繚乱のファンタズマゴリア 13 旅人と戦乙女~氷華舞う~
1.
暗い暗い何処か。
明かりは僅かな篝火のみで、その空間全体を照らすには不十分。
もっとも、“彼ら”の崇める“それ”を照らすには十分な明かりであった。
―――それは祭壇だった。石造りの豪勢な祭壇。
そしてその中央に鎮座するのは、真っ赤な液体が注がれた杯。
空間には祈りの声が響いていた。
だが、常人がこれを聞いて「祈りの声」などと思うだろうか。
“彼ら”の口から放たれる言葉は、あまりにも利己的。
そして“彼ら”自身の異様な高揚を以ってこの空間をより異質なものとしている。
『―――あと少し、あと少しで満月だ!!』
『我らが悲願! 我らが宿望! そして御身等の望むその時は近い!!』
『おお、おお素晴らしきかな! 血風の夜に、我らが栄光はあり!!』
“彼ら”の声は更に熱気を増し、空間に響き渡る。
―――だが、“彼ら”の背後から、何者かが拍手を浴びせた。
場は一瞬で静まり返り、殺気を纏って拍手の主へ教徒達は振り返る。
「いやいや。恐れ入ったよ。まさか王都の地下にこんな空間まで造ってるだなんて。まさかここまで規模が大きいとは、僕も思っていなかったよ。そうだろう? ラヴィーネ」
「あなたは愚かな人間を甘く見過ぎよ、ギュスターヴ。こういう人種って力を入れるべきところを理解しないし、しようともしないもの」
―――
2.
王都の路を、俺――リョウは一人歩いていた。
昨晩の一件でオルフェは怪我を負い(幸いにも傷が残る様な怪我ではなかったらしい)、治療を受けている。
朝方には意識が戻り、案外ピンピンしていた。
もっとも、今日一日は大人しくしているよう医者から言いつけられていたが。
急に倒れたというブルーサスもネロの屋敷で安静にしているらしい(こちらは意識が戻ったのかどうかはまだ知らない)。
ガルスは自警団や夜警団への報告や今後の対応について慌ただしく働いている。
そして当の俺はと言えば、オルフェの見舞いが終わり、かといって今更学院に登校する気にもならず、ただ苛立ちを募らせてぶらぶらと歩いているだけ。
―――だが、無意味な行為ではない。
手掛かりはある。
ブルーサスは、対峙した異形の肩を喰らう力により消し去った。
もしあのギュスターヴの言葉が真実なのだとしたら、唯一の手がかりとなるのは肩を負傷した人間。
喰らう力を当てられればそれは傷というより“元からそんな部位はない”といった風になる。
そんな傷をそうそう医者に診せられるはずもなく。
恐らくは一般人に出来る程度の処置、つまりは何かしらの方法で隠すしか道はない。
何より。街の様子がいつもに増しておかしい。
恐らく普通の人間には気づかないだろうが、肌がひりつくような気配が街に充満している。
こういう感覚には心当たりがある。
頭のイカレた狂信者共の織り成す熱望・悲願・狂乱。
「くだらねえ」
祈って何が手に入る祈って誰が救われる。
願いなど想いなど力など。
届かないし手に入らん。
手に入ったところで、全ては手遅れだ。
少なくとも今の俺には神に祈るような暇人に共感するような感情は持ち合わせてはいない。
同族嫌悪自己投影、笑いたくば笑え哂えるものならば哂ってみろ嗤ってやる。
既にこの魂は精神は肉体は混沌の汚泥に侵され冒され犯されきったものなれば。
「と、噂をすれば―――」
あるものに気付き、俺は咄嗟に物陰に身を隠す。
視線の先には、先を歩く何の変哲もない一人の道化師。
だが俺の目は見逃さない見逃すものか。
丸々とした衣装越しにでも俺には分かる。
奴の左肩、まるで抉られたかのように。
目の前の人物は、道化のおどけた衣装を着ているだけのただの人間だ。
だが俺の見立てではあの異形は人間が変異したものという可能性があった(あまり信じたくはないにしろ)。
ならば、あの男は―――。
一人頷き、俺は奴の追跡を始める。
行き先が奴の仲間のいる場所だと願いながら。
そして、ともすれば笑みを浮かべそうになる口元を抑えながら。
ああ、だが誰が気付くであろうか。
嗤いは抑えきれず、この身ではなく影に笑みを浮かべる俺の姿に。
3.
