左隣にはジルニトラ。
そうそう、遅れましたがブルーサスです。突然ですが、ジルニトラが成長しました。
吸血鬼事件が終わって一週間ぐらい経った頃だろうか。
ジルニトラが日を追うごとに成長していったのだ。
5、6歳ぐらいだった外見は10歳前後まで成長している。
成長自体はまた止まったのだけれども、《契約》した幻想存在が普通に成長すること自体がかなり異常な事らしい。
成長に従って性格と言うか雰囲気がちょっと変わった。
前はかなり人見知りをしていたのだけど、今はその逆。
色んなことに好奇の目を向けて、色んなことが楽しいみたい。
根本の性格自体は変わってないから、多分身体に慣れた事と僕と感情面での繋がりが強まったのが原因と言うか切っ掛けなのだろう。
何より。問題はもうひとつあって。
「で、先輩はどうだったんですか。ちゃんと卒業できるんでしょうね」
アサヒさんが先輩に呆れたような視線を向けながら確認する。
「………この際オルフェと一緒に卒業するのもいいかなと」
「だめです。先輩は先輩なのですからちゃんと先に卒業してください」
甘え事(というか諦め事)を言う先輩にピシッとくぎを刺すオルフェさん。
先輩はじゃあお前等はどうなんだと聞き返す。
「私は―――まあいつもどおり平均ですね」
「私は一応上の下か上の中ぐらいですね」
「ブルーサスとジルニトラは?」
「えっと………」
正直に言うべきか迷っていると、代わりにジルニトラがVサインを作って満面の笑みで答えた。
「えへへっ。二人とも全科目満点ですっ!」
「………は?」
「………え?」
「………満、点?」
先輩のみならず他の二人も三者三様の言葉を発して呆然とした表情を浮かべる。
「ちょ、ちょっと待て、何だそれ満点!? ブルーサスはまだしもジルニトラもか!?」
大声で問い質す先輩。二人も次々に疑問の声を上げる。
「じ、実は……」
正直なところ、僕たちがやった事はカンニングに等しい行為だ。
今の僕とジルニトラは記憶や経験をかなり共有している。
だから今まで僕が勉強してきたことはジルニトラも自動的に学習しているし、新しく同じことを学べば2倍とまではいかなくてもかなりの効率で吸収できる。
復習に関しても、二人で別の科目を同時に行えば時間効率が驚くほど良くなる。
で、テスト中も片方が分からない問題は相手の思考を借り受けて解く。
その結果が全科目全問正解という結果だった。
「ずりぃ………」
「ずるくないもーん。私たちは二人で一つだから」
恨めしそうにこちらを見る先輩に、ジルニトラは無邪気な笑みを浮かべ僕の腕に抱き付いて答える。
―――いいや、僕に抱き付いているのは彼女の腕だけじゃない。
僕の左脚に、プニプニとした感触。
すなわち―――ジルニトラの尻尾が巻き付いていた。
* * *
「成長、してるのぅ………」
「成長、してるわね………」
フィオーネさんとラヴィーネさんがジルニトラを見て呆然としながら呟く。
「それに、尾も生えてるのぅ……」
「生えてる、わね……」
尻尾を観察して呟く。そして、
「どういうことじゃ!!」「どういう事よ!!」と口を揃えて言った。
遡ること一か月と一週間前。
僕はジルニトラの異変を同じ幻想存在であり《契約者》である二人に相談に来ていた。
そして返って来たのはこのとおり驚愕の声。
「ありえんっ! 小僧、一体彼女に何をしたのじゃ!?」
