繚乱のファンタズマゴリア 18 可能性変生~魔王降臨~
月夜の草原にて、ふたつの集団が対峙していた。
片や吸血鬼の仔たる異形ナハツェーラ、片やナシュト達人間。攻める側と守る側。
ナハツェーラの目的である奇襲は彼等の待ち伏せにより失敗には終わった。守る側はたった7人、しかも一人は戦えるとも思えぬ儚げな少女。数だけを見ればナハツェーラが圧倒している。
しかしナハツェーラが積極的に攻めずに様子を伺っているのはその戦力の少なさを警戒してのこと。攻城戦においては攻める側は守る側よりも多くの戦力を必要とするが、これは街の外での戦闘、数が多い方が有利。だというのに、彼等はこれだけの戦力のみ。しかも、奇襲の予測を的中させているのに、だ。ならば彼等は数の差を埋めるだけの実力を持つと予想するのは容易い。
―――これは余談だが、ナハツェーラはさしたる頭脳を持たない。このように敵の分析などせず、本能のまま襲い掛かるのが普通だ。しかしこの集団がそれを成し遂げているのは、ひとえに優秀な指揮官がどこかに潜んでいるからなのだろう。
そして、レイフォンがこの膠着状態を破る口火を切る。その左腰には二振りの剣と金属製の小型クロスボウが収められた大型の特殊な鞘。そこからクロスボウを取り出し、ナハツェーラへと向ける。
―――クロスボウ。だがその形状は通常のクロスボウと大幅に異なっていた。短弓アエロー。矢ではなく異能を圧縮した矢を射出する兵装。異能を矢として射出するためにに必要なことは「そこに矢がある」とイメージする事。それを容易くするため弓床を覆い全機構を視認できないようにし、「引き金を引く」という工程のみで射出できるよう限りなく効率化した特製品である。言ってしまえばそれは―――拳銃であった。この世界に銃と言う武装はないし、内部機構はクロスボウと変わらないので弓と呼んでも間違いではないが、その形状はまさしく拳銃。
「堕ちたる者。血の赤子ナハツェーラ。御覧の通り、手前らの作戦は失敗だ。退くなら追わないが退かないのなら容赦はしない。……まあ、今更言っても無駄だろうがな」
狙いを定め淡々と告げるレイフォン。しかしナハツェーラは当然と言うべきか退く気配はない。
その足元に光図が展開する。示す領域はセフィロト、ケテルの域。
「なら開戦ってことだ。我が名はレイフォン・ストレイン!! 近からん者は目にも見よ!! 遠からん者は―――」
引き金が引き絞られる。放たれたるは透明な弾。同時にナシュトが背後のセレスたちに警告する。
「みんな、耳を塞いで!!」
突然の警告に疑問符を浮かべながらも指示通りに耳を塞ぐセレスたち。
「―――音にご注意を!!」
―――弾が爆ぜた。ナハツェーラをかわし狙い違わず集団の中心へと届いた弾は、その圧縮された異能を轟音と共に解き放つ。
否、それは音そのものであった。超圧縮された轟音・爆音。音の域を越え破壊の衝撃となったそれはナハツェーラに混乱をもたらす。
ナハツェーラは夜目が効くが、それ以上に聴覚が発達している。そんな彼らがすぐ傍で発生した衝撃域の轟音に耐えられるはずもなく。統制の整っていた集団は瞬く間に崩れた。
その混乱に、ナシュトとレイフォン、そして九龍が攻め込む。
「来い! 『幻想』ウォーライオン!!」
先陣を切るのはナシュト。足元に展開した六芒星の図から湧き出る紺色に光る水がナシュトの横でカタチを成す。それは獅子であった。淡い紺の光を放つ幻想の獅子。
獅子は更に先行、ナハツェーラの集団を掻き回す。
