繚乱のファンタズマゴリア 20 《氷華世界》~アートレータ・アエテルヌム~
1.
冷めた月光の差し込む大広間。
その中央に置かれた長机の両端に3人が座っていた。
一方に腰掛けるのはギュスターヴ。そしてその右側にラヴィーネ=ロタ・ヴァルキリー。
もう一方に腰掛けるのはヴァンパイア=ロード・シュヴァリオス。
それぞれの手には赤い液体の入ったグラス。
血ではない。
ギュスターヴとラヴィーネが手にするのはシュヴァリオスの用意した紅茶、シュヴァリオスが手にしている物はギュスターヴが用意した物だ。
豪華な馳走でも並べられていたならばこの上なく華やかな晩餐であっただろうが、この場は“茶会”である。
しかもたった3人だけとはいえ“戦場”での茶会。
一見穏やかな光景だが、実際に常人がこの場にいればあまりのプレッシャーに精神を壊されていただろう。
それ程までに濃密な血と殺気と闘気と神気が渦巻いていた。
だというのに3人はまったくそれを意に介してもいない。
当然だ、彼等に自らが圧倒的な気配をもたらしているという自覚は無い。
だだ自然にそこに居るだけなのだから。
「―――では、貴公等の提案に応じてこの場を用意したのだ、我から貴公らに尋ねさせてもらおうか」
「ああ、構わないよ」
「では、単刀直入に聞こうか。何故、貴公等は《契約者》となったのだ?」
シュヴァリオスの問いにギュスターヴは苦笑する。
「ああ、少し長くなるけど構わないだろう?」
そしてギュスターヴは語り出す。
己の過去を、そして《契約者》ギュスターヴとラヴィーネの起源を。
2.
―――900年前。かつてこの大陸でひとつの戦争が起こった。
それ自体は単なる二つの国の小競り合いだった。
しかし偶然か必然か、その戦火は見事なまでに引火していった。
気付けば大陸全土が戦火に包まれていた。
大小合わせて数十あった国は次第に滅び、それでもより戦は終わらず、それどころか更に苛烈さを増してった。
―――そして遂に戦は100年続いた。
国家は既に2つだけになっていた。
即ち現セフィリア共和国と現アドネス帝国。
そこまで戦い、ようやく泥沼の様相となった。
そんな中、一人の青年が主な戦場のひとつアルファデス平野へと向かっていた。
青年の名はギュスターヴ・セインクルス。
現セフィリア共和国の騎士となるため、そしてなにより戦場で武功を挙げるために。
彼自身は何の変哲もない農民の子であったが、『無能』であること、そして何よりアルビノという体質から周囲には疎まれていた。
騎士を志したのは、文句のつけようがない戦果を挙げることで自らの存在を認めさせるという意図もあった。
だがあくまでそれは理由の一つにすぎない。
彼が真に望んだことは騎士となることではなく、戦場そのものの華となることだった。
先に彼は農民の子と言ったが、その出自としては十分すぎる程の卓越した剣技を修得していた。
我流で、しかも相手もいない完全な自己鍛錬だけで修めたというのならばまさしく天賦の才だと言わざるを得ない程その剣技は見事なものであった。
この才ならば自分がこの戦を終わらせることができると彼は信じていた。
結果を鑑みればその盲信も現実となったのだが、その話は少し後のこと。
ともかくそんな理由で彼は貧しいながらも装備を整え、現セフィリア共和国の行軍に参加した。
そこには同世代の若者も多く、すぐにギュスターヴは彼等と打ち解けた。
しかしギュスターヴはひとつ大きな間違いを犯していた。
彼は戦場を美化しすぎていたのだ。
そんな者が現実を知れば―――。
そして遂に初陣の日はやってきた。
彼は友となった者達と共に意気揚々と戦場を駆けて行った。
―――その数時間後。ギュスターヴは一人逃げていた。
確かに彼自身は健闘した。
初陣で5つも首級を挙げたのならば十分すぎる戦果である。
しかし味方はそうは思っていなかった。