「な、何をと言われても……僕にもさっぱりなんです。だからこうやって相談に―――」
「私達でも分からないわよこんな現象。貴方ちゃんと彼女から『穢れ』引き受けてるんでしょうね?」
ラヴィーネさんの問いに頷く。
それに対しフィオーネさんは溜息で返した。
「じゃあ何故成長したのじゃ。確かに彼女は子竜じゃったが、肉体面はほぼ成長しきっておったのじゃぞ。『穢れ』なしで成長するなぞあり得ぬ筈じゃ」
フィオーネさんの話によると(やや推論も入っているけど)、『穢れ』抜きにした場合竜種が人化した姿は基本的に子供の姿らしい。
それはヴァリキリーも同じことで、ラヴィーネさんが普段大人の姿なのは元々《契約》前にかなり『穢れ』を溜め込んでいてその姿になっていた事、それと大人の姿の方が日常面でいろいろやりやすいからだそうだ。
ともかく、《契約》した後に成長したことはかなりの異常事態なのだという。
そして、二人がそれ以上に驚いた、というか不可解なのが尻尾だった。
「成長したことは千歩程譲って良いとしよう。なんじゃその尾は」
「本当よ。これまでちゃんと人化で来てたのが、成長して不完全になることなんてあるの?」
ラヴィーネさんの疑問にフィオーネさんは首を横に振った。
確かに自分の角ように僅かな特徴が残る事はあるが、ジルニトラの様に途中で人化が不完全になるというのはありえないはずだと。
ヴァンパイアを喰らったことで力が増した事が原因じゃないかと僕は尋ねたが、それでもあり得ないらしい。
「力が増しているのは確かなようじゃが、それならば人化する能力も高まっている筈じゃ。そもそも、これは………」
そう言うとフィオーネさんはジルニトラの尻尾をもう一度観察する。
「―――この尾、本来の姿の物とは違うな、小僧」
僕は頷く。
そう、違うのだ。元々の、竜の姿の時のジルニトラの尻尾は鱗に覆われた筋肉質のものだったと記憶している。
けれど今のジルニトラの尻尾は鱗のない、つやつやとしたぷにぷにと柔らかいものだ。
単に人化が不完全になったのならばこうはなっていないはず。
「やはり原因ははっきりとせぬな。だが一つ言えることがある」
フィオーネさんがジルニトラをじっと見つめる。
「今の彼女には何か妙な気配を感じる。それが何かはわしにも分からんが……ゆめ留意しておくとよい。
* * *
ぶんぶんと尻尾を振るジルニトラを見て、その話を思い出した(ちなみに他の人に迷惑にならないようちゃんとコントロールされてる)。
この尻尾のおかげで、ジルニトラの感情表現がより豊かになった。
以前よりも感情を表に出す事が多くなった事もあって、一層愛らしさが増している。
ただ、当然と言えば当然だけど不便になったこともある。
個人的に一番大変だったのは服と下着だ。
ジルニトラ自身はまだ小柄なのだけど、尻尾は結構太い。平均的な成人の太ももぐらいの太さはあるんじゃないだろうか。
身長に合った服はオルフェさんにもらったものにもあったのだけど、尻尾を通す穴なんて当然開いてない。
更に大変なのは下着だ。体格と尻尾の大きさの両方に合ったものなんて探しても売ってなかったし。
結局、ネロさんの屋敷で住み込みで働くことになったアサヒさんが専用の下着を作ったり服を改造してくれて解決したけど。
―――正直、リノンさんの件で僕がアサヒさんと会ったのが丁度下着を探していた時だったことは口が裂けても言えなかった。
2.
