さん 距離
「ご馳走様でしたー!」
「ご馳走様でした」
食べ終えた唯那と瀧黎ちゃんが同時に口に開く。見事なまでに綺麗に平らげられた皿を見れば作った側としてはかなり嬉しいものだ。
「お粗末様」
そう言って全員分の食器を片付ける。
「あ、それぐらいは私が……」
「大丈夫よこれくらい。来客なんだし、寛いでいて」
「……そうですね、ではお言葉に甘えて」
笑顔で返事をして瀧黎ちゃんが腰を下ろす。そして唯那と談笑を始める。性格はかなり違うけれど、2人の相性はかなりいいみたいですぐに打ち解けている。
(仲良くできてるみたいで良かった)
そんなことを思いながら食器を全て洗い終え、片付けを済ませる。そしてそのままの足で瀧黎ちゃんの服を確かめに行く。
乾燥機で縮まない程度に乾燥させたあとハンガーにかけ、最後の追い討ちとでも言うように扇風機の風を当てていた。その甲斐もあってか、ギュッと強く握っても濡れた感触はない。完全に乾ききっているみたいだ。
(よしよし)
頷き、服を手に取るが、ふと目の端に女性物のかわいい下着が目に映る。
「───っ」
サッと、すぐに目を逸らす。いや、首ごと顔を背ける。やはり女性物の下着というだけで身構えてしまう。唯那の下着でも正直いつも動揺している。それに何より今近くに干してある下着は今日初めて会った瀧黎ちゃんのだ。さすがに見ていいものではない。
(いや、初対面でも見ていいものじゃないけど……)
一瞬しか見なかったが、純白で彩られたかなり大人な下着だった───
(いやいやいや!何考えてんのよアタシ!)
「刻野さん、どうかしましたか?」
「あひっ!?」
なんてことを考えていたら、下着の持ち主が声をかけてきた。それにかなり驚いてしまい、変な声と言葉が漏れ出てしまう。
「……」
「あいやそのほら服乾いてるかなーって思って見に来てさほらもう乾いてるのっ!」
恥ずかしさに慌てて言葉を紡ぐが、正直今自分が何を言っているのか分からない。それにかなりの早口で喋ってしまっているから瀧黎ちゃんからすれば本当に何を言っているのか分からないだろう。それでもアタシの口は止まらなかった。
「でねそれでねもう大丈夫だと思って取ろっかなーって考えてて───」
「───ぷふっ」
何も言わずにアタシを見ていた瀧黎ちゃんが不意に吹き出し、お腹を抑える。その姿にアタシの口はすぐに言葉を遮断した。
「あははっ!変な声出して、すっごい早口で……あははは!」
「ちょちょっと!そんなに笑わないでよ恥ずかしいっ」
「ご、ごめんなさい、まさかそんなに驚かれるとは思ってなくて……あはははっ」
そう謝罪を入れる瀧黎ちゃんだが、笑いは止まらないようでずっと笑い続けている。
「も、もう……」
恥ずかしさに顔が沸騰するのではないかと思うほどに熱い。けれど、面白がって声を出して笑っている瀧黎ちゃんにこちらも頬が綻ぶ。
「はぁ、はぁ……ふぅ……」
沢山笑った瀧黎ちゃんが息を整える。それからこちらに顔を向け、口を開いた。
「すみません、沢山笑ってしまいましたね」
「いいのよ、いっぱい笑えば」
あんなに楽しそうに笑われては怒るなんてまず出来ない。だから軽く宥めるだけにする。
「あ、服乾いたんですね」
そう言って服を脱ごうとする瀧黎ちゃんをまた慌てて止めようとする。けれど瀧黎ちゃんは服の裾をほんの少したくし上げた所で手を止めた。
「あ……こういうのは、良くないんですよね」
先ほど慌てて止められたことを思い出し、服の裾を下ろす。
「そうね、女の子が無闇に肌を見せるものじゃない。という訳で、アタシは外で待ってるから着替え終えたら声かけてね」
「はい」
手に持った服を瀧黎ちゃんに渡し、部屋を出る。
────────────…………
刻野さんが部屋を出たのを確認してから服を脱ぐ。ぶかぶかで、ふんわりとだが爽やかな香りがする。
(……刻野さん、優しいな)
そんなことを思いながら服を着替える。そしてふわりと香る爽やかさ。それは今先程脱いだ服から漂っていた香りに近い。
(……なんだか、落ち着く)
落ち着くと、人は自然と過去を思い起こすものだ。だから、海での出来事を思い出す。
(──────止められた)
正直、あの場に人がいたなんて驚きだ。ちゃんと人気が少ない場所を選んだつもりだったのに。