ナシュトが暴れ回るナハツェーラに挑みかかる。その右手には短剣バースト。出鱈目に爪を振り回すナハツェーラを回転しつつ跳び越す。着地した瞬間、ナハツェーラの首もまた落ちた。擦れ違いざまに身体の回転を利用してバーストで切り落としたのだ。
バーストの中距離斬撃。その正体は長剣の斬撃という概念を高次元域で固定し、本体を短剣のサイズまで圧縮した物だ。目に見えるのは短剣の部分だが、振るえば固定されている斬撃の概念が展開され本来の刀身の長さまで切り裂く。
バーストの切れ味は素手のナハツェーラに防ぎ得るものではない。さしたる力を込めず、ぐるりと振ればするりとナハツェーラを切り裂く。更にはその刀身の長さも不明確。小柄な体格が成す軽業師の如きナシュトの動作と相まって、早くも十数体が切り伏せられる。
しかもその剣には命を奪う事に対して一切の迷いはない。見事なまでの殺し合いの精神。一瞬の迷いは死に通じる、臆せば死ぬ。敵は敵、敵の死と自分と味方の死、優先すべき者は明らか故に躊躇う道理は無し。
それこそが冒険家として生きる為の心得。旅をしていれば山賊に遭遇することもある。負ければ死に手に入れた宝は失う。宝を明け渡して済むのならば良いがそうとも限らない。そうなったら殺し合いに勝たなければ生きる術は無い。ナシュトとてその経験は既にあるのだ。
しかも今回に至っては負ければ自分以外にも被害が及ぶ。ならば躊躇する理由がどこにあろうか。
集団の中から数体のナハツェーラが飛び立つ。集団の外側に居て音によるダメージが小さい個体が混乱に乗じて侵攻を進めようとしたのだ。
「行かせるか! 来たれ『幻想』フレスベルグ!!」
獅子がぐにゃりとその姿を崩し、別のカタチとなる。それは翼長2mはあろうかという大鷲であった。
大鷲はナハツェーラを凌駕する飛行速度でその上空へと飛ぶと、抜け出たナハツェーラへ向けてその羽根を射出した。羽根は翼から離れた瞬間硬質化し、ナハツェーラを切り裂き突き刺さる。
大鷲の顕現により空からの侵攻も撤退も封じられたナハツェーラを、レイフォンと九龍が蹂躙する。
レイフォンの左手にはアエロー、右手には二振りの剣のひとつ、響剣セイレン。元は唯の数打ちの剣であったが歌の幻想存在たる水精種の力を宿した水を用いて鉱人種が鍛え直し、更に樹人種の加護を加えることで完成したこの剣はレイフォンの異能である『音』をこの上なく増幅させる。音とは振動、このセイレンは刃を振動させ触れた物と共振させることにより対象を崩壊させ、容易く切り裂く。ならばこの剣を防ぎ得る物質はない。
セイレンで容易く敵を斬り、アエローから放たれる音撃弾が敵を打ち据える。こと遠近のバランスにおいては右に出る者はこの場には居ない。
一方その傍らでは九龍が舞う。その手には水を滴らせる曲刀が二振り。水人種の能力であるその水自体は何の変哲もない水。しかしそれにより刀身に血脂がこびり付き切れ味が落ちる事が防がれている。一挙毎に振り撒かれる水は舞い踊るかのような九龍の剣技を彩り、より神秘的なものとしていた。
だがいくら3人が獅子奮迅の活躍を果たそうともこの数を捌き斬るのは無理がある。事実、数体が混乱から抜け出し、一番か弱い外見のセレスへと襲い掛かった。
しかしセレスは動じない。
「すみません……死ぬ訳にはいかないのです。シーラ、キース。お願いします」
「了解! さあさあ、水の舞を抜けてきた所悪いけど、もう一回濡れてもらうよ!!」
シーラの足元にペンタグラムの領域を示す五芒星の光図が展開する。次の瞬間、周囲が“海に沈んだ”。正確にはセレスを中心として顕現した巨大な水の半球に取り込まれたのだ。向かって来たナハツェーラは突然の出来事に急停止出来ずそのまま水球に突っ込む。