王都の地下深くの空間。
ギュスターヴとラヴィーネは邪教団と対峙していた。
邪教団。
吸血種たる幻想存在を信望し、その僕となることで恩恵を受けんとする教団である。
―――そこには、一介の騎士がいた。魔術師がいた。ただの市民がいた。
有象無象合わせて23人が集っていた。
「貴様―――最近王都に来た《契約者》だな?」
警戒を露わに騎士でもある教徒が尋ねる。
その問いにギュスターヴは涼しげな表情で「ああ」と頷いた。
「生憎僕たちにも認識阻害は完全に効いていなかった、ということさ。王都に来たのは十数年ぶりだから、忘却の魔術なんかは効くはずもないしね」
その言葉に魔術師が歯噛みする。
昨晩に引き続き、再び探知されるという失態を犯したのだ、無理もない。
しかもやってきたのが未だ得体の知れぬ《契約者》ならば尚更。
「あえて問おう―――貴様、何の為にここに来た? まさか我らに賛同するなどとは言うまいよ?」
「うん、そうだよ?」
予想外の返答に、教徒達は呆気にとられる。
《契約者》が我等に賛同するだと?
何を馬鹿なことを、永き生を持つ《契約者》が今更永き生を恩恵と約束する我等が主に何を求めるというのだ。
「ああ、勘違いしないで欲しい。僕が賛同するのは、君たちのその姿勢さ。力が欲しい、永い命が欲しい。その為ならば他者を踏み躙る事に何の躊躇があろうか。その欲望は、まさしく人間らしいものだ。なら、僕はそれを賛美しよう」
―――言っていることの意味が分からない。
それが教徒全員が抱いた感情である。
結局この男は味方なのか、敵なのか?
「でも―――残念だけど、君達は少々逸脱しすぎた。求める分には構わないんだけど、本当に人間を辞めるのは阻止したい。人であるからこそ美しい在り方も、人でなくなればただの穢れに過ぎないからね」
「《契約者》が言えた話か、え?」
苛立ちを込めた言葉に、しかしギュスターヴはなお涼しい表情で答える。
「然り、さ。僕は既に人ならざる身、だからこそ人を評することができる立場だ。――とにかく。君達はここで終わりだ。殺しはしない。少なくとも僕達の手では。人として裁きを受け、人として罪を償うんだね」
「―――出来るものならばやってみるがいい!!」
教徒達の身体が膨れ上がり、あの異形の姿と化す。
一方のギュスターヴはやれやれといった風に首を振り、何故か上半身の服を脱ぎ捨てた。
代わりに、肩に掛けていた荷袋から“それ”を取り出す。
―――それは手甲であった。
2本の透明なシリンダーが備えられた一対の手甲。
シリンダーの中には何か液体が込められている。そして、それを身に着けつつ、ラヴィーネへと語りかける。
「分かってると思うけど、殺しちゃ駄目だよ。彼らはまだ人なのだから」
「面倒な制約ね。戦乙女の名折れだわ。従ってあげるけど」
「うん。なら―――行こうか」
刹那、空気が変容する。
教徒達の熱気により温かだった空気が、今や凍える程に。
周囲の壁に至っては霜が発生している。
そしてギュスターヴは紡ぐ。
《契約者》としての力を喚び起こす、その力ある言葉を高らかに。
「『財は滅び、家族は死に絶え、我もやがては死に至たる。だが、我が名声は決して滅びぬものなれば』―――HAGAL ISS」
変わる。変わる。
突如地下空間に顕れた吹雪に包まれ、二人の姿が変容していく。
そして吹雪が晴れた時、異形と化した教徒達が見た者は―――。
ひとつは“黒い男”であった。
文字通り漆黒の肌の、筋肉質の男。
身体の至る所には青き輝きを放つ亀裂が紋章の如く刻まれている。
髪は雪の様に白く、漆黒の貌には赤い瞳が煌々と輝いている。
これこそがギュスターヴがラヴィーネの、幻想存在の力を得て変異した姿に他ならない。
そしてもうひとつ。
それは“戦乙女”―――なのか?