一方その頃、一年次生教室。
こちらでは、ナシュトの周りにセレスとカミラがいた。
「ナシュト、成績はどうでしたか?」
「今回はちょっといまいちかなぁ……。セレスは?」
「私は満点はありませんでしたけど、かなり良い成績でした」
そして二人は黙り込んでいるカミラに目を向けた。
「はいはい言うわよ! 全科目一桁だったわよなにか文句ある!?」
逆ギレぎみに怒鳴るカミラ。
別にナシュトもセレスも文句があるわけではない。
……というか、カミラはこの学院に来て初めて勉強をしたのだ。
当然ながら授業に付いていけるはずもない。
一応ナシュト達が基礎を教えていたりはしたのだが、我々の世界でいえば幼稚園児が高校の問題を解く様なものだ。高々一か月かそこらでどうにかなるはずもない。
しかし一桁とはいえ勘などではなく自力で解いているあたり、頭が悪い訳ではなさそうだが。
「仕方ないよ。オレ達も補習手伝うからさ」
「うぅ~……や、優しく教えなさいよ!? アレになるんじゃないわよ!?」
相変わらず『悪なる焔』への恐怖心は消えていないようだ。
「さ、流石に普段“そっち”になることはないよ」
「そっち!? そっちって何よ!?」
「彼と同じ僕の可能性の一つでさ、『善なる影』っていってかなり頭がいいんだ。だから発掘に行く前とかは彼になって勉強して、時間が空いた時に教わってるんだ」
「もしかして、あの方たちとお話が出来るのですか?」
「あれ、言ってなかったっけ? たまに相談事聞いてもらったりしてるんだ。二人共発言が大概極端だから役にたつかどうかは相談の内容によるんだけどね」
ちなみにナシュトがまがりなりにも自分自身である『焔』と『影』を“彼”と他人行儀な称し方をするのには理由がある。
確かに彼らはナシュトの可能性ではあるが、ナシュト自身がその可能性を心の内で拒んでいるのだ。
人間は変わりやすい存在だ。一週間や一か月そこらで意見が変わる事などしょっちゅうである。
当然ナシュトも渇望螺旋階段を上っているとはいえ未だただの少年に過ぎない。それ故にその存在は常に“ブレて”いる。
その“ブレ”がナシュトは特に大きい。それこそ『悪』『善』両方の極限ともいえる境地に至る可能性を今尚有するほどに。
しかし『焔』『影』は違う。
極限に至る、ということは言い換えれば完成する、ということだ。
真に完成されたものに“ブレ”などあり得ない。
そして彼らは確固たる意志でナシュトを自らの可能性に招こうとする。
それは今のナシュトにとってたまったものではない。
一度でも片方に傾けば、二度ともう片方には至れない。可能性が収束してしまうのだ。
ナシュト自身はなんだかんだ言って『焔』も『影』も好いているが、それ以上に可能性の収束を良しとしていない。
ナシュト自身その感情の原因である渇望をはっきりと自覚していない。
ただ分かっていることは、可能性が消えるということ『歩みを止める』ということ。
ナシュトはそれがたまらなく嫌だった。
だから“彼”と他人行儀に呼び今の自分から少しでも引き離すことでその可能性を遠ざけているのだ。
「そうだ。ナシュト、明日はお時間ありますか?」
「大丈夫だよ。どうしたの?」
「いえ、その……一緒にお出かけしませんか?」
ナシュトから微妙に目を逸らし、もじもじしながら言うセレス。
その顔は僅かに赤く染まっていたが、ナシュトは気付いていない。
「うん! 何処か行きたい場所があるの?」
「いえ、特に目的はないのですが……あの、何と言いますか……二人で王都を回りたいと思いまして」
「え……それってもしかしてデー……!?」
流石にセレスの言わんとしている事に気付き同じく顔を真っ赤にするナシュト。
「あんたら、よく補習で大変になる私の前で呑気にイチャイチャできるわね……」
互いに真っ赤になって照れている二人を、カミラが冷めた目で見つめていた。
3.