(ああでも、あそこは学校の近くだったっけ……)
まだ涼しいし学校の近くだろうと人が来ることはないと考えていた。でも、どうやら宛は外れたみたいだ。
(……もう一度)
もう一度あの海へ、なんて考えは爽やかな香りに阻害され、霧のように薄れる。
(匂い……)
服の匂いを嗅ぐ。とても爽やかで、清潔感のある香りだ。一般的な、洗濯後の服の匂いだと思う。けど、なんでだろう。
(……まだもう少しだけ───)
海へ行く。その考えを一度放棄してみよう、そう思えた。
…………────────────
「着替え終わりました」
扉の奥からそんな言葉が聞こえてくる。
「あの、開けて大丈夫ですか?」
「え?そりゃもちろん」
アタシがそう返すと、瀧黎ちゃんは恐る恐ると言った様子で扉を開いた。
「お待たせしました」
瀧黎ちゃんはそう言って洗面所から出てくる。そして丁寧に折りたたまれたアタシの服を手渡してくれた。
「こちらお返しします。急遽借りる形になってしまって、すみません」
「そんな、別に気にしないで。なんなら持って帰ってもらっても構わないわよ?」
「えっ!?いえそんな!」
アタシの発言に取り乱す瀧黎ちゃんに少しはてなマークを浮かべる。
知り合ってからそんなに時間は経っていない。けれど、いつの間にかアタシから敬語が抜け落ちていた。恐らく彼女が優しく接しやすい雰囲気を醸し出しているからだろう。
(失礼かしら)
そんなことを考えながら彼女の顔を見る。
「……刻野さん?」
敬語が抜けたどうこうで特にどうと思っていることは無さそうだ。正直敬語は苦手な部類だから使わなくていいのはかなり助かる、考えながら発言するのはどうにも難しい。
「あの……」
考えるといえば、とそこで先ほど感じた彼女への違和感を思い出す。この街と彼女の苗字が同じであることに触れた時、彼女は言葉こそ驚いていたが、声音から態度、どれを取ってもさも当たり前かのような振る舞いをしていた。
(色んな人に弄られてきた……)
そうとも取りずらい。からかわれてきた人はもっと嫌な態度をとったり、どこか慣れを含んでいる。彼女の反応は弄られ慣れなどではなかった。だとするなら───
「刻野さんっ!」
「はいっ!?」
突然大声で名前を呼ばれ、びっくりして体をビクッと跳ねさせる。大声を出した張本人である瀧黎ちゃんに顔を向けると、頬を赤らめてモジモジとしている。
「あの、そんなに見つめられると……」
「え?あ───」
そこでようやく気がつく。考え事をしながらアタシは瀧黎ちゃんの事を凝視してしまっていた。恥じらいに体をひねる彼女に軽く目を逸らしながら謝った。
「ご、ごめんなさい、ちょっと考え事しててね」
「……考え事ですか?」
不意に彼女の声色が変化する。それにアタシは逸らしていた目を戻し、彼女に向ける。頬はまだ少し赤いし、恥じらうように体をモジモジさせている。けれど、表情はそうではない。どこか真剣で、何やら焦っているようにも見える。瞳が揺れている。
(……まだ)
少し気になり、踏み出そうとするこの気持ちを押さえつけ、アタシは小さく息を吸って洗面所にある小さな窓に目を向けた。
「大したことじゃないの、気にしないで。それよりも、もう真っ暗ね」
「あ、そうですね」
「親御さんも心配しちゃうだろうし、家まで送るよ」
「え、そんないいですよ!これ以上ご迷惑をかける訳には───」
「こんなにも可愛くて可憐な子をひとり夜道を歩かせるなんて、アタシにはできないわ」
彼女の遠慮する姿に冗談交じりにそう伝え、ウィンクをしてみせる。そうすると、彼女はふふっと笑い、こちらに顔を上げた。
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
「えぇ、存分に甘えてちょうだい」
それからアタシは唯那に瀧黎ちゃんを送ってくることを伝え、瀧黎ちゃんと一緒に外に出る。すると、風が強く吹き、アタシの短い黒髪と瀧黎ちゃんの長い金髪を強く揺らした。
「この時期の夜は風が強いから、気をつけてね」
「は、はい」
前髪を抑える瀧黎ちゃんがそう口にした。