騎士たちにとって彼等はただの囮に過ぎなかったのだ。
まず仲間の一人が敵に滅多刺しにされて死んだ。
死者への敬意も無くその死体は踏み躙られた。
次に3人の仲間が“味方の”放った爆炎に飲まれて断末魔すら挙げずに死んだ。
その死で完全に仲間は混乱状態に陥った。
そうなればあとは容易かった。
敵に、味方に、彼等は嬲り殺されていった。
一瞬で死ねた先の3人はまだ幸福であっただろう。
残る者達はみな断末魔の苦しみに泣きながら死んでいった。
気付けば生きているのはギュスターヴだけだった。
いや、死ねなかったと言うべきか。
戦場にはいくつも死体が転がり、しかし誰もその死体に見向きもしない。
―――こんなはずでは。ギュスターヴは後悔に震えた。
現実の戦場に彼が信じた美しさなどなかった。
ただ殺す。
死ぬ。
死。
殺。
殺。
死。
誰がこんな場所で生命の尊厳を謳えようか。
勇士たちの地平を統べるオーディンすらこの光景に目を背けるであろう。
ましてや華を求めたギュスターヴの心が耐えられるはずもなかった。
―――これは余談だが、このアルフォデス平野に陣を敷く両国の指揮官は互いに内通し、密約を交わしていた。
戦場を膠着させ、送られてくる物資を横流しして儲ける為に。
そんな彼らにとっては戦果を挙げる兵など目障りに過ぎず、共謀して排除してきた。
そう、ギュスターヴ達のように。
そんなことも露知らずギュスターヴは逃げ出した。
こんな戦場に居たくない。
こんな現実に生きるならば畑でも耕していればよかったのだ。
そう気付き故郷へ帰ることを願った。
―――果たしてその願いはかなう事は無かった。
敵兵の剣が彼の腹を貫いた。
致命傷ではあったが即死できる傷でもなかった。
そして不幸なことに、止めを刺そうとした敵兵は流れ弾に当たってその上半身を失い倒れた。
そして両軍は退き、ギュスターヴは血染めの平野でただ一人最期の刻を迎えていた。
最早動くことも声を上げる事も出来ない彼は己の短慮を嘆いた。
そしてこんな悲惨なものを続けてきた人間の醜さを嘆いた。
………然して―――彼女は現れた。
光輝なる鎧を身に纏い、降臨するは戦場の《|死神(ソウル・テイカ―)》ヴァルキリー・ロタ。
彼女は戦場を見回し、そして唯一息のあるギュスターヴの下へ降り立った。
『………まだ息のある兵士がいたとはね。ま、もうすぐ死ぬでしょうけど』
凛とした声であった。
この血染めの平野にあってなお、その声は美しく響いた。
「僕は……このまま死ぬのか………ヴァルキリー………」
ギュスターヴの問いにロタは目を丸くした。
『この男―――私が見えてるの!? ということは、“聲”も聞こえてるのね。ええ、そうよ。貴方は死ぬわ。貴方みたいな臆病な人は、ヴァルハラにも行けない。ただ無様に息絶えるのよ。……でも―――』
ロタは見定めるようにギュスターヴを見下ろした。
『でも―――貴方は私の“聲”を聞いたわ。なら、貴方はこの問い掛けに答える権利がある』
そしてロタは告げた。謳う様に、紡ぐ様に。
『我が対と成り得る者よ、汝に問おう。死に瀕する者よ、汝は何を望む? 苦痛はあれど安らかなる眠りの待つこの死を受け入れるか? それとも終わりを捨て、我と契りを交わし苦痛の生を求めるか?』
ギュスターヴは答える。応える。
既に声は出ないが、声ならざる“聲”はロタに伝わる。
「―――僕は、死ぬこと自体は怖くない。けれど。ああ、けれど僕は人として死にたくはない。この戦場で気付いた。人は醜い。そんな醜い人として死にたくはないんだ。だから―――」
―――そして彼は告げる。人を捨てる為に。
「麗しき死の乙女。僕と《契約》してほしい。醜き人を捨て、美しき貴女に跪かせて欲しい。醜き生より、貴女の『穢れ』となる事を僕は選ぶ」
『ええ、いいでしょう。《契約》を―――』
3.