「私の異能はペンタグラムの域水の属『レムリア』! さあ、海の底の死せる都にご招待するわ!!」
『レムリア』。水を操作する異能であるが、その性質は特殊。この異能により生み出された水の中では呼吸が出来るのだ。そのため内部に居るセレス達やナハツェーラも苦しむことはない。しかしこの異能の、正確にはこの水の結界の本質は“行動の制限”にあるのだ。いくら呼吸できるとは言っても水の中であることには変わりはない。布は水を吸い重く。空を飛ぶ鳥でも水の中を飛ぶことは出来ぬように、その行動を制限される。
シーラは結界内の水を自在に操ることができる為に制限らしい制限はないが、行動を阻害されるのはセレスやキースも同じ事。ならばこれは敵味方共に不利にする結界か? 否。キースの足元には六芒星の光図。
「そして僕の異能はハルファスの属『ウルタール』! 振るう刃は印となり、魔と我らを剣の結界で隔たん!!」
水の結界の内部に無数の曲刀が形成される。それらすべてが回転しつつ複雑な軌道で動き、水によりまともに動けないナハツェーラを刻んでいく。『ウルタール』。無数の曲刀を形成する異能。曲刀は全てキースの意に応じて自在に動き敵を切り裂く。その回転速度は水の中であっても衰えない。
阻害の水と殺戮の刃。守勢結界と攻勢結界。この二段構えこそが第二王女近衛隊たる二人の護りの戦術。水の結界だけでは水生の幻想存在を防げないし、刃の結界だけでは小型の幻想存在や速い敵を防ぎきることは出来ない。しかし二つが合わさればあらゆる敵に対応出来るのだ。
想定外の堅牢な防御に再び数体のナハツェーラは標的を変更する。唯一戦闘態勢すら取らず草原に座り込んで徳利に入った酒を呷っているグラウディスへ。
25m。動かない。15m。また酒を呷る。10m。動く気配すらない。5m。徳利を左手に持ち替える。1m。身動ぎひとつしない。しかしその右手には大剣が一振り。ナハツェーラは悉く両断された。
ナシュト達は誰一人としてグラウディスに目もくれていないが、見ていたとしてもその手に大剣が握られる瞬間も、それを振るう動作も見えなかっただろう。彼女がかつて仲間に告げた異能の名は『魔剣・虚』。異能の名は通常他人が名付けるのだが、これに関しては彼女が名付けた。その能力はただ単に大剣を造り出す事。しかしただの大剣である筈も無い。その大きさに反しておよそ重さというものを感じさせず、刀身は薄紙よりもなお薄い。その上頑丈。とはいえ斬れ過ぎ軽過ぎる剣というものは得てして使い勝手が悪いものだ。特に身の丈程もある大剣ならば。
だがそれは他人が使えばの話、彼女にとってすれば神代の剣よりも強力な剣である。彼女の剣技は“速さ”ではなく“迅さ”を突き詰めたもの。動きすら認識させぬ剣速と金剛石さえ容易く斬れる鋭利さが合わさればその斬撃を防ぎ得るものは無く。
ナハツェーラ達は致命的な間違いをしていた。ここにいる者達は皆、殺すだけならば一人でこの集団に対処できるだけの力を持っているのだ。あくまで防衛だから人数を用意しただけの事、一人で数十を殺し得る者が、更に6人もいるのだ。たった50体程度の戦力で突破できるはずなどない。
もっとも。事実とそれを認めるかは別の話なのだが。
「ちょっと! 一体これはどういう事よ!!」
大声を張り上げて一人の少女が舞い降りる。まさに流行り物好きの少女といった身なりだが、纏うオーラは鮮血の如き赤。ヴァンパイアだ。
そしてそれに付き従って大量のナハツェーラもまた降下してくる。多い。百体はいるだろうか。