先程まで妖艶な女性だったその姿は、しかし今は乙女と呼ぶには幼過ぎる、少女と呼んだ方が相応しいものとなっていた。
だが身に纏う妙に露出の多い(というより四肢や胸周りぐらいにしか鎧らしい鎧がなく、腰回りに至っては申し訳程度に肌を隠している程度だ)鎧はまるで氷の彫像の如く精緻にして美麗、ある種の神々しささえも湛えている。
外見こそ幼いが、成程確かに戦乙女と呼ぶに相応しい威光である。
これこそがラヴィーネの、いやロタ・ヴァルキリーの本来あるべき姿。
先程までの姿など、ギュスターヴと《契約》する以前に多くの『穢れ』を孕んだが故に成長した姿に過ぎない。
「では、前夜祭を始めようか。派手に行こう」
『ほざけぇぇぇぇええええええ!!』
怒号と共に、異形達が一斉にギュスターヴへと躍りかかる。
だがラヴィーネは後ろに下がったもののギュスターヴは動こうとしない。
そして一体がギュスターヴへと触手を放った瞬間、その異形へギュスターヴが無造作に腕を振るった。
同時にシリンダーの内の一本から液体が射出される。
そしてそれが命中した瞬間、異形の身体が炎に包まれた。
―――錬金術により作り出された、物体に触れると発火する特殊な液体である。
間髪入れずにギュスターヴは異形を殴りつける。
一見ただの拳撃だがその衝撃は凄まじく、異形は吹き飛ばされ壁へと叩き付けられた。
続けて右から回り込もうとした異形の頭を跳び越すように回転しつつ跳躍、擦れ違いざま燃焼液を射出し、異形を火達磨へと変える。
更に異形は襲い掛かる。
一体が身体を限界まで軟化させる。
これならば打撃は効かない、そう判断したのだろう。
だがギュスターヴは意にも介せず右肩目掛けて右ストレートを放つ。
そして拳が命中した瞬間、異形の肩、正確には腕の付け根が“砕けた”。
見れば、傷口が見事に凍りついてる。
もう一本のシリンダーに込められた物質を一瞬で凍結させる液体の力である。
錬金術による氷と炎を組み合わせた拳撃。
それこそが彼の“今の姿”の戦い方であった。
体術は荒々しく、しかし振るわれるのは智慧の拳。
4体もの異形による四方八方からの触手すらも、ギュスターヴは華麗に回避し、その悉くを着火し、氷結させ、打ちのめしてく。
―――この男には敵わない。
異形がそう認識し始める。
ならば狙うべきはあの女だ。
長剣を手にしながらもつまらなそうに戦いを眺めているラヴィーネへと異形達が狙いをつける。
「あ、私の方に来る? ギュスターヴ、そろそろめんどくさそうだから私がやっておくよ?」
外見同様やや幼げな口調となったラヴィーネの言葉に、異形の一体を打ちのめしつつギュスターヴは苦笑した。
「別に楽なんだけどね……。確かに時間はかかるから、そっちはそっちでやっていて」
「はーい」
軽い返事。
しかし次の瞬間、彼女はぞっとするような気配を纏い始めた。
ゆっくりと剣を構える。
―――彼女が彼と《契約》したのは、彼女が百数十年生きた頃だった。
そして、彼と《契約》し現在に至るまで、更に八百余年が経過している。
そして彼女は生まれながらにしての戦乙女、その生を受けたその日から剣技の研鑽を続けてきた。
都合千年。
その永き時を彼女は剣と共に過ごしてきたのだ。
ならばその剣技は妖剣の域を超え、魔剣の域を越え、神剣と呼ぶべき領域に他ならない。
殺意こそ見せず、しかし殺気を込めたその視線は最早“視線”の域を越え、正気の常人相手ならばそれそのものが致命となるだろう。
だが、異形は元は常人ではあるが正気ではない。
その脅威にすら気付かずにラヴィーネへと襲い掛かった。
凛、と音を響かせて剣が振るわれる。