「―――そして僕達は《契約者》となった。その後の事は―――まあ、君も知っているだろう」
アルフォデス平野の両軍を皆殺しにし、その後数日で戦を終わらせた。
図らずも彼が夢見た結果である。
「人の醜さに絶望して《契約》か……。ならば尚更疑問が残る。何故貴公は愚かな国を許した? そして今も何故見限ったはずの人間に肩入れするのだ?」
「そうだね……。僕は確かに人を醜いと断じ、捨てた。しかし、人は後戻りできなくなってからしか気付けない存在だ。僕も結局は人だったという事さ」
シュヴァリオスが興味深そうに続きを促す。
「まず、国を許したのは単にもう関わりたくなかったからさ。折角人ならざる身となれたんだ、最早汚らわしいものに関わりたくはなかった。そして―――その後200年ぐらいして、僕はようやく気付いた。人は“美しい”のだと」
ギュスターヴは嘆息し続ける。
「確かに人は醜い。だけど、その醜さも含めて人は美しい。些細なことで憎み合い、些細なことで喜び合い、些細なことで殺し合い、些細なことで愛し合う。―――それがどれだけ美しいものなのか。僕は人ならざる身となってようやく気付けた。皮肉な事だろう?」
「貴公も同じ意見か、ワルキュリアよ」
「まったくの同意見ではないけど、同じ様な結論には至ってるわ。人は儚い。けれど、その儚い生を無様に生き足掻く姿は、ええ、とても滑稽で、見事だわ」
「だから僕達はこうして人を見つめ続けてきたのさ。二度と戻れない美しさに焦がれながら。その美しさを、証明し続ける為に」
「成ろ程、な。ならば、貴公等は所詮“後悔”に生きる者達ということか」
「相違はないよ。では、次はこちらの質問だ。―――君は、この計画が失敗すると分かっていた筈だ。なのに、何故実行した?」
「ふむ……」
シュヴァリオスは暫しの間思案した。
失敗すると分かっていたかと聞かれれば、答えは―――肯定だ。
しかし失敗すると分かって何故実行したのかと聞かれれば………。
「さあ―――どうしてだろうな。そもそも、我は失敗するなどとは信じておらん。我が仲間は優秀であるが故に」
「ダウト。嘘ね、それ。貴方達程度じゃ《アートレータ・アエテルヌム》一人に完敗するの、分かってるでしょう? 数百年前から王都にはあの男が居るわ。それに今なら忌まわしき《久遠の騎士》もね。成功するはずないじゃない」
呆れたように言うラヴィーネ。
騙されぬか、と内心シュヴァリオスは笑った。
「では、質問を変えよう。君は―――自分を美しいと思うかい?」
「………何?」
ギュスターヴの問いにシュヴァリオスは怪訝な顔をする。
自分が美しいと思うか、だと?