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街灯に照らされた道を歩きながら周囲を見渡す。観光地ということもあり、夜でも人足はそれなりに。かなり和風な建物に囲まれた道は街灯で綺麗に彩られている。道を左右に分断するように綺麗に真ん中を流れる川は人2人分ほどの幅があり、古風な石橋が一定間隔で左右の道を繋ぐ架け橋となっている。
いつ見ても綺麗な街並みに魅入っていると、目の端に瀧黎ちゃんが映り込む。彼女も真剣といった表情で待ちを眺めている。
「街並み、綺麗でしょ?」
「え?はい、それはもう……」
そう言葉を漏らす彼女の目はキラキラと輝いて見える。どうやら言葉通りに思っているようだ。
「アタシ、この街が大好きなの。街並みも綺麗だし、人もすごく優しい人たちが多い。正に内外ともに綺麗な街なの」
「優しいあなたが言うのでしたら、きっとそうなんでしょうね」
「アタシが優しい?」
そう瀧黎ちゃんに顔を向けて首を傾げる。
「はい、刻野さんはとても優しいと思います。初めて会った見ず知らずの私を勘違いでも助けようとしてくれましたし、お風呂やご飯なんかもいただいて」
「んー、そうかしら?」
アタシのなんとも言えない表情に瀧黎ちゃんは笑みを零し、また街並みに顔を向けた。
「当たり前だと、そう思えている時点で、とても優しい方だと思いますよ。この街と同じ、内も外も、美しく思います」
「美しくだなんて、そんな───」
「───私とは大違い」
美しいと言われて照れたアタシを他所に、瀧黎ちゃんが小声でポロッとそんな言葉を漏らす。普通であれば聴き逃しそうなほどの小声だった。けれど、アタシはその言葉を聞き逃せなかった。
「……瀧黎ちゃん」
『そんなことはない』。そう声をかけようと言葉を出そうとする。けれど、アタシは彼女のことを知らない。だから、安易にそう言うのは違うと考えて言葉を詰まらせる。そんなアタシに気づいたのかそうでは無いのか、瀧黎ちゃんがアタシに振り向き、ニコッと笑みを見せた。
「私の宿泊場所はもうそこなので、ここまでで大丈夫ですよ」
「あ、そ、そう?」
その笑顔、スラッとした佇まい、それがこの妙な距離感の原因なのだろうか。そんなことを思えば言葉が少しだけ上ずる。
「あ、こちらずっと持ったままでしたね」
そう言って家を出る時から大事に抱えていた服をこちらに渡そうとしてくる。
「……サイズ合わなくて捨てようと思ってた服だから、そのまま貰っちゃって」
なんて言葉が口から飛び出す。それはまるで、この妙に遠く感じた距離を縮めるためか、はたまた単なる気まぐれなのか、アタシの心は未だ整理がついていなかった。
「え、でも……」
「いいの、どうせ捨てちゃうだけだったし。もしいらないとかあれば捨てちゃって大丈夫だから」
「……わかりました」
アタシの言葉に瀧黎ちゃんが少し申し訳なさそうにしながらも頷いてくれる。アタシの頑固な態度に返すのは無理だと思ったのだろう。
「それじゃあ、おやすみなさいね」
そう言って彼女に手を振る。すると瀧黎ちゃんは少し戸惑いながらも同じく手を振り返してくれた。
「おやすみなさい」
そう告げると、彼女はアタシに背を向けて歩き出す。瀧黎ちゃんが旅館に入るまで見守り、アタシは背を向けて来た道を歩く。
いつも通りの綺麗な街並み、いつもはキラキラと輝いて見えるのに、どうしてか今は物寂しさに色褪せて見えた。
────────────…………
今日一日だけ宿泊することにした旅館に入り、そのまま借りている自分の部屋へ。
部屋に入り込み、私は手に持っていた服を机に置く。そして、その机に体を向けて床に座り込む。
「……ふぅ」
ドッと疲れたような気もするし、癒されたような気もする。そんな複雑な気持ちを抱きながら、机の上に置かれた服に目を送る。
「……なんで貰っちゃったんだろう」
貰った理由は押しが強かったのと洗濯して返そうかなと思ったから。でも、会えるかも分からない。
「そういえば───」
刻野さんや唯那ちゃんは学生服を着ていた。ということは近くの学校の生徒ということになる。そして近くの学校は瀧黎学園しかない。
「……また会えるかな」
それならば洗濯して返せる。そう思えた。
…………────────────
まだ涼しさの残る夜風に当たりながら家へと帰っていると、何やら穏やかじゃない話し声が聞こえてくる。
(喧嘩?)