風を切る音でも、肉を斬る音でも、骨を断つ音でもない。剣閃はただ静かに、彼女の鎧が僅かに擦れ合った音だけを響かせる。
そして一刀の下、5体の異形は四肢のいずれかを斬り落とされ地へ這い蹲った。
「やっぱり弱いじゃないこいつら。ギュスターヴ、私の能力そっちに貸すから」
ギュスターヴは頷く。
既にその手甲のシリンダーは空に等しく、異形へ有効な牽制が行えないでいた彼に、その言葉は僥倖であった。
そもそもあくまでシリンダー内の液体は牽制用、数体に撃ち出せばすぐに空になる。
「じゃあ、早速使わせてもらうとするよ」
言葉と共に、彼の周囲に雪が舞い出す。
そしてそれは徐々に勢いを増し、彼の周囲を渦巻いてゆく。
「さあ咲くがいい、脆き氷の華よ」
刹那、彼の周囲に渦巻いていた雪が5体の異形達へ向かって放たれる。
為す術もなく雪の奔流に飲み込まれる異形達。
そして吹雪が過ぎ去った後、残されたのは四肢を凍りつかせた異形達の姿。
ギュスターヴはそれにゆっくりと近づき、容赦なく四肢を砕く。
そして残る4体も、ラヴィーネによって軽々と四肢を切断され倒れた。
意識を失い人の姿へと戻る教徒達。
ギュスターヴは彼らの傷口を止血の為凍らせる。
後はショック死でもしていない事を祈り自警団を呼ぶだけだ。
王都を騒がせた吸血鬼事件の現段階での犯人。
それは今5分にも満たない時間で、しかもたった二人によってあっさりと壊滅した。
3.
追跡していた道化が、狭い裏路地へと入っていった。
この路自体は知っているが、こんな場所に路地があったという記憶はない。
それはつまりこの場所にも結界が張ってあるという事。
路地を覗き込むと、その先はは行き止まりであった。
代わりに建物の壁に鉄製の扉がひとつ備えられている。
道化はそこへと入っていった。
(あそこが奴らのアジトか……?)
増援を呼ぶつもりはない。
もしここがアジトならば、このまま鏖にすればいいだけの話だ。
だが、予想外の出来事が起きた。
道化が扉へ入ってすぐ、短い悲鳴が聞こえたのだ。
何があった!?
《リヴァイアサン》を纏うこともせずに扉を蹴り開ける。
果たして、そこには―――。
「ああ、君は」
「テメエは……!!」
あの“白い男”ギュスターヴ。
そして、恐らくはその《契約》相手である戦乙女。
「丁度良かった、自警団を呼ぶ手間が省けたよ。教徒達は動けなくしてある。捕まえるなら今の内だよ」
「何だと?」
先を越された。
頭に浮かぶのはその言葉だった。
動けなくした、ということは殺してはいないらしい。
「そうそう、それと少し聞きたいことがあったんだ。君、幾つだい?」
「―――19だ。それが何か?」
答えると、ギュスターヴは「へえ」と笑い、俺の横を通り抜けていく。
その途中、俺に告げた。
「凄いね。―――一体何人の人間を殺せば、その歳でそんな血の臭いが染み付くんだろうね」
―――!!
俺は振り向きざま、形成した剣を奴の首へと向ける。
「お前には……お前には言われたくねえな、英雄。あんたは確かに英雄かもしれねえが、所詮は同じ人殺し。殺戮者。何よりテメエは英雄の役目を果たしてない。そんなテメエが、役割を果たしている俺に如何こう言う資格があるってのか?」
「英雄なんて所詮過去の称号さ。君も理解していると思うがね。―――折角生かしておいたんだ。殺さずちゃんと捕まえてくれよ?」
そう言い残し、二人が去っていく。
その後姿に、俺は唾を吐き捨てた。
「くそったれた英雄が……。いつか、テメエらも俺が潰す」
少なくとも、奴らのせいで犯人達を気付かれないよう抹殺することは叶わなくなった。
ならば、最後に残る方法は―――。
「黒幕を潰す、準備をしなければな」
呟いて、俺は扉の奥へと足を踏み入れた。