「奇襲を失敗するどころかボッコボコにやられてるとか馬鹿じゃないの!? あたしの顔に泥塗りたいの!?」
キーキーと騒がしくヴァンパイアが言う。それに対し、ナシュト達と戦っていたナハツェーラは跪くことで答えた。
それを見てヴァンパイアは満足したようで、小さな胸を張ってコクコクと頷いている。怒っていた事に対して何の解決にもなっていないのだが、多分気付いていないのだろう。
「えーっと……あの子が指揮官でいいのよね?」
「うん、まあ……人は見かけによらないっていうだろ……?」
「そうよ! 私がこいつらの飼い主ヴァンパイア・カミラよ! 見る目があるじゃない人間。あなた達も跪きなさい! そしたら飼ってあげるわ!」
ひそひそと話す九龍とレイフォンにビシッと指差し誇らしげに名乗るカミラ。いや、確かに指揮官であることを視抜いたとはいえ随分失礼な物言いだったのだが……気付いてないのだろう。
「と、とりあえず数だけは揃えてきやがったな。ヴァンパイアは再生力が凄まじく高いし……ナシュト、そろそろ頼めるか?」
「え、ええ。じゃあセレスを連れて離れててください」
「うわっ! 何これ凄い可愛い男の子が居るんだけど!! ねえねえ、ちょっとだけ抱っこしていい!? 一回だけでいいから! できれば連れて帰ってこねくり回したいけど!!」
「……アレ本当にヴァンパイア?」
レイフォンの言葉に頷くナシュトを見てカミラが頬を赤らめて言う。手痛い損失がその少年によってもたらされていた事など完全に頭から抜けているらしい。その姿に九龍は最早呆れ顔だ。ヴァンパイアにだってアホの子はいるのだ。偏見は良くない。
とりあえずカミラを無視してレイフォンと九龍はセレス達の所まで後退する。シーラにより水の結界にトンネルが開き、そこを通りセレス達に伝える。
「俺達の出番はここまでだ。城壁の辺りまで後退するぞ」
「でも、ナシュトは……」
一人100を越す大群の前に残ったナシュトにセレスが心配げに見つめる。
「大丈夫さ。むしろここに居たら危ないのは俺らだ。何を仕出かすか分からないからな」
「ここは言う通りにしとこう、姫。何か、今の少年は変な気配になってる」
シーラがセレスを促し、渋々とセレスも後退する。ナシュトとの距離は完全に離れ、もし何かがあってもすぐに駆け寄ることは出来ない。
「ちょっと、一人だけ残ってくれたんだけど! やった、可愛い子ゲット~!!」
「―――悪いが、それはできない」
ナシュトの言葉を聞いた瞬間、カミラはぞくりと背筋が凍る感じがした。可愛い少年、と称した外見からは想像も出来ない威圧感を伴う声。
「本当は、こんなのセレスには絶対見せたくはないんだけど……仕方ないよ、敵がいるんだから。逆恨みもいいとこかもしれないけど、容赦はしない」
言い放った刹那。ナシュトの身体は激しく揺らぐ紺の焔に包まれた。
―――上る、上る、螺旋階段を上る。遥か眼下には無窮の沙漠、踏みしめる螺旋階段は煉瓦造り。
それはかの少年の心象風景。それはかの少年の渇望螺旋階段。
―――上る、上る、螺旋階段を上る。軽やかに、楽しむ様に。
そして―――
また―――
一歩一歩―――
歩み往き―――
「可能性変生―――悪なる焔!!」
ナシュトが右腕を振って焔を払う。焔の中から姿を現したのは―――ナシュトではなかった。
まず背丈。16歳としては小柄だった身長は大男と形容するに相応しいものとなり、筋骨隆々とした体格はまさに武人。赤から金となった髪は長く、後ろに撫で付けている。その手に持つバーストはその形状を変え長槍に。纏う鎧は胴体部分を大きくはだけており、およそ鎧としての役割を果たしていない。しかしその禍々しい装飾が放つ威圧感は他を圧倒する物。