先の問いとこの問いに如何な繋がりがあるというのか。
真意は図りかねるが、問われたのならば答えねばなるまい。
「そうだな……美しくは、ないだろう。ヴァンパイアは他者を踏み躙ることでしか自己を保てぬ幻想存在。それが美しいなどと誰が言えようか。むしろ貴公がかつて人を醜いと断じたように。我もまたヴァンパイアを醜いと答えよう」
その答えを聞き、ギュスターヴは満足げに頷いた。
「成程。予想通りだね。シュヴァリオス。気付いていないようだけど、君は自滅衝動に囚われている」
自滅衝動。
それは人間には知られていないが幻想存在の間ではある種の常識として知られている言葉だ。
幻想存在は寿命が長い。
種によってその度合いは異なるが、150年以上は軽い。
しかしそれだけ長く生きていると、いくつかの問題が発生する。
1つは『穢れ』。
幻想存在を侵し穢すもの。
例え長い寿命を持っていても、『穢れ』の蓄積はそれを半分にしてしまう。
2つ。
それこそが『自滅衝動』。
『穢れ』の蓄積を以ってしても数百年の寿命を誇る幻想存在や、何かしらの方法で蓄積を遅くしている幻想存在にある程度の頻度で発生する衝動。
それは言ってしまえば「生への疲れ」だ。
徒に長い生が、必ず何かをもたらし続ける訳ではない。
いつか全てに飽き、疲れ、自らの存在を消したくなる衝動に襲われる。
それは幻想存在だけの話ではない。
人間とて身の程を越えた長さを生きれば自滅衝動に囚われる。
むしろ平均的な幻想存在よりも遥かに脆弱な精神の人間の方が衝動を抱く可能性は高い。
最も、そこまでの年月を生きる事が出来る人間など3種類しかいないが。
「ほう、つまり我は死にたがっていると。………ああ、そうかもしれないな。いや、そうなのだろう」
シュヴァリオスは虚空を見上げる。
その目にはただ空虚な闇を湛えていた。
「我は静かに醜き生を貪る事に飽いていた。それならばいっそ、華々しい夢を掲げて死に逝きたかったのだろう。ああ、それは―――」
何たる偶然かとシュヴァリオスは苦笑した。
まるで目の前の男と同じではないか。
違う事はただ盲信的に夢を掲げたか、死ぬ為に夢を掲げたかだけだ。
「……僕は君に同情するよ。誰が血染めの生を、しかもただ怠惰な生を享受し続けれるか」
「私は同情しないわ。貴方は“王”には至れなかった。何に気付くこともなく、無駄に長生きした貴方に同情なんて出来るものですか」
正反対の意見を述べるギュスターヴとラヴィーネ。
《契約》により繋がった者同士でもこうも考えが違うものかとシュヴァリオスは内心感心していた。
「だが、それに気付いたからといって最早退けぬ。分かっているだろう。我らには最後の切り札がある。“あの小娘”が押し付けた切り札が、な」
次の瞬間、轟音と共に“空が開けた”。
天井が何か巨大な力によって払い飛ばされたのだ。
そして“それ”は屋根のなくなった大広間を見下ろす。
「エンシェントゴーレム―――!?」
ラヴィーネが驚愕の声を上げる。
ゴーレム。
幻想存在の中でも「人為的に生み出すことができる」存在の1つ。
岩石に魔術文字を刻むことで疑似的な生を与えられた命無き命。
だがごく稀に、それこそ奇跡的な確率で自然界に存在する岩石に自然と魔術文字が刻まれ命を得ることがある。
それこそがゴーレムの起源。エンシェントゴーレム。
その力は巨体が生み出す破壊力に留まらず、その巨体を維持してなお有り余る魔力は熟練した異能でようやく傷をつけられるかといった防御力を備える。
(何故、彼がこんな物を!? ―――いや、“あの小娘”?)