その声の方に目をやると、1人の女性に数人の男性が取り囲んでいる状態だった。と言っても、3人くらいしかいないが。
どうやら喧嘩というよりもナンパされているに近いのかもしれない。
(……無視できないな)
絡まれている女性が心配、というのもあるが、何よりもナンパ現場が家からすぐ近くで、今からこの道を通ろうとしている。素通りするなんてアタシにはできない。
「───いいじゃん別に」
「申し訳ありませんが、私今待ち合わせをしていますの。貴方たちに付き添うことはできませんのよ」
「まぁまぁそう言わずにさ───」
1人の男性が彼女の肩に触れようとする。それを阻止するように間に入り、アタシは女性の肩を抱く。
「ごめんなさいね、アタシの連れなの」
うっすら聞こえてきた話し声で女性の状況を把握し、そう受け答えする。
「っ!……」
女性の体が強ばっているように感じる。強い口調を出していても、やはりこの人数相手は怖いのだろうか。ならばとアタシは彼女を男性たちから少しだけ遠ざける。
「なんだよお前邪魔すんなよ」
そう強い口調でまくし立てようとしてくる1人の男性にアタシはため息をこぼした。
「邪魔なんて酷い。アタシこの子の待ち人なんだから邪魔をしてるのはあなたたちでしょ?」
「えっ……」
「なにを────」
「待て待てって!」
拳を掲げ、殴りかかろうとしてくる男性をまた1人の男性が止めに入る。
「なんだよ!」
「問題起こすと後々面倒だぞ!」
「ぐっ……」
男性の言葉に上げられていた拳が下げられる。瀧黎街は治安が良い。それは問題を起こす人物を容赦なく罰する警備員やこの街の人たちがいるからだ。それが例え地元民であろうと観光客であろうと変わらない。それによりこの街は治安を維持してきたのだ。
観光客か地元民か分からないが、この場にいられなくなる、または来れなくなるのはさすがに男性たちにも嫌なのだろう。大人しく引き下がることにしたようで、いそいそとその場を離れていった。
「……ふぅ、ごめんなさいね急に肩を抱いて。大丈夫?」
逃げていった男性たちの背中を見てため息をつき、視線を女性の方に向ける。そこでようやく気がつく。
「──────っ」
女性の顔が真っ赤なことに。
「あっまっ、これはそのごめんなさいっ!」
慌てて女性から離れる。それを感じた女性が顔を上げ、こちらに顔を向けてくる。相変わらず顔は赤いが、表情は柔らかく穏やかで、それでいて凛々しいものになる。
「あ、いえお気になさらないでくださいませ。助けていただき感謝ですわ」
胸の前に手を置き、小さくお辞儀をしてくる。その一挙手一投足から言葉でこの女性がどこかのお偉いさんのお嬢様だとわかる。
「いえその、急だったとはいえ肩を掴んでしまって申し訳ないです」
「ふふ、もうお気になさらないでと言いましたのに。ですがそうですね、あなたももしやナンパの方ですの?」
「え?」
その言葉に思考が乱れる。さすがにそんなことを言われるとは思っておらず、首を傾げてしまった。
「あら、違いまして?ご自分のことを私の待ち人だなんて、とても大胆なお方ですのね」
その言葉に頭の中で木魚の音が流れる。それほどまでに何を言っているのか分からなかったが、その言葉の意味をすぐに理解することができた。
「あっ!ち、違うんですこれはっ、なんと言いますかその、言葉の綾と言いますか……」
慌てて弁明しようとするアタシに彼女はふふっと笑いかけてきた。
「ふふっ、揶揄ってしまって申し訳ありません。そういう意味で言った訳ではないというのは承知していますが、少々照れさせられたお返しをと思いまして」
「え?も、もうっ!」
「うふふ♪」
揶揄われたことにぷんぷんと怒るアタシに彼女は笑顔を見せる。その反応にアタシの怒りは一瞬で消え失せた。
「もう夜も遅いですし、よろしければ家まで送りますよ。またナンパに捕まってしまってもいけないですし」
そう冗談めかして言うと、女性は首を横に振り、アタシの提案を拒んだ。
「大丈夫ですわ、もう時期迎えが来ますので」
「そうですか、じゃあアタシはこの辺で」
そう言って手を振り、その場を去ろうとした。そんなアタシを女性が呼び止めてきた。
「待ってくださいませ、お名前を聞いても宜しくて?」
「え、名前?」
「えぇ、この御恩をお返ししなければなりませんので」
「お返しなんて別に───」
「いいえ」
アタシの言葉を遮るようにして彼女が口を開いた。その言葉には断固たる決意が感じられた。
「助けていただいたのに御礼をしないなんて、家名を汚すことは致しませんわ」
そう言葉を漏らす彼女がアタシの目をしっかりと見据える。その力強い眼光にアタシは笑みを漏らし、口を開いた。
「刻野 空成よ」
「ふふ、刻野さんですわね、しっかりと覚えましたわ!」
そう胸高らかに宣言する彼女に別れを告げ、アタシは家へと帰った。そして、そこで気がついた。
「あ、名前聞いてない」
名乗ったはいいものの、相手の名前を聞き出すのを忘れていた。名前くらいは聞いておかないとと思い、改めて靴を履いて外に出てみたが、女性の姿は既になかった。