なにより。快活な少年そのものだった顔つきは完全になりを潜め、剣呑な笑みを浮かべる青年のものに。しかしまったく面影がない訳ではなく、褐色の肌やこげ茶の瞳は変わらぬままだ。
とはいえ、先程までとは似ても似つかぬ様相だという事に変わりはない。レイフォンと九龍を除く全員―――カミラも含めて―――がその変貌に唖然としている。そんな中、ナシュト“だった”男が口を開いた。
「チッ! 久々に出てこれたと思ったら、貧相なメスガキと面白味もねえ雑魚共が相手かよ面倒くせぇ。こういう奴等は影に任せろよ、たっく」
口調までもナシュトとはほど遠い乱暴なもの。
「ち、ち、ち、ちょっとちょっと!? さ、さっきまでのかわいい子はどこに行ったのよ!! ていうかアンタ誰よ!?」
「ああん? さっきからここに居るだろうが」
「いやいや、どう見ても違うでしょ!! 早くあの子を出しなさいよ!!」
「うっせえガキだな。女じゃなけりゃさっさと甚振って殺してるところだ。だけどまあ、折角の機会だ。身体つきは貧相だが吸血鬼の具合ってのは知らねえし確かめさせてもらうか」
カミラへ好奇の目線を向ける男。しかしそれは純粋な好奇心ではなく、邪な感情からくる視線。流石のカミラもこの視線には危険を感じたようだ。
「あーもう!! なんなのよアンタ!! 頭に来たわ、やっちゃいなさい!!」
カミラの指示にナハツェーラが行動を開始する。男の四方を取り囲むが、一斉に襲い掛かることはしない。しかしもし一度隙を見せれば瞬く間にその爪で男の身体は引き裂かれるだろう。
「数だけは揃えやがって……虐殺は趣味だがこれじゃ馳走の前にクソマズい蟲でも食うようなモンだ、胸糞悪ぃ。まあせめて塵芥の血をソースにして馳走を彩る事にするさ」
凄絶な笑みを浮かべ、槍と化したバーストを振るう。それはまるで塵を払うように無造作な所作。しかしそこにナハツェーラが狙っていた隙など存在しなかった。否、隙はあった。だがその気迫がナハツェーラから付け入る意思を奪ったのだ。
「ブチ撒けなぁ!! ヴォルカニック・ランサァダァァトッ!!!」
槍から紺色の焔が放たれる。昏き紺の焔だ。そしてその焔は―――50体を越すナハツェーラを一瞬にして“消し飛ばした”。“焼き払う”でも“吹き飛ばす”でもない。焔に触れた悉くが一瞬にして千切れ、砕け、融け、跡形もなく消えた。そこにナハツェーラの存在したことを示すような痕跡はない。完全なる消失。それは炎熱がもたらす破壊ではあり得ず。強いて言うのならば破壊そのものが焔の姿をとったようなもの。
再びカミラが呆気にとられる。男はますます凄絶な笑みを浮かべ、再び槍を振るう。
「ヒャッハァ!! 足りねえ足りねえ!! グランド・ダッシャァァァ―――!!!」
バーストをぐるりと振り回し、周囲に焔を振り撒く。先の一撃で警戒していたナハツェーラは回避行動をとるが、それでも20体あまりが同じように消し飛んだ。
「な、なんなのよ、これ……あ、あり得ない! あり得るわけない!!」
目の前の光景を否定するように首を振るカミラ。だがそれで現実は変わらない。一振り。たった一振りごとに十体を越すナハツェーラが塵も残さす破壊されていく。
これは彼女への擁護だが、カミラはヴァンパイアとして生を受けて比較的日が浅い。100年生きてはいるが、その大半は屋敷でナハツェーラの調教・指導、残りは眠り。他のヴァンパイアたちはその期間の殆どを眠って過ごしており、カミラとあまり接点もない。彼女にとって世界とは広い屋敷と心をかわすことも出来ないナハツェーラだけ。いわば、彼女は「箱入り娘」なのだ。その彼女にこれ程悲惨な戦況に対処できるはずもない。だがこの状況は他のヴァンパイアでもどうしようもないだろう。むしろこの状況でもナハツェーラが混乱せず整然と対処しようとしているだけ賞賛すべきことなのだ。他のものならば指示すら聞き受けず潰走していただろう。