それはシュヴァリオスとは別の、彼の協力者の存在を示唆する言葉だった。
しかもエンシェントゴーレムなどをほぼ失敗が分かっている計画に与えるなど正気の沙汰ではない。
決して倒せない相手ではないが、その危険度はヴァンパイアを遥かに凌ぐ。
もしシュヴァリオス自身が本気で王都を攻め落とす気でこのエンシェントゴーレムを真っ先に送っていたのならば、王都は壊滅的な被害を受けていただろう。
『どうやら貴方の予想は少しだけ違っていたみたいよ。確かに自滅衝動も計画を実行した理由の一つのようだけど……むしろ、これを与えられたことが彼の仲間を高揚させて、実行せざるを得なくしたのでしょうね』
念話でのラヴィーネの言葉にギュスターヴは頷く。
だが再びの轟音と共に頭上のエンシェントゴーレムの姿が消えた。
代わりに姿を現したのは―――
「《アートレータ・アエテルヌム》!?」
蒼き巨大な鎧。
竜を歪に模したと思しき頭部。
三本の巨大な爪持つ威容にして異様。
それはエンシェントゴーレムに増して予想外の存在。
鎧は大広間を一瞥すると視界から消えた。
まるでこちらは任せたと言うかのように。
恐らくエンシェントゴーレムを追撃しているのだろう。
「先程から妙な気配がすると思っていたら、成程。貴公等も意図せぬ味方がいたか。―――これにて茶会は終わりだ」
シュヴァリオスが立ち上がる。
指を鳴らすと、吹き荒れる彼のオーラが長机を巻き上げ、吹き飛ばした。
応じて立ち上がるギュスターヴとラヴィーネ。
座っていた椅子を後ろに蹴飛ばす。
そしてラヴィーネが前に、その身体にギュスターヴは抱きしめるように手を回す。
シュヴァリオスは宣言する。
「貴公等を打ち倒し、我は輝ける生を手に入れる」
ギュスターヴは応える。
「なら、僕は君を救う。醜いと嘆く者に、僕達は手を差し伸べよう」
そして。
そして―――。
上る。上る。螺旋階段を上る。遥か眼下には零度の雪原、踏み締める螺旋階段は編み込まれた氷の蔦。
それは彼の旅人と戦乙女の原風景。それは彼の旅人と戦乙女の渇望螺旋階段。
上る。上る。緩やかに、麗しく。踊るように。彼等は螺旋階段を上るのだ。
《儚からざる者。醜いと嘆く者》
―――ああ。彼らは。
《ならば、何をするべきか》
―――その果てなき果ての。
《王者たる君は、何をするのか》
―――その、最後の一段を。
》救う《
―――上り切る。
謡え。詠え。謳え。汝が王権を顕せ。汝が渇望は、此処に成る。
「『終わりを拒む、息絶える事を拒む。この世に停滞することを望む。
ああ、我は証を追い求める者。美しきを焦がれ、美しきを信ずる者。故に我からこの生を奪うことなかれ。
氷界に舞えよ停滞の乙女</i>』
《氷華世界》ニヴルヘイム・モーズグズ!!」
二人の身体が輝ける氷に包まれる。
それは世界すら凍らせる氷華の蕾。
そして、氷華は花開き―――。
現れ出でたるは、一人の戦乙女。
氷の様に透き通る髪。
淡雪のように純白の肌。
瞳は紅玉よりも尚紅い赫。
纏う鎧は無垢の氷の如く澄み渡り、幼きその肢体を包み込む。
手にする剣は最早それが武器なのだとは思えぬほど荘厳にして可憐。
その全ては、ああ、まるで雪原に咲く儚き氷華。
そして彼女の背後には、植物の下半身を持つ少女の影。
実体ではない。
しかし幻とも言えぬ。
形なきカタチに比類なき力を凝縮した彼の戦乙女の力の顕現。
《アートレータ・アエテルヌム》。
それは力の、異能の極限。
異能の根源たる原風景に己が渇望で螺旋階段を築き、その果て無き果てへ辿り着いた者のみが至る“王”の力。
その領域に至った者は渇望の如何にもよるが正真正銘の“不老”を得る。
魔術師や《契約者》とて寿命はせいぜい500年かそこら。
彼の大祖母ですら渇望を得られぬが故に老いている。
《契約者》は幻想存在より『穢れ』を引き受け、それにより肉体を変異させることを異能とする。
しかし《契約者》が極限の異能域、即ち《アートレータ・アエテルヌム》へと至ったのならば。