時間は流れ夕刻、ネロ邸。
女中服を着たアサヒは一人、台所で料理を作りつつ思いを馳せていた。
屋敷で働き始めてから一か月と少し。
ここでの生活は彼女にとってかなり新鮮なものだった。
必ずしも楽とは言えない家事だが、それでも仕事量と比べれば十分すぎる程の給料を受け取っていた。
ここ以外で同じ仕事をしても、その半分も貰えないだろうという程に。
それに元々家事自体得意と言う訳ではなかったが、最近料理の腕がかなり上達してきたと実感している。
なにせ、この屋敷にはかなり舌の肥えた人がいるのだから。
ネロではない。彼も舌自体は肥えてるのだろうが、味はともかく誰かの料理と言うもの自体が好きだとアサヒに語っていた。
ブルーサスでもない。彼自身は料理に関してはやや無頓着と言うか、両親が死んでからはかなり苦労していたので食べられて多少美味しければ満足というスタンスだ。
問題はジルニトラだった。元々ブルーサスと《契約》して以降料理に対する興味が深くなっていたのだが、最近ではその傾向が強まっていた。
まずい、と口にすることはないが、表情となにより尻尾がその事を雄弁に語る。
そしてそれはアサヒの(自称)ちっぽけなプライドに火を付けた。
ジルニトラを満足させられるような料理を目指し続けた結果、驚くほどに腕を上げ、レパトリーを増やした。
アサヒにとっても予想外の成長だった。家事をしていく以上は徐々に上達していくだろうという楽観的と言うか受動的な考えだったからだ。
仕事だけではない。
未だに異性の同級生との同居という状況には慣れていないが、ジルニトラは(料理に対するシビアさを除けば)かなり懐いており、まるで妹ができたような感覚。
―――ただ、ジルニトラも成長してきたのだからそろそろ一緒にお風呂に入るのをやめた方が良いとは思うが。今も二人で一緒に入浴しているし。
………ただ、ひとつだけ分からないことがあった。
(マスターのことは、まだ全然知らないのよね……)
マスター。マスター・ネロ。雇い主である彼の事は、未だに知らない事の方が多かった。
所蔵している本を借りたり勉強を教わったりと関わることは多いが、それでも彼が自身の事を話す事はまずなかった。
だから、アサヒが知っていることは彼が魔術協会騎士団に所属している事、トウヤをも凌ぐ大魔術師であること、その魔術は『宝石』であることぐらいか。
―――いや、それだけではない。
(たまに見せる、あの表情……)
最初に気付いたのはいつだったか。
ネロは時折、ブルーサスや私を見て寂しそうな表情を浮かべるのだ。
多くを語らず、あまり表情を変えぬ者にとって数少ない表情の変化はその人物の本質を表す。
「私は、マスターの事を知りたいのかな……?」
その考えに、アサヒはぶんぶんと頭を振る。
(………まるで恋する乙女みたいじゃない、私)
否定して見たものの、やはり気になる事に変わりはないのは彼女の性か。
それに、あながち間違いじゃないのかもしれないという考えもあった。
何故なら―――
(平均のくせして、人並みに恋愛したことないものね、私)
ならばこの感情は初恋か?
まさか、とアサヒは苦笑した。
「今帰ったぞ。……どうした?」
居間に入ってきたネロが、一人で苦笑するアサヒを見て首を傾げる。
「いえ、なんでも。おかえりなさい、マスター・ネロ」
「だからマスターはやめろと言っているだろうに」
ネロの事をマスターと呼び出したのは、以前彼女が読んだ本で女中が主の事を「ご主人様」と呼んでいたのを真似したからだ。
女中服も(ネロは普段着でいいと言ったにも関わらず)自分で用意したあたり、カタチから入るタイプなのかもしれない。
ちなみに、ネロは「帰った」と言ったが、出かけていた訳ではない。ずっと屋敷の敷地にはいたのだ。
彼はミスティルテインが発足した際、その運用資金の調達を一手に引き受けていた。
そしてその手段として選んだのが『身体能力強化』と『物体硬質化』の加護が込められた宝石とその加工が可能な高火力の炉を鍛冶屋ギルドや自警団、騎士団に卸すことだった。
本来ならば半永久的に効力を持つそれを一定期限で無力化する設定にしているため何度も売れる『商品』として成立させたのだ。
宝石の売値自体はもたらされる効果と裏腹に安価であり、炉も加工が難しい鉱物にも対応している為かなり重宝されている。
しかも宝石の生成自体はネロさえいれば無尽蔵に行える(流石に炉は以前家事に使用していた使い魔を総動員させているが)。
ネロは作業を屋敷の地下室で行っている。その出入り口が庭にある為、わざわざ屋敷に戻った際に「帰った」と発言してるのだ。
「それで今日の夕飯は何だ? かなり良い匂いがするが」
「ふふっ。お楽しみです。会心の出来ですから、マスターやジルニトラちゃんをあっと言わせてあげますよ」
「ご飯!?」
その単語を聞きつけたパジャマを着たジルニトラが目を輝かせて飛び込んでくる。
次いでブルーサスも慌てて居間へ入ってきた。
それはまるで家族のような光景。
―――その光景に、ネロは“何か”を視ていた。