* * *
「あ、あれは一体……」
その光景を離れた場所で見つめるセレスが、さもすれば恐怖に押し潰されそうになりながらも声を絞り出す。セレスにとって、ナシュトのその変貌は信じがたいものであった。あのナシュトが、あのような暴虐の化身へと変じるなど。
だが、レイフォンの言葉がそれを肯定した。
「ナシュトはな、あの歳としてはとてつもない程に異能を使いこなしてる。なにより発想力がある。それに加えて応用の効く異能だ。だからあいつは『幻想』の異能を思いもよらない使い道を見出した。幻想の創造ではなく、破壊の幻想をな。しかし奴はそれを使いこなすための肉体を持っていなかった。まだ若いし、それを使うには心優しすぎた。例え戦闘でどれだけ苛烈になれようとも。そこで奴は更に異能を応用させた―――」
あれほどの破壊、行使するとなればそれは最早戦闘ではなく虐殺であり、更に周囲への被害は免れ得ない。そんなものを扱える程ナシュトの精神も肉体も未熟であった。しかしその力は紛うことなく如何なる敵も打ち倒し得る力でもあった。ならば、それを如何に行使するか。
「可能性変生―――あいつは“自分の可能性”という『幻想』を顕現させたんだ。あいつが『悪の道を歩んだら』という姿をな」
『悪なる焔』ナシュト・フォーマルハウト。破壊そのものを振るう比類なき悪なる王。一切を顧みず、一切を見下し、一切を支配する。それこそがあの姿であり、ナシュトが到達し得る「成れの果て」だ。暴虐の化身、悪そのもの。完全に異能を制御した結果の制御できぬ異能。
呆然とセレスは『悪なる焔』を見つめる。あれがナシュトの可能性。いつか彼があのような暴虐となる。
(いいえ、違います)
違う。あくまであれは可能性の1つに過ぎない。可能性はあくまで可能性だ。先程までは「信じられない」だったが、今ならこう言おう「信じない」、そして「信じる」と。あれがナシュトが本当に歩む道だとは信じない。ナシュトはそんな道を歩まないと信じているから。
* * *
「さて、残るはあんただけだな」
ナハツェーラを殲滅し終え、悠々と『悪なる焔』はカミラに歩み寄る。カミラは手にした鞭でささやかな抵抗を試みるが、容易く鞭を掴まれ押し倒される。
「きゃっ!? な、何するのよ!?」
「何ってさっき言っただろうが。折角珍しい吸血鬼の女がいるんだ。具合を確かめてみるってよ」
「た、試すって……」
「ま、簡単に言えばてめえを犯すって事だよ。抵抗すんじゃねえぞ」
その言葉にカミラが激しく抵抗する。『悪なる焔』には一切効いていないが、流石にうっとおしそうに顔をしかめる。
「チッ。抵抗すんなら仕方がねえ。扱い易くするか」
言うや否や、『悪なる焔』がカミラに向けて破壊の焔を放つ。それは違わずカミラの四肢を消し飛ばした。如何にヴァンパイアと言えども、塵も残さず消失した肉体をすぐに再生することは出来ない。最早カミラに抵抗する術はなく、泣き喚くことしかできない。
その姿に『悪なる焔』は満足げに頷き、カミラの服に手を掛ける。―――その瞬間、鮮血と共にカミラの首が離れた。レイフォンがカミラの首に刃を突き立て刎ねたのである。
「そこまでだ。勝負は決したしもうこの子に戦意はない」
「てめえ、邪魔しやがって―――ただじゃおかねえぞ!!」