《契約者》は極限の『歪み』にて引き受けた『穢れ』のみならず己が内の“ヒトとしての”『穢れ』すらも消し去る。
そして幻想存在と完全な同一な『歪み』を以って自らもまた幻想存在と同一の存在となるのだ。
それは変異の真の姿。
なればこそ、この戦乙女はギュスターヴにしてラヴィーネ=ロタ・ヴァルキリー。
『歪み』を共有し、渇望を共有し。
辿り着きしは氷華の力。
「さあ、始めようロード・シュヴァリオス」
その声はギュスターヴのものでも、ラヴィーネのものでもない。
聞く者の精神を凍らせる程に凛と響く澄んだ声。
シュヴァリオスは構える。
徒手。しかし伸びた爪は鋼鉄すら紙の様に引き裂く程鋭く、纏うオーラは触れた全てを侵し、破壊する密度。
―――そして、勝負は一瞬で終わった。
月明かりの下、交差する二つの影。
シュヴァリオスの爪は空を切り、ギュスターヴ=ラヴィーネの剣はシュヴァリオスの身体を通り抜けた。
だがシュヴァリオスの身体に一切の傷は無い。
斬られたという感覚もなかった。
ただ得体の知れない途方もなく強大な力が身体を通り抜けたという感覚だけがそこにあった。
そしてその感覚は別の感覚へと変化していった。
「凍っていく……」
シュヴァリオスの身体が次第に凍りついていく。
否、その身体に氷や霜の類はない。
それでも、確かに凍っていく。
「『人は氷の華の様に儚い。しかし、そんなものよりも美しいという事を証明し続けたい』―――それが僕の渇望だ。けれど、どうしようもない程世界には醜いものがある。それは儚くないものだ。けれど、僕はそんな者にも手を差し伸べる」
ならば、それを救う為の力は、渇望は何たるか?
「『美しくないのならば、せめて“永遠”であれ』。それがこの力をもたらす渇望だ」
《氷華世界》ニヴルヘイム・モーズグズ。
その力とは、永劫停止の法である。
その剣に斬られた者はその存在の全てのエネルギーを奪われ停止する。
それは凍結などという生温いものではない。
言わば「事象の終焉」である。
しかしそれでもこの力によって停止させられた者は死ぬことも出来ない。
動くことも出来ず、思考することも出来ず、死ぬことすら出来ず。
永遠の停滞の牢獄に閉ざされる。
逆を言えば、決してその身が壊されることもない。
『美しくないのならば、せめて永遠であれ』。
その渇望は何人をも傷付けず、しかし「美しくない」と絶対の拒絶を以って放たれる。
―――これは「優しい」とか「厳しい」とか、そういうものを凌駕した精神のもたらす力という他ない。
「ああ、しかしそれもまた―――地獄ではないか」
シュヴァリオスは自滅を心の内で望んでいた。
しかしギュスターヴ=ラヴィーネはそれを許さない。
望まざる生を、ただ在るだけの生に変えられる。
―――それを地獄と呼ばず何と呼ぼうか。
少女はただ悲しげに微笑む。
「ええ、そう。氷界はね、死界だ。死に見放された者は、生が死に成り変わる。それだけ。この力は私の求める渇望を否定する力。だから人には振るえない」
そしてもし彼等がその証明を諦めれば渇望は失われ、この永劫停止の法もまた消え去る。
その時、初めて牢獄から解き放たれる。
「何時までも証明し続けるつもりか、人の美しさを」
「ええ。人が滅びぬ限り、永劫にね」
「ならばそれもまた永劫の牢獄。死を捨てた死せる生か。―――二度と会わぬことを願おう」
―――そして、シュヴァリオスは凍り付く。
結晶と化したその身体をただ月だけが静かに、美しく照らしていた。
きっと未来永劫、彼はここで月光を受けて在り続けるだろう。
遠くで雄叫びが聞こえる。
あの巨大な鎧がエンシェントゴーレムを打ち倒したのだろう。
かくして。
王都を苛んだ血風の夜、その最後の戦いは静かに幕を下ろした。
血風の夜は終わり、その臭いを消し去るように朝日は王都を照らし、清廉な風がそよぐ。
互いの無事と決着を祝う席で、その提案は成される。
そして、うねりは一つの脆き結晶を産み、次なるうねりへと暫しの休息を与える。
次回 繚乱のファンタズマゴリア 21話 清廉なる朝は訪れ