カミラの胴体を消し飛ばし、レイフォンへ槍を向ける『悪なる焔』。全身に楽しみを邪魔したレイフォンへの殺意を纏い、今にも師を殺さんとしていた。レイフォンもまた『悪なる焔』を殺すのも止む無しと剣を持つ手に力を込める。
―――その時、足元でカミラの首が嘆きの声を上げた。
「ああぁ~~~!! あ、あたしの身体がぁ~~~!! ど、どうしてくれんのよ!!」
気が抜けたような表情で『悪なる焔』が元気そうに文句を垂れるカミラを見下ろす。どうやって声を出してるのかの方が気になるところだったが、つまらなそうに槍を下げた。
「仕方ねえ。興も削がれたしオレは戻るぜ」
『悪なる焔』の身体が再び焔に包まれる。そして、本来のナシュトの姿へと戻った。
ナシュトは申し訳なさそうにレイフォンへと頭を下げる。
「すいません。またオレがやらかしたみたいですね」
「気にすんな、いつもの事だ。……しかし、この子どうするかねえ」
レイフォンがカミラの首を持ち上げる。カミラは憎々しそうにナシュトを睨んでいるが、その目には涙が浮かんでいる。
「正直、あんま憎めないというか……流石に懲りた様だし条件付きで保護観察処分でもいいと思うんだが」
「ふ、ふんだ! 情けをかけるのもいいけど、寝首を掻かれるわよ?」
涙目で強がりをいうカミラに、レイフォンが脅しをかける。
「そん時は『悪なる焔』の折檻が待ってるだけだ」
「ひぃ!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
もはや可哀想な程にがたがたとカミラが震える。一体どうやって頭だけで震えているのか疑問だ。
「とりあえず、封印布でしばらく再生は封じさせてもらうぜ。後の事は……まあ、悪いようにはするつもりはねえさ」
というかもう十分酷い目にあっているのだが。実際カミラが指揮していたナハツェーラは全体がここで倒されたので被害も特にない。今後の振る舞いによっては無罪とは言わずとも命の保証は出来る。
更に言ってしまえば、不死身のヴァンパイアを仲間にしたいというのがレイフォンの本音だった。冒険には危険が伴う。しかし非人道的ではあるが不死身の彼女がいれば自分たちは危険を回避することもできるからだ。
「えっと……な、なんというかオレが謝りたくなってくるんですけど」
「ひっ! も、もうしませんから! だからあれだけはやめてください!!」
頭を下げようとするナシュトにすら怯えるカミラ。完全に『悪なる焔』がトラウマになってしまったようだ。
「それよりもお前は姫さんの所に行ってやりな。色々思う事もあるみたいだし」
ナシュトがややたじろぐ。『悪なる焔』はセレスには見せたくない物だった。自分の可能性の一端を知って、幻滅されることが、拒絶されることが怖かったからだ。
しかしセレスを避ける訳も行かない。おずおずとナシュトはセレスの下へ向かう。
そして、それを迎えるセレスの表情は―――
「おかえりなさい。無事でよかった……」
笑顔。軽蔑も、拒絶もない。ただナシュトの無事を喜ぶ純粋な笑顔。ならば、ナシュトがするべき表情は不安げなものではいけない。
「―――うん。ただいま」
微笑んで、セレスに言った。
いつからだろう、欠落を自覚したのは。いつからだろう、失う事を恐れるようになったのは。
いつからだろう、手の届かぬものを見つめるようになったのは。いつからだろう、力を求めるようになったのは。
僕の願いは、誰の願いなのだろう。僕は、何を求めるのだろう。
―――そして、竜は空を舞う。
次回 繚乱のファンタズマゴリア 19話 竜の咆哮~力の顕現~




